多呂江博士
私の名前は多呂江博士。もちろん本名ではない。私の研究はとても危険なものなので、こうして偽名を使っている。博士だが、私は多呂江博士じゃ、という風に博士っぽい話し方はしない。あれはおそらくお茶の水博士あたりが始まりではないかな。普通の人のように話をするが、私は間違いなく超一流の博士だ。私の研究は、人の心を読む機械を開発することだ。心を読むといっても非科学的なことではない。表情や声の質などを観察して推測する機械だ。占い師やメンタリストと呼ばれる人がやっていることをもっと確実にしたと言っても良い。
そして、その研究は完成したのだ。私がこの思い付きを最初に得たのはある本を読んでいた時だ。バージニアウルフの「ダロウェイ夫人」がその本だ。この本はその内容のほとんどを人の心の中の声をつづることで出来上がっている。しかし現実に声として発言されるのはその一部に過ぎない。思いが秘められたままに人々が、ただすれ違ってゆく様を小説にしたこと自体が、とても新鮮に感じたのを覚えている。そしてそのような行為自体、勿体ないとも感じた。人間の誠意や、好意は伝わらなければ意味がないものなのだ。口にしなくとも、伝わればいいが、そのようなことは稀なのではないかな。そして、現実の人間関係なんてそのような事ばかりなのだろう。言えなかったこと、わかってくれなかったことで、誤解や無理解が生じ、どれほど多くの人たちが苦しんだことか。というわけで、私の偽名は棒張なのだ。無理やりだが、私はこんなつまらないことで私の貴重な時間と優秀な頭脳を使うつもりはない、単純即決でこの偽名にしたのだ。江戸川氏と同じだよ。
何?人の心を読むなんてロクでもないことになるって。科学が生み出すものなんてみんなそうだよ。ロクでもない使い方をするから、ロクでもないものになってしまうんだ。しかしながら、私のこの研究に関しては、はっきり言ってロクでもない使い方をしたい連中は多いだろう。危険と言ったのはそういうことだよ。それがわからない私ではない。大いなる力には大いなる責任が伴うと言ったのは誰だったかな。チャーリー・パーカーだったかな?だから今は自分の手元にだけ置いている。開発に関する直接の発表はしない。これが私の手元に有って、人知れず適正な使い方をされる限りは安心なのだ。そう、私はこれをAIにこっそりと仕込んだ。ちなみにこいつをウルフ一号と名付けよう。その大きさは大きなトラックぐらいかな。この機能を機械に組み込んだのは、直接人間がこの装置を使用したら、おそらく生身の人間では、他人の心がわかってしまうという事には耐えられないだろうからだ。このウルフ一号にその機能が仕込まれているというのも公表しない。機械に自分の心の中が読まれているという事実に耐えられる人間もいないだろうからね。今回一番苦労したのはそれをいかに巧妙に隠すかというところだった。もちろんハッカーに対しても万全の用意をしなければならない。ウルフ一号の管理者においてもそうだ。管理者は専用の人型AIを別に作ったんだ。仮にこれをダロウェイ一号と呼ぶ。
さて、問題はウルフ一号を何に使うかだよ。このウルフ一号の効果的な使い方だが、実はいろいろ考えた結果、会社の社長をさせる事にした。目的は単純、利益の確保だ。人間がやってもそうだろう。しかしながらその方法は、完全に優秀な人材を発掘し、完全に適正に評価し、完全に配置するということなのだ。この行為は人間にはとうてい無理だ。
ここで、人の心を読む機能が発揮されるというわけだ。
会社というのは優秀な人材がすべてだ。異存はないだろう。しかし、その優秀な人材というのは得てして、そのパフォーマンスの100パーセントを発揮しているとは限らない。例えば学校の落ちこぼれの例だ。先生が生徒の期待以下だと、生徒は優秀でも落ちこぼれてしまう。授業に知的好奇心や先生の熱意を感じられなければ、授業を受けて勉強が出来るようになれば、目の前のこの先生の様に魅力的な大人になれるという事が感じられなければ、授業は苦痛以外の何物でもないよ。先導する側に何らかの輝きが必要だろう。少なくとも、こんな大人にはなりたくないと思われない程度の能力は必要だ。これは私の経験だよ。だから私は優れた先生に出会うまでずっと落ちこぼれだった。まあ、自主的に落ちこぼれていたわけだから、落ちこぼれではなく落ちこぼるだな。
話を元に戻すと、私は一般企業で働いたことはないが、おそらく会社というものも同じだろう。上司が低能では、その部下であるところの優秀な人材はやる気がなくなるのではないか?実際に新卒社員の離職率が問題になっているだろう。尊敬できない先輩に偉そうにされることに耐えられないんだな。そのような状況で皆が皆最高の仕事ぶりを発揮できればいいが、そうした状況では普通はやる気がなくなるよ。そして会社の人事システムに信用を置けなくなってしまう。まあ、当たらずとも遠からずで、そういうところはだいたい人事が無茶苦茶だよ。仲良しクラブというか派閥主義というか、まあ好き嫌いで人事が成り立っているんだな。普通はそんな会社は倒産してしまうのだが、商品がいいと誰が経営をしても会社というものはある程度成り立ってしまうのだ。徳川幕府と同じだね。どんなバカが将軍になろうが、システムが助けてくれる。しかし長い目で見ると衰退は避けられないだろう。だが、そういういい商品を提供してくれる会社を衰退させるのは忍びない。だいたい会社というものは、社会全体の財産なんだよ。創業社長が‘’自分の会社‘’と言ったりして、実際に私物の様に扱ったりもするが、会社にした以上はこれはもう社会全体のものだということを忘れてもらっては困るんだ。美しい公園のようなものだよ。
というわけで、優秀な人材はその上にも優秀な人材を配置しないといけない。優秀な人材を採用するのも大いに結構だが、その能力を十分に発揮させられなければ、意味がない。ところで、優秀という言葉は独特だよ。決していわゆる‘’能力‘’オンリーではないんだ。自分の仕事に対する好き嫌いや、社会的規範を守ろうとするか否か、人に対する面倒見の良さや、裏表のなさ、不満の不適切な表明が周囲に与える影響とその意味するところを理解しているか否か、などが重要だ。もちろんセクハラやモラハラをするような人間はもってのほかだ。協調性というのはよく言われるがね、会社勤めの個人としては案外必要ないものだ。こういった優れた人間の集団においては、そのチームに必要なチームワークの形はおのずと作られるものだし、そうなると能力は経験が上がれば自然についてくるもんだ。会社が求めるような能力なんてどだい大した能力ではないんだ、むしろどれだけそのチームの中で気分良く仕事が出来るかだよ。チームワークが乱れる一番の原因は協調性をそぐような不適切な人材がいるからだよ。これは往々にしてそのチームのリーダーであることが多いがね。不適切なリーダーを共通の敵としてそれ以外のチームメンバーの結束が高まる場合もあるが、会社への不信感が残る分、生産性は低いね。リーダーを通して信頼関係が出来て、会社への忠誠心が生まれる。その忠誠心が行動となって、それをチームワークと呼ぶのだ。
このようにしてある集団を作り、そして、正当な評価において、その集団から正当に上司が選ばれるとなれば、この人物はその集団においては優秀とみていいだろう。まずはそこからだが、ウルフ一号はこの評価と人選をするのが主な仕事だ。創造的な仕事や、戦略などは人間が作ればいい。ウルフ一号は残念ながら、そこまではまだ出来ないのだ。ただし、それらの決裁に関してはウルフ一号の頭脳に入っている商圏や、トレンドや、顧客アンケートや、社会全体の購買の傾向に関する膨大なデータが役に立つだろう。提案書が上がれば、ウルフ一号はありとあらゆるデータを駆使しシミュレーションを作る。彼には疲労がないからね、24時間フル活動だ。もとよりシミュレーションのある提案に関してはその合理性を分析してゆく。フィードバックは単なる頭ごなしの叱咤や好き嫌いや、或いは勘ではなく科学的になされる。科学的というのはね、どういうことかわかるかい?反証可能ということだよ。反証できるからこそ、そのすり合わせで真実に近づくことが出来るのだ。「ダメに決まってる」という常套句は反証できないだろう。で、話はここで終わってしまう。感覚は証明が不可能だからね。ついでに言うと、あらゆる行為において正当な行動をとるコツを知ってるかね、あるいは少なくとも間違わないというためにはどうすれば良い?騙されないようにするという言い方がわかりやすいかな。それは、正しい情報を得ることだよ。科学というのは人間が正しい情報を得るための最強のツールだ。科学を懐疑主義と言っても良い。だから、情報を得るときには、それが科学的かどうか?ということを常に考えておくことだ。もう一度言う、反証が出来るかどうかだよ。脱線したな。先ほどの続きだが、ウルフ一号からのフィードバックはウルフ一号も参加する会議で検討されるが、最終的な決裁は人間がする。フィードバックはレポート形式だよ。すべてが明文化。閲覧権限のある人物ならだれもが閲覧できるのだ。指摘があれば、再度ブラッシュアップして再提出すればいい。このところの行為はすべてが理詰めなのだよ。誰の提案もいかなるもので、いつなされたかも明確に残る。イエスマンや太鼓持ち、おべっか使い、はたまた人の成果を横取りする連中が入り込むすきはどこにもないんだ。全体の流れはこういった感じだ。詳細においては、人材の評価と起用、公平性が最も重要だ。そうした環境ではまともな人間がまともに評価されてまともに報酬を受け取れる。それは人間の基本欲求を満たす。人間の基本欲求とは、食欲、性欲、睡眠欲、そして承認欲だよ。承認欲を満たす。これが仕事をするうえで、最高のモチベーションなのだ。報酬ではないのだよ。
さてここからが最も肝心な話だが、この完全なる人材評価を可能にするためには、人材に関する全ての情報が必要だ。間違った行動をとらないためには情報が必要と言ったろう。ところで「自分の評価は自分がする」と言った政治家がいたが、これなんかある意味的を得ているよ。言い換えると、自分のことは自分にしかわからないということだからだ。他人はしょせんその人の一部しか見ていないものだ。その一部だけでどうして正しい評価が出来るだろうか?バイアスのかかった情報ではバイアスのかかった結果しか生まないだろう。或いは適切に補正されていない情報では正しい結果は生まれない。煙草に関する調査を知っているかね。紙巻きたばこと葉巻の愛好者の生存年数を調査した結果、紙巻きたばこの愛好者は葉巻の愛好者より長生きだったというあれだ。これは補正前の数値だよ。これに補正係数としての年齢を加味すると、葉巻の愛好者は圧倒的に年齢が高いので、元々長くは生きられない。というわけで、生存年数の差に有意な数値は認められなかったのだよ。煙草会社はこの補正前の数値を大いに利用したそうだがね。そういった、ありとあらゆる行動や考えを考慮に入れて、すべての人を補正も加味して、同じ条件で比べるということが大切ではないかね。例えば、性差はなくなる方向に向かっているが、あるのは事実だろう。男は出産しないからね、生理だってない。そして、会社が仲良しクラブになってしまうのはこういうことだよ。上司と呑みに行って、或いはゴルフ、或いは喫煙室で、まあそんなところの付き合いだよ。ここでも性差は存在するだろう。男同士のくだらない付き合いというやつは昔から延々と続いているのだ。その結果は、管理職の性差のデータを見るまでもないよ。これが実力の分布を示しているわけがないだろう。そこでうまく立ち回り、おべんちゃらを使いといった自己アピールの上手い人間が実力以上の出世をして、目立たないが真面目にコツコツする人間が評価されないのは当たり前の事だ。ゴルフや居酒屋に行くのに持って来いの同僚は贔屓したくなるだろう。社内で接触する時間も長いし、彼の仕事ぶりを見ることも多い。一方で、そういった付き合いに参加しない社員は必然的に接触時間が少なくなる。その仕事ぶりを見る時間も減る。見てないものは評価できないからね。すべてを見ることは不可能だし、見えないものは選択肢にも上がらないというやつだ。これはね誰のせいでもないよ。システムの問題だ。システムの欠陥だよ。人間の限界と言ってもいい。
そこで、ウルフ一号の登場だ。NSAがアメリカ国民を盗聴するように、こいつは、ありとあらゆる社員の会話を聞いている。電話、メールは言うに及ばず、事務所での会話もデスク上のパソコンから収集している。出先の商談は個人に支給されている携帯からその音声を収集する。パソコンにはカメラが付いているが、話をしている社員の表情も記録する。その記録には音声や映像以外にも心理状態が添付される。その言葉をどういう意味合いで言ったのか、本心なのかなどということを記録するのだ。これは会議などではリアルタイムでフィードバックされる。適当なことを会議で発言するとすぐにばれるのだ。もちろんその場では叱責しない。あくまで人の考えを読めるということは秘匿されるのだ。もちろん評価には反映される。それから、個人に与えられたパソコンの内容も把握している。どれほど緻密に仕事を進めているのか、ポイントはずれていないかなどをチェックする。だから、社員はよくあるような自己の目標管理とその進捗についてのレポートなどを提出する必要はない。あれこそまったくもってばかげたやり方だよ。無駄の極致だ。形ばかりで内容がない。何らかの書類さえあれば、それがどんな効果を上げているのかは関係なく、ともかくも仕事をしているというアピールになると思っている人間がいかに多いかがよくわかるだろう。
さて、そういったデータを収集して分析するのがウルフ一号の仕事なのだが、ヒットした案件、つまり優秀だと考えられる人材に対しては、個別の面談が行われる。先程、管理者の話をしたろう。そう別にAIを作ったというあれだよ。本体のウルフ一号は空調された大きな部屋に設置して使用される。その規模はちょっとしたもんだよ。だから、その端末としての人型AI、すなわちダロウェイ一号を別に管理者として作ってあって、もちろん端末にも人の心理を読む力があって、こいつが会議への参加や、社員への面談を実施するのだ。まあ、社長秘書といってもいい。女性型のロボットだ。美人だよ。007のマニーペニーみたいな感じかな。この造形は面接者がリラックスして面談できるという目的に最も合致したデザインにされている。そして、評価された人間はこのボヴァリー一号との面接を通して上位職への採用が決定される。もちろん本人も周囲もこの決定のベースに徹底した盗聴や盗撮があるとは思っていない。ましてやその心理が読まれているなんてね。本当に優秀な人材しか面接まで進めないから、誰も不審に思わない。それ以前に人事がまともになったとうっすら感じることで、誰しもが仕事に対するやる気、モラールを上げるだろう。ここで生産性は一気に上がる。
コスト面でも改善されるよ。まず監査室が不要だ。監査室は泊りがけで各地方支店の監査に行ったりするだろう。あんな無駄は発生しない。すべての管理はウルフ一号が確実に把握しているからね。お客様相談室も不要だ。クレームの電話はすべて、ウルフ一号につながる。容量が膨大だから、同時に一回で数十件を受ける事なんて問題ないよ。ここに電話して待たされるなんて最悪だろう。ウルフ一号は顧客の真意をその音声から察知して、適切な対応をする。人工的に作られた男性の声だが、この音声は知性と尊厳と親和性を備えている。ウルフ一号はこの電話が何より大切なビジネスチャンスだと理解しているから、その音声にはそれを表すようになっている。よくいるだろう、いじめられタイプの声質を持った人間が。自信がなく、卑屈で、自分本位でしかも感情的なことが声からも露呈してしまうようなタイプの人間が。こうした人間は決してクレームの電話を受けてはいけない。簡単に確実に二次クレームになってしまう。クレーム対応は社会的活動をする会社というものにとって最も大切な行為だよ。ここをウルフ一号がしっかりと管理する。内容は人的クレーム、商品クレーム、システム上のクレームなどに細かく分析され、一件たりともおろそかにはされない。すべてに改善が施され、同時に人事査定の情報としても利用される。その電話をかけてきた顧客には後日その改善方法を記したお詫びの手紙が届くようになっている。ここの対応にはコストもかかるし、むしろかけてゆくが、すべてが一次クレームで終わるなら安いものだ。お客様相談室には受け身のもの、これは従来のものだ、と能動的なものもある。能動的相談室は、ネットより電話をかけることに承知してくれた顧客に商品や接客の感想をインタビューするというものだ。もちろん、ウルフ一号が実施する。顧客の真意を測りながらね。これはお客様への相談室と呼ばれている。表立って文句を言わない不満な消費者、いわゆるサイレントコンプレイナーを発掘するのが第一義、そしてやはり人事評価に結び付けるのが第二義だ。ざっとこのような感じだよ。これは資本主義でありながら、限りなく理想に近いやり方だと思っている、その平等性において、社会への還元性において、三方良しという近江商人の言葉があるだろう。社会、顧客、会社のそれぞれにおいてよい成果を残すという言葉だ。会社というのは言うまでもなくそこで働く人々の平等な総和だよ。
持ち株の多さや投資額の多寡によって発言権が大きくなるなんて全く非科学的だろう。そういう人たちは往々にして個人主義だよ。三方良しの原則からは最も遠い。原始的かつ野蛮な発想と言ってもいい。
というわけで、いよいよ私の研究も実証の段階に入った。実は前から目をつけていた会社があってね。先代社長が創業者なのだが、会社は完全に私物化されていて、なんとバカ息子が二代目だ。どうやら世襲制にしたいようだがね。徳川幕府の発想だろう。ダライ・ラマですら世襲制ではないのにもかかわらずだ。彼の宗派では輪廻転生が信じられているからね。先代が亡くなると、その生まれ変わりを探しに行くのだ。で、何の関係もない普通の男の子がある日突然「あなたはダライ・ラマですと」いう宣言をされるのだよ。そっちのほうがまだ、世襲制よりも知性的に思えるね。個人主義と言うのは、やはり原始的で野蛮だろう。ところで、このバカ息子だが、見栄坊でどうしようもないと来ている。ある日、何千万という財布を購入して、その理由が「持っている財布の値段の五倍に年収が成るという法則がある」からだと言い張るんだ。洒落じゃあないよ。本気だろうね。末端の社員はコストの切りつめのためにトイレの掃除用ペーパーを半分に切って使っているのにも関わらずね。それからある日、これも突然の思い付きなのだが、社員が自分に会いたがっているのではないかと思い始めた。そこで大金をかけて、自分の講演会ツアーを組み、各地で大きな会場を借り切り、そこに全国津々浦々から社員を集めて、全く内容のない催しを始めた。自分が舞台に立って何ともとりとめもない話をするんだな。集められた社員は交通費をかけて一日仕事だ。その間、顧客はほったらかしだよ。優先順位の第一位はこの講演会なのだから。最後はなんと自分と全社員の握手会だ。で、総勢によるお見送りときた。笑ってしまうだろう。この話を聞いたときはコーヒーを噴き出してしまったよ。これで、この年のボーナスは無しだ。利益がこれで飛んでしまったからね。この部分は笑えないな。これらのエピソードだけなら、ただのバカで済むんだが、このバカは自分より賢い人間を認めたくないようなんだな。だから、取り巻きはイエスマンか太鼓持ちか、バカのふりをする人間か、本物のバカばかり。同じ理屈で、バカがバカを評価するから、バカのトップダウン状態で、中間管理職もバカばかりになってしまった。だから、賢い人間はみんな愛想をつかして辞めてしまったよ。まあ、殆どの人間がこいつよりも賢いわけだから、その離職率たるや驚くべきものだ。おまけに見栄坊は残酷と来ている。だから会社の社風としては、当たり前のようにパワハラ、セクハラが横行しているそうだ。女子社員はお茶を入れて、しかも男性社員が飲みっぱなしにしたコップを片付けなければならないなんて、セクハラもいい所だろう。どうだい?なかなかいい土壌だろう。この会社、商品は良いんだ。だからそこそこ売れている。誰が経営しても一緒だからだ。ただザル経営のしわ寄せは販売価格に反映しているがね。赤字?じゃあ、販売価格上げようか?てな具合だ。これは社風になっている。普通はコストの見直しや切りつめがそこに来るんだが、そういう考えは全くない。会議では何をいくら値上げするか?という議題で終わってしまって、コストは会議の議題にはならないんだ。驚くべき会社だろう?顧客不在、従業員不在のこの会社がいつまでもつかが不思議だが、それだけに実験のし甲斐があるというものだ。その上、こういう状況では、実は、このバカで見栄坊というのが、逆に利用しやすいのだ。普通こういう話を持っていくと、殆どの社長が断るだろう。理論的にではなく感情的にね。だが、こういった突き抜けた見栄坊は、社長をAIに任せることが‘’かっこいい‘’事だと思えるらしいんだな。まあ、それも想定の内でね、彼には彼の喜びそうな横文字のタイトルを適当にあてがって、新事業を適当に‘’かっこいい‘’感じで作っておいてそちらのほうに集中してもらうことにした。これにはまあコストはかかるがね、本人に居座られていたのではもっとコストがかかってしまうからね。もちろん成果が出たら、まあ、出るにきまってるが、彼をさらに持ち上げるよ。いい宣伝になるしね。これはあくまでとっかかりだから、ここから広がってゆけばそれでいいんだ。私はこう見えても愛国者なのだよ。これは文字通りではないがね、隣人愛と言ったほうがいいかな。科学が真実を追求するのは、AIが現実をすべて把握するのは、真実および現実を知ることが人の幸せにつながる必然的第一歩だからだよ。それはそうと、彼、とても喜んでいたよ、記者連中を集めて発表したりしてね。「安定の本業はAIに任せて私は新たなリスクに立ち向かいます。これこそ未来の社長の姿です。」なんてね、全くこちらの思った通りに言うものだから、またコーヒーを噴き出してしまったよ。彼も私の意思を読めるんじゃあないかってね。
了