131 〔翠眼の少女〕
「あた……」
微かな衝撃と共に意識が覚醒する。
カレンは浮浪者であった。
その眼のことで社会から追いやられ、居場所を失った幼き少女。
そんな彼女は寝床もまともに持たず、常に危険に晒されていることもあり眠りが浅い。
久し振りの快適な寝床で寝入りは早かったが、寝ている時の警戒心は人一倍であった。
「ん……。ここは……?」
寝ぼけ眼で顔を上げたカレンが見たものは、見慣れた段ボールの天井や壁ではなく、全体的に上品な白色をした綺麗な室内であった。
普段は日の射さないような場所で寝起きしているが、今いる場所は薄らと明るく、室内を見渡すことができる。
灯りの元をたどると周辺に置いてある常夜灯のものであった。
「あ……」
カレンは思い出す。
昨夜、とある少女に声をかけられたことを。自分の身に何が起きたかを。
「そうだ」
鏡を見るため、ベッドから降りようとしたところ指先が何かに触れる。
視線を落とすと、そこには黒髪の幼い少女がスヤスヤと眠っていた。
「あ……」
カレンは再び声を漏らす。
「ふふ……不思議な女の子」
幸せそうな寝顔は起きていた時と打って変わって年相応のものとなっていた。
「ワタシの方がきっと年上なはずなのにね」
サラサラの髪をときながらそうこぼす。
出会ってからさほど会話を交わせていないが、見た目以上に言動がしっかりしている少女。
見た目だけで言えばカレンよりも年下に見える。
「そういえば……眼は」
カレンは少女を起こさないように気をつけながら、備え付けてある鏡の前へと立つ。
「……やっぱり夢なんかじゃなかったんだ」
鏡の中には銀髪を長く伸ばした幼き少女がいる。
瞳は若草を連想させる透き通るような翠眼。
容姿だけ見ればどこにでもいる普通の少女である。
「ワタシは、普通の女の子に、なれたのかな……」
目に力を入れてみる。先ほど教えてもらった、身体の内側にある『魔力』を利用して。
「変わった……」
鏡の中に映る少女の瞳が紅く輝いた。
魔力を抑え、元に戻してみる。
「……自分の意思で、出来るんだ」
もう一度試してみる。今までも紅い目をしていたが、自分の意思で魔力を継ぎ足すと、明るく、深く、惹かれるほどに輝きだした。
「でも、見える世界は変わらないんだね」
カレンは魔眼の本質をまだ理解していない。
理解していない能力はその効果を発揮することがなく、使いこなすこともできない。
「あ……れ?」
鏡の中をのぞき込みながら、カレンは違和感を覚えた。
額に、何もない。
手で触れてみる。……が、痛くない。
確か、数日は痛みそうな傷を、負ったはずであるが。
鏡でのぞき込む額には、血の跡どころか傷痕さえ残っていなかった。
わけがわからない。カレンは戸惑う。
眼のこともそうであるが、この額も……。
確かに怪我をしていたはずなのに。
ベッドの上で眠る少女へと視線を移す。
心当たりはこの子しかない。
まさか……と、カレンは考えるが答えは出ない。
魔眼という名の眼の色を変え、怪我を治す少女。
現実世界ではあり得ない現象に、カレンは言葉を失う。
「…………」
このまま立ち尽くしているわけにもいかないと、少女の眠るベッドへ静かに、再び潜り込む。
目先には変わらず安らかに眠る少女。
「悪い子じゃ、ないよね」
黒髪をときながらカレンは考える。
「ワタシを助けてくれた女の子……コトミ様。わからないことが多過ぎるけど、それでも助けてくれたことに、変わりはないよね」
警戒心の人一倍強いカレンであったが、今日この時ばかりは、心を許し安堵できる瞬間であった。
「コトミ様」
恩人である少女の名前を、噛みしめるかのように繰り返す。
助けられたこの恩は必ず返そう。カレンはそう心に誓い、目をつむる。
「おやすみなさい」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ん……」
日の光が顔に当たりカレンは目を覚ました。
「ここは……。って、ホテル、だよね。……あれ? コトミ様は?」
身体を起こし周囲を見るが、部屋の中に人の気配は無かった。
「どこへ行ったんだろう」
そのとき、ふとテーブルの上に置いてある紙が目に入る。
重たい身体を動かしベッドから這い出る。
「えぇと……」
紙は置き手紙のようで『カレンへ』と書かれている。
『ちょっと出かけてきます。昼過ぎには戻れると思うので待っててね。ご飯はフロントへ連絡すれば持ってきてくれるよ』
「えぇー……。フロントに連絡って、ハードル高いよぉ……」
続きにはこう書かれている。
『あ、文字読めなかったらわからないよね……。ここへ電話して!』
そう独り言? が書かれており、電話のようなものの横に番号が記入されていた。恐らく内線番号だろう。
そして、電話のようなもの、は電話のようにも見えるし、弁当箱のようにも見える。
「コトミ様、絵が下手なんだね……」
意外と辛辣なことをカレンは言う。
コトミの美術的センスはいまだに健在であった。
「それより、どうしようか」
カレンはあらためて手紙に目を通しながら逡巡する。
このまま出て行ってしまおうかとも考えた。
カレンはもともとが浮浪者だ。
接してくる人のほとんどは優しくもなく、手を差し伸べられることもなかった。
今回も何かの罠かと勘ぐっている。
「だけど……」
『その眼、私は嫌いじゃないよ』
「…………」
鏡の前に立ち、瞳の色と怪我をしたであろう額を確認する。
「……少しだけ、信用してもいいよね」
意を決し、机の片隅に置かれてある電話の受話器を手に取る。
震える手で、紙に書かれている番号をプッシュする。
『プルルル……プルルル……。はい、フロント……あ、ルームサービスですね。少々お待ちください。……ツー、ツー、ツー』
「何も言うことなく、切れちゃった……」
カレンは呆然としたまま持っていた受話器を降ろす。
「コトミ様が話をしてくれていたんだろうけど……。少し待とうかな」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
コン、コン、コン。と、ノックの音が聞こえる。
「――っ」
カレンは慌てて立ち上がるように、ドアへと向かう。
「お待たせしました」
そう一声かけて入ってきたのは、ホテル従業員の女性だった。
中に入ると手際よくテーブルへ料理を並べていく。
コトミが前もって頼んでいた料理はおおよそ三人分。
余ってもあとで食べられるよう、箱入りのサンドイッチがメインとなり、サラダや飲み物が並べられていく。
「わぁ……」
昨日も人並み以上食べたにも関わらず、胃袋は既に空っぽとなっていたカレンは感嘆の声を上げる。
「こちらで以上となります」
「あ……」
カレンは思い出した。サービスを受けた場合、その大部分の場面でチップを渡さなければいけないことを。
しかし……手持ちなどあるはずもない。
どうしたものか、と考えたところで、そういえば置き手紙と一緒に小銀貨が数枚置かれていたことを思い出す。
そのことについてカレンが口を開く。
「あ、あのチップは……」
「あぁ、すでにお客様より頂いておりますので大丈夫ですよ」
ホテル従業員はカレンへ微笑むとそう答えた。
「え……そう、なんですか」
「それではごゆっくりとおくつろぎください」
ホテル従業員が一礼して出て行ったあと、カレンは積み重なったサンドイッチを見る。
「……明らかに量が多いのは、ワタシに気をつかってくれたのかな」
昨夜もかなりの量を平らげたのである。
コトミからすれば万全を期すであろう。
「……それじゃ、遠慮なく、いただきます」
そう言って嬉しそうにサンドイッチへ手を伸ばすカレンであった。