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アーレルスマイアー侯爵家

「私を欺こうなど100年早いよ、ユリウス」


 その男性は微笑んでそう言い放った。


 冷や汗が止まらない私が隣を見上げれば、意外なことにユリウスは平然と相手を見つめている。


 オペラ鑑賞の翌日、私はユリウスに連れられてアーレルスマイアー侯爵家を訪れていた。


 この国の宰相であるアーレルスマイアー侯爵は、50歳前後の紳士で一見優しそうに見えるものの、深い青色の目が威厳と知性を感じさせる人物だ。


「やはり、おわかりになりますか」

「いや、他の者にはわからぬだろうが、調べさせたからね。君の父上の浮かれた様子を聞けばわかるというものだよ。難点を上げるとすれば声だね」


 それは仕方がない。私の声は甲高くはないものの男性ほど低くはない。一応、気を付けていたつもりだったが、侯爵は誤魔化されてはくれなかった。


「いっそのこと子どもということにすればいいのではないか?」

「私もそう提案したのですが」


 だから、それは罰ゲームだと何度言えば。


「お戯れを。年をとっても声は変わりません」

「ははは、それもそうだ。私としては女性として王宮に届けることをお勧めするよ」


 そうなるよね。仕事が来ないのは困るが、そこまで男装にこだわりがあるわけではない。


「表向きは男性で通したいのならば、王宮の方に手を回しておこう。渡り人の詳細は面倒な手続きを踏まなければ公表されないものだから、簡単に知られるものではない」

「そうしていただければ、とてもありがたいです」


 アーレルスマイアー侯爵が言うには、この国にも個人情報を保護するという考え方が一応あるらしい。というか渡り人の提言だそうだ。


「代わりと言っては何だが、アマネ殿は私の息子の嫁になる気はないかね?」


 侯爵家の嫁ですと!? ムリムリムリ…………


「私見ですがアマネに貴族の生活は無理でしょう。なにせ自分から男のふりがしたいと言い出すような者ですから」


 ユリウスが援護射撃をしてくれて安心するも、なんだか変わり者と言われているようで複雑な気分になる。


 アーレルスマイアー侯爵が愉快そうに笑っていると、よく似た二人の人物が姿を現した。


「父上、随分と楽しそうですね」

「ユリウス、随分と久しいですこと。わたくしにはちっとも連絡をくださらないのですもの」


 アーレルスマイアー侯爵家の三男であるギルベルト様と次女のシルヴィア嬢だと紹介される。二人とも眩いばかりの見事な金髪の持ち主で、目は侯爵に似て深い青色だ。ギルベルト様はユリウスの1つ上で27歳、シルヴィア嬢は18歳の娘盛りだ。


「アマネ様はヴェッセル商会に滞在しておられますの?」

「はい。皆とても親切で、助かっております」

「うらやましいですわ。わたくしも……」

「シルヴィア、はしたないよ」


 シルヴィア嬢はどうやらユリウスの信奉者であるらしい。侯爵に窘められて肩をすくめている様子がとてもかわいらしかった。


「僕は子どもの頃から陛下のおそばに仕えていてね、ユリウスと会ったのもその頃だったよね」

「はい。私はまだ10歳でございました」

「そうだったっけ。陛下は7歳くらいだったかな。ユリウスに初めて会った時もそうだったけど、あの頃は僕と陛下でよく悪戯をしてバウムガルトに叱られたものだよ」


 バウムガルトというのは陛下の子どもの頃から親衛隊に所属している伯爵家の次男であるらしい。何でも数か月前に亡くなった兄に代わり、爵位を継ぐことになって職を辞したそうだ。


 ユリウスが目を細めて聞いているのが目の端に映る。話の流れが良くないとでも思っているのだろうか。


「ねえアマネ殿、ユリウスの子どもの頃の話を聞きたくはないかい?」

「ふふ、ぜひ聞きたいです」


 ギルベルト様の笑みに悪戯っ子の面影が滲んでいて、私もつられて笑ってしまう。ギルベルト様は陛下の話相手だったと言うだけあって、人を惹き付けるような話し方をする。


 ユリウスが笑顔のまま目を険しくしてこちらを見ているが、見なかったことにして話を聞く姿勢を取る。


「僕が学校を卒業してしばらくしてから、グランドツアーに行くことになったんだ。その時に従者としてついてきてくれたのがユリウスなんだよ」

「グランドツアーですか?」

「うん。元々はアールダムの文化でね。学校を卒業した子どもを旅に出すんだ。アールダムから海を渡ってヤンクールやヴァノーネまで。それで、そのことを知った父上が試してみろって言い出してね」


 卒業旅行のようなものだろう。グランドツアーの話は元の世界でも聞いたことがある。イギリスの貴族の子どもが卒業後に行く修業の旅だ。家庭教師が同行する場合が多いようだが、イギリスからフランスやローマへドーバー海峡を渡って、長ければ数年かけて旅をする。そうやって人脈や経験を積むと聞いた。中には異性とのつきあいに励む者もいたとか。


 ギルベルト様やユリウスはどうだったのだろうか。好奇心の虫が疼いてしまうが、さすがにそんなはしたないことは聞けない。


「僕の場合はヤンクールに行って、最終的にはヴァノーネまで行ったんだよ。ヤンクールは農業大国なんだけど、ユリウスときたらヤンクールのアカデミーや農地にばかり入り浸って、僕のことなんかほったらかしだったよ」

「あ、実験農場ですか?」

「そう。アマネ殿は私設塾を見に行ったんだね」


 そういう経緯で実験農場ができたのかと納得していると、シルヴィア嬢が不満げに口を尖らせて言った。


「わたくしも行きたかったんですのよ。でも女の子はダメだってお父様がおっしゃって諦めたんですの」

「間違いがあってはいけないからね」

「そういえばヴィーラント陛下もシルヴィアみたいに行きたいっておっしゃって大変だったよ」


 ギルベルト様が語るグランドツアーの話はとても楽しそうで、シルヴィア嬢やヴィーラント陛下が行きたがるのも理解できる。でも王太子が修業の旅行に出るとなると周りも大変だろう。暗殺などを考えれば大ごとになりそうだ。


「ヴィーラント陛下は……素直でお優しい方だったんだよ」


 陛下のことを思い出したのか、ギルベルト様がしんみりと語りだした。


「周りをよくご覧になってて……ちょっとした綻びを見つけても皆に黙ってそっと手を差し伸べるようなお方だった」

「皆に黙って、ですか?」

「そう。皆の前で恥をかかせないように、と相手を思いやる方だったよ」


 そうであれば感謝していた者や尊敬していた者も多いのではないだろうか。


「浪費癖があったと言われているけれど、あれは陛下のご意向ではなかったよ。皆に笑顔になってほしい、皆を喜ばせたいといつもおっしゃってはいたけれど、あそこまで贅を尽くすことなど考えておられなかった。それを手配した者たちがおかしな方向に気を回したんだよ」


 仕える者たちの暴走、ということだろうか。


 アーレルスマイアー侯爵を見れば目を伏せて頷いている。


「ヴィーラント陛下は、あまり華やかなことはお好きではなかったのですか?」

「どちらかと言えばそうだね。ただ、自分が浪費をすることで民が潤うのだというお考えはお持ちだったと思う」

「陛下はまだお若かった。18歳で即位されて5年だ。何をしても若造と侮られてしまう年だ。もう少し経験を積まれればそのあたりもうまくできただろうに」


 侯爵もギルベルト様も沈痛な面持ちだ。お二人が陛下を大切に思っていたことが伝わり、噂は噂でしかなかったのだなと考える。


 空気が少し沈んだところでシルヴィア嬢がお代わりのお茶を手配してくれた。気の利くご令嬢だと私の中でシルヴィア嬢の株がぐんと上がる。


「そういえば、ユリウス。エルヴェシュタイン城の話は聞いたかね?」


 アーレルスマイアー侯爵も空気を変えるように明るい調子で言った。エルヴェシュタイン城はヴィーラント陛下が建てた城だ。


「持て余していらっしゃると伺っております」

「あの城は防御などの設備が一切ないからね。残しておいても仕方がないんだけど、壊すのも面倒なんだ」


 ユリウスもギルベルト様も困惑気味だ。取り壊すにしても費用がかかるし、かといって残しておいても維持費がかかるらしい。


「ふむ。今のところ何かの褒章として下げ渡すというのが有力な案なのだ」

「下げ渡す、ですか……下手な者の手に渡らないと良いのですが」


 エルヴェシュタイン城はフルーテガルトにあるが、街の中を通らなければ城に行きつけないのだ。変な輩の手に渡り、おかしな集まりでも開かれようものなら怪しい人物たちが街を跋扈することになりかねない。


「その辺りはこちらで考えるとしよう」

「僕もフルーテガルトには思い入れがあるからね、父上、しっかりお願いしますよ」


 任せておけと鷹揚に頷くアーレルスマイアー侯爵だったが、急に何かを思い出したように私をまじまじと見た。


「そうだ。アマネ殿は音楽家でいらっしゃるそうだね。シルヴィア、次の慈善演奏会に招待してはどうかな」

「まあ、そうなんですの? アマネ様はどんな楽器を嗜まれますの?」


 事前にユリウスに聞いていた通り、演奏会へのお誘いであるようだ。聞いていなかったら慌てふためいていただろうなと頭の隅で思う。


「恥ずかしながらチェンバロとヴァイオリンを」

「それはぜひ演奏していただかなくてはいけませんわね」


 慈善演奏会は二日後に行われるという。思っていたよりも日程に余裕がない。どうしたものかと考えているとユリウスが侯爵に問いかけた。


「陛下の葬儀はどうなりそうですか?」

「九月に行われる予定だが、まだ葬送の音楽については決まっておらぬ。ベルノルトが追放されたのでな」

「アマネがそれを担当する可能性はございますか?」


 突然自分の名前が出て目を瞬く。あれ? 陛下の葬儀の話に移ったんじゃないの? それがなんで私?


「ふむ、私もそれを考えていたところだ。だが重荷ではないか?」


 アーレルスマイアー侯爵が品定めするようにこちらを見た。何の話かさっぱりわからないが、ユリウスが頷くのを見て悪い話ではないのだろうと判断する。


「おそれながら、アマネにとってはそれほど負担にはならないでしょう。この身なりを見ればわかる通りです」


 ギルベルト様とシルヴィア嬢にはわからないように配慮したのか、ユリウスが私の男装を示唆する。


「なるほど。アマネ殿、急な話ではあるが慈善演奏会にぜひご参加ください。失礼ながらあなたの音楽の技術を見定めさせていただきたい」

「仰せの通りに」


 なにこの空気。断ることなど許さないとでもいうような雰囲気だ。肝が冷える思いだったが、ユリウスの視線に励まされるように了承する。


 でも、絶対に後で事情を聞かせてもらうからね! 事と次第によっては盛大なご褒美を請求させてもらおうと密かに決意した。


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