第4話
綿貫さんには明日もう一度、店に来てもらうようお願いした。
この店、ちゃんとバイトを雇うなんて超久しぶりらしいので、書類とか諸々の準備がちょっと大変なのだ。もちろん、その準備をするのは全部俺ね。婆様、事務とか経理とか嫌いなのよ。
「これに給料振り込む口座書いてもらって……、雇用契約書……も一応作ったほうがいいよな、昔使ってたやつの写しがどっかにあった気が……。制服も綺麗なのあったよな……」
「何をぶつぶつ言ってるのよ」
「うお、びっくりした」
いつのまにか、背後に雪音が立っていた。
「営業時間中に店内の机で事務始めるって、あんた、いい度胸してるわね……」
「いいんだよ」
人来ないから。
「にしても、どうしたよ? 明後日ライブだろ?」
明後日は先日招待を受けたThrTHのライブだ。こんなところで油売ってていいのだろうか。
「そのライブの前に聞きたいことがあったのよ」
「というと?」
「あんた、セットリストに入ってる曲、もちろん歌えるわよね?」
「あー、うん、歌えないわ」
「あ?」
雪音の声が1オクターブ低くなる。怖いんですけど。
「いやほら、ラジオだと1番までしか流れないし」
「CDあるでしょ! CD!」
「この辺りCD屋ないから……」
「くっ……、まあいいわ。こんなこともあろうかと持ってきたわよ、アルバム」
「おー、ありがとう。後で聞いてみるよ」
「今聴け! そこのラジカセで、今! そして率直な感想を聞かせなさい!」
あ、はい。
ThrTHの楽曲はメロディの良さと歌の上手さが魅力だ。
曲もいいし歌もうまい、そして何より可愛い。人気にならないわけがない。
「いやー、フルで聴くとより良いな! 」
アルバムを通しで聴き終え、俺はレベルの高さに驚いていた。
「特に2曲目の『TODAY 』がストライクだった!」
「でしょでしょ! 私も好きなのよ! 歌詞が素敵で!」
「すげーキャッチーだし、すぐ覚えられそう」
好きなものって頭に入ってきやすいからな。
「ふふん。これでようやく私たちの、私の魅力に……」
「まあ、ただ……」
率直な感想を、ってことだから、全て正直に話すべきだろう。
「うん?」
「やっぱ2つ3つはインスト曲欲しいよな」
「はあ?」
「最後に10分越えの大曲があると、さらに俺好み」
「そんなアイドルソングないわ!」
そうなの?
ThrTHのメンバーとその近しい関係者たちは月に一度、全体ミーティングを行う。普段の活動で感じていること、これからのこと……、それぞれがそれぞれの思い、意見を共有するのだ。
市内のとあるコンサートホールーーThrTHが明日、ライブを行う会場である――でそのミーティングは行われていた。
ThrTHのマネージャー、杉谷 貴子は会議の様子を静かに見守っている。話題はやはり、明日のライブのことだ。
「やっぱ『トレース』を初っ端に持ってくるパターンがイチバンしっくりきたね。ライブはノリよく始まりたいじゃん?」
今、発言をしたのはThrTHメンバーの千崎 夕菜。太陽のような明るいキャラクターと、ずば抜けたダンスセンスを武器としている。
――夕菜は心配なさそうね。
声の調子に緊張や気負いの類は感じられない、明日のライブでもベストなパフォーマンスを発揮してくれるだろう、そう貴子は分析する。
「……まあ、何で始まろうと私は歌うだけですから」
静かな口調で話すのは、宇佐木 奏。無口な少女だが、発する声は"女神のような"と称されるほど美しく、圧倒的な歌唱力の持ち主だ。
――奏もいい感じね。
貴子の目から見て、奏は少々不安定なところがあった。しかし、明日のライブに限って言えば問題はなさそうだ。
「で、雪音はどう? 明日のライブ。さっきから全然喋らないけど」
夕菜が発言を促す。雪音は先程から考え事をしているようだった。
「何か……、心配ごとでも……?」
普段はミーティングを引っ張る立場である雪音が、ずっと沈黙していることに、奏も不安を覚えているようだ。
しかし、貴子は何も心配していなかった。雪音は心技体、全てにおいてアイドルの頂に立っている少女だ。
彼女の沈黙には何か理由が、ThrTHをさらなる高みへ連れていくための何かがあると、貴子は直感していた。
「私は……」
そしてついに、雪音は顔を上げ、言った。
「次のシングルはボーカル無しのインスト曲がいいと思うんだけど……、どう!?」
――この子は何を言っているんだろう。
貴子はその日初めて、笹山 雪音というアイドルに不安を覚えた。




