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偽家庭教師

 ユリウスが王都経由でスラウゼンへ向かうのに同行し、ダヴィデもまた王都へ向かった。


 書きあがった即位式用の楽譜を王宮へ届けるためだったのだが、3日後に戻ってきたダヴィデの表情は暗かった。


「何かあったのですか?」

「実は偽物の家庭教師が王都にいるようなのです」


 偽物とは穏やかではない。詳細を聞くためにアマリア音楽事務所の全員が事務所に集まった。


 ダヴィデによると、王都の下級貴族を相手に渡り人の弟子を名乗って家庭教師を請け負っている者がいるらしい。その家庭教師は20代の男性であるらしい。


「ひょっとしたらなんですが……ベルトランではないかと」


 ダヴィデの言葉にベルトランを頭に浮かべる。葬儀の際はトラヴェルソを担当し、ヴィルヘルミーネ王女の慈善演奏会ではルイーゼのピアノ伴奏を請け負っていた。


「ベルトランならばピアノも演奏できますね」

「彼もオルガン経験者だからね。腕も良かったよ」


 アロイスとクリストフが言う。


「ダヴィデ、ベルトランの居場所はわかりますか?」

「すみません。逗留先に行ってみたんですが、すでに居を移したようで……」

「謝る必要はありませんよ。むしろ情報を得てきたのだからお手柄です」


 ダヴィデを労ったものの、対策を考えなければならない。


「生徒さんに配布している曲集はうちのロゴが入っているわ。それを広めてもらったらいいんじゃないかしら?」


 まゆりさんの案に私も頷く。


「そうですね。11月以降に出した曲集には表紙にロゴマークが印刷されていますが、生徒さんに配布したものには裏表紙にも印が押してあるのですよね?」

「ええ、そうよ」

「なら支部に連絡して顧客に注意喚起を促してもらいましょう」


 今のところ思いつくのはそれぐらいだ。こうなってみるとロゴを作ってくれたまゆりさんには感謝するばかりだ。印を作ってくれたラウロにも。


「アマネしゃん……僕……王都に行ってくるばい」

「テオが王都にですか?」

「僕の父上は下級貴族ばい。父上にも知り合いに言うてもらうよう頼んでみるばい。雪が降ったら動けんくなる。今のうちに動いた方がよか」


 テオの言うことはもっともだ。雪が降った後にどうこうしようと思っても、フルーテガルトから王都に行くのは難しくなる。


「ですがテオ一人で行かせるわけには……」

「俺も行きます。ベルトランを探したいですし」


 私が悩んでいると、ダヴィデが手を上げてくれた。戻ってきたばかりなのに申し訳ないが、ダヴィデがいてくれた方が心強いし、可能ならベルトランを見つけてほしい。


「雪が降るのはいつぐらいなのでしょう?」

「毎年だいたい20日頃には降り始めるね。積もるのは年末だけれど」


 クリストフが教えてくれる。


「2人とも、20日までにはフルーテガルトに戻ってくるようにしてください。それからダヴィデ、ベルトランをもし見つけたら、まず理由を聞いてくださいね。手荒なことはしてはダメですよ。危険なことも、もちろんダメです」

「わかりました」


 2人に何度も念を押していると、それまで黙っていたアロイスが言った。


「アーレルスマイアー侯爵にも手紙を送っておいた方がよいでしょう。カルステン殿や写譜屋などにも連絡してみてはいかがですか?」

「そうですね。そうしてみます」

「宮廷楽師には僕が連絡しておこう」

「私はフィンに連絡しておくわ」

「私もー! お友だちにお手紙を書くよ!」


 みんながそれぞれの知人に手紙を書くことになって動き出す。


「アロイス、ありがとうございます。私が真っ先に思いつかなければならないことだったのに、なんか慌ててしまって……」

「構いませんよ。私やクリストフはユリウス殿に頼まれておりますから」


 アロイスの言葉に目を瞬く。どうやら2人はユリウスに留守中も私を支えるように言われていたようだ。


「手を握るまではお許しいただいてますので。必要な時はいつでもお申し付けください」

「…………本当にユリウスがそんなことを?」

「慈善演奏会の命は取り消されておりませんので」


 アロイスはそう言って片目を閉じて笑った。






 ◆






「アマネちゃん、話があるんだ」


 テオとダヴィデが王都に向かった数日後、私はケヴィンに呼び出された。


 空一面はぶあつい雲が覆いかぶさっていて、風がびゅうびゅう吹きすさび、枯れ葉が舞っている。気温も随分と低く息も白い。もうすぐ雪が降るんだろうなと気が重くなるような中、ケヴィンと2人で居間で話をする。


「ダヴィデたちから連絡は?」

「届いているよ。支部の周辺に怪しい者がうろついていたって」

「うん。おそらくだけど、ユニオンの関係者だと思う」


 ダヴィデたちは王都では支部に滞在してもらっているが、支部への出入りの際に何度も同じ顔を見かけたり、路地に何者かが潜んでいたりと支部周辺におかしな動きがあるらしい。


「冬の間、僕は王都に滞在するよ」

「うん。それがいいね。支部のみんなが心配だもの」


 ユリウスがいない今、ケヴィンまでいなくなってしまうのは正直に言えば心細かったが、支部の現状を見過ごすわけにはいかない。


「アマネちゃんは大丈夫かい?」

「大丈夫だよ! 私これでもケヴィンよりも年上なんだよ?」


 精一杯強がって笑顔を向けるが、ケヴィンは浮かない表情のままだ。


「言わないつもりだったんだけど……アルフォードがいなくなって、兄さんもテンブルグに行ってた時、アマネちゃん、夜に寝ながら泣いてたよ」

「え……、私が? 夜に?」

「気付いたのは父上なんだけど」


 ケヴィンの言葉に困惑を隠せない。確かにあの時は寂しくて、アルフォードの石が入ったロケットを握りながら眠っていたけれど、寝ながら泣くなんてそんな子どもみたいなことを26にもなってするなんて、そんな馬鹿な。


「やっぱり心配だなあ。僕の妹は本当に手がかかって困るよ」


 ケヴィンが冗談っぽく肩を竦めて言う。


「だけどユニオンが相手だったら誰かが王都に行かないといけない」

「ケヴィン、私は大丈夫だから。ミアのこともマルセルさんのことも守ってあげて」

「マリアのことも頼むよ。きっとマリアも寂しがってる」


 私だけが寂しいわけじゃない。そんなことにも気が付かないなんて、ダメだな私。マリアは普段はあまり表情が変わらないし、執着を見せたのもレオンとエルマーぐらいだけど、本当の家族みたいに接してくれるユリウスやケヴィンがいなくなって寂しくないはずがない。


 不安がっている場合じゃないと自分に発破をかけるのだった。






 ◆






 ヴェッセル商会の楽器工房は相変わらず忙しくて昼間は活気がある。だが夜になると私とマリア、ラウロとパパさんの4人になってしまう。4人のうち2人が物静かな質なので、屋敷全体が静まり返る。


 あまりにも静かすぎるので、私は夜にマリアの歌のレッスンをすることに決めた。あまり遅い時間は近所迷惑になってしまうが、皆が寝静まる前の少しの時間なら問題ないだろうと判断した。苦情があったら考え直せばいいのだ。


 チェンバロの伴奏に合わせてマリアが歌うのは、すでに出版済みの元の世界のイタリア歌曲集だ。イタリア歌曲集は声楽を志す者が一度は手にする曲集だ。


 本来、音大受験などではコールユーブンゲンという歌の基礎を学ぶための教本を使うのだが、あいにくタブレットには入れていなかった。


 イタリア歌曲集も全曲入れてあるわけではなかったが、有名どころの曲や私が個人的に好きだった曲はタブレットにも入れてあったため、それをマリアの練習用として楽譜に起こしたのだ。


「マリアもそろそろ演奏会の曲を決めないといけないね。どれがいいかな?」

「何曲、歌う?」

「3曲くらいかな。もちろんもっと歌ってもいいよ」


 楽譜を広げて今まで練習した歌の中から曲を選んでいく。


「これとこれ、これは絶対」


 マリアが選んだ曲を見て思わず笑みがこぼれた。元の世界でも歌われることが多い曲ばかりだ。世界を渡っても好まれる音楽は変わらないようだ。


『私を泣かせてください』は大ヒットとなった昼のドラマで使われていた曲で、朝ドラの挿入歌などにも使われていた。元はヘンデル作曲のオペラ『リナルド』で、囚われの身となった女性が自身の不運を嘆き、恋人を思って歌う曲だ。


「ヘンデル、渡り人の世界の、ドイツの人?」

「うん、でもイタリアに旅行に行って、その後イギリスに行ってから作ったの」

「???」


 困ったような顔で悩むマリアがおもしろくて笑ってしまう。


 ややこしいことにこの曲はドイツ生まれのヘンデルが、イタリア旅行でイタリアン・オペラの影響を受け、ロンドンに渡ってから作った曲だ。ゆえにイタリア歌曲集に含まれているのだ。


「こっちは、好きな人に、嫌われちゃう歌」

「そうだね。曲調は柔らかいけど悲しい歌だね」


『愛の喜びは』はエルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない」の原曲で、愛の喜びは一瞬だけど別れの苦しみは一生続くという苦い歌詞を甘いメロディで歌う曲だ。


 そして『側にいることは』。これはもうマリアの18番にしてしまって良いだろう。私もつい口ずさんでしまうたった4行の詩。レオンとエルマーに向けてマリアが歌ったあの曲。私がエルヴェ湖に最初に捧げた曲でもある。


「レオンとエルマー、聴きに来てくれる?」

「うーん……エルマーは大丈夫だと思うけど、レオンはどうかな? ヤンクールは遠いからね」

「じゃあ、エルマーが近いのは、嬉しくて、レオンが遠いのは、悲しいって、歌う」


 う、うーん……それでいいの、かな? まあ、マリアがいいならそれでいいか。


 歌詞を考えると『愛の喜びは』はマリアには少し早いかなと思わないでもなかったが、イタリア歌曲はだいたいそんな感じなので仕方がない。


「じゃあ、たくさん練習しないとね」

「うん。頑張るです」


 マリアの歌の先生はまだ見つかっていない。ユリウスがテンブルグで探してくれたらしく、この人なら任せられるという人物がいたようなのだが、片道7日のテンブルグはやはり遠かった。


 ただ協奏曲の演奏会には来てくれるそうなので、その時にマリアの歌を聞いて助言がもらえるかもしれないと期待しているところだ。


 良く伸びるマリアの歌声が静かな屋敷に響く。スラウゼンにも、ユリウスにも届くといいな。


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