59 移動中の楽しい時間
空港に降り立った私たちは行きと同様、受付カウンターで手続きしたあと車に乗り込む。
こちらの車は一般的な車だった。いわゆるセダン系というやつだ。
四人全員が同じ車に乗れないため、私とリンちゃんとメイドさん、もう一台の車にご両親と執事の方が乗っている。
「今から一時間後、ちょうど半分のところで休憩するからね」
二時間乘ったままというのは少々辛いから、休憩があるのはありがたい。
車はゆっくりと速度を上げていく。
空港からしばらくは街並みの風景が続いていたが、少しずつ地平線が見える広大な景色になってきた。
青々とした草原はまるで自然の絨毯みたいに広がっており、遠くには風に揺れる木々や高く聳える山々が見える。
自然豊かな風景に、心休まるのを感じながら深く座席にもたれかかる。
「疲れちゃったかな?」
隣に座るリンちゃんから声をかけられる。
「ううん、大丈夫だよ。ちょっと懐かしい気分になっちゃっただけだから」
そう答え、窓の外に向けていた視線をリンちゃんに移す。
「そう? コトミもセンチメンタルな気分になるんだねぇ」
「なによ、それ。そんなんじゃないよ」
もう一度だけ窓の外に視線を移し、
「森の中でもそうだったけど、もともとは自然の多い所で生活していたからね。少しだけ思い出していたんだよ」
テスヴァリルじゃ魔法はあったけど、科学という技術は無かったから、この世界でいうところの田舎暮らしみたいな生活だった。
もう慣れてしまったけど、もともとは自然の中で生活していたんだよね。
「……もし、戻れるとしたら戻りたい?」
リンちゃんがこちらを覗き込むように聞いてくる。
テスヴァリルのことは知らないから、たぶん生まれ故郷のことだと思っているのかな。
案外間違いではないけど。
「どうかな。今の生活も便利で快適だしね。ダラダラするにはちょうどいいし」
「ぷっ、なによそれ。コトミらしいといえばコトミらしいね」
私の答えにどこか安堵したようにそんなことを言う。
それはそれで失礼なやつだね。
私はのんびりスローライフを送りたいんだ。
それができれば、別に世界にはこだわらない。
もちろん、こっちの世界の方が快適ではあるだろうけど。
「もし……戻るなら、ワタシも付いて――」
「え……? なんて?」
聞き取れなかった言葉を聞き返す。
「ううん、何でもない。ほら見て、ヒツジさんがいっぱいいるよ」
窓の外を見ると白いモコモコが視界いっぱいに広がる。
これはこれで見ものだね。
リンちゃんへ視線を移すと外を見ながら楽しそうに話している。
さっきのことはなんだったんだろうか。
そう思いながらも、笑顔のリンちゃんに惹かれ私も自然と笑顔になる。
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そうやって他愛もない会話が続いていく。
向こうに行ったら何がおいしいか、あそこが楽しいとか。
お出掛けの予定を立てながら、ちゃんと長期休みの宿題も忘れないように釘を刺しておく。
「宿題はあとでもいいのに」
「ダメだよ。家庭教師の役目もあるんだから、ちゃんとやらないと」
「そんなの建前だよ?」
「依頼した本人がぶっちゃけないでくれる? 一応その意図を汲み取って、ちゃんとやろうとしているんだから」
「コトミは真面目だね~」
「普通だよ、普通」
リンちゃんはお嬢様なのに意外と大雑把なんだよね。
変に堅苦しくなくて付き合いやすいのはいいんだけどさ。
そのくせ成績優秀だし運動もできる。意外と優等生なんだよね。
「……また失礼なことを考えているよね。普段はこんなんだけど、学校にいるときはちゃんとお嬢様やっているでしょ」
確かに。普段の印象が強いから忘れていたけど、ネコを被っているリンちゃんは紛れもないお嬢様だった。
「なんとなく考えていることわかるけど、コトミも大概だよ?」
「んー?」
何かあったっけ。
「普段、おちゃらけているのにパパやママに対しては体裁取り繕っているし」
いや、それぐらいは普通でしょ。
友達とか親兄弟ならともかく、友達のご両親にはちゃんとするよ。
親しき仲にも礼儀あり、ってね。
そんな会話をしながら中間地点の休憩所へと到着する。
コンビニのような店舗とレストラン、給油のできるガソリンスタンドが一緒になっているような休憩所だった。
車から降り、凝り固まっている肩を動かしながら店内を見て回る。
見て回ると言っても観光名所じゃあるまいし、目ぼしいものもない。
「あれ? レンツさんたちは?」
リンちゃんパパとママが見当たらない。
「あぁ、車にいるんじゃないの? 何回も来ているから見飽きているだろうしね」
まぁ、確かに目新しいものも無さそうだし、一息入れる必要が無ければ来ないか。
「それじゃあ私たちも戻った方がいいね」
「うん、でもまだ給油中みたいだから急ぐ必要はないよ」
言われてみると、運転手さんがまだ作業中のようだった。
急ぐ足を緩め、車に近づいていく。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
私たちに気づいた運転手さんたちがドアを開けてくれる。……楽だよね。
この生活に慣れてしまったらどうしよう。
「あと一時間で着くからね」
リンちゃんも隣に乗り込んでくる。
日はまだ高い。
遠く地平線まで見通せる大地が、自然の壮大さを表していて、草木の香りが鼻孔をくすぐる。
さっきの話じゃないけど、これだけの自然は久しく、吹き抜ける風が心地良く感じる。
なんとなくだけど、この休みに何かが起こりそうな気がする。
それが良いことか、悪いことはわからないけど。
できれば、こんな楽しい時間が長く続けば良いな、と心の底から思う。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あ、街が見えてきたよ」
リンちゃんに言われて前を見る。
周囲にはまだ草原が広がっているが、遠くには街のものと思われるビルの一部が見える。
三十階建てぐらいかな?
土地が有り余っていると言うのに高層ビルを建てる必要はあるのだろうか。
「どの世界にも権力を誇示したい人ってのはいるもんだよ」
そういえば貴族も同じようなことをしていたな。
大きい家に豪華な装飾、自分自身が支配者というのを臆面もなく吹聴してまわる。
今のご時世、出る杭は叩かれるとはいえ、そういう人種がいなくなるわけではない。
「それに、ホテルもあるからね。景色はいいよ」
まぁ、周りに何もないから見通しだけは良さそうだよね。
景色が草原から穀物畑になり、木造の建物がちらほらと見えてきた。
もう少し先に見える街は壁に囲われており、道の先には門のようなものが見える。
「壁の高さは八メートル、隣国との国境付近だから防衛目的も兼ねて街の周囲をぐるっと囲っているの」
へー。
道の左右に見える街壁は遠くまで延びており、街の大きさがうかがえる。
「人口は一万人程度かな。こぢんまりとしているけど意外と栄えている街だから楽しいよ」
穀物畑が終わり門の近くでゆっくりと速度を落とす。
門は車が複数台通れるだけの幅を有している。
「特に検問とかは無いんだね」
「そうだね。有事の際はそういうこともあるけど、今は平常時だからね」
門をくぐり街の中へ、石畳の道をゆっくりと車が走る。
道はしっかりと整備されており、左右には様々な店が並んでいる。人通りも多い。
あ、あの女性が持っているものは何かな。甘味?
「あぁ、あれね、おいしいよ。やっぱり気になるよね。明日一緒に食べに行こうか」
リンちゃんが心を読み取って予定を決める。
相変わらず心を読まれるな……。
毎度思うことだけど私はそんなに分かりやすいかな。
そのまま道に沿って車を走らせ、橋をひとつ渡る。
「この川から向こう側はお金持ちが多いから高級店が多いんだ。でも、庶民の味を楽しむのならさっきのエリアだね」
リンちゃんの家は当然ながら高級エリアにあるわけだ。
「さて、もうすぐ着くよ」
周りの家々を眺めながら、きっとこっちのリンちゃん家も負けず劣らずでお金かかっているんだろうなぁ、と思う。
川を渡って少し進んだところで開けた場所に出てきた。
「到着~」
……ここがどうやらリンちゃん家の別荘らしい。別荘?
目の前にはアルセタの街と同じような屋敷が鎮座している。
別荘と言う規模じゃないだろう。これ。
確かに土地面積は少ないため、大きな庭や射撃場は無いだろうけど、屋敷の大きさはさほど変わらないように見える。
それに、周りの屋敷よりも一回りほど大きく、誰がどう見ても位が数段上のように感じる。
「……リンちゃんのパパはここの領主様だったりするのかな?」
「やだなぁ、領主制なんてとうの昔になくなっているよ。このお家は昔のまま残っているだけで、別に権力を見せびらかしたりはしていないよ」
そっかー……。って、昔のまま残っている建物?
それって、もともとは領主だったって意味じゃ……。
「立ち話もほどほどに、中に入りましょう」
リンちゃんママからそう声をかけられる。
「うん。それじゃあコトミ行くよ」
考えを追い払われるように、手を引かれ屋敷の中へ入っていく。
中もそれはもう立派なわけで……もう何も言うまい。
アルセタのリンちゃん家と遜色無い豪華絢爛さだったけど、こちらの方が別荘と言うだけあって客室が多いそうな。
「コトミは私と同じ部屋でいいよね。一人部屋欲しい?」
ふむ。贅沢言うつもりは無いけど、一ヶ月も人と同じ部屋となると息苦しくなるかなぁ。
それに、たまには一人で引きこもりたい時もあるだろうし。
よし、やっぱり一人部屋だね。
そう思い、伝えようとしたところ――、
「あ、コトミ、引きこもろうとしているでしょ。やっぱりダメ、私と同じ部屋ね。せっかく友達と来ているんだから一緒に遊ぼうね」
むぅ……まぁ、リンちゃんの言うこともごもっともで、文句を言わずに従うか。




