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エルヴェ湖の伝承

 1組の男女が並んで歩く後ろ姿が見える。

 通りは賑わっていて、たくさんの人々がすれ違う。

 男の手は女を引き寄せるように肩に回され、女性は左右の店を指差しては顔を寄せて何かを話している。


 いいなあ。私、ユリウスとあんな風に街を歩いたことない。


 そう思ったところで目が覚めた。


 枕元には透明な石がひとつ。


 ため息をついてそれを摘まみ、瓶の中に入れる。今日はこの瓶も持って行こう。なんだかどっぷり浸かって練習したい。


 身支度をして部屋を出る。朝食を取りに厨房へ向かうと、従業員の部屋からラースが出てきた。


「アマネ、朝メシ食ったか?」

「え、うん。もしかしてヘレナから伝言?」

「ああ。悪いな。世話になるらしいな」


 ヘレナからの伝言は友人たちと城で歌を習う日時についてだった。忘れないようにとネタ帳にメモをするために自室に戻る。


 水曜日が宿屋の女性陣、木曜日が私設塾の子どもたち。いずれも午後から来ることになっている。火曜日がヘレナとメモに付け加える。あれ? 火曜日って明日だ。まあ特にその時にやらなければならない仕事はないし、ジゼルとダヴィデもいるから問題ないのだが。


 アマネミンDを少しだけ舐め、少し考えてから久しぶりにヴァイオリンを手にする。ザシャが改良してくれたヴァイオリンはアロイスに貸している。手にしたのはユリウスに借りたヴァイオリンだ。


 クロイツェルの練習もしないと。


 あと2か月弱でユリウスが帰ってくるはずだ。ユニオンの件が片付くのはもう少し先かもしれないけれど、ユリウスが帰ってきたら今度は私が王都で即位式の練習をしなければならない。


 荷物を持って部屋を出る。厨房でハンナに今日の夕食は不要であることを告げて従業員の部屋に顔を出すと、ラウロが待っていた。


「おはようございます。エドは?」

「マリアと私設塾だ」


 そういえば今日は私設塾の雪よせを手伝うと言っていた。エドもそのまま手伝うと言っていたのを思い出し、ラウロと一緒に事務所へ向かう。


「夜のうちにだいぶ積もりましたね」

「あのまま凍るよりマシだ」

「坂道を上れなくなってしまいますからね」


 除雪をする街の人々に挨拶をしながら、まゆりさんたちの家に立ち寄ると、律さんが箱を持って待っていた。


「律さん、これってもしかして」

「うん。テディベアの試作品だよぉ」

「わー、早く見たいです!」


 まゆりさんとジゼルもそれぞれ箱を持っている。私も、と思ったが、あいにくヴァイオリンで手が塞がっていた。


「お手伝いできなくてすみません」

「いいよぉ。でもヴァイオリンケースもぉ、背負えるようにできたらいいよねぇ」


 ラウロに木箱を持ってもらい、歩きながら話す。ヴァイオリンケースは革製だが持ち手が短いので腕に引っ掛けることができない。背負えるようにしたら運搬が随分楽になるだろう。


 革にアマリア音楽事務所のロゴを焼き印して、リュック型のケースをアロイスに使ってもらったら売れるのではないだろうか?


「アマネちゃんの巾着リュックも商品にできるんじゃないかしら?」

「マリアも持ってるよねー。私もほしいー!」

「巾着ってぇ、日本でしか見ないもんねぇ」


 それは知らなかった。改めて考えてみると口を紐で絞る袋が無いわけではないが、1本の紐で縛る袋しか見たことがない。律さんによれば、2本の紐で両方から絞るのは日本でしか見かけないらしい。


 巾着は直線縫いとまつり縫いができれば作れてしまうし、リュックにするなら底の両端にベルトを着けるだけだから簡単だ。ただ、簡単なだけあって誰でも真似できてしまうので、音楽事務所のロゴをアップリケや刺繍することになった。


「そういえば楽器博物館の件って、ケヴィンさんから返事は来てるかしら?」

「ええ。リストを持ってきましたよ。デニスさんに聞いたら見習いの子を交代で寄越してくれるそうです」


『道の駅』計画も着々と進んでいるのだ。テオの企画書にも目を通したが、随分としっかり作られていて驚いた。もうテオは見習いの域を出て一人前に扱っていいんじゃないだろうか。


「そういえばー、ダヴィデに手紙が来てたよー。王都の家庭教師のことが書いてたってー」

「偽家庭教師の件でしょうか。確認しないといけませんね」


 坂道の下まで来ると、門兵と北館の男性陣が総出で除雪をしていた。そういえば東門の詰め所はいつもより兵が少なかったなと思い返す。


「おう。早いな! 右の端っこは寄せたから、そっちを通りな」

「いつもありがとうございます。荷物を置いたら手伝いますね」


 夜の間に50センチほども積もった。午前中は全員で除雪に明け暮れることになりそうだ。明日は筋肉痛になるかもしれない。






 ◆






「ベルトランはまだ渡り人の弟子を名乗っているようです」


 除雪作業の後、ダヴィデから報告があった。ベルトランはアマリア音楽事務所を名乗っているわけではないようだが、ベルトランを弟子にした覚えはない。


「王都の下級貴族にはテオの父君から話が広がっているのですが、まだ騙される人がいるようですね」

「困りましたね」


 ダヴィデによると、ベルトランは小さなサロン演奏会にも時々出てピアノ演奏を披露しているのだとか。中級向けの曲のうち比較的簡単な曲を演奏しているようだが、ベルトランはいったいどこで練習しているのだろうか。


「どこかの貴族か商人の館ではないでしょうか」

「パトロネージュですか」


 ベルトラン個人にパトロンが付くのは好きにすればいいと思うが、私の名を使ってパトロネージュの恩恵を受けているのだとすれば問題だ。


「王都に行って調べたいところですが、明後日に私設塾の子どもたちが来るんですよね」


 ダヴィデが難しい顔で思い悩むように言った。


「俺が王都に行って調べてくる」


 話を聞いていたエドが突然口を挟んできて目をしばたいた。エドは表情を変えずに淡々と言う。


「この街にいることを伝えておきたい友人がいるんだ」

「そういうことなら構いませんが、どうやって行きますか?」


 積雪はフルーテガルトで80センチほどになっている。王都がどのくらい積もっているのかはわからないが、馬車は無理だろう。


「工房から船便が出ているだろう。あれに乗せてもらう」


 船は川が凍っていない昼間なら移動することができると以前聞いたが、天気次第だとも聞いていた。もし天候が悪くて長く戻ってこれなくなるとすれば、その間の護衛はラウロ一人になる。


「ラウロはどう思いますか?」

「アンタは今日は泊まり込むんだろう?」


 ガッツリ練習したいので今日は泊まり込むつもりでいたのだ。巾着リュックには着替えも入れてある。


「外をウロウロされるよりはマシだ」


 ラウロとしては私が街をうろつかずに事務所に籠る分には大丈夫であるようだ。


 エドに王都行きの許可を出してケヴィンに手紙を書く。エドは支部に行ったことがないので、身元を保証する意味でも一筆書いた物を持たせなければならないのだ。


「エドはベルトランを知らないでしょう? パトロンが誰か調べてください。手紙にも書いてありますが、ケヴィンにも協力してもらってください」


 ベルトラン本人が捕まらなくても、パトロネージュがわかれば弟子ではないことを手紙で告げることができる。


 手紙を渡してそう言うと、エドは承知したと頷いた。






 ◆






「エルヴェ湖にまつわる昔話?」

「ええ。エルヴェ湖って不思議な湖でしょう? 何か言い伝えがあったりするのかなって思ったんだけど」


 ヘレナが友だちを連れて来た日、練習の後に私は聞いてみた。


 エルヴェ湖には風が吹かない。そんな不思議な湖なのだから、伝承みたいなのがあるのではないかと前々から思っていたのだ。それにドロフェイが言っていたエルヴェ湖畔に住んでいたウルリーケという女性のことも気になる。


「あれかな? 水の加護の話じゃない?」

「ああ、でもあれってあまり良い話じゃないのよね。後味が悪くて」


 ヘレナの友人の数人が心当たりがあるようで語ってもらう。


「確か神の遣いのヘビが現れたのよ」

「その前に干ばつが起きたのよ。じゃなきゃ神の遣いも来ないでしょう?」


 2人の話をまとめるとこうだ。


 昔、大干ばつがこの地を襲った。だが不思議なことにエルヴェ湖の水だけは干上がらず、人々はエルヴェ湖の水を飲むことにした。しかし、エルヴェ湖の水にはなんらかの毒が混ざっていたようで、飲んだ者が次々と死んでいった。


 飲み水に困った街の者たちの前に、ある日一匹の白いヘビが現れた。ヘビは己は神の遣いだという。そうして干ばつを治めるために、不思議な音を聞くことができて水の加護を持つ娘を差し出せと言った。


 不思議な音を聞くことができる娘はすぐに見つかった。だが水の加護を持ってはいなかった。そこでヘビは水の加護を持つ若者を一人見つけ出し、2人を契らせた。


 娘は水の加護を得て生贄となった。そして雨が降り、街の者たちは救われた。


「生贄か……確かに後味が悪いですね」

「そうなのよね。だからあまり大っぴらには話されない言い伝えなのよ」


 生贄になったということは、その娘はたぶんウルリーケではないだろう。だが確かドロフェイは神話は捻じ曲げられると言っていた。後味が悪い話というのは、もしかすると真実に近いのではないだろうか。


「白いヘビって実在するんですか?」

「あら、アマネちゃん知らないのぉ? 白いヘビは縁起がいいのよぉ」


 ヘレナたちと一緒に来た律さんが言う。なんでも日本では白いヘビは金運をアップさせるのだとか。


「渡り人の世界でも白いヘビって良いものなのね。この国では夢に白いヘビが出てきたら幸運が訪れるって言われてるのよ」


 ヘレナが言う。それがこの国の共通認識なのだとしたら、先ほどの話で神の遣いという自己申告が通ったのも頷ける。


「白いヘビじゃないけど、白い竜の話もあるのよ?」

「うふふー、ファンタジーだねぇ。聞きたいなぁ」


 ヘレナの友人が言い、律さんが聞きたがった。私も聞きたい。白い竜なんてジブリみたいだ。


「エルヴェ湖じゃないんだけど、南の方にある湖に白い竜が住んでいるんですって」


 ヘレナの友人の話によれば、その白い竜は湖の主で、周辺に住む獣たちにも恐れられているのだという。そのため湖はいつもひっそりと静まり返っているのだが、ある条件を持つ娘がこの湖の畔に訪れると姿を現わすらしい。娘が餌を与えるとお礼に願い事をかなえてくれるのだという。


「ある条件ってなんでしょう?」

「さあ、それがわからないのよね」


 物語の肝心なところではないのだろうかと思ったが、知らないというのなら仕方あるまい。


「ケヴィンが詳しいと思うわよ。アカデミーで研究していたって聞いたけど?」


 そういえば、支部の資料室にもたくさん研究資料が置いてあったのを思い出す。エドに持ってきてもらうよう頼めば良かったと思ったが後の祭りだ。


 次に王都に行った時に調べてみようと頭にメモしておいた。

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