ザシャとマルコとシチューポットパイ
パリパリの生地にじゅわーっと蕩けるチーズ、具材はスライスしたウインナーと早摘みのほうれん草、そして乾燥したバジル、ソースは瓶詰のトマトソースだ。
「ふわあぁぁ、おいしそう~」
「ぐつぐつ、してる!」
私とマリアは焼き立てのピザを前に目を輝かせた。
エルヴェシュタイン城の厨房には石窯がある。ザシャとマルコがアマリア音楽事務所に初めて来た日、初めてその石窯に火が入れられたのだ。
「頑張って掃除した甲斐があったわね」
「ばり大変やったー」
1年近く使われていなかった石窯はそれなりに汚れていたが、まゆりさんやテオを始めとする『道の駅』の準備を進めてくれていた街の人たちが手伝ってくれたのだ。
城の厨房は演奏家たちが寝泊まりする際に食事を提供するために使われることになっているが、それ以外にも街の人々が商品開発をするために貸し出す予定でいる。必要に応じて助言も行うとまゆりさんが張り切っていた。
「トマトソース、うめえ!」
「チーズも……おいしい……よ……」
ザシャとマルコもピザを片手に大満足な様子だ。
「うふふー、シチューが入ったポットパイもあるよぉ。ヴィム君、熱いからふーふーして食べてねぇ」
「お、おう」
南2号館の工房から律さんを始めとする女性陣も手伝ってくれて、昼食は何かのパーティーかと思うようなごちそうになった。
「ヴィムの野郎……あちっ! けど、うめぇ」
「ヴィム……ずるい……」
お一人様男子の数名は若干荒れ気味の様子だが、ピザもシチューも美味しいし、『道の駅』の準備も着々と整ってきて、私としては大満足だ。
「まゆりさんのシチュー、うまいです」
「アレンジもできて便利なのよ。パスタにグラタンにクリームコロッケにキッシュでしょう。それから……」
ダヴィデの言う通り、フライ・ハイムで調理を担当していたまゆりさんの料理は本当においしいのだ。食べることに興味が薄い私もまゆりさんの料理は大好きだ。
「ザシャ、食べすぎじゃない?」
「や、だってうめえし」
「ピザ、もう1枚焼いた方がいいかしら?」
「食う!」
なんというか、こういう会話を見るとまゆりさんとザシャは姉と弟みたいだ。確か2人は会ったことがないはずなのだが、初対面という感じがしない。これがおいしいものの威力かと感心してしまう。
「マルコ、食べながら寝てるー!」
ジゼルの笑い声に目を向ければ、スプーンを片手にうとうとしているマルコがいた。
「マルコはそんなんでアールダムに行って大丈夫なの?」
「うん……金管……完成……させたい……」
マルコは協奏曲の演奏会が終わったら、アールダムに行くことになっている。アールダムは海の向こう側なのだが、どこかで寝過ごすのではないかと心配しているところだ。
「あれ……?……これって……ヌスクナッカー……?」
テーブルの上に置かれた見本を手にマルコが首を傾げる。ひょこんとハネた髪が一緒に揺れた。
「うん。フルーテガルトでいっぱい作られてるって聞いたから、『道の駅』に見本を置こうと思ってるんだよ」
ヌスクナッカーとはくるみ割り人形のことだ。フルーテガルトの近くの山で採れる木材を使って作られている木彫りの人形だ。くるみと言ってもこの辺りのくるみは日本のそれよりもだいぶ小さくて柔らかい。
「『くるみ割り人形』踊りたいー!」
「やりたいけどね、人が足りないよ……」
ジゼルはタブレットで見た『くるみ割り人形』のバレエがお気に入りなのだが、ダンサーがジゼル1人では難しいだろう。1人で踊れそうなのって『金平糖の精の踊り』と『花のワルツ』くらいじゃないだろうか?
それに『くるみ割り人形』はクリスマスのお話だ。この世界で言えばニクラス祭りが該当するだろう。冬は移動できないのだから、演奏会を開いても仕方がない。
「誕生日ってことにしたらよか」
台本を担当してくれるテオが言う。まあ出来なくはないんだけどね。お菓子の国ではバレエ尽くしだからなあ。どうしてもその点がネックになるのだ。
「そうだ! ザシャとマルコにお願いがあるんだよ」
「なんだあ? また楽器の改良でもすんのか?」
「うん。でも急いではいないんだけどね」
次はアップライトピアノを作らなければと思うのは、音楽の伝道師としては当然だ。ザシャに作ってもらったグラウンドピアノは高価ということもあるが、大きすぎて一般市民にしてみれば家に置き場所がないのだ。だがアップライトピアノなら省スペース設計だ。
「ふーん、一般の民が買えるとは思えねえけど……」
「でも……教会とか…………施設なら……需要…………ある……」
「まあ縦型のピアノってのはおもしろそうだよな。輸送費も浮くし」
紙に絵を描いて説明すると、ザシャとマルコが興味を持ってくれた。
「ハンマーの戻りをどうすっかだな……なんか仕掛けがねえと戻らねえ」
「バネ……でも……劣化する…………」
「連打も今のピアノよりはできねえだろうな」
「うん。渡り人の世界のアップライトピアノも、連打はグランドピアノの半分しかできなかったから、それを目標にしてもらえるといいかな」
元の世界のアップライトピアノでは、連打回数をグランドピアノのそれと同じにできないわけではなかった。ただ、ものすごくコストがかかってしまうため、その技術が使われることはなかった。
「あ、ラウロ。エドもお疲れ様。お料理寄せてあるから食べてくださいね」
あーでもない、こーでもないと3人で知恵を絞っていると、城内を見回りしていたラウロとエドが戻って来た。が、一緒に行ったはずのユリウスが見当たらない。
「ユリウスは?」
「ああ。顧問はアロイスと話があると言っていた」
もしかすると水の魔力のことかもしれない。アロイスが魔力を使った時、全身がすごく冷たくなるという話をユリウスにしたのだが、ユリウスはそういった経験はないと言っていた。他の魔力持ちと会う機会がないのでアロイスから話を聞きたいと言っていたのだ。
「渡り人の料理は美味いな」
「アールダムって私も一度行ってみたいんですけど、料理はどんな感じなのですか?」
エドはアールダムの出身だ。マルコも行くことだしと思って話を振ってみるが、エドは微妙な顔をした。
「はっきり言ってまずいぞ」
「ええぇぇ、そうなんですか?」
「まず料理には味を付けない」
エドによるとアールダムの料理はほとんど味付けをしないらしい。食べる時に好きなように味を付けるらしいのだが、食材の臭みをとったりすることもないのでめちゃくちゃ不味いらしい。
「それに食事を楽しむことがない。食事を楽しむのはヤンクールの文化だからな」
アールダムとヤンクールはものすごく仲が悪いのだ。100年近く戦争をしていたこともあるらしい。そのためアールダムの人間はヤンクールの風習をひどく嫌っているという。
「アールダムの人間ですら食事が不味いことをジョークで言うほどだ」
「…………マルコは大丈夫かな?」
マルコを見れば、ピザを手に突っ伏して寝ていた。
インスタント食品があれば持たせるんだけどと密かに思えば、まゆりさんと律さんも同じことを考えていたのか、目が合って苦笑した。
「ところで探索は終わったのでしょうか?」
ユリウスはどういうわけだか城の地下を調べたいと言ってラウロとエドを連れて行ったのだ。
「終わったが倉庫は物を寄せないとどうにもならないな」
「ですよね。すごくたくさん家具が置いてありましたから」
頭の中に倉庫の様子を浮かべて私は納得する。
「顧問は裏山も調べたいようだった」
「へ? 裏山? 調べたのですか?」
「いや、雪がまだあるからな。だが気になるところはあるんだ」
エドが気になっているのは城の裏の崖から繋がっている裏山であるらしい。裏山に入るには崖を迂回しなければならない。
「ラウロは雪に慣れてるんですよね?」
「ああ。だからこそ春の山は危険だと言っている」
ラウロはルブロイスの出身だ。ルブロイスはとても標高が高い山の中腹にあるそうだ。それよりも高い場所にラウロが生まれた村があるのだという。
幼い頃から山に慣れ親しんだラウロによれば、雪が融け始めてもいる今の時期は雪崩の危険もあって入るべきではないと言う。
「気になっているところって?」
「よくわからんが……この辺りとは違う空気を感じる」
「ラウロは? そういう感じがあります?」
「いや。俺にはわからんな」
一体何が裏山にあるのか。3人で首を傾げているとクリストフが声を掛けてきた。
「ルブロイスって湯治場があったよね」
「ええ。一度行ってみたいんですよね。マリアも旅行したいって言ってましたし」
マリアと旅行したいというのは大みそかの鉛占いで考えたことだった。
「マイスター、その時は僕も連れて行ってくれないかい」
「構いませんけど、どうしてですか?」
「湯治場は行ったことないんだ。マイスターと一緒にお風呂に入りたい」
「クリストフは本格的に頭がおかしくなったんですか?」
元々ダメ大人のクリストフだが、ここ最近の発言はちょっと目に余る。クリストフと知り合ったのは演奏者との顔合わせの時だったが、ここまでおかしな発言をしたことはなかったと記憶している。
「ひどいよマイスター! でもそうだね。もう半年以上も恋をしていないなんて、頭がおかしくなりそうだよ」
それは私に言われてもどうにもならない。私の恋愛偏差値なんて25年間最低値だったのだから。
「宮廷楽師に戻した方がよいのではないか? 今度王都に行った時にでもカルステン殿にリボンを付けて返してこい」
凶悪な顔をしたユリウスがアロイスと共に現れた。なんでこんなに機嫌が悪いの?
「道化師に何かされたそうだな?」
「う、えっと……言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
クリストフに向けていたはずの凶悪な顔を私に向けてユリウスは言う。アロイスを見れば肩を竦めて苦笑されてしまった。
「お前ら、ケンカしてんじゃねえ。飯がまずくなるだろ」
「ユーくん…………怒ったら……ダメ……」
ザシャとマルコがそう言ってくれてどうにか収まったものの、ユリウスは昼食には手を付けずに店に戻ってしまった。
◆
その夜はひどい目にあった。
ユリウスにドロフェイがしたことを根掘り葉掘り聞かれたのだ。
「なぜ逃げなかったのだ」
「これでも逃げようとしたんだよ?」
一通りドロフェイがしたことを再現したユリウスは、どうにか矛を収めてくれたのだが、私は思い出したくないことを細かく思い出させられてダメージを受けた。
スラウゼンから帰って来た時のユリウスは優しかったのに。あの時は恥ずかしかったけれどたくさんちゅーしてくれたし、ふにゃふにゃになるくらい気持ちよかった。
まあ怒ったユリウスが私の反応を観察するように冷たい目で見ながらふれるのもドキドキしたのだけれど。いやいや、私はギルベルト様と違ってそういう嗜好は持っていないはずなんだよ? こんな風になっちゃうのは、きっと相手がユリウスだからだと主張したい。
結局、私はユリウスが怒っていても、ふれられれば嬉しいし気持ちよくなってしまうのだ。
「俺もあの青い世界に行けたらいいのだがな」
帰って来た翌日に、エルヴェ湖で手を握ってくれたユリウスにもあの青い世界は見えたようだ。しかし私もそうだが、さすがに根の傷までは見えなかった。
「ジーグルーンというのも、出来れば変わりたいくらいだ」
「ジーグルーンは女の人なんでしょう?」
「そうだが、お前が連れて行かれるなど承服できるわけがないだろう」
私の頬を摘まみながらユリウスが言う。
今、私たちがいるのはユリウスの部屋だ。今日は最初からお仕置きをすると決めていたせいなのか、書斎ではなく部屋に呼び出されたのだ。
実を言うと私は初めて入ったのだが、ユリウスの部屋は寝台とサイドテーブル以外は何もない部屋だった。壁一面がクローゼットのような小部屋になっているのは王都の支部と同じだ。
「お前、そのような顔を道化師にも見せたのではあるまいな」
心配してくれるユリウスに愛しい気持ちがぶわっと膨れて、もっと触れてほしいなと思っていたら、眉間に皺を寄せたユリウスに睨まれてしまった。
「そんなはずないって、わかってて聞いてるでしょ?」
でも気持ちはよくわかる。私だって同じだ。
私が知っているユリウスをカミラは全部知っているかもしれない。いや、私以上に知っているかもしれない。そう思うともやもやとむかむかが混ざったような何かが、心を侵食していくような気がする。
「ユリウス……」
「どうした?」
「…………なんでもない」
大好き。繋がりたい。言いたいことはたくさんあるけれど言えなくて、ただユリウスの名前を呼ぶことしかできない。
そばにいるだけでも十分満足だったはずだ。触れられれば嬉しいしユリウスに触れることも嬉しかったはずなのに、最近はもっと欲しいと思ってしまう。
そして、そんな時に脳裏に浮かぶのはカミラの影。
そんな必要はないとわかっているのに、焦る気持ちをどうにかして無くしたかった。