189 <不可解な現象>
一人生き残った子供はあまり栄養状態が良くないのか、顔色はあまり良くない。なるべく早めに切り上げないと。
「とりあえず、もう一度地下に行くよ」
そう言うと、子供は一瞬肩を振るわせたような気がした。
……手早く済ませるか。
少し足早に館へ入り地下の階段を下りていく。
部屋の中は先ほどの状況と変わっていない。
ただ、血の臭いが充満しており、子供の死体は――無くなっている。
「…………」
少しやるせない気持ちになりつつも、部屋自体は調べるところがあまりないため、一階へとまた戻ってくる。
「次はこの階か」
館自体はさほど大きくはなく、部屋数も少なく見える。
ただ、二階建てということもあり、調べるのには少々時間がかかりそうだ。
「んー、ちょっとここで待っててね。何かあったら大声で叫ぶこと」
「は、はい……」
不安そうにしているけど、ずっと連れて回ると時間もかかるし、仕方がない。
なるべく早めに終わらそう。
そう思い、端から部屋の扉を開けて中を物色していく。
館自体は埃っぽく、それなりの年月が経っているように見える。
ただ、地下での出来事もあるし、ある程度は人の出入りがあったのだろう。
掃除はされていないといいつつも、それなりの状態を維持しているような気もした。
しかし……。
「けほっ。……部屋はホント使われていないんだね。埃もすごいし、カビ臭い」
顔をしかめつつ、舞う埃を手で払う。
家具はそのままのようだけど、ちょっと力を入れたら崩れそうなほど朽ちかけている。
ざっと中を見渡すも、大したものは無いと思い、次の部屋へと移動する。
そうやって一階の部屋を見て回る。
客室のような部屋や使用人部屋、厨房に食堂などなど、ひととおり見て回る。
「……全然人が立ち寄った気配がないし。もういいかな……」
若干うんざりしつつも、ここまで来たからには最後まで見て回ろうと、気合を入れて足を動かす。
「はぁ、やっと一階は終わり」
一週見て回った感じ、特に異変は無かった。
最近使われた形跡もないし。
無駄足だったかな。
エントランスホールに戻ってくると、さっきの子供はちゃんと待っていた。
特に異常も無さそうだし、そのまま二階も見て回ろうかな。
座ってうつむいている子供を横目に二階へと上がる。
寝ているのかもしれないしね。そっとしておいてあげよう。
「二階は案外奇麗だな」
埃っぽいことに変わりがないけど、一階ほど酷くはなく、最近誰かが使用した形跡があった。
「二階は客室のような部屋が多いから、寝泊まりで使っていたのかな」
そう思いながら部屋を確認していく。
部屋数は多いけど、広さはさほど大きくないから確認はすぐ終わる。
「……何も無かったな」
期待外れというか拍子抜けというか。まぁ、何も起きなくて良かったかな。
あとは子供を回収して帰るだけか。
そう思い、一階エントランスホールを見渡せる吹き抜けまでやってくる。
さっきの子供が――いない?
トイレか何かか?
いやな予感がし、足早に一階へと下りていく。
「……いないな」
子供の座っていた場所に手を触れるもその暖かさは完全に失われていた。
どこへ行った?
行く場所なんて無いはずだけど……。
外に出た可能性もあるけど、この常闇の中、黙って出ていくか?
「うーん……考えていても仕方がない。とりあえず外を見てみるか」
明け放れた扉――扉は既に失われているが――から外に一歩踏み出す。
月明かりもない夜闇の中、風が吹き木々がさわめく。
見渡す限り子供なんていない。
「……念のため、もう一度地下を見てくるか」
何かがあるとしたら地下だしな。
そう思って踵を返すが――違和感。
「…………?」
何かが……。もう一度外を見る。
月も出ていない常闇の夜空に、青々しく広がる草っ原の絨毯。
特に、何も異変は――ない?
――っ、いや、あるだろうっ!
あの異形はどこへ行った!?
横たわっていたであろう場所へ跳躍で跳び、足元を調べる。
「いったいどこへ……まさか、子供を……」
いや、あの異形は知能が無いように見えた。
誘拐なんてまどろっこしいことをやるか?
まさか、既に……。
「くそっ!」
痕跡がまったく無いことに焦燥感を抱く。
この広い森の中、無闇に探すわけにもいかない。
「いったん、館を探すか……」
そう思って急いで地下を覗きに行くが、やはりというか誰もいなかった。
一階の奥もあの異形が静かに出入りできるほどのスペースなんてない。
そうなると、やはり外か……。
「くそっ。目を離すべきじゃなかったな」
油断した。
それにしても、物音一つ、騒ぎ声を上げることもなくいなくなるとは……。
ちっ、このまま館にいても仕方がない。
あてはないが探し回るしかないか。
指先の灯火を頼りに近くの茂みから探して回る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
うっすらと東の空が明るくなってきた。
「くそ、いないか……」
休憩を挟みながらも半日ほど探し回ったが異形の痕跡も子供の痕跡も何も無かった。
このまま探し続けたところで見つかる気配がない。
「一度ギルドへ報告に戻るか」
幸い帰りの馬車はもうすぐやって来る。
まだ夜明けには時間があるが、仮眠を取っていればすぐだろう。
後ろ髪を引かれる思いではあるが、最後に、館をもうひととおり探す。
やはりというか、なんというか、誰も何もなかった。くそ……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
森の入り口まで戻って来たところ、霧のかかった茂みの隙間から人影が見える。
あれは……。
「あ、お帰り。……って大丈夫? 顔色悪いみたいだけど……」
昨日の御者とその馬車だった。
ちょうど馬の世話をしているところか、水と干し草をあげているようだった。
「……待ってたの?」
「え? あ、うん。夜道の街道は危ないし、それに戻ってきた時居ないと困ると思って……」
あはは、と言いながら照れくさそうに頭をかく御者の少年。
「……バカだね」
「えぇー……」
でも、そんなバカは嫌いではない。
その言葉を口にすることはなく御者の少年へと近づいていく。
ちょうど馬の食事も終わったからか、顔を上げ御者の少年へとじゃれついていた。
「わっ。あはは、ごめんね。干し草も水も今はこれしかないんだ。街に着くまで我慢しててね」
馬が物欲しそうに少年の顔をなめ回している。
……まったく、仕方がない。
「……水ならある」
目の前の水桶へ手の先から水を出して注いでやる。
馬は喜び、早速水桶へ顔を突っ込んでいる。
「あ、ありがとう……。でも、大丈夫なの? 魔法使いさんって魔力は貴重だと言うけど……」
少年は驚き感謝の言葉を口にしてきた。
「別に。それより準備ができたら出発するよ」
馬車の荷台に乗り込みながらそう伝える。
「あ、あぁ。わかったよ」
ふぅ。疲れた。とりあえず少し横になろう。
横になった瞬間睡魔が襲ってくる。
あぁ、眠い……。
そのまま水底へ引っ張られるように馬車が出発する前に意識を失った。




