第一話 好きです
心臓がバクバク音を立てている。
ちらりと横目で、隣に立つ女の子を見る。
彼女の名前は分からない。話したこともない。いつもこのバス停で、同じ時間に同じバスに乗るという事しか知らない。
この三か月間は、ただ見つめることしかできなかった。
だが、今日は違う。俺は断固たる決意でここにいる。
一瞬、彼女から緩くて甘い匂いがした。
やばい、緊張してきたわ。断固たる決意が揺らいできたわ。何なんこの人。めちゃくちゃ可愛いわなんかふわっとしてるわ本当に俺と同じ種族の人間なのか? 天から舞い降りた天使と言われても納得するわ……。
心臓の鼓動が強烈に速くなって、周りの音が何も聞こえなくなる。
ビビるな俺!
行け!
引くな!!
「あ、あの……すみません」
「は? なんか用?」
彼女は、目だけ動かして、興味なさげに俺の顔を見る。
これだけの美人だ。声もかけられ慣れているだろう。俺のような冴えない男なぞ歯牙にもかけないかもしれない。
でも、途中でやめる事なんてできない。俺は勇気を振り絞って、震える喉から声を絞り出す。
「た、田中和樹と申します! あなたにひとめぼれしてしまいました! ここで初めて見た時から目で追いかけてしまって……ずっと好きです!」
「えっ? は? はぁ?」
唐突な俺の告白に、動揺したのか、彼女の表情が初めて崩れた。その白い肌が、赤く紅潮していく様子はとても可愛かった。
「良かったら……連絡先交換してください!」
い、言った……! 言えた……。言ってしまったぞ俺!?
もう後戻りできねぇ。頼む、せめて振られるにしてもなるべく心にやさしく、傷つかない感じで……!
「え……あ……あの……ハイ」
ほら、当たり前だよ俺みたいなイケメンでもない奴がいきなり声掛けたって……え!?
バッと彼女の顔を見る。
そこには、恥ずかしそうに顔を赤めながら、上目遣いで俺を見る天使がいた。
…………マジ?
◇ ◇ ◇ ◇
やった……! やったぞ!
バス停で別れた後、俺は夢見心地で現在住んでいる安アパートの部屋に帰ってきていた。
正直道中の記憶がない。それぐらい浮かれていた。
モテたことも一度もない俺があんな可愛い子と連絡先交換できるなんて。
信じられねぇ、やっぱ世の中は行動できる奴が勝つんだな……!
あぁ、ありがとう俺をこの世に生んでくれた父さんと母さん。ありがとう告白する勇気を持ってくれたちょっと前の俺!
俺の人生も、これからバラ色になるかもしれない。俺は大きな一歩を踏み出したんだ。
――ティロン♪
ん? スマホのアプリの通知が鳴った。
ポケットから取り出し、通知を見る。
『山田です。さっきはびっくりして上手く話せなくてごめんなさい――』
山田さんって言うのか。
彼女から連絡してくれるなんて気を使ってくれたのかな?
やっぱり優しい子なんだな。
おっと、続きを読んで俺も返信しなきゃな。
もう一度スマホの画面に目を落とす。
『私は明るく話す方ではないので、誤解を与えてしまったかもしれません。学校でもあまり中心となっておしゃべりするタイプじゃないので。あ、でも別に教室で孤立しているとかぼっちだとかそういうことではありませんよ? そこは田中さんには勘違いしてほしくないです。そして本題に入りますけど、私としては、いきなりお付き合いするって言うのも軽薄な感じがするし、まずはお互いを知るためにお友達から始めてみませんか? それならゆっくりと距離を縮められますし、お互いの良いところも悪いところも見えてくるはずです。あ、べつに田中さんの欠点を探してやろうなんてわけじゃなくてですね、むしろその欠点も好きになれるような関係が付き合ってるってことだと思うんです。そのためにはやっぱり長い時間一緒に過ごさなきゃいけませんよね? 昔から会えない時間が愛を育てると言いますけど私はそうは思いません。むしろ好きなら常に一緒にいてその人の小さな変化にも気付けるようになりたいですし。好きな人なら当然気付いてしかるべきだと思います。田中さんとお付き合いすることになったら田中さんが私の影響で変わっていく過程を見たいと思うのは恋人として当然のことですよね? あ、今のは例えばの話ですよ。決して私が――――』
長いなぁ~。
なっがい。長すぎて読み切れんぞこれ。
え? 女の子のメールってこんなもんなのかな……。
長い文章でやり取りするってどっかで聞いたことあるし、そうなのかな……。
冷たい感じにならないようにいっぱい書いてく……
――ティロン♪
『山田です。返信遅くないですか。え? もしかしてわざと無視してます? 普通内容確認してから3分もあれば返信できると思うんですけど。今何分立ちました? その手に持ってるスマホがあればわかりますよね?????????? 馬鹿にしてるんですか??????る???る????????』
いや、普通の女の子はこんなメールしねぇわ。なんか違うわ。
特に最後がやべぇわ。「?」をフリック入力連打しすぎて「る」がたまに混じってるのが一番怖えわ。
人は見た目によらないっていうけど、山田さんはちょっと特殊な子なのかも……。
これはもしかしたらヤバい子に手を出してしまったかもしれない。
下手な事を返信すると大変なことになりそうだ。
「くそっ……」
だめだ。恋愛経験値が少なすぎて、いい文章が思い浮かばない。今まで誰とも付き合ってこなかった弊害が出ている。女の子の機嫌の取り方なんて分かるわけがない。
――ドンドンドンドン!
唐突に部屋に響く音に思わず体が跳ねる。
誰かが、この部屋の扉を叩いている。
――ドンドンドンドン!
――ティロン♪
――ドンドンドンドン!
――ティロン♪
扉を叩く音と一緒にスマホの通知も来ているが、怖くて見れない。
いや、まさかそんなわけないよな。あり得ないよ俺の考えすぎだ。
しかし、俺の頭の中に一度浮かんだ可能性は消えてくれない。
俺はおそるおそる扉に近づき、ゆっくりとドアノブを回す。
ぎぃ、と少し立て付けが悪くなった扉が、擦れた音を立てながら開いた。
そこにいたのは――恐ろしく冷たい目をした山田さんだった。
「……………………」
うん、まずね。うちの住所どうやって知ったの? え、教えたっけ? 教えてないよな。さっき始めて話したばっかだし。
山田さんは、何も言わずに直立して俺を見ている。いや、ガン見している。瞳孔ガン開きで。
瞬きしてない。めっちゃ怖い。開きすぎてて怖い。
――ティロン♪
また、通知が来た。
俺はゆっくりと、山田さんを刺激しないように視線をスマホに写す。
『おい、やっぱ無視してんだろ。てめぇ早く返信しろや』
『「くそっ……」ってなに? もしかして私に言った? ねぇ?』
『おまえわたしをからかったな。ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないころす』
――あれだ。確信したけど山田さんはガチの方のあれだ。
ちょっと前の俺よ。バス停では、引いといたほうが良かったかもね。