偽家庭教師事件の顛末
宿屋の女主人から頼まれた歌のレッスンと、私設塾の子どもたちの音楽教室が終わった数日後、エドが王都から帰還した。
驚いたことにエドはベルトランを捕まえてフルーテガルトまで連れて来た。
ベルトランの申し開きを聞くべく、アマリア音楽事務所の一同が事務所に集まる。ベルトランは私を見て萎れた花のように俯いた。
「エド、経緯を説明してもらっても良いですか?」
「承知した。俺が王都に到着した時、すでにヴェッセル商会の支部に問い合わせが来ていたんだ」
エドの話では、到着する直前にベルトランのパトロンから本当に渡り人の弟子なのか、ヴェッセル商会の王都支部に問い合わせがあったそうだ。エドが到着した時にはまだ返事を出していなかったため、私がエドに持たせた手紙を読んだケヴィンと共に直接そのパトロンの館を訪れ、ベルトランと鉢合わせたという。
「カミラさんは……女性は一緒ではなかったのですか?」
「一緒ではなかったんだが……」
私の問いかけになぜかエドが口籠る。するとそれまで居心地が悪そうに沈黙を貫いていたベルトランが口を挟んできた。
「私はあの女に騙されたのです! あの女は最初から私をダシにして、ヴェッセル商会に取り入るつもりだったのです!」
「どういうことですか?」
困惑しきりの私にエドが歯切れ悪く言った。
「俺が支部に着いた時、うちの顧問だという男が来ていた」
「ユリウスが? ユリウスが王都にいたんですか?」
意外な話に目を見開く。ケヴィンもそうだったがユリウスもエドとは面識がない。だがユリウスは私が送った手紙を読んでいたのか、おおよその事の次第を把握していたようだ。
「顧問はギルドの会議のために、俺と同じように船で王都に来たと言っていた」
「嘘です! ならばなぜそんなタイミングであの女が店にいるのです? あの女はユリウス殿の部屋から出てきたではありませんか!」
そういうことだった。ユリウスは王都の支部でカミラと会っていた。それでベルトランは騙されたと思ったようだ。
そもそもベルトランはカミラに言葉巧みに誘われて偽家庭教師をするに至ったのだという。カミラは自分もヤンクールにいたことがあると言ってベルトランに近付いたようだ。
視線が下を向きそうになるが必死に耐える。吐き気がして頭がぐらつきそうになったが、呼吸ひとつで切り替えなければならない。こくりと唾を飲み込んで吐き気をどうにか抑え込む。
周りの気遣わしげな視線にも気付かないふりをして、私はベルトランと向き合った。
「ベルトランはこれからどうするつもりですか?」
「それは…………」
「その女性に対してということではなく聞いているのです。今後、同じようなことを繰り返すつもりなら、あなたを解放するわけにはいきません」
問題はそこだ。ベルトランが私の弟子を名乗るのはともかくとして、今回のようにお金が絡むような問題を起こされるのは看過できない。
「私をあなたの弟子にしていただけないでしょうか?」
「随分と都合のいい話だね」
ベルトランの言い分にクリストフが厳しい目を向ける。ダヴィデはベルトランを傷ましいものを見るような目で見ていた。
「私は弟子をとるつもりはありません。ですが、あなたがここで働きたいというのなら」
「マイスター! それは甘すぎるよ!」
「吾輩もそう思うのだが、その男を解放するのもいかがなものかと思う。警邏に引き渡すのが一番良いと思うが、吾輩としては身元がバレるのは困るのだ」
クリストフの意見はもっともだ。だが私はエグモントと同じことを考えていた。ベルトランを解放したとして、監視をつけるような人的余裕はアマリア音楽事務所にはない。
それに警邏に引き渡した場合、万が一にでも事務所の者たちが取り調べを受けるようなことになれば、エグモントやアロイスの身元がバレる可能性がある。
「確かに私が言えた義理ではありません。大変申し訳ないことをしたと思っております」
ベルトランが目を伏せて言う。謝罪が本心であるのかはわからないが、一応、謝罪したという形は出来上がった。
「恥を忍んでお願いいたします。あなたの提案に縋らせてください」
「仲間として受け入れるわけではありませんよ? それを判っていますか?」
「承知しております」
「クリストフもみんなも、まずは様子を見るということで納得してもらえませんか?」
本当に反省しているのかどうかを見てから判断する。つまりは問題の先送りだったが、とりあえずはみんなも納得してくれたようだった。
ダヴィデにベルトランを北館に案内するように頼み、他の者にはそのまま残ってもらった。
「勝手に決めてしまってすみません」
「僕は甘すぎると今でも思っているよ」
クリストフは未だ納得しかねるという様子で言う。
「わかっています。当面、彼の給与からパトロンへ見舞金を出させます。まゆりさん、対応をお願いできますか?」
「私は人手を増やすのは賛成だし、わかったわ」
葬儀の演奏で一緒だったクリストフやアロイス、ダヴィデ以外はベルトランを知らない。ベルトランが思ったよりも殊勝な態度だったこともあり、どうにか受け入れてくれたようだった。
「しかし彼に何をさせるつもりだい?」
「言動に問題がなければ、いずれレッスンを任せたいと思います」
ベルトランはピアノが弾けるのだから使わない手はない。クリストフは納得できないようだが、実際アロイスとクリストフの2人だけでレッスンを回すのは、春以降は難しいだろうと考えていた。協奏曲以外にも演奏会も行うつもりでいるのに、自分たちの練習時間が取れなくなってしまうからだ。
ダヴィデには遠隔地を担当してもらう予定だし救貧院の音楽教室もある。エグモントは協奏曲の演奏会後にはフルーテガルトを離れてしまうのだ。
「南1号館から最も遠い位置にある北館の部屋を、自分たちの練習部屋として使おうと思います」
出来ればピアノももう1台購入したいとまゆりさんに聞いてみると、どうにか捻出できそうだったので、雪が解けたら搬入してもらえるようにヴェッセル商会に頼むことになった。
北館と南1号館は前庭を挟んで向かい合っているが、門の両脇にある尖塔を経由して、門の上にある通路を通れば外に出ずに移動することが可能なのだ。
「ベルトランの指導をエグモントさん、お願いできますか?」
「それが無難であるな」
クリストフを見ながらエグモントが了承してくれた。
「時間がある時で構わないのですが、まゆりさん達にもレッスンを受けてほしいんですよ」
良い機会だと思い、以前から考えていたことをまゆりさんに提案する。
「ジゼルはわかるけど、私とテオも?」
「ええ。ピアノもですけど、まゆりさん、ヴァイオリンやりませんか?」
皆には言っていなかったが、ダヴィデにはすでに打診してチェロを学ぶことを了承してもらっていた。弦楽四重奏をやりたいのだ。ヴァイオリンは私とアロイスがいるとして、ビオラが足りない。まゆりさんにヴァイオリンをやってもらって私がビオラをやれば弦楽四重奏ができるなと目論んでいた。
「出来れば木五もやりたいんですよ」
「木管五重奏なら僕はもちろん参加するよ」
クリストフが乗ってくれて安心する。だがクリストフに笑みを向けるとしかめっ面を返された。
「トラヴェルソはベルトランに頼むつもりかい?」
「様子を見てからですよ」
トラヴェルソ、つまりはフルートだ。私がバスーンをやるとしてもホルンとクラリネットも必要だ。誰がいいだろうかと視線を巡らせると、エドが援護射撃してくれた。
「ホルンならラウロができるぞ」
「おい!」
エドの言葉にはラウロとエド以外の全員が驚いた。そんな話は一度も聞いたことがない。ラウロを見ればエドを睨みつけていた。
「物好きな雇い主が昔いただけだ」
ラウロはそう言ってそっぽを向いたが、ホルンが出来るなんて金管に疎い私からすれば非常に心強い。
ホルンは狩りなどで貴族がよく使用する楽器だが、ラウロの以前の雇い主は猟犬を扱う商人だったらしく、その訓練のためにラウロにホルンを覚えさせたという。
「リコーダーは出来るよー! 時々、一座で吹いていたしー、エグちゃんにも教えてもらったもんねー」
「そうであるな。なかなか筋がよいのだ。ジゼルにクラリネットを任せてみてはどうかな?」
エグモントのお墨付きならば問題ないだろう。ジゼルは歌も上手だしリズム感もある。音楽的素養が高いので、きちんと指導すれば上達は早いだろう。
ベルトランの問題は先送りにはなるが、どうにか木管五重奏もできそうで気持ちが少し上向いた。
音楽事務所を名乗るからには、オーケストラを目指したいところだが、いきなり全部を揃えるのはさすがに難しいので、アンサンブルができたらいいなと思っていたのだ。
「僕はまずピアノを頑張るばい!」
「ええ。テオは戯曲もありますから、少しずつ頑張りましょうね」
テオは音楽的素養がないことにコンプレックスを覚えているようだったし、写譜を覚え始めたばかりだ。少しずつ覚えて行けばよいと私は考えている。
「なら楽器を嗜んでいないのは俺だけになるのか」
エドが困惑したように言う。決して存在を忘れていたわけではないのだが、エドはいかにも護衛という感じだったので頼みにくいところがあった。しかし、そう言うからには何かやってもらおうと思い直す。
「エドはバスーンをやってみませんか?」
トラヴェルソでも良かったが、エドはたぶんバスーンに適性があるだろう。
「俺にできるだろうか?」
「手が大きいですし、私が教えますよ」
本人は自信がなさそうだったが、エドはスタンプの彫り物を見ても手先が器用だと思っていたのだ。バスーンは自分からは見えにくい位置にある親指の操作が複雑で、器用な者の方が教えやすい。
先々のことに各々胸を膨らませ、その場は解散となった。私は自分の書斎へと引き上げるために席を立つ。
「そういう笑い方、マイスターには似合わないよ」
階段を上っているとクリストフが後を着いて来て言った。今日はやたらと絡んでくる。ベルトランのことがやはり許せないのだろうと思いつつ、私は憎まれ口を叩く。
「すみませんね、変な顔で」
「そういう意味じゃないってわかっているだろう?」
ため息を飲み込む。わかっているけれど仕方がないではないか。だってどういう顔をしていいのかわからないのだ。
「アロイスだって心配しているよ」
それだってわかってる。みんなと事務所で話している時だって、アロイスは口を開かなかった。
「不誠実な男なんてほっといて、アロイスに乗り換えたらどうだい?」
「クリストフがそれを言うんですか?」
「もちろん僕でも大歓迎だけど」
不誠実の代表のクリストフに向かって、私は笑顔で釘を刺した。
「オーボエの曲を楽譜に起こしました。クリストフは女性に現を抜かしていない時の方がよい演奏をするようですから、頑張ってくださいね」