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王宮滞在

「あのような騒ぎを起こしておきながら、渡り人のところで働いているなど、いい気なものだな」


 吐き捨てるような男の声を私が聞いたのは、侍従長との打ち合わせを終えて宮廷楽師の元へ向かった時だった。


 そこは宮廷楽師たちが集まっている部屋の少し手前にある控室のような場所で、どうしたものかと私は立ち止まる。


 開いたままの扉からこっそりと中を覗けば、こちらに背を向けているクリストフ。対するは40過ぎくらいの貴族らしい身形の男性だ。


 フルーテガルトから王都に到着したのが今日の午後。そのまま王宮へ向かい、侍従長と話をして今に至る。クリストフが何かやらかすには短すぎる時間である。


 だとすれば揉め事の原因として考えられるのは、クリストフが王都にいた頃の訴訟関係だろう。


 一瞬のうちにそう考えた私は、わざとらしい咳払いをした。


「失礼。渡り人殿でいらっしゃいますな。とんだところを見せてしまいましたが、この男を雇われるなど、ご自身の評価を下げるだけです。今すぐ解雇された方がよろしいですよ」


 その男性は私のことを見知っているらしく、少し慌てた様子を見せたもののすぐにクリストフについての諫言を口にした。


「ミヤハラと申します。失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 相手が知っていようとも私からすれば初対面だ。まずは名乗っていただかなければと笑顔で挨拶をする。


「これは失礼いたしました。バルタザールと申します。僭越ながら男爵位をいただいております」

「バルタザール様、こちらこそ何か失礼がございましたでしょうか? 確かにクリストフについては王都在住時に多少の問題があったことは存じておりますが、その件については落着したと解釈しておりますし、我が事務所でも心を入れ替えて真面目に働いてくれています」


 文句があるなら自分に言えとばかりに私は捲し立てる。笑顔はキープしているつもりだ。この部屋に入る前に、エドにはカルステンさんを呼びに行ってもらったので時間を稼ぐ作戦だ。


「ですがその者は……」

「そうそう! バルタザール様はピアノにご興味はございませんか? クリストフはピアノの教え方がとても上手なのですよ。もちろん他の講師たちも優秀ですし、ある程度のご希望ならば添うことができますよ。フルーテガルトはとっても素敵な街なので、もしピアノに興味が無くても楽しめると思います。食べ物もおいしいし、素敵なご当地雑貨もたくさんあるのです。なんでしたらバルタザール様も……」


 エグモントが乗り移っているのではないかというような長口上をすらすら口にする私は自分でも内心びっくりだったが、そうこうするうちにカルステンさんが来てくれた。


「バルタザール様、このようなところでどうされたのですか? 貴方様の担当は確か国外からの賓客の対応ではございませんでしたか?」


 お仕事をサボる悪い子ではありますまいな、とカルステン様が言ってくださったおかげで、バルタザールは決まりが悪そうに退室していった。


「カルステンさん、ありがとうございます。来ていただいて助かりました」

「いいえ。クリストフは心を入れ替えた良い子ですからな」


 真面目にそういうカルステンさんは今日も絶好調に素敵だ!


「ふふふ、クリストフ、良い子ですって」

「勘弁してくれ。それに君が矢面に立つ必要はないよ」

「すみません。クリストフだけでも問題ないだろうとは思ったのですが、落着したことを蒸し返すなんて男らしくないなって思ったら、こう、ムカムカッと……」


 訴訟に関しては片が付いたはずだ。面白くない思いはしたかもしれないが、表に出さないのがルールというものだと私は思うのだ。


「まいったな……僕が君を守るように言われていたのに」


 そう言って頬を掻くクリストフの耳が赤いのは、見ないふりをしておいた。


 カルステンさんに付いて部屋に入ると、半年ぶりに顔を合わせる宮廷楽師たちが私たちを出迎えてくれた。葬儀の演奏には参加していなかった者もいたが、手伝いなどで劇場や大聖堂に来てくれていたため、顔は見知っている。


 クリストフもフルーテガルトやレッスンのことをみんなに聞かれ、穏やかな笑顔で応対していた。


 葬儀の時もそうだったが、女性関係には問題があるとはいえクリストフは仕事仲間としては人望がある。


 ベルトランの時に怒ってくれたことからわかるように、ダメなことはダメだと言うし、かと言って陰湿な嫌がらせをするようなタイプでもなく、感情とは別に大人の対応ができる。


「入場の曲はオーボエパートがあるんですよね」

「クリストフがいないので上手く演奏できるか心配です。ナディヤ殿に頼むわけにもいきませんから」

「確かにナディヤは素晴らしい演奏者だね。だけど君たちなら問題ないよ。心配なら後で聞かせてくれるかい?」


 それにこうやって人を衒いなく褒めることができるし、気持ちを上向かせるのも上手なのだ。


「渡り人殿、協奏曲の演奏会も楽しみにしているのですよ」

「ありがとうございます。ご期待に添えるように頑張りますね」


 宮廷楽師の多くは協奏曲の演奏会のチケットを購入してくれていた。どうせ来るのなら演奏に参加してほしいものだが、王宮として受ける仕事の判断は自分たちでは出来ないらしい。まあ公務員みたいなものだろうから仕方がない。


「ヴィルヘルミーネ王女の婚約を祝う演奏会でも、ご一緒できるのですよね?」

「そうですね。今、楽譜を起こしているところなので、少しだけお待ちくださいね」


 王宮滞在中にどうにかしようと思っていた件を持ち出されて冷や汗をかくが、曲はすでに決まっている。大至急譜起こしをしなければならないなと頭の片隅にメモをしておく。


「ミヤハラ殿、この後は他の指揮者たちと顔合わせをされるのですよね」

「そうですね。そろそろ行かなければ」


 カルステンさんに促されて慌てて立ち上がる。即位式で使われる曲はとても多く、作曲家や指揮者もたくさんいるのだ。


 クリストフと一緒に部屋を出ると、先ほどバルタザールがいた控室からエドが一人の男と共に出てきた。


「エド? そちらの方は?」

「迷ったらしい。出口を聞かれたのだが、正直俺もよくわからなくてな」


 決まり悪そうに言うエドに向かって、隣の男はにこやかに微笑んで言った。


「すんませんなあ。この王宮、ホンマ広すぎやわ」

「いや。役に立てなくてすまない」


 口調からしてノイマールグントの者ではないようだが、服装から察するに商人であるようだった。態度は腰が低く、揉み手をしながらひょこひょこと頭を下げているが、ひょろりとしていて身長は割と高めだ。髪は短く切り揃えられており、癖のない明るい茶の髪に、目は細められていてよくわからないが黒っぽい色に見える。


「出口なら僕が案内するよ。エドはマイスターを頼む」

「えろうすんません」


 クリストフが案内を申し出ると、男は小さく礼をしてクリストフの後に着いて歩いていった。


「ではミヤハラ殿は私がご案内しましょう」


 エドも私も王宮内はまだ不慣れでクリストフがいないと困るのだが、どうしようかと顔を見合わせているとカルステンさんが案内を買って出てくれた。


 その部屋にはすでに3名の男性がいた。一人ずつ紹介され名刺を交換する。


 名刺はこの世界にもあり、私も初めて王都に行った時に作ってあったのだが、アマリア音楽事務所のロゴが出来たことで新しく全員で作り直したのだ。


 元の世界と違ってこちらの名刺は色鮮やかだ。最初はトランプの裏に名前を書いて渡していたというので、その名残ではないかと思う。印刷代が高くつきそうだと思ったけれど、こういうものはおそらく貴族のステータスシンボルで、それを真似る市民もそれなりに裕福な者たちなのだろう。


 ちなみにアマリア音楽事務所のロゴは、スタンプでも使えるようにとまゆりさんがモノクロでもわかるデザインにしてくれたので、印刷代はそれほどでもない。


 カルステンさんが去った後、ちょっと気後れしているとクリストフが戻って来て、私と同じように一人ずつ挨拶をしていた。


「遅くなってごめんよ、マイスター」

「いいえ、クリストフが来てくれて助かりました」


 いや本当に。クリストフには伝わらなかったようで首を傾げていたが、構わず先ほどの商人の話をする。


「この国の言葉とは少し違うようでしたね」

「ああ、ヤンクールから来たと言っていたよ」


 そういえばヴァノーネから来たヴィルも、即位式で稼ぎたいと言っていたことを思い出す。


「国外からもたくさんの商人が来るのですね」

「祝い事ですからね。渡り人殿はいつ頃この世界にいらしたのですか?」


 口を挟んできたのはギュンターという指揮者だ。口ひげを蓄えているのでわかりづらいがたぶん若いと思う。少なくともこの場にいる者の中では一番若いだろう。私と同じか少し下くらいではないだろうか?


「そういえば、そろそろ1年になります」

「今はフルーテガルトにいらっしゃるのですよね。こちらに来た時もですか?」

「ええ。そうですね」


 言いながらちょっと不味いのではないかと考える。ヴィーラント陛下の件があるからだ。私ってばいつ来たことになってたんだっけ?


「ギュンター様はテンブルグからいらしたのですよね」

「そうなのですか? ではプリーモやルイーゼをご存知だったりするのでは?」


 クリストフが助け舟を出してくれたので乗っかる形で話を振る。


「ええ。彼らは先日結婚しましてね、ご存知でしたか?」

「婚約したところまでは聞いておりましたが、ご結婚されたのですね。めでたいことです」


 なんだか自分も嬉しくなってニコニコしてしまう。クリストフを見るとくすりと笑われた。


 何故笑われたのかよくわからず首を傾げていると、新たに3人の指揮者が入室してきた。


「フォルカーです。あなたが渡り人殿ですか? お若いですな」

「ミヤハラです。新参者ですがよろしくお願いいたします」


 フォルカーは随分と威圧感のある男性で、おそらく50代前半だろう。エグモントよりは少し年上に見える。白髪交じりの黒髪は全て後ろに流されているせいか、顰められた太い眉が気難しそうな様子を強調していた。


 元からいた5名に後から加わった3名で全員揃ったらしく、侍従長も入室して即位式の流れや役割分担などが説明される。


 私とクリストフは予め聞いていた通り、陛下が大聖堂に入場する時と退場する時に指揮をすることになっていた。


「ミヤハラ殿、よろしいですかな?」


 説明が終わって解散となった後、フォルカーに話しかけられる。


「楽典を拝見しました。即位式の楽曲も五線譜を使うことになっています」

「そうでしたか。うちの事務所でもこの国の楽曲を五線譜にする作業を進めています」

「なるほど。演奏者が混乱しないよう統一した方が良いのでしょうな」


 どうやらフォルカーも五線譜化の作業を自分でしていたらしい。フォルカーの作業と被らない方が効率的であるため、どの楽曲がすでに終わっているのかクリストフも交えて確認する。


「ところで今回の曲の総譜を拝見しましたが、葬儀の時とは随分曲調が違うようですね」

「ええ。今回は元の世界の楽曲から選曲いたしましたので」

「なるほど。葬儀の曲に関しても拝見しましたが、あれは貴方が作られたのですか?」

「ええ、そうです」


 それがどうしたのだろうと怪訝に思いながらフォルカーと向き合う。


「失礼ながら、葬儀の曲は未熟さが垣間見えましたので」

「う……はい。精進いたします」


 感じ方は人それぞれだし、確かに私は未熟者だ。そもそも身近な人の死というものを体験したことがない。そういった部分をフォルカーは感じ取ったのかもしれないなと反省する。


「口を挟んで申し訳ありませんが、私はあの曲は素晴らしかったと思いますよ」

「クリストフ、良いのです。自分の未熟さはわかっていますから……」


 庇ってくれたクリストフには悪いが、良くない意見を言ってくれる人は少ないので貴重だ。


「あの、フォルカー様、貴重なご意見をありがとうございます」


 私がぺこりと頭を下げると、フォルカーは眉間に皺を寄せたままニコリともせずに去っていった。


「クリストフ、庇ってくれたのにすみません」

「構わないけれど、どうせなら礼を言ってほしいな」

「そうですね。ふふ、ありがとうございます」


 やれやれと言うように肩を竦めるクリストフに笑顔で礼を言うと、クリストフは困ったような笑顔を見せたのだった。


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