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毒の鏃

 揺り戻されるように、ふっと意識が暗闇を抜けた時、ユージンは自分の鼻先がかび臭い布にふれているのを感じた。

 すぐに、誰かに殴られて気を失った事を思い出し、自分がどこに寝かされているかを考えるよりも先に武器を探して手を動かしたが、少し頭が揺れただけで吐き気がこみ上げた。

「シー……」

 呻いたユージンの頭上から、静かな息遣いが降ってきた。

 なめらかで、ひんやりとした指が(ひたい)に触れる。思うように体を動かせない、この状況では、危険な事だとわかっているのに、知性を感じさせる少女の声を聞くうちに、心が鎮まった。

「大丈夫。ここは安全だ。……ゆっくりと息をしなさい」

 言われたとおりに、大丈夫、大丈夫……、と自らに言い聞かせながら呼吸するうちに、体に残った冷たい痺れが引いていった。

 そのまま、眠ってしまったのかもしれない。

 どれくらいの時間が過ぎたのか、わからないが、次に目を覚ました時には頭がはっきりと冴えて、周囲の景色が鮮明に見えるようになっていた。

 とうに日は暮れ落ちたはずだが、灯火のような温かい色の光がどこからか入ってきている。

 頭をめぐらすと、天井近くに空気を取り入れるための細長い窓があいているのが見えた。半地下の物置にでも放り込まれたのだろうか。窓は、ちょうど、地面の高さにあるらしく、そこから火影(ほかげ)と足音が入ってきていた。

 ユージンはすぐには起き上がらずに、床に頭をあずけたまま、周囲の気配を探った。

 入り口の所に二人、武装した男が、棚の影に身を隠すようにして立っている。見張りなのだろうが、王族であるルィヒを(じか)に見下ろすのは気が引けるのか、二人とも、こちらの動きを気にしている気配はするものの、顔は(そむ)けていた。

「気がついたか?」

 傍らに座っているルィヒが、ささやくような声で聞いた。

 ユージンは頷き、起き上がった。自分の手足が縛られていない事と、すべての指が問題なく動く事を確かめる。

 そして、偶然、そこに手が伸びたふりをして、拳銃がホルスターに収まっている事も確かめた。その姿勢のままルィヒに目を向けると、彼女もユージンの意図に気づいたのか、黙って小さく頷いた。

 ルィヒも縛られていない。さすがに剣は取り上げられていたが、争ったような痕跡はなく、肌も衣も綺麗なまま、姿勢良く座っていた。

「わたしは無傷だ。暴れるなよ、ユージン」

 ルィヒが口を開いた。ユージンに言い聞かせるように見せかけているが、入り口の見張りにもぎりぎり聞き取れるくらいの、(たく)みな声量だった。

「おまえもわたしも剣を取られた。カルヴァートにも連絡が出来ない。外にも、見張りが詰めている。……大人しくしていれば、命までは取られないそうだ」

 ユージンが拳銃を隠し持っている事を悟られないように、わざと、丸腰である事を強調して見張り達に聞かせているのだと思ったが、その次にルィヒの口から出た言葉にユージンは愕然とした。

「逃亡を(はか)らないように、わたしも毒を飲まされた。もうじき自力では動けなくなる。すまないな」

「毒、って……」

「大丈夫、死ぬようなものではない。わたしも王族だから、毒についての教育は一通り受けているよ」ルィヒは片手の指を開き、ユージンの顔の前にかざした。「とはいえ、効きは良くないみたいだね。長命者だからかな。さっきようやく指先が痺れ始めて、今は瞼が、ほら……」

 ルィヒに促されるままに、ユージンが近々と彼女の顔を覗き込むと、突然、ルィヒはにこっと笑って片目をつむった。

 ユージンが身を引くのと同時に、ルィヒは勢いよく立ち上がるや、指笛を吹き鳴らした。

「──何をしている!」

 入り口に立っていた見張りが短剣を抜いて襲い掛かってきた。

 ルィヒはくるりと踵を返すと、リスのような身軽さで床を蹴って飛び上がり、棚の上の出っ張りを両手でつかんだ。そして体全体を振り子のように使って、曲げた膝を見張りの側頭部にぶち込んだ。

 ルィヒの膝蹴りをもろに食らった見張りの男は白目をむき、棚に体をぶつけて壺や巻物をひっくり返しながら床に倒れたが、もう一人の男はその間に、ルィヒの間合いの外から短弓に矢をつがえて彼女を狙っていた。

 ここは狭い物置だ。棚や道具が密集し、横に動いて射程の外に出るのは難しい。

 それに気づくと、ユージンは流れるような動作で拳銃を抜いた。

 射手(いて)の男は、天井近くにいるルィヒを狙っているため、ユージンから見ると左半身ががら空きになっている。ユージンは、その隙を狙って、彼の左肩に照準を定めて引き金を引いた。

 弾は見事に命中し、男は、ぎゃっと叫んで弓を取り落としたが、矢はそれよりもわずかに早く放たれていた。

 胸当てに守られていない首めがけて放たれた矢を、ルィヒは頭を振ってかわしたが、完全に避ける事は出来ず、左耳の下あたりをわずかに(やじり)に切り裂かれた。

 ぱっと血が飛び散った傷口を手で押さえ、ルィヒは一直線に入り口に向かって駆けると、痛みに体を丸めて呻いている射手の男の側頭部に手刀を叩き込んだ。

 射手の男が気を失い、がっくりと頭を垂れるのを確かめてから、ルィヒは彼の短剣を奪って弓弦を切った。そして、その短剣を遠くに放り投げてから、射手の男の後ろに置かれていた自分の剣帯を取って身につけた。

 それだけの事をし終えてから、ルィヒはようやくユージンを振り返って、

「手伝ってもらえるか?」

と訊ねた。

 ユージンはルィヒに駆け寄り、彼女が口を開く前に髪をかき上げて矢傷を確かめた。

 皮膚の表面を少し切られただけのようだが、激しく動いたために、つっと血が襟の方へ伝い落ちている。

「ひっかき傷だよ。なんともないさ」

 ルィヒは気恥ずかしそうにユージンの手をふりほどいて、窓の方へ歩き始めた。

「外に出ないのか?」

 ユージンが訊ねると、ルィヒは振り返りもせずに答えた。

「そっちの入り口にはもう追っ手が回ってきている」

 ユージンは足を止めて、扉の向こうに意識を集中させた。確かに、重い足音がいくつも重なって近づいてくる。

 ユージンは舌打ちをして、ルィヒに追いついた。

「銃声を聞きつけられたのか」

「だろうな。──だが、あの加勢は助かった。礼を言うぞ」

 ルィヒはユージンに、ちらっと微笑みかけてから、真剣な目で窓を見た。

「あそこの戸板の隙間から、わたしが先に外へ出て、君を引っ張り上げる。それで上がって来られるか?」

「ああ。平気だ」

 ユージンが両手の指をがっちりと組み、腕を前に突っ張って壁に押しつけると、ルィヒはそれを踏み台にして身軽に壁を駆けのぼり、戸板の隙間からひらりと外に出た。そして、ユージンが上ってきやすいように戸板を横へずらした。

 複雑な気流が入り乱れる上空で小竜を(ぎょ)するには、強い体幹と正確な平衡感覚が必要だ。ユージンはまだ、風の穏やかな日にゆっくりとした速さで飛ぶのが精一杯だが、ルィヒはそれよりもはるかに巧みに小竜をあやつり、体に受けるかすかな風の変化から気流をとらえ、自在に高度や飛ぶ向きを変える。

 長い時を〈赤竜を駆る姫(リーリ・チノ)〉として生きてきたルィヒは、平地においても、人並み外れた機敏さを発揮するのだった。

 ルィヒを地上へ送り出したユージンは、石組みの壁の出っ張りに足をかけて窓の近くまでのぼり、ルィヒに手を引っぱられて物置から脱出した。

 窓に面した地面は芝生敷きで、柔らかい下草にぽつぽつと夜露がついている。

 さっき、ここを歩いていた者達は、銃声を聞きつけて入り口の方から物置へ回ったのだろう。周囲に人影はなく、代わりに窓の下から、ドン、ドンと扉を叩く音が聞こえた。

 気絶した二人の見張りを扉に寄りかからせて、すぐには中に入ってこられないように細工をしてきたが、あまり長くはもたないだろう。

 ルィヒは空を見上げ、再び指笛を鳴らして、上空で旋回していた二頭の小竜を呼び寄せた。

 下りてきた小竜にまたがって地を蹴り、上空へ飛び立った所で、ユージンはふと、ルィヒの方を振り返った。

「そういえばさっき、毒を飲まされた、って……。大丈夫なのか?」

「ん?」ルィヒは、どこか奇妙に明るい顔で首を振った。「心配ないよ。わたしには、ほとんどの毒が効かない。〈赤竜を駆る姫(リーリ・チノ)〉として旅に出る前は、王宮で、研究のためにありとあらゆる毒を飲まされていたからね」

 ユージンが、ぎゅっと眉間に皺を寄せるのを見て、ルィヒは肩をすくめた。

無辜(むこ)の民を実験に使う事に比べたら、わたしが少々食事をもどして幻覚を見るくらい、安いものさ。それに……」

 急にルィヒの小竜が、がくっと高度を下げた。

 ユージンは、ルィヒが気流の変化を感じ取ったのだと思って、慌てて自分も追随(ついずい)したが、隣に並んでルィヒの方に目を戻した時、ぞっとした。

 ルィヒは背中を丸め、小竜のうなじに寄りかかるようにして項垂(うなだ)れていた。

 両手は辛うじて小竜の首にしがみつき、体が振り落とされないように支えているが、小竜も彼女の異変に気づいているのか、しきりに後ろを振り返りたそうにしている。

「ルィヒ!」

 ユージンが叫ぶと、ルィヒは、はっと顔を上げた。

 ルィヒは、不安げにキュウキュウと鳴いている小竜に気づくと、微笑みながら首筋を撫でてやり、何か話しかけながら前方を指さした。すると、小竜は迷いが消えたように前を向き、ぐんと再び加速した。

「そのまま飛ぶ気か?」ユージンは風音にかき消されないように声を張り上げた。「無茶だ。一度、どこかに下りて休まないと……」

「赤竜に向かって、追い風が吹いている。見た目ほど、時間はかからない」

 途切れ途切れに話しながら、ルィヒは、自分の首の左側に手をやった。

「すまない。たぶん、鏃に毒が塗られていた。どこから()ってきたのか、わからないが、わたしの知る、どの毒の特徴とも、一致しない。

 こっちが、本命だったんだ。最初に飲まされたのは、ありふれた、麻酔薬だった。効かない事は、領主達も、わかっていたかもしれない。弱らせる事が出来れば、幸運だし、まったく効かなくても、わたし達が、それで油断すると思った」

「わかったから、それ以上、喋るな」

 必死に小竜を駆り立てながら、ユージンは舌打ちした。気が()いているせいか、いっこうに赤竜との距離が縮まらないように思える。

 ルィヒは力なく笑った。

薄情(はくじょう)な事を、言うな。喋っていないと、気が持たん。……それに、まだ、やる事がある」

 ルィヒは剣帯に手を伸ばし、帯の内側に縫い付けられていた小さな笛を取り出した。

 そして、風がまだ赤竜の方へ吹いている事を確かめると、笛に唇を当てて息を吹き込んだ。

 ユージンの耳には、何の音も聞こえなかったが、眼下の赤竜には、はっきりとした変化があった。

 草原に風が渡るように、ぞわりと、赤竜の背中が波打った。

 何度もくり返し、尾から頭に向かって、体の内側で無数の生き物が(うごめ)いているかのように、ぼこ、ぼこっと皮膚が震え、次の瞬間、赤竜の背中が一気に左右へ広がった。──一対の巨大な翼が皮膚を突き破って生えてきたのだ。

 ユージンは思わず、ぽかんと口を開けて呟いた。

「あれ、飛べたのか……」

「劇を、見ていなかったのか」ルィヒが苦笑した。「最初は、空から来たんだ。歩くよりも、飛んだ方がずっと早い。中のものが……、ばらばらになって、しま、う、けど……」

 突然、ルィヒが顔を背け、えずくように咳き込んだ。

 体が二つに割れてしまうのではないかと思うような、ひどい咳き込み方だった。

 ユージンは胸がつぶれるような思いで、赤竜とルィヒを交互に見やり、叫んだ。

「頑張れ、ルィヒ! あと少しで、赤竜に戻れる。そうしたら、水も薬も、横になって休める場所もあるから……!」

 ルィヒは目をつむって、頭を前に傾けたが、それが頷いたのか、気を失いかけている兆候なのかさえ、ユージンにはわからなかった。

 ユージンは、歯を食いしばって前を向き、凍えるような夜気の中を赤竜に向かって降下していった。

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