ヴァノーネの商人と道の駅
3月に入り、レッスンが再開された。
この時期、アロイスやカスパルの故郷がある北の領地では、街道の雪がまだ融けていないらしく、レッスンに来る生徒も南の領地の者が多かった。
「ヴァノーネでも山側は雪が降るのですが、私たちは雪が少ない道を使って来ましたから」
そう言って微笑む目の前の男性はヴィルと名乗った。なんでもヴァノーネにある商家の次男で、巷で評判のピアノを見に来たのだと言う。黒いくせ毛に浅黒い肌、人懐っこくて陽気な笑みはいかにもヴァノーネの男性という感じだ。
レッスンも受けたいということだったのだが、あいにく3月はすでに予約で埋まっている旨を説明したところ、5月まではノイマールグントにいるということで、空き状況の確認に来たのだ。
「ヴィル様は王都に滞在されるのですか?」
「ええ。即位式があるでしょう? 貴族が王都に集まるでしょうから、ヴァノーネの商品を見ていただこうかと思いまして」
事務所で予約を確認している時、偶然居合わせた私はせっかく遠くから来ていただいたのだから、とオープンしたばかりの道の駅と楽器博物館、そして楽譜ライブラリーの案内を買って出た。2か月近くも待たせてしまうことが申し訳なかったというのもあった。
「こちらではジャムやマスタード、ドレッシングの試食が可能です」
ここぞとばかりに道の駅をアピールする私。展示や試食に使っている棚や机は真新しいものではなく、城の地下倉庫から引っ張り出してきたもので、元の世界の道の駅を思い起こせばちょっと不釣り合いな重厚なデザインだったりする。
「これらは街で購入できるのですか?」
「ええ。お店で購入すると、このスタンプカードにスタンプを押してもらえます。全部のスタンプを集めると素敵な景品がもらえるのです」
スタンプカードの素敵な景品は律さんが作る楽器を持ったテディベアだ。律さんは当初は売り物として考えていたのだが、いざ作ってみると手間がすごくかかるということで、スタンプラリーの景品にすることにした。ベアに持たせるミニチュア楽器も毎年2、3種類ずつ小出しにすることで、リピーターを狙う作戦でもある。
「でも食品類を購入されるなら、5月に来られた時の方がよいでしょうね。密閉はされていますから数か月は持ちますが、ヴァノーネまでは遠いですし、荷物にもなりますから」
「そうですね。王都で稼いでからたっぷり買わせていただくことにしましょう」
包装に関してはまゆりさんが頑張ってくれた。彼女は道の駅の商品開発に余念が無く、夏になったらトマトソースやパプリカのマッサも作ると張り切っている。
「こちらのソーセージは試食可能ですが、街では飲食店で提供しています」
「パンや焼菓子も美味しいですし、滞在中の食事で太ってしまいそうですね」
お道化たように言うヴィル様は、笑うとえくぼができるチャーミングな男性だ。23歳だというが、笑うと10代にも見える。
「こちらは雑貨類が置いてあるのです」
「このくるみ割り人形はかわいらしいですね」
マルコも興味を示していたヌスクナッカーだ。くるみ割り人形は元々フルーテガルトで作られていたものではあるが、あまり可愛くなかったためジゼルの提案で兵隊や王様というようにバリエーションを増やし、色付けもするようにした。
定番の兵隊さんの他に、元の世界の『ヘンゼルとグレーテル』に似ている『アルメンとイーダ』の魔女をモチーフにしたもの、それから山高帽を被った木こりもいる。
「この銀食器は見事ですね」
バラの銀細工が施されたスプーンを見てヴィル様が感心したように言う。
「ええ、この辺りにはバラの伝説がありまして」
この国の前身となるヘルム教国の初代の王が、この辺りで狩りをした時に聖遺物を森に置き忘れたのだという。慌てて取りに戻ったところ、バラの茂みに引っかかって取ることができなくなっていた。王はそれを神の啓示と判断し、礼拝堂を建てたのだという。
「そのバラにあやかって、銀細工の意匠に使われているそうですよ」
「礼拝堂は残っているのですか?」
「ええ。街のはずれの方にあるのですが、今もそのバラが残っているんですよ。立ち入ることはできませんが、外から見ることは可能です」
礼拝堂はエゴン協会に併設されていて、合唱隊の練習場所にもなっている。ハーラルトが厳しく管理しているため、礼拝以外の目的で立ち入ることはできないが、バラは外からでも見ることができるのだった。
「銀食器はどこで購入できますか?」
「食器を扱う商会ですね。スタンプラリーのポイントになっていますよ」
スタンプに使ったマークはジゼルがうんうん唸りながら作ってくれたのだ。バラをイラストにするのはとても難しかったらしい。
「ストール、髪飾り、アクセサリー……女性向けの商品が多いのですね」
「旅先で男性が購入されるとしたら、食品以外には女性へのプレゼントではないかと、事務所の講師が言っておりましたので」
これはクリストフやダヴィデの提案だった。いずれもフルーテガルト周辺の山で採れたものが使われているのだが、価格設定はちょっと割高だったりする。プレゼントなら安いものよりも値が張るものの方が、特別感があって良いだろうということだった。
商家の息子なだけあって、ヴィル様は興味深そうに聞いている。
「ああ、これは宿屋にありました。試しに使ってみてくれと言われたのですが……」
「ふふっ、どうでした?」
「いやあ、驚きましたよ。危うくバスルームから飛び出すところでしたね」
ヴィル様が手にしているのは例のバスボムだ。まゆりさんの提案で宿屋にも試供品を置かせてもらっているのだが、驚いてくれたのなら大成功だろう。ヴァノーネでもお風呂に入る習慣があるようだから、たくさん買っていくといいよ!
「ここで購入するのではなく、街で、というのがおもしろいですね」
「城だけ賑わっても仕方ありませんし、人手も足りないのです」
楽器博物館や楽譜ライブラリーも見学し終わると、ちょうど1時間くらい経っていた。レッスンの時間に付き添いの家族たちが見て回るのにもちょうどよい規模だ。
「ヴィル様は王都へはいつ向かわれるのですか?」
「明後日の予定でしたが、少し延ばすつもりです。飲食店のスタンプを集めたいですから。次に来るときにはテディベアをいただきたいですしね」
そう言ってヴィル様が懐っこく笑っていると、遠慮がちにダヴィデが声を掛けてきた。
「あのう……ヴィル様。お付きの方がそろそろ街に戻りたいと……」
「ダヴィデ君だったかな? 話は終わったかい?」
「え、ええ、まあ」
ヴィル様が到着した時に怪訝そうな顔つきをしていたダヴィデは、ヴィル様の護衛の者たちに話があると連れ出されていたのだ。本人の困惑ぶりから知り合いというわけではなさそうだったのでエドに遠くから見ていてもらったのだが、揉め事にはならなかったようで安心する。
「私の護衛が失礼なことをしなかったかい?」
「と、とんでもない。失礼なことなんて、何もされておりませんから」
「それならいいのだけど。まったく無粋で困るね。ここの重要さがわかっていないのだから」
眉根を寄せて言うヴィル様だが、重要と言うのはどういうことだろうと私は首を傾げる。
「このような新しい試みをヴァノーネでもぜひ取り入れたいのですよ」
「ヴィル様の商会はヴァノーネの王都にあるのですよね?」
「そうですが私は次男ですから、いずれ他の街で店を持ちたいと考えております」
なるほど。そういうことならフルーテガルトが参考になるのかもしれないなと納得する。
「ですがここの収入源はやはり音楽でしょうし、販売以外の何かがないと難しそうですね」
「そうですね。テナント料を取るとか……あとは絵画や彫刻の展示や講習もよいのではないでしょうか? 確かヴァノーネは芸術が盛んだと聞いたことがあります」
ヴァノーネは古くから栄えている国で、ヘルム教の本拠地が近いせいもあって宗教を題材にした絵画や彫刻が多いとデニスから聞いたことがある。
「ご存知でしたか。ならば話は早いですね。この城の4階が空いているようですが、当店お薦めの画家の絵を飾られてはいかがでしょうか?」
「ふふっ、ヴィル様は商売上手ですね。4階は街のみんなに使ってもらおうと考えていますが、各階の廊下や事務所の応接に数点購入したいですね」
ヴィル様は話も上手だし笑顔もチャーミングだし、独立しても上手くやっていけるのではないかと思う。現に1時間程度の短い会話でも、私はこの青年に親しみを感じていた。
「では後でお薦めをいくつか持ってまいります」
そう言ってヴィル様は街へ戻っていった。
◆
ヴィル様が帰った後、北館の練習室にいた私の元に、ユリウスとアロイスが2人で来た。午後からエルヴェ湖に音楽の奉納に行くのだ。
しかしこの2人に関しては、正直な話をすれば一緒にいることがなんとなく不思議というか、不可解ではあった。
うぬぼれだけど、ユリウスもアロイスもたぶん私に好意を持っているはずだ。なのにお互いに嫉妬する様子があまりない。
現に今日のエルヴェ湖への奉納も、2人一緒に手を握ってくれることになっていた。
男性が2人もいるのだから、と護衛を断り、3人でエルヴェ湖に降りていく。ユリウスは外でベタベタするのがあまり好きではないのか、私と歩くときは手を繋いだり腕を組んだりしない。以前見た夢を思い出して、もやっとしないわけではなかったが、あれは夢だと言い聞かせて私は気持ちを切り替えた。
そんな私の様子を見てアロイスはくすりと笑った。
「ユリウス殿、アマネさんの手を繋いで差し上げてはいかがですか?」
言われたユリウスは、ものすごーく嫌そうな顔で私に手を差し伸べた。戸惑いながらも私はユリウスの手を取る。
「あなたたち二人の仲睦まじい様子を見るのが、私は嫌いではないのですよ」
穏やかな表情でアロイスが言う。エルヴェ湖の澄んだ青色は、どこか遠くを見ているようにも感じられる。ユリウスを見上げれば、どうしてだか神妙な顔つきだった。
エルヴェ湖のほとりで歌を捧げる。右手にはユリウスの、左手にはアロイスの温もりがある。
いつものように目を閉じると青い世界が脳裏に浮かぶ。でもいつもよりもずっと鮮明に、ウェルトバウムの根が見える。傷もはっきりと見えた。
歌い終わると、ざあ、といつもより大きな波音と風。
「あ……ちょっと小さくなった……?」
根の傷が僅かに縮んだような気がする。傷の周りにはぷつぷつと小さな泡が立っていた。
ドロフェイはユリウスだけでは不足だと言った。あれはエルヴェ湖への奉納ではなくドロフェイが望む本来の方法についての話だったけれど、必要な水の加護の量という意味では同じなのかもしれない。
「アロイス、加護の話を聞きたい」
ユリウスがアロイスを見て言う。
「ええ。もちろん構いません」
アロイスはユリウスに向かい合うように立ち位置を変えた。事務所では話しにくい内容なので、2人ともこのままエルヴェ湖のほとりで話をするつもりであるようだ。
「アロイスの目の色は元々その色だったのか?」
「いいえ、もう少し緑に近い色だったと思います」
初耳だ。私が初めてアロイスに会った時から、アロイスの目の色が変わったと思ったことはなかったのだが、どういうことだろう。
「いつ頃変わったのだ?」
「去年の5月の終わり……いえ、6月の初め頃だったでしょうか」
5月の終わりから6月の初め頃にかけて、自分は何をしていたのだったか記憶を掘り起こす。
「お二人に初めてお会いしたのはまだ目の色が変わる前でしたね」
確か初めて王都に行ったのが5月の終わり頃で、初めてアロイスに会ったのは王宮に行った時だった。しかし、あの時はそれほど目の色に注目していなかったせいなのか、違う色だったというイメージはない。
「部屋が薄暗かったからな」
「ああ、そうだったかもしれませんね」
その王都からの帰りに襲撃があってバウムガルト伯爵と和解したのだった。葬儀の曲を担当することが正式に決まったのが6月の初め頃だったはずだ。
「バウムガルト伯爵の襲撃があったのが5月の終わりだったな」
ユリウスも同じことを考えていたようだ。
「俺はあの時、水の魔術を使ったが、それを道化師が見ていたようだな」
ユリウスはアルフォードに聞いたのだという。
「道化師? どうしてドロフェイが出てくるの?」
しかしアロイスの水の加護とドロフェイがどう結びつくのかさっぱりわからない。
「俺の水の魔力は生まれて1年とたたずに発覚したそうだ。ルイーゼ嬢にも確認したが同じような状況だ。それに、ゲロルトは俺が最初に会った時には火の加護など持っていなかったと思う」
「それは……ドロフェイがゲロルトや私に加護を授けたということでしょうか」
困惑したようにアロイスが言う。
「ドロフェイとは同じ宮廷におりましたから、以前から知ってはおりましたが……何のためにそんなことを?」
「道化師は俺一人では不足だと判断したのではないか? ゲロルトはともかく、アロイスは不足分を補うために道化師が加護を授けたと考えられないか?」
ユリウスの言葉を聞いてギクリとする。
ユリウスの説明によれば、ドロフェイと言えども誰にでも加護を授けられるわけではなく、元々そういった素質を持っているが発動していない者の力を引き出しているのではないかということだった。以前から素質を持つ者が一定数いるのではないかと、アカデミーの研究者の間では言われているそうだ。
「道化師とゲロルトがいつ出会ったのかは知らんが、俺が初めてゲロルトに会った時、目の色はあれほど赤味を帯びていなかったのだ」
私がゲロルトに会ったのは1度きりだが、目は赤味の強い琥珀色だったのを覚えている。つまり、ゲロルトもドロフェイが火の加護を目覚めさせたとユリウスは考えているようだった。
「でもそんな前から? アロイスが加護に気が付いたのって北館に来てからでしょう?」
「トリガーになるものがあるのだと思う。エルヴェ湖かウェルトバウムの根か……そういったきっかけになるものがあるのだろう」
ドロフェイがアロイスに加護を授けたとすれば、目の色が変化した6月ということになるだろう。それ以降、アロイスは王都から出てはいないのだという。
「しかし、ユリウス殿の不足分を私が補うにしても、水の加護をどう使ったらよいのでしょう」
「今のように音楽の奉納の際に使えばよいのだろうが、道化師にとっては不都合だと言うからには、本来の使い方は違うのだろうな」
それについては冷や汗しか出ない。水の加護で私を満たすという話はユリウスにも言っていないというか、言えるはずがなかった。
ドロフェイの思惑通り事が進んだとしたら、その……2人とそういうことをすることになる。そんなのって酷い。ドロフェイのアロイスに対する扱いも酷いし、私の気持ちもまるっと無視している。
ゲロルトからユリウスを守ってくれるという約束を一応したことで、少し気を許してしまったけれど、ドロフェイはやはり人ではないのだ。人の気持ちを考えて動いてはくれないのだと私は実感したのだった。




