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風景描写

独特な文章というものがある。


プロ作家はほぼ例外なく独特な文章を書いているわけだが、そもそも独特な文章というのはなんなのだろうか。


筆者が書く小説も、独特な雰囲気があるとか、独特な文章だとか、たまに言われるものの、筆者には自覚はない。


自覚がないなら考えてみようということで何が違うのか考えてみた。


筆者は風景を書くとき雰囲気をかいている。


例えばである。


夕日が海に沈む光景を描写する場合、その場の雰囲気によって以下のようにかき分ける。


《夕日が海に沈んだ》


《太陽が水平線にキスをして海が照れたように赤く染まった》


《水平線に燃え上がる太陽が接触すると、血をぶちまけたように海が赤におかされる》


それぞれ受ける印象は違うかと思われる。


風景を書くとき、なんの比喩もなく淡々と描写するのもいいかと思う。


しかし、もう一歩踏み込んで雰囲気を書けば、空気感を描けるようになるのではないか。


これは地の文の使い方の問題でもある。


筆者はまず映像をイメージし、いかに文章に落とし込みかを考える。


映像を文章化するためにはセリフだけでは難しい。


筆者は地の文で映像を書いているわけだ。


この辺りも独特な文章になる理由かもしれない。


筆者は感覚の人なので技術を語るのは苦手だ。


少々分かりにくいかもしれないが、筆者は文字を筆や絵の具、あるいは粘土であると認識している。


別にこの感覚で文章を書きなさいと強制するつもりはない。


ただ、認識の仕方をかえると見える物が、がらっとかわる。


文字を水と認識すれば流れるような文章を書けるかもしれない。


文字は稲妻、鉄、土、風、光、なんでもいい。認識をかえてみれば自分独自の表現手法ができるようになるかもしれない。


さて、そもそもの話しなのだが。


皆さんは自分が書いた文章を他人が見た時、どんな感想を抱くか考慮しているだろうか。


筆者はわりと意識して書いている。


寂しいのか、悲しいのか、気持ち悪いのか。

筆者は読む人の気持ちを変化させられる文章にしたいと考えている。

というか、気持ちを変化させない文章は小説なのだろうか?


無味乾燥というのも一つの持ち味ではあるだろう、でもそれは意識してそうしているか、いないかでは大違いだ。


何度も書いていることではあるが、無駄な文章を書いてはいけない。

無駄な文章は読みとばされる。


昨今では『鬼滅の刃』は浅いという評価もあるが、あれは、無駄な描写をしていないからそう見えるのだ。


『鬼滅の刃』はやろうと思えば既刊を二倍に増やせるだろう。そうしないのは無駄な描写が増えるからだ。


最後に、これら全ては筆者がそう思っているだけであり、正しいという保証はないことを断っておきたい。


みんなそれぞれが、色んな書き方をしてもいいし、色んな意見をしてもいい。


筆者はそう思う。

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