第29話
まだまだ盛り上がりを見せるライブの賑わいを遠くに聞きつつ、俺は園内のベンチで雪音を待っていた。携帯に「着替え終わってそろそろ出る」とメールがあったので、ぼちぼち来る頃なんじゃないかと思いあたりを見渡すと、後方から(なぜか)忍び足で近づいてくる雪音を見つけた。
「雪音、なにしてんの?」
俺が声をかけると、ビクッと身体を震わせる雪音。なんでだよ。
「……よくわかったわね」
「どういうこと?」
「この格好よ。普段と全然違うじゃない」
確かに、雪音は長い髪を後ろにまとめてつば広の帽子をかぶり、普段してないような大きな丸眼鏡をかけている。
「ここに来るまで誰にも気づかれなかったのに……」
「いや、どっからどう見ても雪音じゃん」
「そ、そう? まあ、わかっちゃうものなのかもね。被り物ぐらいしないと」
なぜか嬉しそうな雪音。被り物は……、目立つんじゃない?
「あと、今日は私のこと『雪ちゃん』って呼びなさい」
なるほど、バレないための対策ということか。
「じゃ、行こうぜ雪ちゃん。園内のアトラクションを最大効率で楽しめる最強のルートを考えてきたから、楽しみにしといてくれ」
「ふふ、楽しみにしとくわ」
二人連れだって歩きだす。
ライブがまだ続いている影響か、アトラクション施設があるエリアにはそこまで人がいない。あっちを見れないのはちょっと残念だけど、良いタイミングだった。
「そういえばThrTH、今回もキレキレだったな。会場もすごい盛り上がってたし」
「ならよかったわ。あんましアイドルが出るようなイベントじゃないから、正直ちょっと不安もあったのよね」
見ているこっちはただただ完璧な仕上がりだったと感じていたが、やる側はいろいろ想いがあるらしい。当たり前か!
「あと、演奏も良かったな。ギター弾いてたのザ・シャッターボーイズの佐々木ジョウイチさんでしょ? 音源でしか聞いたことなかったんだけど、やっぱすげえわ」
「確かにすごい上手よね」
「表現力っていうのかな。特に二曲目の『恋のブリムストン』! あのギターソロはやばかった。シンプルなメロディをあそこまで聴かせられるのは弾き手の技量という言う他ないよな!」
「そ、そうね」
「加えてドラム! リズムキープ完璧だし……」
「演奏陣に対する感想のほうが明らかに熱入ってるのやめてくれる?」
おしゃべりしていると、最初のアトラクションが見えてきた。
「おっ、あれだ」
「お化け屋敷?」
「そう、かなり本格的なんだってさ」
パンフレットには『日本最恐! この恐怖の病院からあなたは逃れられるか!』とかなんとか書いてある。
「久しぶりに勝負しようぜ」
「……いいわね!」
「絶叫病院」は去年の夏にオープンしたお化け屋敷である。「超本格派」を掲げるこのお化け屋敷、お化けは全て訓練された人間のアクターが演じており、廊下に転がした点滴バッグ一つに至るまで、ディティールにこだわった道具が使われている。さらには既存のお化け屋敷の常識にとらわれないギミックが至る所に仕込まれており、全く新しい恐怖を体験できる。
今、私は画面越しに若いカップルを見ていた。私に与えられた仕事は廃病院の至る所に仕込まれたカメラの映像をもとに、現場のアクターにこの二人を恐怖させるための、的確な指示を与えることである。
「よし、二人がエントランスに入った。エントランス班、まずはマニュアル通り一発目を頼むわ」
マイクを通して指示を送る。
エントランスに入った客は、暗い室内で光る自動受付機に自然と誘導される。受付機から発券される番号票を総合受付に置くことで、ようやく次のエリアへの扉が開くという流れだ。ただ、当然すんなりとはいかせない。受付機が番号票を吐き出した瞬間、隠れていた患者の亡霊たちが姿を現し、番号票を奪わんと襲いかかってくるのだ。
冷静に考えると意味わからん仕掛けだが、これが意外と効く。しょっぱなの大掛かりなイベントによって、このお化け屋敷が普通でないことを認識させられるのだ。
「アクター1から5、今よ」
片割れの少年が受付票を取ったタイミングで亡霊のうめき声がエントランスに木霊する。
――さ、まずは下ごしらえといこうかしら。
二人が恐怖に慄く様を見ようと、映像を注視する。
「おー、まずは雪ちゃんが一勝か」
「ふふふ、どーよ」
――あれ?
カップルは全く動じた様子も見せず、するすると亡霊たちの間を抜けて受付に紙を置き、とっとと次のエリアに行ってしまった。
――なるほどね。
この二人、馴れているようだ。でも、そういう人を恐怖に陥れいるのが私の人生最大の喜びである。隣にいる同僚が「そういうこと言ってるから友達少ないんですよ」などと暴言を吐いてくるが、人間の性根はそうそう変えられないので、私は残りの人生もこんな感じでいくつもりである。
さて、二人はエントランスを抜けて廊下に入った。ここではエントランスの派手な恐怖演出とは対照的に、じわじわとした恐怖が客を襲う。次の部屋にたどり着くまでの一分程度に、小技の利いた仕掛けが十か所も施されているのだ。
二人は客の半分がリタイアする「恐怖の廊下」に耐えられるだろうか?
「いやー結構あったな」
「ハチロクのほうが当ててたわね」
あっという間に二人は廊下を渡り切っていた。
――えっ、なんなのこの人たち。
「ああいう系は得意なんだよ。これで同率か」
「いい勝負ね」
さっきから「一勝」とか「同率」とか「いい勝負」とか、この二人、明らかにこっちが仕掛けるポイントを予想して遊んでいる。
このまま、珍しい形式でお化け屋敷を楽しむこのカップルを無事に帰してしまえば、客の実に三分の二をリタイアさせてきた私の誇りは永久に失われるだろう。何としても、二人の表情を恐怖にゆがませなくては!
かつてない苦境を前にして、私の血潮は滾り、口角が吊り上がる! そして同僚がドン引きしている!
この二人を怖がらせることができれば、もはや私は無敵だろう。しかし、それができなければ、私は凡百のお化け屋敷スタッフとして終わる。
――ここが私の分水嶺!
「終わってしまった」
「私の勝ちね!」
敗北だった。仕掛けは八割以上看破され、二人は一度としてビビった様子を見せなかった。
しかし、心が絶望に沈みかけたその時、ある閃きが私の頭を貫いた。絶対に予想されない、理外の恐怖。
私は制止する同僚を振り切り、部屋を飛び出した。
お化け屋敷を堪能した俺たちは、次なるアトラクションへ向かっていた。
「また私の勝ちね」
「前回も雪ちゃんが勝ったんだっけ」
「そーよ。中学の卒業旅行、覚えてる?」
「あー、思い出した」
そんな風にしゃべっていると、雪音はふいに立ち止まった。
「……ところでハチロク、気づいた?」
「うん、今気づいた」
お化け屋敷の方を振り返る。青空の下、お化けっぽい人が全力疾走でこっちに向かってきている。
「……けっこー遅いわね」
フォームがよくない。
「あっ、もう一人出てきた」
係員らしき人がお化けを追いかけるように猛ダッシュしている。超速い。
「……お化け、捕まったわね」
「捕まったな」
首根っこつかまれて引きずられていくお化けの表情は、まさに鬼か悪霊かといった形相。
こ、怖すぎる……。




