タブレットが見せるもの
女の手が男の腕に絡みつく。
腕から肩に、肩から首に。
女の唇が弧を描いて、男の口元に近づいていく…………
「アマネちゃん、今、いいかしら?」
ハッと顔を上げると、まゆりさんが部屋に入ってきたところだった。
タブレットの画面をオフにしてネタ帳を広げる。
「街の人たちの音楽教室の話ですよね?」
「ええ。春までって言ったら2か月もないでしょう? 始めるなら早い方がいいと思って」
新年最初の営業日、私は年末に宿屋の女将さんやヘレナから頼まれた歌の指導について、まゆりさんに相談を持ち掛けた。
「いいんじゃないかしら。春が近くなったら本館の掃除を手伝ってもらえたら嬉しいけれど」
あっけらかんと言うまゆりさん。ちゃっかりしているが、それぐらいなら頼みやすいかなと考える。律さんの針子仕事も南2号館に移す予定だし、手伝いの針子さんたちも何人かヘレナが連れてくると言っていた。
アマリア音楽事務所はとにかく女手が足りないのだ。男性陣も頑張ってくれているが、アロイスとクリストフとダヴィデは演奏家なので掃除などは頼みにくい。手が荒れてしまっては演奏に影響してしまうからだ。ゴム手袋があるといいのだが、あいにくこの世界にはないらしい。
「女性陣の歌はマリアのために作った教本を使いますけど、子どもたちはどうしましょうね」
「ジゼルとダヴィデに頼んでみたらどう? リトミックみたいなのも楽しいんじゃないかしら? 救貧院でもできそうだし」
「そうですね。その上で楽器をやりたい子がいたら楽器を触らせましょうか。強制にはしたくないので」
演奏技術うんぬんよりも興味を持ってもらうことが大切だろう。私はつい急いでしまう傾向があるけれど、教育には時間がかかる。ユリウスも少しずつ変えていけばいいと言っていたのだから、焦らずにじっくり進めようと考え直す。
「じゃあ、来週から来てもらいましょう」
「はい。午後から宿屋とレイモンさんに伝えに行ってきますね」
細かいところはやってみてから考える方式にする。行き当たりばったりとも言う。まあ、レイモンも着いてくると言っていたのだし、おかしなところがあれば指摘してくれるだろう。
「楽器博物館はどうしましょう?」
ついでに『道の駅』のことも打ち合わせてしまおうと切り出す。
「場所だけキープするようにテオに言っておけばいいんじゃないかしら。搬入は雪が解けないと難しいわよ」
坂道の雪が融けなければ楽器を運び上げるのは一苦労だ。それに運び込んでからの管理も大変だ。どれだけの楽器を置くのか確認して、まゆりさんの言う通りテオに場所を相談することにした。
「そうだわ。テオが『道の駅』の企画書を作ってたわよ。後で持ってくると思うから見てあげてくれる?」
「わかりました」
テオは年末年始のほとんどの時間をかけて企画書を作っていたようだ。せっかくの長い休みだったというのに、ちっとも休んでいなかったらしい。そういう私も練習三昧だったのだが。シューマンは手強いのだから仕方がない。
「年末年始の事務所、寒かったでしょう? アマネちゃん、顔色が悪いわ。風邪引いたんじゃない?」
「そうですか? 全然大丈夫ですよ」
「午後はエルヴェ湖にも行くんでしょう? いっぱい着ていかないとだめよ?」
まゆりさんがお母さんみたいになってる。ジゼルと一緒に暮らすようになったせいか、もともとの世話焼き気質に磨きがかかっているようだ。
「あ、ラウロ。見回りご苦労様。寒かったでしょう?」
城内の見回りをしたラウロが戻って来て声をかける。前庭は年末年始の間に降り積もった雪が膝くらいまでになっていて歩くのが大変なのだが、北館から城に繋がっているのでそちらから回ってもらったのだ。
テオやジゼルやマリアは大喜びで前庭を駆け回り、たくさんの足跡が付いている。
ちなみに城への坂道は、門兵と北館の住人たちで小まめに雪よせをしていたらしく、歩くのはそれほど苦ではなかった。
「スタンプの図案が出来てるのよ。ラウロ、手伝ってくれる?」
なんだかんだ言って、まゆりさんやジゼルも年末年始は仕事をしていたようだ。スタンプラリーで使うスタンプの図案をもう考えてあるらしい。
「ああ。エドも得意だぞ」
「それは助かるわ」
ラウロの言葉に私もまゆりさんも目を輝かせる。やることがたくさんあるのに人手が足りていないのだから、特技持ちは大歓迎だ。
「出来なくはないが」
エドは護衛の定位置である扉の横で座っていたが、自分の名が出たことに気付いて視線を寄越した。
「こいつの護衛は動かないから暇だぞ」
ラウロの言葉にほかならぬ私自身が頷く。
本を読んでも構わないと言っているのだが、エドは護衛なのだから、いつでも動けるようにしていたいらしい。
私は一度練習し始めると何時間でも弾いているので、その間、護衛は暇だ。休日も練習やら外出やらに付き合わせているのだから、多少気を抜いてくれても構わないのだが、エドはまだ慣れないせいか真面目な顔で座っているのだ。
「数が多いのでエドにも手伝ってもらえると助かります。演奏者たちは指を怪我したら困るので頼めないのです」
それにみんなと作業すると早く慣れることが出来るだろうし、と心の中で付け加える。エドは真面目腐った表情で頷いてくれた。
さっそくまゆりさんがエドを連れて事務室に降りていく。良い傾向だ。早くアマリア音楽事務所に馴染んでほしい。
「午後から湖に行くのか?」
「ええ。雪も降っていませんし」
そう言うとラウロが渋い顔をした。
「やめた方がいい。アンタ、具合が悪いだろう?」
ラウロの言葉に目を細める。なぜ簡単にバレてしまうんだろう。うまく誤魔化せていると思ったのに。
「そんなことはありませんよ。食事もちゃんと取れていますし」
「だが」
「問題ありません。レイモンさんの所にも行かなければならないので、ついででもあります。アロイスにも声を掛けなければなりませんね。事務室にいましたか?」
「いや、レッスン室に入っていくのを見たが」
ラウロの言葉に被せるように言って、別の話にすり替える。こういうことが上手くなってしまう自分が嫌になるが、心配をかけるのは本意ではないのだ。
「午後に付き合ってもらえるか、聞いてきましょう」
そう言って私は立ち上がる。ラウロの気遣うような視線には気付かないふりをした。
◆
アロイスもレイモンも、私を見てわずかに眉を寄せたが特に何も言わなかった。内心ほっとした私だが、表情には出さないように気を付けた。
帰りはエゴン協会の外で合唱を聞いた。ラウロには止めた方がいいと言われたけれど、美しいハーモニーで癒されたかったのだ。
夕方から降り始めた雪がふわふわと舞う中で目を閉じてじっと耳を傾けると、外にいることを忘れる。まるで静かな聖堂の中で聞き入っているような感覚になって、何かを祈らなければいけないような気分になる。
でも何を祈ったらよいのだろう。神様は私に何をしてほしいのだろう?自分の神様に耳を傾けるけれど、答えは返ってこなかった。
その日の夜、私は自室で瓶を取り出した。ドロフェイが置いていった不思議な瓶だ。透明な液体は瓶の3分の1くらいまである。明日は忘れずに飲まなければと枕元に置く。
翌日の午前はアロイスに頼まれていたヴァイオリン協奏曲の伴奏を行うことになっている。街の人たちの音楽教室はジゼルとダヴィデにも任せられそうだ。天気が良ければ昼間はエルヴェ湖で音楽を捧げ、城に戻って自分の練習もしなければならない。ああ、そういえばエグモントから新しいピアノの教本を確認してほしいとも言われていた。
忘れないようにメモをしておこうとネタ帳を巾着バッグから取り出す。
癖でタブレットも取り出してしまってため息を吐いた。
一体何なのだろう。あの映像は。
最初に見たのは確か年末の大掃除の日だった。
何気なくタブレットを弄っていたところ、見慣れないアイコンを見つけたのだ。タップすると動画が再生された。
たぶん映像に映っていたのはカミラだと思う。男性の顔は写っていなかったがあれは……ユリウスと同じ髪の色だった。ゲロルトも同じ色だけれど、カミラとの身長差を考えれば違うと思う。
だが、ユリウスは今はスラウゼンにいるはずだ。私がカミラを目撃したのは王都なのだから、カミラとユリウスが一緒にいるはずがない。
そうわかっているのにあの映像が頭の中で何度も再生されてしまう。
ラウロには気付かれてしまっているようだが、ここ数日は食欲が全くない。無理やり食べてはいるが、胸やけと吐き気がひどくて戻してしまうのだ。
幸い冬で着膨れているから気付かれないだろうと思っていたのだが、今日はあの透明な液体を舐めるのを忘れてしまったせいか、顔色が悪かったようだ。心配をかけないように気を付けなければ。
それにしてもどうしてタブレットにあんな動画が現れるようになったのか。
タブレットはジゼルやダヴィデにも使ってもらったし、アロイスがジゼルから預かったこともある。誰に使ってもらっても構わないと思っていたから机に置きっぱなしの時もある。
いずれにしてもこの世界の人々がタブレットに動画を入れることなんて出来ないだろう。そもそも映像を記録する装置だってないのだ。
他に心当たりがあるとすればドロフェイだ。
支部で『謝肉祭』を演奏した時はドロフェイがタブレットを持っていた。ドロフェイならばカメラがなくても映像を見せることが出来そうな気もする。なにしろ変な術を使うことができるのだ。
だがあの後も私はタブレットを使っていたが、動画を再生するアイコンは無かったと思う。ジゼルたちに貸した時もなかったはずだ。
それにドロフェイの仕業だとして、何のためにそんなことをするのか。意味がわからない。
本当はあんなものは見なければいいのだが、どうしても気になってしまうのだ。気が付けば手がタブレットに伸びて再生ボタンをタップしてしまう。そして見るたびに動画は別なものになっている。
ユリウスはスラウゼンに発つ時、待っていてくれと言った。私はそれを信じて待つしかないのに、心が揺らいでしまう自分が嫌になってしまう。
ため息を吐くと疲労感がどっと増したような気がして寝台にパタリと倒れ込む。
春までやることがたくさんある。そういえばベルトランの件はどうなったんだっけ? カミラと一緒にいたのはベルトランのはずだ。そうだあの映像はきっとベルトランなんだ。でも髪の色が違うのはどうしてだろう。
とりとめなく考えているうちに眠気が襲ってくる。
今日は宿屋に行ったり私設塾に行ったりで疲れてしまった。自分自身に言い訳をしながら眠気に身を任せた。
翌朝も、透明な石が枕元に落ちていた。




