1章 6話
奴隷の身の上からレミーヌを救ったミエルカ。
自分ではどうにも出来ない事から、レミーヌの世話をヨルムさんにお願いすることにした。
元気を取り戻しつつあるレミーヌだったが……。
楽しんで頂ければ幸いです。
黄昏の子猫屋を出た俺は、すぐにヨルムさんの所へ向かった。
このレミーヌという少女をどうするにしても、俺に女性の世話が出来るはずもない。
頼れる人はヨルムさんだけだった。
気を失ったレミーヌを抱えながらギルドに行ったら、流石に皆唖然としていた。
腰抜けが少女と一緒なんだからな。
ルノエさんも口をパクパクさせて、まるで魚だった。
まぁその反応自体は、ヨルムさんも一緒だったが……。
そんなに意外なものか?心外だよなぁ。
俺が事情を話すと、ヨルムさんは大きな溜息をついて、頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
俺はそうは思わないが、ヨルムさん曰く、俺はお人好しなんだそうだ。
ブツブツ言いながらも、レミーヌの世話を引き受けると言ってくれた。
そうこうしているうちに、あっという間に3日が過ぎた。
俺は早くデナダンに向かわなきゃならないんだが、救った手前、放って行くわけにもいかないからな。
俺は木製の立派な扉をノックする。
廊下にはふかふかの絨毯。
通り過ぎる使用人の女性が俺に会釈をする。
俺はぎこちない笑顔でそれに応えた。
ここに来るのは久しぶりだが、相変わらず立派な建物だこと。
ヨルムさんは腐ってもギルドマスター。
それに、社会的な立場もある人だ。
所謂貴族階級、というやつだ。
それも、かなり高貴な、ね。
俺がノックしてからしばらくすると、扉が少しだけ開いた。
「……ミカか。何か用か?」
「いやいや、用かじゃないでしょ。今日レミーヌの様子を見に行くって言いましたよね? 覚えてますよね?」
「あー。……そんな事言っていたなぁ。まぁ、入れ」
ヨルムさんはそう言うと、扉を開けて俺を招き入れた。
「ちょっ! なんて格好してるんですか!」
「んあ? 寝ていたんだから、別にいいだろう」
「シャツ1枚って、どんな痴女ですかっ! いいから何か着てください!」
「なんだぁ、ミカ。照れているのか?」
「て、て、照れてねぇしっ!」
ヨルムさんはわざとらしく俺に近づくと、顔を覗き込んだ。
「顔が赤いなぁ。何を考えたんだ? 怒らないから言ってみろ」
ちっ、近い!
無駄にいい匂いするし、髪サラサラだし、まつ毛長いし、唇プルプルだし、それに、それに、谷間がぁ、凄いだし!
「は、はぁ? な、何も考えてないだし!」
「何を言ってるんだ、お前は」
廊下で見ていた使用人の女性達がクスクスと笑っている。
やばい、やばい恥ずかしい。
「まぁ今日はこのくらいにしてやる。さっさと入れ、意気地無し」
「ひゃいっ!!」
俺は隠れる様に室内へと逃げた。
ヨルムさんの部屋にしては割と片付いていて、外見や、行動とは裏腹な落ち着いた造りになっている。
使用人の努力が目に見えるようだな。
それに、所々に可愛らしい人形が転がっていた。
こういう少女趣味な所は、昔から変わっていないんだなぁ。
部屋の正面には大きな窓が並び、陽の光をふんだんに取り入れる仕組み。
「レミーヌー。腰抜けな男が来たぞー」
「……ちょっと。変なこと教えないでくださいよ」
「だって事実だろう?」
窓際に備えられた広いベッド。
そこに俺が助けた、別にそんなつもりは無いが、とにかく少女はそこにいた。
俺はベッドの側まで歩み寄ると、近くにあった椅子を引っ張って来て腰掛けた。
「やぁ、レミーヌ。体調はどうだ?」
「……は、はい。もう随分と……」
ボソボソとした喋り方ではあるが、声に張りはある。
髪は綺麗に整えられているし、血色もいい。
短期間でも多少は肉が付いたか。
……それ程までに、過酷な待遇だったのだろう。
頬が少し紅い気もするが、肌が白いからそう見えるだけか?
こうして見ると、本当に美しい少女、美しい蒼色だな。
「ならばよかった。ここに居れば心配はない。ヨルムさんはいい人だし、強い。もう暫く面倒を見てもらうといい」
「ほんとにレミーヌちゃんは可愛い子なんだ。いくらでも面倒を見てやるぞ」
そう言うと、ヨルムさんはレミーヌに頬ずりした。
「ちょっ、ヨルムさん……」
「スベスベお肌だし、髪はサラサラだし。なんだか妹みたいで、こういうのもありだな」
「何言ってるんだ、あんたは」
それにしても、仲良くやっているようで何よりだ。
これで安心してデナダンに向かえるな。
「それじゃあヨルムさん。レミーヌを頼みます」
「分かった。引き受けた以上、悪いようにはしないさ」
俺は頷くと、椅子から立ち上がった。
「……どこかに、行くのですか?」
震えるような声で、レミーヌは俺に問いかけた。
「あぁ。俺は元々、旅に出る前だったからな。大陸の南方にある商業都市、デナダンさ」
「……いつ、お戻りになるのですか?」
「うーん。どうだろうなぁ。戻るかどうかも分からないな」
「こいつはな、レミーヌ。とんだ風来坊で、ふらっと出ていったかと思ったら、平気で1期、2期は帰って来ない男なんだよ」
「ギルドの冒険者なんてそんなもんでしょ?」
「お前は酷すぎる部類だろ」
ヨルムさんはそう言うと、呆れたように首を振った。
「……私も……」
「うん? 何か言ったか、レミーヌ?」
「私もっ! 私も連れて行ってくださいっ!」
必死な顔で俺を見据える。
その瞳からは、恐れ、焦り、様々な感情が漏れていた。
「レミーヌちゃん……。それは無理だ。君では足手纏いにしかならない。それに、ミカは誰も連れては……」
「お願いですっ! 私を連れて行ってください、ご主人様っ!!」
……まだそんな事を。
染み付いて離れない妄執。いや、離さないの間違いか。少女の狭すぎる世界がそうさせるのか。
苛立ちが、足元から脳天へと駆け上がる。
「俺はな、お前のご主人様になる為に助けたんじゃねぇ。それに、そんな甘い気持ちで付いて来られても迷惑なだけだ」
「お願いですっ! 何でもしますっ! だから……だから」
「……何でも、ねぇ。じゃあご主人様が死ねって言えば死ぬわけだ」
「ミエルカっ!!」
「うるせぇ、お前は黙っていろ、ヨルム」
俺はヨルムさんを睨みつけた。
殺気に気圧されたのか、動く素振りは見せない。
「はい。貴方が、そう仰るのなら……」
「虫唾が走る。吐き気すら覚えるな。そんなだから、首枷を付けて飼われるんだ」
「その、通りです……。それ以外の生き方など、知りませんから……」
「あー、くせぇくせぇ。奴隷臭がぷんぷんするな。こんな女、助けるんじゃなかった」
「申し訳……ございません……」
「じゃあ死ねよ」
俺は腰に提げていたバックから小瓶を取り出し、レミーヌへと投げた。
「それは毒薬だ。飲めば5分ももたずに死に至るだろう。さっさと飲んで、そして死ね」
レミーヌはベッドに投げられた小瓶を手に取ると、その蓋を開けた。
「レミーヌちゃんっ! こんな奴の言うことを聞く必要はないっ!」
「黙れと、言ったはずだ。それともお前から死ぬか?」
「ぐっ……」
レミーヌは小瓶の口をそっと唇に当てた。
その手は、小刻みに震えていた。
「どうした? 早く飲め」
「ーーっっ!!」
レミーヌは小瓶の中身を一気に飲み干した。
「どうだ? 苦しだろう? もうじきお前は死ぬ」
「か、かはっ! かはっ!」
「もう吐血したか」
俺は再びベッドへと歩み寄る。
バックからさっきとは違う小瓶を取り出し、レミーヌへと放り投げた。
「これは解毒薬だ。……いいか、レミーヌ。俺はあの時聞いたな。生きていたいかと。そしてお前は俺の手を取った」
大量の血を吐き出し、苦しむレミーヌ。
「生きていくのは楽しい事ばかりではない。苦しい事の方が多いだろう。他人に飼われていれば、自分で何も考えなければ、その方が楽なのかもな」
俺は身を乗り出し、レミーヌの胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「でもお前は俺の手を取った! 生きていたいと願ったんだっ! お前は誰の所有物でもない。お前はお前自身として、生きていくと誓った筈だ! それなのにご主人様だと!? 何を馬鹿な事を! いい加減自分の脚で立て! 自分を信じろ! 俺を信じろ! 変わることを恐れるなっ! 人は、生命とは、本来自由に生まれてくるものだ」
レミーヌの蒼い瞳からは、大粒の涙が零れた。
「もう終わりにしたいならそのまま死ね。だが、この世界で生きていく覚悟があるなら、それを飲め」
「ご、ごほっ! かはっ! こ、こんな私でも、願っていいの、でしょうか……」
「いいさ。それは、お前の権利であり、自由だ」
「あ、貴方と一緒に、いたい。し、あわせに、なりたいっ!」
「ならば、こちら側に来い。幸せになったらいい。願いとは、叶える価値のあるものの事だ」
レミーヌは小瓶を手に取ると、躊躇なく飲み干す。
もうその手は、震えてはいなかった。
レミーヌの身体は淡い光に包まれ、微かに暖かい風が室内を吹き抜けた。
「どうだ、レミーヌ。楽になったか?」
「は、はいっ!」
「なら良かった」
「……えっ? な、何で? どうして、こんなこと……」
「どうかしたの? ミカ、レミーヌちゃんに何を……」
レミーヌはおもむろにベッドから出ようとする。
「ちょっと! それ以上行ったらベッドから落ちるでしょ!」
制止するヨルムさんの言葉など聞かずに、レミーヌはベッドから転げ落ちた。
「言わんこっちゃない。今抱き上げるから……って、え? 何で?」
レミーヌは、自分のの脚で立ち上がった。
まだもたついてはいる。
力が入らないのか、膝の角度が定まらない。
でも確かに、自分の脚で。
「流石に筋力までは戻せないか。長い事そうだったからか。でもしばらくすれば、不自由も感じなくなる」
「ミカ、お前何を飲ませたんだ?!」
「あれは、アーレンティアの涙さ」
「……はぁ?! アーレンティアの涙は、国宝級の、いや、この世界に数える程しかない至高の回復薬だぞっ!」
「厳密に言えば、回復薬とはちょっと違うんですよ。これの効果は回復なんかではなく、復元。そうあるべき機能を、そうあるべきように戻す。わかり易く言うとそんなところですかね」
「お前、それがいったいいくらするものだと……」
「いいんですよ。今の俺には必要ない。必要としている少女がいたから使っただけですから」
「全く。やっぱりミカは、馬鹿なんだなぁ……」
「失礼ですねぇ」
ヨルムさんはそう言うと、俺に向かって微笑んだ。
「さぁ、レミーヌ。調子はどうだ?」
「……何で……」
「うん?」
「何でここまでしてくれるんですか?」
「何でって……。お前は俺に願ったじゃないか。生きていたいって。俺はそれを叶えただけだよ」
「……付けてください……」
「?? 何を付けるんだ?」
「名前を、付けてくださいっ!」
「いやいや、君はレミーヌだろ?」
ゆっくりと俺の方へと歩み寄る。
歩み、ではないな。
すり足だが、歩けなかった事を考えると十分な進歩だ。
「レミーヌは死にました。私は、今日生まれたんです。生まれ変われたんです。だから……」
「いやぁー、俺はそう言うのは苦手で……」
「付けてください!!」
意外に頑固なんだな。
そんなに必死な顔しちゃって。
そうだなぁ。名前、名前かぁ。
急に言われても、浮かばな……。
「……ヒナ……」
「ヒ、ナ。ヒナ。うん。ヒナ」
「気に入った、か?」
「はいっ! 私は今日からヒナです! ミカっ!!」
「あっ! ちょっ、おいっっ!!」
レミーヌ、もとい、ヒナは突然俺に飛びついた。
「やっぱりお前はお人好しだよ、ミカ」
「ヨルムさんっ! どうにかしてくださいっ! 女性に抱きつかれた事がないから対応が分からんっ!」
「はぁ?! 前に私が抱きついた事があるだろう?」
「いやぁ、でもヨルムさんですし……」
「なんだ、私は女性ではないと?」
「そんな事は……。ヨ、ヨルムさんっ! ヒナ、ちょっと待った!!」
「今日からは、私の居場所は貴方の隣です。連れて行って、ください」
俺に殴りかかろうとしたヨルムさんは、どかっとベッドに座り込むと、静観を決め込んだ。
「……俺の……」
「はい」
「俺のしている事は、他人に誇れる事じゃない。正義なんて、どこにもない。むしろ疎まれ、世界すら敵に回すかもしれない」
「はい」
「付いてきても、守ってやれる保証もない」
「はい」
「俺は悪なのかもしれない」
「はい」
「それでも、俺に付いて来るつもりか?」
「例え世界が敵になっても。貴方が私にしてくれた事は、救い以外の何ものでもありません。私は、私の意志で、私の脚で付いて行きます」
「……全く。ヒナは見た目以上に頑固な性格だったんだな。こんなんじゃ助けなきゃよかったよ」
「もう、遅いです」
俺の腕の中のヒナは意地悪そうに、笑った。
「分かった。俺の負けだ」
時刻はもう正午。
始まりを告げるように。
俺達のこれからを祝福するように。
いや、確実に終わりに向かう事を決定付けるように。
鐘が、鳴り響いた。
読んでいただきありがとうございました。
次からはいよいよデナダンに向けて出発します。
まだまだ謎が多い世界。
徐々に明らかになる秘密をお楽しみに。
これからも呉服屋をどうぞご贔屓に。
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_gofukuya_
「これでも食らって死んでくれ。」もよろしくお願いします。
呉服屋。