ある朝
俺は今、夢を見ているようだ。
目の前に昔の俺がいる。中学生のときだろう。ニキビまみれの赤ら顔をして、ベッドに寝転がりゲームをしている。どうやら俺には気づいていないらしい、というよりも見えていないようだ。
学校や塾のテキストやプリントが積み重なり、作業するスペースの存在しない勉強机。机に収まりきらなかったプリントやペットボトルが散乱している床。懐かしいなと感じる。
すると、階段を上ってくる足音が聞こえてくる。そして、自分の部屋の前で消えるやいなや、無遠慮に扉があけられる。
「いつまでゲームしてんねん、早く勉強せえ。」
その声の主は母親だった。だが不思議なことに表情が見えない。カラースプレーを一吹きしたかのように、顔の部分だけがぼやけている。それでも、怒っていることは声色で感じ取れる。
「わかってるて。」
昔の俺はそんなことは意に介さず。生返事を返す。その視線はゲーム機の画面から動かない。そばで母親が何か叫んでいるが、何を言っているかわからない。というより、どんどん声が遠くなっているのだ。そのうち、母親は部屋から消えていた。
当時は、夢も、希望もなく。両親の期待も無視して、ただ日々を無為に消費していた。
友達と遊ぶ時間だけが楽しくて、それ以外の時間は本当にただ消費するだけだった。
不意に、昔の俺が顔を上げた。そして、目が合った。かのように感じたが、その視線は俺を捉えているわけではないようだ。そのまま昔の俺は体をひねると、ベッドに四つん這いになり、さっきまで頭上にあったカーテンを開けた。窓の先には真っ暗な夜空に煌々と月が輝いていた。昔はよく月を眺めていた。月を眺めている時間は心地よかった。
昔のおれはおもむろに窓を開けて、振り返った。ドキッとした。今度は俺をその目にしっかりと捉えていたからだ。その瞳には、哀しみが海のように、静かに、深く横たわっていた。息苦しさを感じながらも、その瞳から目をそらせなった。飲み込まれてしまったのだ。冷たく、鈍く光るその瞳に。
ピピピピ、ピピピピ―
気が付くと耳元で目覚まし時計がアラームを鳴らしている。左手を耳元に運び、アラームを止める。そのまま時計を持ち上げ時刻を確認する。六時五分。時計を戻す。
口呼吸で寝てしまっていたようだ。口と喉が渇いてしまっていて、息苦しい。唾を飲み込むと喉元で貼りついていた皮膚が剥がされ鈍い痛みがした。
今日は二度寝することもなく、すんなりと起きられた。というよりも寝た心地がしていない。ときどき、こういう日がある。そして、そういう日は大体いやな夢を見ていることが多い。だが、内容は覚えておらず、モヤモヤした気持ちだけが胸のあたりに引っかかっている。ようするに、最悪の目覚めだ。
布団から這い出ると、ロフトからリビングに降りて、ロードバイクに干してあるバスタオルを掴みシャワーを浴びる。シャワーを浴びている最中に夢の内容を思い出そうと試みるが、虚しい気持ちを感じたことを思い出せたくらいで、ほかには何も思い出せなかった。
身体を拭きながら、部屋干ししているパンツをむしり取る。パンツを穿きながら思い出したが、今日は仕事が休みだった。最近仕事が忙しく、その日をこなすことに精一杯だったので、何をするか考えていなかった。
とりあえず朝飯を食べたくなったので、シャツとその辺に落ちてあるズボンを穿いてコンビニに向かった。家から出ると、春の柔らかい陽射しが道路や家屋をオレンジに染めていた。早朝ということもあり、半そででは肌寒かったが、シャワーを浴びて火照りの残っている体には心地よかった。
コンビニは徒歩二分にあり、とても助かっている。おにぎりを二つとペットボトルのお茶を一本買った。おにぎりの具は、鮭とツナマヨだ。
レジ袋を片手に、誰もいない道を帰る。車も全然通らないので車道のど真ん中を我が物顔で進んでいく。太陽の光を背に受けて、清々しい気持ちに浸る。足元から長く伸びた自分の影を見ていると、今朝の夢の最後の瞬間がフラッシュバックした。月の光を背に冷たい瞳がこちらを覗いていた。
自然と笑みがこぼれた。当時の俺は確かに絶望していた。中学生のくせに。たかが十数年生きただけで偉そうにも絶望していた。中学生だからこその絶望でもあるが。
懐かしくも愛おしい、幼稚な絶望をそっと胸にしまい、玄関の扉を開ける。レジ袋が小気味よく音を立てる。振り返り、太陽を眺める。希望に満ちた光を胸に受け、昔の自分に尋ねる。
今日は何をしようか!