90 <大切な物を守るために>
「んぅ……朝か」
日当たりの悪いこの部屋は太陽が上ってからも薄暗く、時計がなければ何時かわからない。
アウルは安物の置時計に目をやり、布団から起き上がる。布団をひいているとはいえ、硬い床で寝ていたため身体の節々が固い。
快適とは言いがたいが前世でのことを考えると、そこまで言うほど過酷ではなく、まぁ、我慢できる範囲ではある。
(それでも、できれば暖かい寝床が欲しい、かな)
ベッドの上で静かに寝息を立てている妹を見ながら、アウルは心からそう思う。
一人であればどんな環境でも良いのだけど、妹と一緒なら話は別。
「ん……」
赤色が強く主張している妹の髪をすきながら、はだけている布団を整える。
大事な、大事な妹。
髪の色はアウルと似ていて、赤色が強く主張しているブラウンヘアー。
両親は普通のブラウンヘアーだったから、二人だけ特異なのかな、とアウルは思っていた。
アウルに前世の記憶があるように、この子も誰かの生まれ変わりかなって思ったけど、たぶん違う。
魔法やスキルを持っているわけでもなく、何かに秀でているわけでもない。
ただ、髪の色がアウルと同じように赤色をしている。
テスヴァリルでは赤色や緑色、青色と言ったカラフルな髪色の人がいたが、この世界では違う。
黒やブラウン、ブランドが主になっており、それ以外の色味を帯びていると畏怖目で見られることもあった。
「ん……お姉ちゃん……? おはよう。どうしたの? 悲しそうな顔して……何か辛いことがあったの?」
考え事をしていたらルチアが目を覚ましてしまった。
「ううん。大丈夫。ごめんね、起こしちゃったかな」
「大丈夫だよ。目が覚めたとき、お姉ちゃんがいてくれて、嬉しかった」
「ルチア……」
ゆっくりと身体を起こすルチアに、アウルは抱きつく。
「どうしたの? お姉ちゃん」
「……少しだけこうさせて」
「もう、仕方がないんだから」
アウルの背中を小さい手が撫でる。
「どっちがお姉ちゃんかわかんないよ」
「うん、ごめんね。不甲斐ないお姉ちゃんで」
「そんなことないよ。大事なお姉ちゃん。わたしのことを大切にしてくれる、世界で一番のお姉ちゃん」
「ルチア……」
アウルは目を合わせることができず、しばらく抱き合ったままでいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「朝ご飯できたけど、起きられる?」
「うん。大丈夫」
テーブルの上に簡単な食事を用意する。
電気もガスもきていない家だから、暖かい食事を用意することは難しく、今日も作った、というよりは並べただけの食事となった。
「今日もこんなご飯でごめんね」
「ううん。お姉ちゃんと一緒に食べられるのなら、いいの」
並べられた食事は拳大のパンが二つと、コップに入った水。ただそれだけであった。
「今日もお仕事は遅くなるの?」
パンを両手で口に運びながらルチアが問いかける。
「うん……。ごめんね。もしかしたら数日は忙しいかもしれない」
今回の任務は長丁場となるだろう、とアウルは考えていた。
コトミ・アオツキ。
あの子供は今までのターゲットと比べて桁違いに強い。
今まで戦ってきた相手は銃火器に頼ることが多く、スキルを持っているアウルの敵ではなかった。
しかし、今回の相手は一筋縄ではいかないことが予想される。
コトミ・アオツキはきっと魔法が使える。
アウルはそう結論づけた。
この世界で初めて魔法を使える者と出会ったが、かなり洗練されていることがわかる。
それに、魔法使いと戦うこと自体は初めてではないが、今まで戦ってきた魔法使いとは戦い方が違った。
普通の魔法使いは至近距離で剣を振るったりしない。
魔法による遠距離攻撃が定石なんだから。
ん……? 魔法を使わない魔法使い?
引っかかりを覚えたアウルであったが――。
「ねぇ……お姉ちゃん」
「――っ。な、何かな?」
上の空でかじっていたパンを飲み込み、反射的に返事をする。
ルチアは両手にパンを握ったまま、視線を落とし申し訳なさそうに言う。
「ごめんね。わたしのせいで、お姉ちゃんに辛い思いをさせちゃって。もし、本当に辛いならわたし……」
「だ、大丈夫だよっ。ちょっと疲れていただけだから……。だから、そんなこと言わないで」
アウルは慌てたように立ち上がり、ルチアの言葉を否定する。
もう、あまり時間が残されていない。
今回の件が片付いたところで、状況が改善しないことはアウルもわかっている。
それでも……二人で過ごす時間を作るためにも、この件だけは終わらせておきたい。
(あと数日でケリをつけよう。ルチアにも心配されないよう、少しでも早く……)
一人決意を胸に秘め、アウルは残りのパンを口に入れる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
銃声が聞こえた。
薄暗い路地にアウルはたたずんでいる。
角の向こう側ではマーティンがコトミに銃口を向けているところである。
(甘いな……普通の人間であれば、あの一発で致命傷だが、彼女は魔法使い。すぐに回復するだろう。一撃で仕留めるには頭を狙わないと)
それでも、不意打ちでなければ仕留められないだろう、とアウルは思う。
あの魔法使いがこのまま起き上がらなければそれでもよし。
もし、起き上がってくるのであればマーティンでは荷が重いだろうから、アウルの出番である。
銃声が路地裏に複数回鳴り響く。リーネルンの銃撃だ。
その程度はマーティンでも難なくこなせるだろう。
アウルはそのまま様子を見続ける。
終わったか、アウルがそう思った瞬間――彼女が動き出した。
「させないよ!」
予想通りとはいえ、回復しきれたことに少々驚きを隠せない。
腹部への被弾は内臓損傷、出血多量により治癒すること自体が難しい。
それに、治癒完了後もすぐ動けるような状態にまで回復させる手腕。
相当の手練れだとアウルは考えた。
「いったん引き上げるとします」
その一言でアウルは物陰より出て行く。
これで、最後にしよう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あと、少しだったが、また邪魔が入った。
アウルは憤りを感じながらも、あの場では引かざるをえなかったと自分自身を納得させる。
裏組織で生きるアウルは決して表沙汰になってはいけない。
組織のルールでもあるが、何より自分のせいでルチアまで巻き込みたくないとアウルは考えていた。
自分は何より、ルチアのために生きているのだから。
(この件が片付くまでは家に帰れない。ルチアに心配されるかもしれないけど、これが私の使命だから)
そう考えるアウルは人知れず一夜を過ごす。
次こそは確実に殺そう、と心に誓って。




