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水の加護の使い方

 ベルトランがフルーテガルトに来た数日後、ユリウスから手紙が届いた。


 エドが言っていたように、ギルドで会合があって王都を訪れたことと、スプルースの伐採に合わせてスラウゼンに戻ることだけが書かれていた。文末はいつも通りだ。


 どうしてカミラのことは書かれていないのだろう。何かしらの弁明があれば信じられるのに。


 恨めしく思ってしまうが、何度読み返しても内容は変わらない。


 手紙はエドがフルーテガルトに戻った翌日に出されたようなので、もうスラウゼンに向かっている頃かもしれない。


 返事は書いたけれど、どうしようか迷っている。


 フルーテガルトの郵便施設を通り過ぎると墓地に出る。そのまま真っすぐ行くとエゴン協会だ。


 私は手紙を出す前に、エゴン協会へ足を向ける。あの美しい歌声が無性に聴きたかったのだ。しかし教会のそばまで行っても、歌声は聞こえてこなかった。


 今日は歌わないのだろうか、と残念に思っているとふいに扉が開き人影が出てくるのが見えた。


「あ……ハーラルト様……」


 それは、つっけんどんな初対面から全く顔を合わせることが無かった人物だった。


「このようなところで何を?」


 挨拶も無しに咎めるような口調で言われ、私は下を向く。


「いえ……すみません」

「手紙を出しに来られたのですか?」


 つい謝ってしまうと、ハーラルトは私が持つ手紙を見咎めた。


「……実は、出そうか迷っていまして」


 冷たい視線に晒されながら、私は苦く笑う。なぜハーラルトにそれを話そうと思ったのかはわからないけれど、何を言ってもつっけんどんな答えしか返ってこない相手なので開き直るような気持ちがあったのかもしれない。


「迷っているなら出さぬ方が良い」

「え……?」


 ハーラルトの口から出た言葉も意外だったが、反応が返されたことも意外だった。


「後で読み返して死にたくならないのなら、好きにしたらよろしい」


 吐き捨てるように言って、ハーラルトは踵を返した。


 呆然としながらも頭を下げる。


 迷っているなら…………


 顔を上げた時にはハーラルトの姿は無くなっていた。






 ◆






 私はタブレットを取り出す。動画は見ないと決めた。


 本当はヴィルヘルミーネ王女の婚約を祝う曲をどうするのか考えなければならないのだが、どうにもそんな気分にはならず、再生リストを眺めながら起こしたい楽譜のリストをネタ帳に書いていく。


 シューマンの『謝肉祭』はもう楽譜にしてある。弦楽四重奏や木管五重奏はまだ先になるだろう。ピアノの曲集はそろそろ出しておいた方がいいだろう。


 そういえば王都の劇場でも演奏してほしいと言われていたのを思い出す。時期的には王女の婚約を祝う演奏会の前になるだろう。協奏曲の演奏会と同じ曲でも良いのだが、音楽の伝道師としてはせっかくなので別なものを披露したい。


 それに今はとにかく仕事を詰め込んでいたかった。


 じっとしていると余計なことを考えてしまう。ユリウスがカミラに触れる時はどんなだろうか。私に触れる時と同じように触れるのだろうか。そんなことばかり考えて気が狂いそうになる。


 頭を振って妄想を頭から追い出してタブレットを睨みつける。エグモントが交響曲はやらないのかと言っていたので、プレイリストを眺める。


 手紙の返事は、書き直してから出した。


 鉛占いのこと、花火がきれいだったこと、街の人々に歌を教えていることなど、当たり障りのない内容だ。


 最後に日本語で<だいすき>と書いた。まるで自分に言い聞かせているみたいだった。


 気が付けば昼を過ぎていて、食事のために事務所へと降りる。食欲は相変わらずだったが、食べないとみんなが心配する。食べても戻してしまうだけなのに、なんとなく意地になっているところもあった。


 午後からはエルヴェ湖だ。


 最近はアロイスも辛そうに目を伏せることが多くて申し訳なく思う。


 おそらくエルヴェ湖で歌う時、アロイスは私に同調しているのだと思う。あの青い世界がアロイスに見えて、ユリウスには見えなかったのもきっとそのせいだ。ユリウスに手を握ってもらった時、私はまだあの青い世界を知らなかった。


 アロイスは重ねた私の手をじっと見ることが多くなった。何も言われはしないが、言いたいことはわかる。いくら服を着込んでも指は誤魔化せない。


 アロイスは何も言わない。指が痩せたことも、ベルトランのことも、ユリウスのことも。温もりを分けるように黙って手を握っていてくれる。そのことがありがたくもあり、申し訳なくもあった。






 ◆






「一人にしちゃってごめんね、マリア。着替えもありがと」


 最近は事務所に泊まり込んで練習していることが多く、レッスンのついでにマリアが着替えを届けに来てくれていた。


 ちなみにラウロとエドは1日交代で帰ってもらっている。私がいない間はパパさんとマリアの2人になってしまうからだ。


「あれ? マリア、なんか大きくなってない?」

「アマネさん、小さくなった?」


 なってないよ! でも本当にマリアは大きくなった。身長は私とほぼ一緒……いや、ひょっとしてもう抜かれてる?


「アマネさん、マリアの妹!」

「ち、ちがうよ! 私の方がお姉さんだもんっ!」


 横で見ていたラウロが口元に手を当てているのが見えたが、怖い顔で睨んでおく。どうせ私はチビですよ! でもマリアは13歳でまだ伸び盛りだろうから、あっという間に差が付いちゃうんだろうな……


「ユ……レオンが見たらびっくりしちゃうだろうね」


 思わずユリウスと言いそうになって言い直す。マリアには何も知らせていないのだし、私がおかしな様子を見せなければ名前を出すくらい問題ないはずなのに。


「レオンから、手紙、来てた。返事に、アマネさんを、追い越したって、書く」

「うーっ、マリアひどい!」


 だけどもう私がマリアを追い越すことなんてないのだろうな。そう思ったらちょっと悲しくなった。


「これはどこに置けばいい?」


 エドが持ってきてくれたのは、みんなからの差し入れだ。パパさんからは毛布、デニスからは私のお気に入りのお茶、ハンナからはクッキー、そしてレイモンからはビートから取れたお砂糖だ。


「食料品はまゆりさんに渡してもらえますか? 毛布はここでいいですよ」


 レッスン室のソファで寝起きする毎日なのだ。まあ寝ると言っても眠れないので、倒れ込むという方が正しいのだが、怒られるのはわかりきっているので秘密だ。まあ付き合わせてしまっているラウロやエドにはバレているのだが。


「あの歌、塾のみんなで、歌ってるよ」

「そっか。前に来た時にダヴィデとジゼルが教えていたもんね」

「うん。街に、流行らせる、です」


 珍しくマリアがやる気を見せている。そういう私も『側にいることは』を流行らせる作戦は決行中だ。


「じゃあマリア、今日はピアノからやろうか」

「練習、してきた、です」


 マリアはピアノもだいぶ進んでいて、ソナチネ程度なら問題なく弾きこなせるというくらいの進捗だ。まだ始めてから半年ちょっとなのだから充分すごい。今後はエグモントが先日作った教本で練習を進めて行くことにした。


「猫のワルツは、まだダメ?」

「もうちょっと先かな」


 マリアが弾きたがっているのはショパンの『子猫のワルツ』だ。どうやらアルフォードが目覚めるまでにマスターしたくて頑張っていたようだが、まだ少し早い。


「楽譜もまだだから早めに起こすね。だからマリアも練習を頑張って」


 そう言うと、マリアは神妙に頷いた。






 ◆






 湖底探検からそろそろ1か月経とうかという晩、覚えのある気配に私は顔を上げた。


「こんばんは。夜のデートに誘いに来たよ」

「こんばんは。外は吹雪だけど出かけるの?」

「歩いていくわけではないから、ね」


 そう言ってドロフェイは私に手を差し伸べた。今日の笑顔も毒は感じられない。寝衣にガウンを羽織っただけの私は、外に出るのだからいっぱい着込んだ方がいいのだろうかと悩んだ。


「そのままで構わないよ」

「何も言ってないのに、なんでわかっちゃうかな……」


 まあ言っても仕方がないのだけれど。なにしろ相手は人ではないのだ。


 ドロフェイの手を取って立ち上がると、ふわりと浮かぶ感覚がして私は慌てた。


「うわっ、ちょ、やだっ、怖いって!」

「フフフ、手を離さなければ大丈夫だよ」

「やだっ! 無理!」


 ドロフェイは笑うけれど、高いところが苦手な私にしてみれば笑い事ではない。ドロフェイの腕にしがみついて震えるしかない。


「キミ、高いところがダメなのかい?」


 手にしがみつく私からの震えが伝わったのか、ドロフェイは意外そうに言って私を横抱きにした。


 足元のすうすうした感じが少しは薄れてほっと息を吐く。周りを見る余裕が少しは出来たけれど、高い所であることを意識したくなかったのでドロフェイの顔越しに上を見た。


 たぶん、なにか丸い球状の幕のようなものに包まれているのだろう。横殴りの吹雪が見えるけれど、寒さは全く感じない。


「ねえ、ドロフェイって意外と暖かいんだね」


 人ではないと思っていたので意外に思って聞いてみる。


「そうかい? こちらの生活が長いからかな。本当は冷たいはずだけど」


 ドロフェイは自分でも意外だったらしく、不思議そうな顔をしていた。


「ドロフェイっていくつなの?」

「さあ、600年以上生きていることは確かだ、ね」

「そんなに長生きなの?」


 600年って6世紀だ。ドロフェイの見た目はどう見ても20代だというのに。やはり人ではないのだなと実感する。


「そういうキミも、人ではないみたいに軽いのだけど」

「そこまで軽くはないと思うんだけど……」


 最近ちょっと自信がなくなってきた。鏡なんて滅多に見ることは無いが、シャワーを浴びている時とか、骨がゴリゴリして落ち込む日々だ。


「うわっ!」


 とぷん、と水に入る感覚がして、驚いてドロフェイにしがみつく。下降しているという感じが全くなかったのに、いつの間にか湖に降りていたようだ。


「キミはどうしてライナーを頼らない?」

「ライナーじゃなくてアロイスだよ。でも……やっぱりドロフェイだったんだ?」


 アロイスを頼れと言うことは、その原因を知っているということだ。タブレットであの動画を見せたのはドロフェイだったのだろう。


 そうじゃないかと思ってはいたけれど、なんとなくドロフェイに親しみを感じ始めていただけに傷ついてしまう。


「フフフ、怒ったかい? けれど、あれは本当の出来事だよ」

「……どうしてあれを私に見せたの?」

「アロイスだっけ? 彼を頼ってほしかったからさ」


 ドロフェイとアロイスはかつて仲間ではあったけれど、なぜ私がアロイスを頼る必要があるのかさっぱりわからない。不満気な顔をする私の心を読んだのか、ドロフェイは仕方なさそうに言った。


「キミのナイトだけでは不足だからだよ」

「不足って、水の加護のこと?」

「そう。人の魔力はこの600年で随分減ってしまったから、ね」


 600年の間にいったい何があったのだろう。魔力なんてなくても平気な世の中のような気がするから、自然と廃れてしまったとか、そんな感じなのだろうか。


「世界が壊れていくのと同じさ。なるべくしてそうなった」

「ふうん。だけどアロイスからは水の加護を毎日もらってるよ?」

「そういことではないのさ。言っただろう? 僕には不都合だって」


 そういえばそんなことを言っていたっけ。私がエルヴェ湖に音楽を奉納することは、ドロフェイにとっては不都合なこと。なら水の加護は本来他のことに使うものなのか。


「ほうら、着いたよ」


 ドロフェイが私を下ろす。と言っても前と同じように腰に手を回されて背後に立たれているのだが。


「ちょっとは小さくなったのかな? よくわからないね」


 ウェルトバウムの根を見ても傷は前とたいして変わったようには見えず、私は肩を落とす。


「フフフ、浄化にはそれなりに時間がかかるのさ」

「そうなんだ? ねえ、本当は水の加護はどうするものなの?」

「キミは質問ばかりだ、ね」


 そんなことを言われても、知りたいことばかりなのだから仕方がないではないか。それに都合が悪いなら答えなければいいだけだ。私だって教えてもらえたらラッキーくらいの気持ちで聞いているのだから。


「前に教えただろう? キミのココを水の加護で満たすって」

「う、え……あれって冗談じゃなかったんだ……」


 ええと、18歳未満のみなさんにはお知らせできないようなことをするってことだよね。私はドロフェイのセクハラジョークだと思っていたけれど、そうではなかったらしい。でも、そうだとしたら余計にアロイスを頼るわけにはいかない。


「なぜ? 彼はキミを慕っているだろう?」

「それを利用するなんて出来ないよ」


 私はアロイスを拒絶したというのに、エルヴェ湖に音楽を捧げる時に手を握ってもらっている現状だって充分申し訳ないと思っているのだ。


「ねえ、ドロフェイは水の加護は持っていないの?」

「持っているけれど……キミは僕に抱かれたいのかい?」


 苦虫を噛みつぶしたような顔でドロフェイは言う。今のところ私は賭けに負けるつもりはないけれど、万が一に負けた場合のことを考えないわけにはいかない。


「キミのナイトも不要なのかい?」

「この件に関してはね。水の加護がどうしても必要だって言うなら、ドロフェイがどうにかしたらいいんだよ」


 ユリウスだって同じだ。世界が壊れていくことなんて、ドロフェイが言った通りきっと世の常だ。はっきり言って私もユリウスもアロイスも関係ない話なのだ。


 けれどそう言ったところでドロフェイはせっかく見つけたジーグルーンをを諦めたりはしないのだろう。だったら巻き込まれるのは私だけで充分だ。


「僕でいいのかい?」

「だってドロフェイは私のことを好きじゃないでしょう?」


 誰かの気持ちを利用するぐらいなら、その方がずっと気が楽だ。


「……そうやって煽るものではないよ。その気になってしまうじゃないか」


 お腹に巻き付いていたドロフェイの手が、胸まで上がってくる。もう片方の手は太ももを撫で始めた。


「んっ、ちょっと! 賭けに負けた時の話だってば!」

「暴れると溺れてしまうよ」


 服の上から体を撫でられ、そうこうするうちにワンピース型の寝衣がたくし上げられ、ドロフェイの手が侵入してくる。


「やだっ、ドロフェイっ!」

「ここでいくら叫んでも、誰も助けには来てくれないよ。迂闊なキミが悪いのさ」


 仕置きとばかりにあちこちを触られる。ぞわりと背が震えて、なおも私が抗うと、ようやくドロフェイは手を止めてくれた。


「まったく……溺れると言っただろう? 死にたいのかい?」

「そんなわけないでしょ! 賭けに負けた時って言ってるのに!」


 暴れられないようにぎゅうぎゅうと腕ごと私を拘束したドロフェイが、文句を言う私を見て小さく笑う。


「フ……、反省したかい?」

「うぅーっ、おまわりさんこの人ですー」

「なんだい?それは」

「お嫁に行けないってことだよ!」

「自業自得さ。それに大したことはしていないじゃないか。大げさだよ」


 確かに油断していたし迂闊なことを言ってしまったと思う。正直、ドロフェイは人ではないのだから、何をされても諦めがつくかなぐらいの感覚だった。


「それにしても、あの2人は何をしているんだろう、ね。キミは十分に熟れたネクタリンだというのに」


 ドロフェイの言葉にどう反応していいかわからないけれど、いずれにせよ掘り下げたい話題ではない。どうにかして話題転換を図りたい。何かなかっただろうかと考えを巡らせる。


「ええと……そう! 神話! あのねっ、私が知ってる神話は水の神が出てくるんだけど、その水の神って水の加護を持つ者ってことで合ってる?」


 神話のことで話が逸れるだろうかと試しに聞いてみると、ドロフェイはチラリとこちらを見て答えてくれた。


「僕もその話は知っているけれど、来世でジーグルーンと結ばれるんだろう? 随分と都合の良い話だと思わないかい?」


 どうにか話が逸れて安心しながら神話を思い出す。


 確か死者の国の泉に住むウェルトバウムの根をかじる竜を水の神が退治するのだ。死者の国の泉を飲み干して。そしてその毒で水の神も死んでしまう。ナディヤに聞いたのはそんな神話だった。


「全然違うっていうこと?」

「そういうことさ。水の神は神ではないし、彼らが行った場所も神々の国ではないよ。ジーグルーンにしろ、水の神にしろ、最後に幸福になっているのは人に罪悪感があるからじゃないのかい?」

「じゃあ本当は2人とも不幸になるの?」


 その問いにドロフェイは目を細めて薄く微笑んだ。


 今まで見たことがない表情だった。


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