246 〔小さい頃の姉妹〕
ヘルトレダ国――。
軍事国家として有名なこの国は、常に国内のテロや内戦が絶えない。
かろうじて隣国との戦争に至ってはいないが、並々とコップに注いだ水の表面張力程度に危うい状態ではある。
当然、治安がいいわけでもなく、そこに住む人たちもまたその脅威に身をさらされているのである。
それはクリューデ家も例外ではなかった。
「ルチア……?」
五歳になったばかりのアウル・クリューデは両親と共に街のショッピングセンターへとやってきていた。
ルチアも一緒……のはずであったが――。
「はぐれた……?」
アウルが目を少し離した瞬間、そばにいたルチアの姿はなくなっていた。
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「おいっ! ガキをさらってきた! さっさと車を出せ!」
ショッピングセンターの駐車場。そこに停めてある車の中で男が叫ぶ。
男と一緒に乗り込んできたのは幼い少女。
――乗り込んできたというよりは、担ぎ込まれて来たというのが正しい表現ではあるが――。
担ぎ込まれて来た少女はレッドブラウンという珍しい髪色をしており、生きているのか死んでいるのかわからないが、ぐったりとしている。
運転手役の男がアクセルを強く踏みしめ、車を発進させる。
勢いよく駐車場を出た一台の車は街の中へと紛れ消えていった。
男二人は車の後ろを気にすることなく進む――。
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「おい、本当にうまくいくんだろうな」
街外れの古く廃墟となってしまった工場跡地。
そこに三人の男たちが集まっていた。
見る限りにならず者の集まりという感じで平和的な要素は皆無である。
「あぁ。このガキは交渉の材料に使う。しばらくは生かしておけ」
車に乗っていた男たちとは別の男がそう指示を出す。
男たちの視線が地面に横たわる少女に向けられる。
「あまり時間をかけたくない。すぐに動け」
一人の男がうなずき、入り口へと向かって歩き出す。
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「はぁ、はぁ、はぁ……」
異世界からの転生者であるアウルは、この世界の住人たちと比べ比較にならない身体能力を持っている。
魔法は使えないがそれでも自身のスキルは生まれ変わっても健在であった。
コトミと比べ飛んだり登ったりは出来ないが、普通に走っている車を追いかけるぐらいのことはできる。
上がっていた息を整え、男たちが入って行った工場跡地を物陰から覗き見る。
(その場ですぐに始末しないことを考えると、その命に価値があるんだろう)
アウルは最悪の事態を回避出来ていることに安堵した。
まだ、完全に安心することはできないが、あとは自分自身の力で対応することができる。
(この世界に来て普通の少女として生きてきたけど、今この時ばかりは本気をだす。私の大切な妹に手を出したこと、後悔させてやる)
アウルは物陰より立ち上がり工場の入口へと進んでいく。
『しばらくは生かしておけ』
(……っ!)
入口の近くに立ったところ、中からそんなやりとりが聞こえてきた。
話しているのは男か、二言三言の短い会話のあと、一人の男がアウルの元へと近づいてくる。
アウルは咄嗟に物陰へと隠れた。
魔力もスキルも無い男たちであればアウルの敵ではない。だけど、向こうにはルチアがいる。
少しでも危害を加えられないためアウルは慎重に行動していた。
一人の男が入口から出てくる。
特に武装しているわけでもなく、街のチンピラという感じで、アウルの敵ではないように見える。
(一人ずつ潰すか……)
ふと、アウルが足元に目をやると鉄パイプが転がっていた。
(ちょうどいいとこに……)
アウルは不敵な笑みをこぼすと、鉄パイプを手に立ち上がった。
気配を消し、工場跡地を出て行った男をアウルが追いかける。
舗装されていない道を男は足音を響かせながら歩く。
「ふぅ、この仕事が成功すれば、たんまりと謝礼がっ……!?」
男はひれ伏した。
その後ろには鉄パイプを手に持った少女が立っていた。
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「……ん? 何か聞こえたか?」
「いや、なにも?」
男の一人は外の物音により警戒心をあらわにする。
もう一人は何も気にすることなく、スマートフォンを片手に足を崩し椅子に座っている。
「ちょっと様子を見てくる」
警戒していた男が立ち上がった。
そのまま、最初の男が出て行った入口へと歩いていくが、その歩みを途中で止める。
警戒しているのか、男はしばらくその場で入口を凝視する。
まるで、そこに誰かがいるかのように、視線を外さない。
懐に手を忍ばせて――。
「…………」
無言でたたずんでいた男の前に一人の少女が現れた。
「……ガキ?」
スマートフォンを片手にしていた男もその少女に気がつき、視線を送る。
「ここはガキの来る場所じゃねぇ……って、お前、あのガキの姉妹か?」
男が後ろを振り返り、スマートフォンの男に視線を向ける。
「……そうだな、一人より、二人の方が効果あるか。予備にもいいしな」
そう、漏らし、男が少女――アウルへと手を伸ばす。
――男たちは気づいていない。
アウルの右手に鉄パイプが握られていることを。
――男たちは知らない。
自分たちが誰の妹に手を出してしまったか。
――男たちは思ってもいない。
小さな少女がこの場の誰よりも強いということを。
「がっ――」
男が吹き飛ぶ。
スマートフォンの男は目を疑った。
少女が――自分の身長の半分にも満たない小柄な少女が、大の大人を数メートルも吹き飛ばしたことを。
吹き飛んだ男は二回、三回、転がっていくと、ピクリとすることもなくその場で動きを止めた。
最後の一人となった男は焦り立ち上がる。
その手に、黒光の銃を構えて。
「な、何者だ、てめぇ!」
「――その子を返してもらう」
アウルは眼光鋭く男を睨みつけた。
普段は笑顔を絶やすことなく、愛嬌振りまくアウルであったがこの時ばかりは冷静ではいられなかった。
殺しさえしないであろうが、大切なものを守るために、アウルは容赦をしない。
「ひっ――」
男は恐怖にかられ、アウルに向かって引き金を引く。
一回――二回――三回――と。
発砲音が部屋の中に響き渡る。
しかし、その銃弾はアウルに届くことはなかった。
「な、なんなんだ……お前は……」
アウルは目にも留まらぬ速さで鉄パイプを振るった。
銃弾を上回る速度で――。
「くっ……こいつがどうなっても――ごがぁっ!」
ルチアに手を伸ばそうとした男がいきなり大きく仰け反った。
その顔面には鉄パイプがめり込んでいる。
先ほどまでアウルが握り締めていた鉄パイプが。
勢いよく倒れ込んだ男は後頭部を強打し、そのまま意識を失った。
「……ルチア」
アウルがルチアの元へ駆け寄り状態を確認する。
ルチアは目立った外傷もなく、呼吸も安定している。
「良かった……」
ほっ、と一息ついたアウルは先ほどの剣呑な雰囲気はなくなり、優しい姉の表情へと戻っていた。
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「ん……お姉……ちゃん?」
「あ、ルチア。起きた?」
アウルは背中からの声に顔だけ振り向きそう答える。
空が朱色に染まり、あとわずかで日が沈む。
帰り道をアウルがルチアを背負う形で歩いていた。
「あれ……? わたし、は?」
「寝ちゃっていたんだよ。もう、大丈夫だからね」
ルチアは姉の背で周囲を見渡す。
本人の記憶は曖昧ではあるが、姉の背中にいるだけで不安など微塵も感じさせず、頬を綻ばせる。
「えへへ、お姉ちゃん。大好き」
そう耳元でささやき、姉の首に回している手に力を入れる。
「もう、急にどうしたのよ」
いきなりの好意に戸惑うアウル。
それでも、まんざらではないようで、妹に照れたような笑顔で返す。
「私もルチアのことが大好きだよ」
二人の影が一つに重なり、帰り道を歩く。
将来辛いことが待ち受けていようとも、この二人の絆だけは揺るがないだろう。
そう感じさせられる二人の姉妹であった。




