頑張りの結果
ユリウスの誕生日の前日、ようやくクロイツェルの楽譜が完成した。
私は悩んだ挙句、その日のうちにユリウスに渡すことにした。楽譜は早めに仕上げると約束していたのに随分遅くなってしまったからだ。
ユリウスの誕生日はマリアの誕生日でもある。というか私がそう決めた。
マリアは自分の誕生日がわからなかった。マリアが支部に来た時、ユリウスはスラウゼンに行っていたのだが、ケヴィンと相談した結果、ユリウスと同じ日にしようと決めたのだ。
理由は簡単だ。ケヴィンによれば、ユリウスも私と同じように自分の誕生日を忘れてしまうタイプだったからだ。マリアも同じ日にすれば、絶対に忘れなくなるよねという話をしたのを覚えているが、その後、私がユリウスと同じことをしてユリウスに怒られたのは記憶に新しい。
当のケヴィンはまだその事実を知らないのか、特に怒られてはいない。パパさんも同様なので、怒られたくない私としては静観を決め込んでいるところだ。
『アマネミンD』と書きあがったばかりの楽譜を持ってユリウスの書斎へと向かう。
なんか久しぶりすぎて緊張してしまう。前にゆっくり話したのって、カルステンさんが来た時だったかな? もう1か月以上前だ。
書斎についてノックをすると誰何の声。それすらもなんだかドキドキしてしまう。そーっと扉を開けるとユリウスが呆れたような表情でこちらを見ていた。
「なんだ。なぜそんなおかしな入り方をする」
「なんか久しぶりだなって思ったら、緊張しちゃって」
ユリウスを伺い見れば、めちゃくちゃ嫌そうな顔で自分のガウンを被せてきた。
「何故そんな薄着なのだ? いつも寒がっているくせに」
「あー……部屋でお茶を零しちゃったんだよね」
楽譜が書きあがって浮かれていたとも言う。楽譜は清書して別の場所に置いてあったのだが、無事で本当に良かった。
「それで? 用件はなんだ」
「あのね、明日はユリウスの誕生日でしょう? 1日早いけど、プレゼントがあるんだよ」
ユリウスの腕を引いてソファに並んで座ると、私は小瓶と楽譜を手渡した。
ユリウスは楽譜を見て一瞬口を緩めたが、すぐに眉間に皺を寄せた。
「早めに書くと言っていたが、随分と遅かったではないか」
「ごめんね。即位式の楽譜がなかなか進まなくて、遅くなっちゃった」
「まあいい。この瓶は?」
「これは『アマネミンD』だよ」
私は『アマネミンD』の説明をする。ユリウスはものすごく胡散臭そうな顔をして聞いていた。
「本当にそのような効果があるのか?」
失礼な。ちゃんと自分の身で確かめたというのに。
「それにその道化師が置いていったという瓶のことは聞いてないぞ」
「そうだったっけ?」
「あの時はそのような物は持っていなかったと思うが?」
あの瓶は資料室のピアノの上に置かれていたのだ。私を資料室から寝台へ運ぶときにはそんなものはなかったらしい。いつ置かれたものなのかはわからないままだ。
「それにその透明な結晶はいつから出現するようになったのだ?」
「えっと、ユリウスがテンブルグに行った後だったかな?」
「ふむ…………朝になると枕元に落ちているのだな?」
念を押すように聞いたユリウスは難しい顔で考え込んだ。指先がトントンと肘掛けを叩く。そんな姿を見るのもなんだか久しぶりだと思っていると、じろりと睨まれてしまった。
「そんな怪しげなものを自分の身で試すとは……お前は馬鹿なのか?」
おでこをツンツンとつつかれる。おかしい。こんなはずじゃなかったのに。ユリウスに喜んでもらおうと思ってたのになんでお説教されてるんだろう?
「だって、ユリウス忙しそうだし……ちょっとでも疲れが取れたらいいなって思って……」
口を尖らせてそう言えば、ユリウスは盛大なため息を吐いて立ち上がった。どこに行くのかと目で追うと、机の引き出しから1冊の本を持って戻ってきた。
「俺からもお前にプレゼントだ」
本は良く見れば紙束を厚めの紙で製本したもので、たぶん手作りだ。表紙にはアマリア音楽事務所のロゴが入っている。
なんだろう? と捲ってみる。1ページ、また1ページ、と捲っていくうちに、手が震えて鼻が詰まって。目の奥が熱くて仕方がない状態になった。
「お前は物よりもそちらの方がいいだろうと思ったのだ」
「……っ、……ぐすっ、うん……うんっ」
堪らなくなって羽織らされたユリウスのガウンの袖で顔を覆う。涙でプレゼントが濡れたら大変だ。
それは手紙を集めたものだった。
ケヴィンやパパさん、マリア、アマリア音楽事務所のみんな。ラースやデニス、レイモンからのもある。スラウゼンにいるはずのザシャとマルコ、王都のマルセルやミア、エルマー。
さらに捲るとシルヴィア嬢や二コル、そして、アンネリーゼ嬢やフィン、宮廷楽師や劇場の演奏家たちのものもある。
みんなが私の誕生日を祝い、黙っていたことを怒っていたり、心配していたりしていた。
「これ、どうやって書いてもらったの?」
「行けるところは行って頼んだ。ほら、プリーモやルイーゼ嬢もあるだろう? ザシャやマルコは手紙で知らせた」
「みんな、よく書いてくれたね?」
「お前の頑張りの結果だろう」
この世界に降り立ってから約8か月。こんなにたくさんの人に会えて、しかも誕生日を祝ってくれているなんて嬉しくて仕方がない。
涙が止まらない私を、ユリウスは抱き寄せて肩を貸してくれた。
「どうしよう……こんなにお祝いしてもらったのに、私、みんなの誕生日を知らないよ」
「お前は音楽で返せばいい。カルステン殿もそう書いてあるだろう?」
ユリウスがみんなにどんな風に頼んだのかわからないけれど、これだけたくさんの手紙を集めるのにどれほどの時間がかかっただろう? テンブルグでもプリーモやルイーゼに会いに行って…………どれほど私のことを考えてくれたんだろう?
そう思ったら、たまらなくなった。
「ユリウス、大好き」
「…………待っていろと言っただろう」
何の話だろう? そんなこと言われたかなと思い返しているとユリウスに頬を抓られた。
「クロイツェルだ」
「うん。練習するから待っていろって…………あ、あれってそういう……?」
うわあ、全然わかってなかった。ていうかわかりにくいよ! でもすごく嬉しくて、私の顔は困ったりにやけたりと大忙しだ。
「まったく……鈍いにも程がある」
ユリウスは珍しく困ったような表情をした後、私の唇を食んでくれた。まあユリウスがちゅーしてくれなかったとしても、自分からしてたけどね。だってこんなに大好きだ。
伝えずになどいられるものかとばかりに、私も頑張ってユリウスの首に手を回して唇を食む。ユリウスはそんな私を見てちょっとだけ笑って、それを見た私が心臓をぎゅんぎゅんにされているうちにやり返されて。
そんな風にして、私たちは一緒にいられなかった時間を埋めたのだった。
◆
「マリア、お誕生日おめでとう」
誕生日を祝ってもらうのが初めてなのだろう。マリアは目を丸くして周りを見回した。
そんなマリアを見て私たちは笑顔になるばかりだ。マリアの誕生日のお祝いはサプライズだったのだ。
誕生日を祝う会にはヴェッセル商会の面々の他、当然、アマリア音楽事務所の全員、そしてカスパルとレイモンも来てくれた。
ハンナに焼いてもらったケーキと、まゆりさんや律さんにも手伝ってもらって作ったたくさんのお料理。ジゼルとテオはマリアにバレないように、私設塾でマリアの引き止め役をしてくれた。
私からマリアへのプレゼントは、私とお揃いの巾着リュックだ。律さんに生地を提供してもらったおかげで、私が兄からもらったものよりも数倍かわいく出来上がった。
ユリウスからは手袋が、ケヴィンからはマフラーがプレゼントされ、そして、レオンからはふわっふわの耳当てが送られてきた。
ユリウスとケヴィンとレオンは示し合わせたわけではなかったのに同じようなピンク色で、この3人はやっぱり兄弟だなと妙に感心した。
パパさんからはタータンチェックのひざ掛けが、そしてエルマーから届いたのは喉に良いというハーブティーだった。
たくさんのプレゼントに囲まれて、普段はあまり表情が変わらないマリアも、両手を頬に当ててはにかんでいた。それを見た私が歓声を上げたのは言うまでもない。女の子はこうでなきゃね。マリア、世界一かわいいよ!
そんな私を呆れ顔で見るユリウスだったが、彼もまた祝われる側だ。ケヴィンやパパさんから手帳やペーパーウェイトをプレゼントされ、不機嫌顔で礼を言っていたのはおもしろかった。
クリストフ、アロイス、カスパル、レイモン、そして、ラースの30代前半組は、そんなユリウスを見て揶揄っていた。レイモンはともかくとして、クリストフとアロイスは意外だった。
「ユリウス殿も早く30代になるといいよ。男の魅力は30からだから」
「今からそのように眉間に皺を寄せていては、30を超えた時には痕が消えなくなりますよ」
そんな風に言う2人をユリウスは思いきり睨みつけていたのだが、この2人、後先を考えていないのかと私は青くなるばかりだった。なんて怖いもの知らずなんだろう。
そんな2人を横目に、カスパルはカスパルだった。
「ユリウス殿、時の歩みは三通りあります。未来はためらいながら近づき、現在は矢のように飛び去る。そして過去は永遠に静止しているのです」
ええと、どういう意味なんだろう? 30はためらいながらい近づいてくるけど、30になった途端に矢のように飛び去るみたいな? それはそれでなんか嫌だな。
それに対してレイモンの言葉は泣かせた。
「お前に会って13年も経つんだな……大人になりやがって……」
そしてラースはユリウスだけでなく、他の男性陣をも敵に回した。
「ユリウスの旦那、結婚っていいもんだぜ」
改めて考えると、その場にいる30代で結婚しているのがラースだけという事実に私は涙を禁じ得なかった。
そんな楽しい時間を過ごしてから3日たち、ユリウスがスラウゼンへ旅立つ日が来た。
「ザシャとマルコにもよろしく伝えてね」
「わかっている。お前はラウロかラースを必ず側に置け」
「ラースも?」
「結婚ボケしているから、扱き使ってやれ」
ユリウスは誕生日の時のことを根に持っているようだ。ラースを見れば頬を掻いていた。
「スラウゼンはユニオン側の小領地に囲まれてるんだよね?」
「ユニオンのことなら心配するな。冬はゲロルトも移動しないと言っただろう?」
「そうだけどアルフォードもいないし、気を付けてね」
ピアノの売れ行きは好調で、スラウゼンでスプルースを伐採するまではフルーテガルトで製造するため、狙われるとすればフルーテガルトだとユリウスは考えているようだったが、私としてはどうしたってユリウスが心配なのだ。
ちなみに宿屋に戻った護衛たちも、客が減る雪が降り始めた後はヴェッセル商会の方で守りを固めてくれることになっている。
「仕事ばっかりじゃなくて、ちゃんと休まないとだめだよ?」
「わかってる。お前からもらったこれもあるからな」
そういってユリウスは内ポケットから小瓶を見せる。
「クロイツェルの練習もしておくから、お前も励むように」
「うん。帰ってきたら一緒に演奏できる?」
「穏健派を取り込んだ後だな」
約束はどうやらユニオンの穏健派の取り込みが終わってからになるようだ。私は先走って言葉にしてしまったけれど、ユリウスからは特に返事をもらったわけではない。
視線が下を向きそうになった時、ユリウスがハグをしてくれた。
「アマネ、待っていてくれ」
「うん」
ユリウスはそう言ってスラウゼンへ旅立った。