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リーリ・チノの弔砲  作者: 梅室しば
祝祭の王都
11/21

ゴタルムへの招き

 イゼルギットは王宮の東にある〈翠緑(すいりょく)(やかた)〉に滞在していた。ここは、敷地内にいくつかある別館の中でも特に格調高い造りのもので、王の血縁者や、他国の賓客に使われる事が多い。

 玄関の脇に立つ柱には、青い陶磁製の薄板を細かく砕いたものがちりばめられ、柔らかい色の灯火(ともしび)がそれをきらきらと輝かせている。

赤竜を駆る姫(リーリ・チノ)〉にはいつも専用の客間が与えられるので、ルィヒも、ここを訪れるのは久しぶりだった。

 夜風に当たりに行った(あるじ)が、〈赤竜を駆る姫(リーリ・チノ)〉を連れて戻って来たので、〈翠緑ノ館〉に控えていた侍女達は心底驚いた様子だったが、イゼルギットがまるで年の離れた姉に甘えるようにルィヒに懐いているのを見て、ほっとしたように(なご)やかな表情になった。

 イゼルギットは、ラァゴーの三人目の(きさき)が生んだ(れっき)とした王女だ。

 クィヤラート王家では、女児が王位継承権を持つ事はない。さらに、イゼルギットにはすでに二人の(すぐ)れた兄がいたため、彼女は(とお)になった時、ゴタルム領主の養女となる形で王宮を出た。

 ユィトカ峡谷を(よう)する街・ゴタルムは、一筋縄では統治できない土地だ。クィヤラート王国と汞狼族の親和を保つ努力を続けながら、同時に、彼らが王家に反旗を(ひるがえ)すような事があれば、即座にそれを鎮圧(ちんあつ)する機動力と判断力も求められる。

 現在のゴタルム領主が跡継ぎに恵まれないまま五十の坂を越えた時、ラァゴーは、王家が今後も彼らに惜しみない支援を行う証として、イゼルギットを託したのだった。

 まるで遊戯盤の駒でも動かすように、為政者(いせいしゃ)の都合で生き方を決められたイゼルギットには、辛い事も多くあっただろうが、彼女はそれを他人に悟らせない気概(きがい)を持っていたし、信頼できる侍女達を連れてゴタルムへ移れた事が幸いした。今では領主夫妻から、実の娘以上に可愛がられ、王宮にいた頃よりもはるかに自由で、様々な驚きに満ちた暮らしを楽しんでいると聞く。

 温めた乳を侍女が器に入れて運んでくると、イゼルギットは、いそいそと荷をほどいて、小さな包みを取り出した。

「ルィヒ様にお会い出来たら差し上げようと思って、持ってきましたのよ」

 イゼルギットが開いた包みの中を見て、ルィヒも思わず「ああ……」と笑顔になった。

 それは、王族がよく茶請(ちゃう)けとして出すユコノという焼き菓子で、ルィヒとイゼルギットにとっては、ある微笑ましい記憶と結びついた一品(ひとしな)だった。

 昔、まだイゼルギットが王宮で暮らしていた頃、侍女になったばかりの若い娘が粉の分量を誤って石のように硬いユコノを焼き上げてしまった事があった。失敗作として、あとで捨てるつもりで、厨房に置きっ放しになっていたユコノを、幼くて好奇心旺盛だったイゼルギットがこっそりと持ち出して、ルィヒの所に持ってきたのだ。

 焼き上がりから時間が経ったユコノはかちかちに固まっていて、そのままではとても食べられそうになかったが、ルィヒの思いつきで温めた乳に()けてみると、蜜を練り込んだ生地が乳を吸い、噛みしめるごとにほのかな甘味が口いっぱいに広がる、まったく違う菓子へと生まれ変わった。

 捨てられるはずだったユコノを切り分けて、乳に浸けて食べているのがばれた時には、はしたない真似をするなとたしなめられたが、今でも時折、あの素朴な甘さと乳の味が恋しくなる時がある。

「粉の量を間違えたあの子は、今も元気にしているかな」

 ルィヒが呟くと、イゼルギットは「あら」と眉を上げた。

「わたくしがゴタルムに移り住む時、一緒に連れて行ったんですよ。今では他の侍女をまとめる立場ですわ」

 イゼルギットは、くすっと笑った。

「わたくしのために、わざと硬いユコノを焼いて、乳を温める事は、彼女の大切な仕事の一つですもの」

「……苦労をかけるな、そなたには」

 イゼルギットは、ゆっくりと首を振った。

「領主様は、わたくしが早く王宮の外の暮らしに馴染めるように、ご自分に出来る精一杯の事をしてくださっていますわ。最近では、異国から取り寄せた、精密(せいみつ)図版(ずはん)がついた本も読ませてくださいますの」

「異国?」

 ルィヒはそこで、はっと気がついて、(ふところ)に隠し持っていた金属の欠片を取り出した。

「イゼルギット。その本に、これと同じ物が載っていたかい?」

 イゼルギットは食べかけのユコノを皿に置き、布巾(ふきん)で手を拭うと、ルィヒから欠片を受け取った。

「あら、これは……」イゼルギットがすっと眉を曇らせた。「銃の(から)薬莢(やっきょう)に見えますわね」

「銃?」

「ええ。細い鉄の筒に、火薬と呼ばれる、爆発を起こす薬を詰めて、鉛玉(なまりだま)を打ち出す道具ですわ」イゼルギットは、苦いものでも口に含んだように顔をしかめ、声を低くした。「獣はもちろん……、人間でさえ、簡単に(あや)める事が出来ます」

 ルィヒが険しい表情で空薬莢を見つめている事に気づくと、イゼルギットは慌てて片手を振った。

「あ、でも、ご心配なさらないで。クィヤラート王国内で作られたものではない事は確かですわ」

「なぜ?」

「銃は、一歩間違えば、使う側の命を奪いかねない危険な道具。安全に使えるように仕上げるには、高度な冶金技術が必要です。この国に、まだそこまでの力はありませんわ」

 ルィヒは納得して愁眉を開いた。

 だが、イゼルギットは不安げな面持ちで言葉を()いだ。

「ただ、わたくしがひそかに、王宮で情報を集めさせている者達によると、王はここ数年、クィヤル熱よりも、武器や兵器、毒の研究に熱心なご様子との事です。必要な備えなのかもしれませんけれど……」

 イゼルギットの声に、わずかな震えが混じった。

 傷ひとつない(ぎょく)のような気高い王女の印象が、ふっと薄れ、自分を取りまく環境の変化に気づいていながら何も出来ずに(おび)えている、年相応の少女としての面影が覗いた。

「わたくしは、嫌な予感がしてならないのです。お義父(とう)さまも、何か難しい頼まれ事があるようで、ずっと難しいお顔をしていらっしゃいますし、ルィヒ様の御身(おんみ)を狙う恐ろしい噂も聞こえてきて……」

 ルィヒは、ため息をつき、無造作に手を伸ばしてイゼルギットの頭をくしゃくしゃっと撫でた。

「こんなに可愛い王女様を泣かせるとは、〈ロウミの冠〉も(はなは)だ礼を欠いた奴らだ。……ゴタルムにも、彼らがいるんだね?」

 イゼルギットは、しゃくりあげそうになるのを(こら)えながら頷いた。

「今はもう、どこに行っても見かけますわ。でも、王は、彼らは家族を亡くした悲しみを受け止めきれないだけだ、と……。〈赤竜を駆る姫(リーリ・チノ)〉に希望の光を見いだし、祈りを捧げる事で、彼らが生きていけるのなら、一方的に取り締まるべきではないとおっしゃって……」

「まあ、そうだね」

「で、でも、彼らを放っておけば、いずれルィヒ様が危険な目に遭われるかもしれませんのよ? 本当に大丈夫なのですか?」

 ルィヒは、にこっと微笑み、イゼルギットの左手を包むように両手で握った。

「大丈夫。実は、ここに来る途中で興味深い人間を拾ったのです。ラク砂漠で行き倒れていた異邦の若者なのですが、サネゼルで〈魂滌ぎの賜餐〉を行った時、己の判断でその場にとどまり、〈ロウミの冠〉が椀の破片を持ち去る場面を確認したと、わたし達に伝えてきました」

「え?」イゼルギットは、びっくりしたように口を押さえた。「ルィヒ様が、前もって命じておられたわけでもないのに、ですか?」

「ええ。なかなか目端(めはし)()く奴でしょう?」

 ルィヒは、ゆらゆらとイゼルギットの手を揺すりながら、窓の外に目を向けた。

「彼は、わたし達とは根本的に違っている。……何が、とは、まだわからないのですが。医術師ではないと言っていましたが、病への対処について、ある程度の心得がありました」

「それじゃあ、これからはその者と一緒に旅をなさるの?」

「それは、まだわかりません」ルィヒはイゼルギットに目を戻した。「ただ、ここからゴタルムに向かう道中は、彼に護衛を任せるつもりです。カルヴァートに休みを取らせる事にしましたから」

 イゼルギットは、こくこくと頷きながら、涙を引っ込めようとするように何度も息を吸い込んだ。

「わたくしも是非、その方にお会いしてみたいわ」やがて、イゼルギットはしっかりとした声で言った。「カルヴァートに休みを取らせるという事は、彼はユィトカ峡谷に帰るのでしょう? わたくしも明日、ルィヒ様をお見送りしたら、なるべく急いでゴタルムへ戻りますから、日にちが合えばご挨拶させて頂けないかしら」

「もちろんです」

 ルィヒは、明るい笑顔とともにそう答えた。

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