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避難訓練

「火事、です」


 淡々としたマリアの声の後、ピィー――ッ、とけたたましくホイッスルが鳴った。


 城の5階にあるホールで私とまゆりさん、そしてジゼルが立ち上がる。


 アマリア音楽事務所の男性陣が急ぎ足で階下へ降りていき、ジゼルはベランダに出てホイッスルを思いきり吹いた。城門の方でガランガランと鐘も鳴る。


「みなさん! 落ち着いて誘導係の指示に従って避難してください」

「近い方の扉から出てください。走らないでください!」


 客席にいた者たちがそれぞれ扉から出て階段を降りる。


「んな暢気に歩いてたら丸焦げじゃねえのか?」

「ラースっ! しゃべっちゃダメだよ! 静かに避難するの!」


 2階の入り口から外に出て前庭に整列すると、エグモントが城門脇の塔から出てきた。


 今日はアマリア音楽事務所の避難訓練だ。聴衆としてパパさん、ラース、律さん、そしてカスパルも参加してくれている。ちなみにホイッスルはヴェッセル商会と取引がある金属加工職人に作ってもらった。


 人数を数えて逃げ遅れが無いか確認するところまでが私とまゆりさんの役目だ。参加人数は少ないけれど、こういうことは真面目にやるのが大切なのだ。


 程なくして東門の兵士が1人、走ってきた。


「あのホイッスルっての、東門まで聞こえるもんだな。最初のは小さくて聞き逃しそうだったが、2番目のはバッチリ聞こえたぜ。城門の鐘はたぶん街の広場まで聞こえてるんじゃねえかな」

「良かった。ホールに鐘を取り付けたりする必要はなさそうね。城門横の鐘までは遠いけど、門番が1人いればホイッスルと鐘で連絡は出来るわ」


 まゆりさんがそう言った時、1階の通用口からマリアとダヴィデとテオが出てきた。


「消火できたばい!」

「濡らした布が有効でした。砂はもっと多くないとダメですね」

「お疲れ様です。片づけは全員でやりましょう」


 1階厨房付近から火が出たと仮定して避難の流れをザっと確認し、どういった消火が有効なのかを調べるのが目的だったため、一旦、訓練は終了となる。この後は問題点などを話し合うことになっていた。


「と、いう訳で、第一回防災会議を始めます! 何か気が付いたことがある人は、挙手してください」

「はい!」


 真っ先に手を上げたのはテオだ。


「ホイッスルは増やした方がよか」

「そうだねぇ。1階に付き2つだったっけ? もう2つあってもいいんじゃないかい?」


 パパさんが言う。客役をしてくれた4人はオブザーバーとして会議に参加してくれているのだ。


「この城は大きいから、吾輩としては自分が今どの位置におって、どうやって逃げたらよいのかわかったほうがよいと思うのだ。必ずしも5階にいるとはかぎらんであろう? しかしながら実際は他の階にいる可能性もなきにしもあらずで誘導係がそばにいるとも限らんからして、……」

「もー、エグちゃんしゃべりすぎ―」


 ジゼルが止めてくれて助かった。だがエグモントの言うことはもっともだ。


「案内板を作ったらどうだい?」

「そうね。私が作るわ」


 クリストフの案をまゆりさんが請け負ってくれた。


「バケツの設置場所はもう1箇所あった方がよいのではありませんか?」

「でも水を運ぶのは大変だったよー」


 各階には水が入ったバケツが5個と砂袋が置いてある。エルヴェシュタイン城は東西に長い作りになっており、今は西側に置いてある。


 アロイスが言うように本当は東側にも設置したかった。だがジゼルが言ったように水を運ぶのが大変だったのだ。


 ちなみに城の水源は北側にある川で、川の流れを動力源とした大きな水汲み水車がある。汲み上げられた水は水路を伝って北館や南館などの各建物にある浄水設備に運び込まれる仕組みだ。エルヴェシュタイン城は高台にあるせいなのか川の流れが速くて冬でも凍らない。


 ただし、城の外にある設備なので、万が一にでも攻められるようなことがあれば真っ先に壊される可能性が高い。このあたりが城を本気で守るつもりが無かったと言われる所以でもあった。


「4階に滑車があるだろ?あれでバケツの水を上げてたんじゃねえかな」


 ラースが言って思い返してみる。4階の使用人が使っていたらしき螺旋階段の支柱脇に滑車があったはずだ。4階は王族の居室があったようなので、風呂に使う水などはその滑車を使ってロープなどで上げていたのかもしれない。


「それに飲み水じゃねえんだから、毎日入れ替える必要はねえだろ?」

「毎日半分ずつ取り替えたらいいんじゃなぁい?」


 ラースの言うことはもっともだが、水は夏場は2日程度で腐るので匂いが心配だ。運ぶのは大変ではあるが、律さんが言うように半分ずつ取り替えた方が良いだろう。


「私も手伝いますよ。事務所の人間ではありませんが、ここに住んでいる者として安全に気を配るのは当然です」

「いつも全員いるとは限りませんし……お願いできると助かります」


 エグモントは他国に教えに行くし、ダヴィデとジゼルは救貧院の音楽教室で月に1度は王都だ。カスパルの厚意に甘えることにした。


「入り口やベランダに梯子があった方がいいんじゃないかい? 階段が使えるとは限らないだろう?」


 高いところが苦手になってしまった私にしてみれば、梯子の上り下りなんて考えただけでも足が震えるが、クリストフの案はもっともではある。


「うちの工房の職人に作ってもらおうね。娘たちの安全を考えたらお安い御用だよ」


 楽器職人に梯子を作らせるなんて恐れ多いが、経理的には助かるのでパパさんに甘えることになった。


「他にありますか? ラウロは? 何か気が付いたことはありませんか?」

「警備を増やしたい」


 レッスンをしている時はラウロとテオが門に交代で待機してくれていたが、それもラウロとしては不満だったらしい。南1号館に事務所の人間以外が出入りする時期はできるだけ私の側で護衛をしたいと言っていた。そのため春からは門番を2人雇い入れることになっている。これはレイモンの推薦があったのですんなりと決まった。


 ラウロはおそらくゲロルトの話をユリウスから聞いたのだろう。火の魔法陣を警戒しているのだと思う。見回りを増やしたいと言っていたが、私が一人になるのも問題だと言っていた。


 だが護衛となるとやはり難しいのだ。四六時中、私と一緒にいることになるし、どうしたって背後にユニオンがいないか調べる必要がある。


「アールダムの者でも良いかもしれないね。ユニオンの手が伸びていないから。うちは許可が下りたけど、ユニオンはまだだと聞いているよ。僕の実家にも当てがないか聞いてみよう」


 パパさんの実家は他の街で繊維を扱う商会を営んでいる。アールダムとの取引もあるというのでお願いすることになり、防災会議は終了となった。






 ◆






 その日の帰り道、昨日は参加できなかった女性陣に頼んで、私はエルヴェ湖で再び実験をした。手を握ってもらって歌う実験だ。


「ごめんねぇ。力になれなくてぇ」

「いえ、こちらこそ付き合わせちゃってすみません」


 結果はお察しの通りだ。まあジゼルはともかく、まゆりさんと律さんは無理だろうなと思っていた。なにしろ元の世界には魔力なんてなかったのだから。


 他に頼めそうなのはレイモンくらいだろうか。昨日、私設塾に行った時に頼めば良かったのだが、資料の整理を続けると言っていたので遠慮したのだ。


 午前中の避難訓練の時はまだ降っていなかった雪がふわふわと舞っている。門兵たちも今週は本格的に降りそうだと言っていたが、気温がだいぶ下がっているので夜のうちに積もるかもしれない。


「マリアの耳当て、暖かそう。いいなー、私もそういうのがほしいなー」

「すごく、暖かい、です」


 ジゼルがマリアの耳当てを触りながら寒い寒いと笑っている。そういう姿を見ると、ジゼルも子どもなんだなと微笑ましくなる。雪のふり初めに歓声を上げるのは子どもの特権だ。大人になると先々の辛さを思って憂鬱になるものだ。


「今度作ってあげるよぉ。アマネちゃんとまゆりんもいる?」

「お願いするわ」

「私は大丈夫です」


 耳が隠れるとあの遠くの鐘みたいな音が聞こえなくなってしまう。ここで聞くと正常に聞こえるが、湖の中で聞いた音は少しだけ調律が狂っていた。木の根の傷が増えるとさらに狂った音になるのではないかと私は予想している。故になるべくあの音を聞き逃さないようにしたいのだ。


「まゆりさん、『道の駅』ってどんな感じですか?」

「順調よ。出展の希望が多いの」


 まゆりさんによると、出展したいと言っている主な業種はパン屋や菓子店、肉屋も多いらしい。王都では飲食店はほとんど無かったが、フルーテガルトには割と多くある。どの飲食店で提供しているのかも併せて紹介してほしいという要望があるらしい。


 飲食店は貴族や上流階級向けのものなので、仕入れ先も含めて今年は大打撃だったようだ。そういった店から巻き返しを図るべく出展希望が来ているという。


 ちなみに出展希望者には、例のバスボム作りを教えた雑貨屋さんも含まれているそうだ。


「そうだわ。ヘレナにも頼まれていたのよ。ドレッシングや粒マスタードを置いてほしいって」

「ヘレナのドレッシングはおいしいですもんね」


 なんか本当に『道の駅』っぽくて、私としても楽しくなってくる。


「りっちゃんも商品を提供してくれるのよね」

「うふふー、テディベアを作ろうと思って」

「へえ、いいですね。マリアにも買ってあげたいです」


 律さんは楽器を持ったテディベアを作ってくれるそうだ。たくさん集めたらオーケストラが出来る。コレクター魂を刺激しそうな案だ。


「テディベアに持たせるミニチュア楽器はどうするんですか?」

「王都でケヴィンさんに頼んだらぁ、ヴェッセル商会で作ってくれるって」


 すでにいくつかの試作品ができているらしい。なにそれ見たい!


「ヴェッセル商会って、元々は木彫りの人形とか作っていたって聞いたわ」

「フルーテガルトに居つく前はそうだったみたいですね」

「工芸品があってもいいわよね」

「楽器も置いてほしいって、ケヴィンさんが言ってたよぉ」


 それは私も考えていたところだ。楽器博物館! 素敵だ!!


 今は使っていない城の一室を使ってできないだろうかと考えてみる。いろんな楽器をずらりと並べて、楽譜も並べたら楽しいかもしれない。楽譜ライブラリー、素敵だよね!


「でも人手が足りないわね」

「ヴェッセル商会で見習いを何人か入れるって言ってたので、交代で来られないか聞いてみますね」


 パパさんは先に帰ってしまったが、夕食の時に顔を合わせるから聞いてみようと頭の中にメモをする。


「ねえ、スタンプラリーとかやったら面白そうじゃない?」

「スタンプ、楽しい。私も、スタンプしたい」


 まゆりさんの案に反応したのはマリアだ。マリアはスタンプを押すという行為がどうやら好きらしい。アマリア音楽事務所のロゴマークを楽譜にスタンプしていた時も楽しそうだった。


 スタンプラリーで街をうろつく貴族たちを思い浮かべてみる。貴族は見栄を張る者が多そうだから、スタンプして終わり、とはならないだろう。きっとお店で何かしら買ってくれるはずだ。


「台紙は私が作るわ。スタンプはラウロ、頼めるかしら?」

「ああ」


 ラウロは私が練習している間、手持無沙汰だと言っていたことがある。どうやらカスパルの本は読みつくしてしまったらしいので、スタンプづくりは丁度良いかもしれない。


「私もスタンプの案を考えたいよー」

「もちろん、ジゼルにもお願いするわ」


 まゆりさんによるとジゼルは女の子らしい可愛いイラストが得意であるらしい。菓子屋のスタンプなどを作ってもらうという。


「ねえ、スタンプって言えばぁ、事務所のロゴを使ってぇ、グッズを作ったらいいんじゃなあい?」

「グッズですか? 例えばどんな感じです?」

「レッスンバッグとかぁ、コースターとか、どうかなぁ」


 それは素敵だ。でも律さん1人では大変なのではないだろうか?


「針子の見習いをしたいっていう子が何人かいるんだよぉ。冬の間に鍛えればぁ、直線縫いのものなら商品にできるよぉ? ヘレナのお友だちも手伝ってくれるって言うしぃ」


 そうだったのか。女性の仕事が増えるのは良いことだ。律さんが作る衣装は王都で人気なので大変かなと思ったが、ヘレナの友人たちも手伝ってくれるなら安心だ。


「なんか春が待ち遠しいですね!」

「まだ雪が降り始めたばかりだけどねぇ」

「忙しくなるから、あっという間よ」


 渡り人3人は時間に追われたあの世界を知っている。時間が有限であることも知っている。うかうかしていられない、と顔を見合わせたのだった。


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