第31話
まだまだ夏の匂いが漂う水森高校の家庭科室に俺はいた。
「すみません、無理言って」
「いーよいーよ、今度パンの作り方教えてもらうから」
そう言って手をひらひらさせるのは芽野上さん。俺は彼女にお願いして、今日一日、家庭科部の活動に参加させてもらうことにしたのだ。
「にしても、今回作るのは和食だけど、いいの?」
「それがいいんですよ」
「どういうこと?」
「ちょっと色々あって、もっと自由に生きようと思いまして」
「今でも十分自由に見えるけどねえ」
「そこでまず、今までしていたことの逆をしてみようかなと」
もっと考えを自由にするには、これまでしてきたこととは全く別のことをするのがいいと思い立ったのだ。
「俺は今までパン屋に勤めてパンを作ってきました。それの逆とはつまりパンの逆……、そう、米です」
「なるほどね。まあ、今日作るのそばだけど」
芽野上さんは腕を組んで頷く。わかってもらえたようだ。
「でも、パンの反対はあれじゃない?」
「あれ?」
「ンパじゃない? ンパ! ははは!」
笑う芽野上さんにつられて俺も笑う。
「確かに、ンパっすね! ンパ!」
笑い合っていたところに割り込む声が一つ。
「……悪い悪い、ちょっと止めてもらっていいか?」
「どうした高橋」
「えっ、なにそのつまんねー会話。他の部員が呆然としてるからやめてくれよ」
妙に静かだなあと感じてはいた。
「あとさ、毎度のことなんだけど、なんで俺呼ばれたんだ?」
「そりゃあ、俺が一人で家庭科部に参加したら高橋、拗ねるだろ?」
「拗ねねえよ」
あれ?
というわけで、俺はそば作りに挑戦していた。当初の趣旨が忘れ去られている気もするが、いい経験になるだろう。
「練るのは体重かけてゆっくりねー」
芽野上さんの指示を聞きつつ生地を練る。そば粉から作るとは……、本格的だ。
「店、また客足遠のいてるんだろ? 大丈夫か?」
隣で同じようにそばの生地を練る高橋が、そんなことを聞いてくる。
「まー大丈夫は大丈夫だけど、なんとかしたいな」
気づかないようにしていたが、一時増えたお客さんがまた減ったのは確実に隣町の人気店、セファさんのいる店が原因だろう。あそこおいしいもん。
「はい、無駄話してないで、手動かす!」
芽野上さんは結構スパルタだった。
丁寧な指導のおかげもあり、ようやくそばが完成した。内二の鶏そばである。
皆でいただきますをして、各々自分で作ったそばをすする。
「やっぱ自分で作るとうまいな」
高橋は満足気。誘ったかいがあるというものだ。
「食べてばっかで全く自分で料理しようとしないもんね」
「わりーな」
この会話から察するに……、高橋、うらやましいやつ!
「久々にそば食べたけど、やっぱおいしいなあ」
そばのささやかな甘さが身体にしみる。
「アレルギーの問題とかはあるけど、そば嫌いってやつ見ねえよな」
確かにそばが嫌いという人はあまり見かけない。
――そこにチャンスがあるのでは?
「……閃いた!」
店を盛り上げる天才的アイデアが降ってきた!
「なに言ってんだ」
「見ててくれ、婆様!」
「誰に言ってるんだろうね」
芽野上、高橋のお二方はしらけた目で興奮気味の俺を見ていた。




