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7 <先生の想い>

 こども園で勤務しているハナは、六年前のことを思い出していた。

 コトミと初めて出会った、あの日のことを。


 母と共に紹介されたコトミは、この国では珍しい黒髪黒眼をしており、その綺麗な瞳へ吸い込まれそうになったことをハナは今でも覚えている。

 ブラウンやゴールドの髪色が多い中、黒髪黒眼の少女は目立っていたが、その姿に反しておとなしく、特に問題となるような行動は起こさない子供であった。


 他の先生たちも同様の意見ではあったが、大人しすぎて気味が悪いという人もちらほらと見られた。

 周りの子供たちのように愛嬌(あいきょう)があるわけでもなく、どこか遠くを見ているような、そんな子供とは思えない雰囲気が、その少女からは感じ取られた。


 最初の一年は何事もなく日々が過ぎていった。

 コトミが二歳になったころ、園外散歩の最中に車同士の衝突事故が発生し、運悪く一台の車がハナを含む園児たちの列に向かってきた。

 誰も動くことができず、ただ迫りくる車を見続けることしかできなかった。

 ハナも(またた)きさえ出来ず凝視していたため、()()をはっきりと見てしまった。


 迫りくる車の、タイヤの下。地面が起き上がり、車が、傾き、()れる。

 ハナの真横を暴力的なまでの風が吹き抜ける。直後、耳を(つむ)ぐほどの衝撃音。

 騒然(そうぜん)としだした周囲をよそに、ハナはいま起きたことを考える。


(奇跡? 偶然? 誰かが意図的にやった? そんな、まさか)


 呆然(ぼうぜん)とし、動けないでいたハナは、振り返ったコトミと目があった。

 意図してコトミを見たわけではない。そんなわけではないが、コトミはハナと目が合うと、動揺し目を逸らした。


(まさか……。ありえない。そんなことができる技術も、できる人がいることも、聞いたことがない。物語の中の話じゃないか。仮に、あの子が意図してやったこととしたら……)


 一瞬悩んだが、ハナは自分の中で収めようと思った。


(あの子が何であれ、今は私の大事な教え子だ。どんな事情があったとしても、私はあの子の成長を見守る義務がある)


 駆け付けた救急隊が事態の収拾につとめる中、ハナは手を握りしめ、一歩前へ踏み出す。


(あの子に限らず、全ての子供たちを守る義務がある)


 他の先生たちを起こし、子供たちの無事を確認する。当然コトミも。

 ほとんどの子供たちは突然の出来事に泣き叫んでいたが、コトミだけは落ち着いたものであった。


(他の先生は『感情が追い付いていないだけ』なんて言うけど、きっと私たちの想像を超えたところに、あの子はいるのかもしれない。それでも、あの子は私たちの大事な教え子なんだから)


 泣き叫ぶ子供たちをあやしながら、ハナは決意を胸にする。


 それからしばらくは何事もなく平穏に過ごしていた。

 コトミは相変わらず、子供と思えないような行動をとる。

 他の子供たちと関わらないわりに、いじめられている子供を助けたり、ハナに気をかけてくれることもあった。

 大怪我をした子供もいたが、コトミのおかげで大事にはいたらなかった。

 他の先生は気づいていないようだったが、きっと不思議な力のおかげだろう、とハナは思うところもあった。

 姿形が子供であるが、そこを除けば、まるで友人と会話しているような、そんな錯覚をしそうな時もハナにはあった。


 あっという間に六歳になって、子供たちもついに卒園となった。

 この園の習わしで、先生は子供たちから贈り物をもらう。

 嬉しい反面、人気の先生に贈り物が集まるものだから、ハナみたいな物静かな先生にはあまり渡されることがない。


(二~三人いたら十分かなぁ、とほほ……)


 なんて思っていた矢先。


「んっ」

「……え? 私に?」


 他の子供たちは喜び勇んで先生に贈り物を渡しているが、その子供は違った。

 どこか落ち着きなく、恥ずかしそうにする姿は子供と思えず、緊張している様子がうかがえる。


「ありがとう。手紙……かな? いま開けてもいい?」

「ダメっ。帰ってからにして」


 手紙を渡す子供たちは他にもいたが、ほとんどはその場で開けては先生に読んでもらっている。


(ほんと、変わった子なんだから)


 ハナは微笑ましいと感じながらも言われた通りに、ポケットにしまう。


「あはは、わかっ――」

「……今までありがとう」

「……え?」


 それだけを言い残し、コトミは元の席に戻っていった。

 昔いた、先輩からの言葉がハナの脳裏に浮かぶ。

 先輩には色々と教えてもらうことも多く、仕事の面以外にも、子供との向き合い方も教えてもらうことも多かった。


『どんな子供だってね、感謝するときはするものさ。感情表現が苦手な子でも、ね。そういう子は、表現が苦手なだけで、ちゃんと感情は持っているよ。立派にね』


 先輩からの言葉を思い出し、ハナは目頭が熱くなってくることを感じた。

 コトミを他の子供たちと同じように扱うことへ不安があった。

 感情が少なく、放っておいても問題ない子供というのが、先生たちの間での共通認識であった。

 優先しなければいけない子供がいる中、ハナは可能な限り自然に、コトミと接する機会を作った。

 話せば、答えてくれる。触れれば、反応してくれる。

 笑顔を見たのは数えるくらいしかないけど、それでも一人の子供として接していた。

 そんな子供が、巣立っていく。感謝の気持ちを、残して。


(私のやったことは、無駄でも無意味でもなかった。あの一言に、私は救われたような気がした。……どっちが子供かわからないよね、こんなんじゃ)


 ハナは服の袖で目元を拭き取り、前を向く。


(これから、まだまだやらなければいけないことが、あるんだ)


「さぁ、次の子おいでっ」

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