商品開発と会計報告
11月も最終日となり、寒さが我慢できないくらいになった頃、ようやく事務所の暖炉に火が入れられた。
「あんまり暖かくない……」
「だから言ったでしょう? 部屋全体は暖まらないって」
まゆりさんの言う通りだった。隙間風がぴゅうぴゅうと嫌な音を立てているし、暖炉の熱は近くまでいかないと感じられない。それでも外から入ってくるとちょっとは暖かいので、ないよりはマシだ。
「まゆりさん、何を作っているんですか?」
事務室に行くと、作業机の上に器に入った白っぽい粉が2つと小瓶が2つ、そしてボウルが置いてあった。
「バスボムよ」
「ええと、お風呂でしゅわーってなる?」
「ええ。結構簡単に作れるのよ」
白っぽい粉はどうやら重曹とトウモロコシの粉であるらしい。
「トウモロコシの粉はコーンスターチの代わりね。片栗粉でもいいんだけど、こっちにはないから」
「重曹ってどうやって手に入れたんです?」
「これ、金属加工の職人さんから分けてもらったのよ」
まゆりさんによれば、鉄を作るための燃料を作る時、アンモニアが副産物としてできるそうだ。このアンモニアと炭酸ガスを食塩水に通せば重曹が沈殿するという。そして、ヴェッセル商会と付き合いがある金属加工職人の間では、この重曹が錆落としとして使われているらしい。
ちなみに炭酸ガスはすでに発見されていた。おもしろいことに、ビールの大桶の上に水の入ったボウルをつるしておいたら炭酸水になったそうで、そこから炭酸ガスを見つけたのだという。さらに研究が進み、今では石灰岩に硫酸を垂らす方法が使われているようだ。
「こっちの瓶は?」
「精油とレモン汁よ。レモン汁はクエン酸の代わり」
バスボムを作るには、水を少しづつ足しながらこれらの材料を混ぜるだけだそうだ。
「水を入れすぎるとシュワシュワ音がするでしょう?」
「わっ、ほんとだ!」
「それだと水が多すぎるのよ」
そう言いながらまゆりさんは粉を足していく。
「こんなものかしら?」
練ったものをスプーンで手のひらに取り、ギュッと潰すと塊になった。
「丸めて半日くらい乾燥させたら出来上がりよ」
「へえ。ほんとに簡単にできちゃうんですね。でも、コレ、どうするんです?」
バスボムであるからにはお風呂で使うのだろうけど、仕事中に作るのは真面目なまゆりさんらしくない気がして聞いてみる。
「街の雑貨屋さんに相談されたのよ。『道の駅』に出展したいけど売れそうなものがないって」
「ああ、なるほど!そういうことだったんですね」
「この辺りはハーブがたくさん採れるでしょう?精油作りも難しくはないし、この国の人たちはお風呂にも入るから受け入れられそうだと思ったのよ」
精油は蓋に管を付けた鍋でハーブを蒸し、水を張った別の容器に管を入れて冷やせば作ることができるそうだ。
「湿気がダメだから、乾燥剤みたいなものも必要だわ。一応、油紙には包むけれど」
「ああ、それなら麦がいいですよ」
菓子を作るエルマーから以前仕入れた知識を披露する。
「大麦を炒って紙か布に包んで同梱すればいいんですって」
「ああ、そういえば炒り米も乾燥剤に代用できるって聞いたことがあるわ。それと同じ感じなのね」
この国では悲しいことにお米はない。代わりにビールの材料となる大麦が栽培されている。
「じゃあ乾燥させている間に、11月の会計報告をするわね」
テキパキと後片付けをしながらまゆりさんが言う。
今年最後のレッスンの時間は、まゆりさんから11月分の報告をしてもらうことになっていた。私が少し早めに来てしまったため、バスボム作りに遭遇したのだった。
期間限定のベルノルトを含め、人件費は月に150フロルほどかかる。そのほかに事務所を維持するための光熱費、紙やインク、リードのような消耗品費、そして、この世界の楽譜を購入するための書籍代などを含め、毎月かかりそうな支出が120フロルほどあった。その他には冬支度で購入した薪ストーブが5台分で50フロルの支出だ。
収益としては11月はレッスンをぎっちり詰め込んだので1200フロル、それから、出版した楽譜の売上からの収益が300フロル、さらに楽譜を1つ出版できたので執筆料として100フロルがあった。
「12月から2月まではレッスンがないから11月に開校出来て助かったわ」
「本当に。ただ今回は詰め込みましたけど、もうちょっと余裕を持たせたスケジュールにしないと自分たちの練習が厳しいですね」
「アマネちゃんの出勤時間を昼からにしたらいいんじゃない? そうしたらレッスン後にピアノが使えるわよ?」
まゆりさんの案は私も考えたのだが、アロイスやクリストフはレッスンの講師をした後に自分の練習をしなければならない。
「それに、まゆりさんも一人で通勤になっちゃいますよ? 女性の一人歩きは心配です」
「ああ、言ってなかったかしら? 東門の近くに家を借りた話はしたわよね? ジゼルも一緒に住むことになったのよ」
それは初耳だ。12月に入ると律さんが王都から移住してくる予定だが、一緒に住むまゆりさんとしては、ヴィムと律さんにあてられっぱなしになることを危惧していたようだ。そんな折にエグモントが北館に居を移すということになり、ジゼルの住まいをどうしようかという話が出たため、まゆりさんがジゼルを誘ったという。
「ジゼルとエグモントさんってどういう関係なんですかね? 王宮で芸を披露した時に気に入ったって言ってましたけど」
「それもあるみたいだけど、彼女がいた旅芸人の座長さんからエグモントさんが頼まれたみたいよ。旅芸人ではもったいないからって」
どうやらバウムガルトの屋敷に連れ込んでいた女性というのはジゼルのことではなかったようだ。エグモントは離婚歴があり、ジゼルと同じような年頃の娘がいたそうなのだが、奥さんと別れてからは会っていないらしい。エグモントからすればジゼルは娘のような存在なのかもしれない。
「天真爛漫っていう感じで、いい子よね」
「そうですね。一生懸命ですし」
王都からの帰りにタブレットで見たコッぺリアもジゼルに良い刺激を与えたようで、最近はしょっちゅうタブレットを借りに来ては振り付けの習得に励んでいる。
「でも、アロイスさんやクリストフさんの練習時間を増やすなら、レッスン代は上げた方がいいんじゃないかしら?」
「うーん……レッスンにかかる費用を安くして、その分フルーテガルトでお金を使ってほしいんですよ」
家庭教師の相場は1回5フロルだが、アマリア音楽事務所のレッスン代は3フロルだ。フルーテガルトの街にわざわざ来てもらうということもあったが、街の子どもたちもいずれ通えるようにしたかったため、受講料を低めに設定したのだ。
「そうねえ。街の人たちからも差し入れがあるから……演奏会で収益を増やせるように頑張りましょう」
11月の1か月間でフルーテガルトの街もだいぶ賑わいを取り戻した。街を歩いていると声を掛けてくれる人も増え、時には食料や薪を差し入れてくれる人もいたので、経理的にもだいぶ助かっているのだ。
「積み立てはどうなってますか?」
「寄贈分は90フロルね。演奏会用は300フロルよ」
寄贈分の積み立ては、いずれ救貧院の環境改善や楽器の購入費に充てる予定で、楽譜の売上の3割を積み立てている。元の世界であればJASRACに納める費用と同程度だ。
それと演奏会ではビラやチケットなどの印刷費と衣装代、舞台設営費用などがかかるため、月の収益から積み立てに回すことにしているのだ。
「12月から2月までは楽譜の売上と執筆料で400フロルの収益が見込めるわ。出費は320フロルだから、積み立ては少ないけど初期費用もまだあるし、即位式の曲を納めたら3000フロルが入るでしょう? それを協奏曲の演奏会の費用に回せるわ」
「何とかなりそうでよかったです。まゆりさんがちゃんと管理してくれているおかげですね」
私ときたらあまり考えずに人を雇い入れたりするので、まゆりさんがいてくれて本当に助かっていた。
「楽譜の売上が大きいわよね。8冊だったわよね?」
「先週もう1冊、王都に送ったので来月からは9冊ですね」
即位式の音楽が行き詰ったおかげで、ロマンス作品集がついに完成したのだ。ラースの結婚式でアロイスとクリストフが演奏した曲ももちろん入っているし、ピアノ用の曲をヴァイオリン独奏用に編曲したものもある。
「エグモントさんの方も来月は2冊出せるみたいです」
「執筆料はエグモントさんに払わないといけないけれど、売上からは半分支払えばいいのよね?」
「そうですね。管理が面倒になって申し訳ないんですけど」
エグモントに頼んだのはピアノの練習曲の作曲だ。彼自身の作なので執筆料は全額エグモントに支払うことにしてある。ただし楽譜にはアマリア音楽事務所の名前も入るし生徒にも奨めるため、出版後の売上から入ってくる収益は半分事務所に入れてもらうことにしてあった。
「即位式の方はどう? 進められそう?」
「バッハの『管弦楽組曲第3番』にしましたから、譜起こしをがんばらないといけないですね。それに明日からピアノが1日中使えますから、協奏曲も練習したいですし……。もしかすると事務所に籠るかもしれません」
「工房も人が増えたのよね? 立ち入り禁止になってるって聞いたわ」
ピアノの販売が始まり、フルーテガルトの工房も人手が足りなくなったため職人を随分多く雇い入れたようだ。いずれスラウゼンの工房で製造も行う予定であるため、そちらの職人もフルーテガルト入りしているらしい。
だがユリウスがテンブルグに行っている間、新しく雇用した人物たちの背後が洗えないため、私は工房への立ち入りを禁じられたのだ。工房の入り口にはラースかケヴィンが陣取っているのでこっそり入ることもできない状況だった。
「ユリウスさんは今日戻ってくるのよね?」
「ええ。夜になるみたいです」
「すぐに王都に行くんでしょう? アマネちゃん、事務所に籠っていたら会えないんじゃない?」
そうは言っても即位式の方を進めなければならないので仕方がない。
今回のユリウスのテンブルグ行きは、テンブルグでの中等教育学校を作るための視察が主であるらしい。初等教育の学校や大学も見て回ると言っていた。それに加え、ピアノの材料となるスプルースの取引契約と木管楽器やヴァイオリンの材料となるグレナディーラやプラターネの仕入れ値の交渉など、随分と忙しい日々を送っていたようだ。
ユリウスは戻ってきた3日後には今度は王都に行くことになっている。こちらはおそらくユニオン穏健派のギルド加入についての話し合いだろう。
「大丈夫ですよ。それより『道の駅』はどうなってますか?」
「テオが頑張ってくれているわ。これもレッスンを11月に開校できたことが大きかったわね。出展したいっていう申し出が随分多いのよ」
テオはフルーテガルトの特産品の発掘を頑張ってくれていた。街の人々にとってはこんなものが売れるのか? というような物も、テオにかかれば立派な特産品になるらしい。街の外から来たテオだからこそ出来ることだと感心するばかりだ。
道の駅では特産品の展示を行うほかに日替わりの試食スペースを設ける予定だ。
実のところ、道の駅と銘打ってはいるものの、実際は観光物産館のようなものだ。本来、道の駅にはきちんと定義があり、24時間誰もが利用できるようにしなければならなかったりする。トイレや駐車スペースの数も基準があったはずだ。
私が考えた道の駅では、特産品を大量に売るのではなく、街に降りて実際にお店まで足を運んでもらうための施設だ。試食スペースが日替わりなのも生徒が定期的に通う場合に違ったお店の試食ができるようにするためだ。
「城の厨房も掃除しないといけませんね」
「そうね。でも燃料費の管理は街の人にやってもらうつもりよ」
「そうですね。その方がみんなのエルヴェシュタイン城って感じがします」
「それにりっちゃんも城で仕事してくれるって言ってるし、衛生管理は任せられるわ」
律さんはこの世界に来る前は、自分が作った洋服や雑貨のお店にカフェを併設したいという夢があったそうで、食品衛生責任者の資格を持っていた。元の世界では飲食店には必ず1人は資格を持った人がいなければならない。この世界にはそんな制度は無いが、万が一でも食中毒などを起こさないよう、律さんにしっかり監督してもらうことになっていた。
「でも律さんひとりでは大変でしょう? 針子のお仕事もあるし」
「私も手伝うわよ。一応、フライ・ハイムで調理をしていたもの。ジゼルやテオにも手伝わせるわ」
手が空いている者はどんどん使う方式のまゆりさんは、フルーテガルトに来てから生き生きとしている。先日は街の女性たちにジャムなどの保存食を瓶詰にする際の、煮沸消毒のやり方を教えていた。
「元の世界みたいに冷蔵庫ってないですし、レトルトとかも難しいですよね」
「そうねえ。でも調理方法や味付けによっては割と保存できるのよ。瓶は保存容器としては袋よりも強力だし。煮沸消毒と密閉をきちんとすればだけど」
「そうなんですか?なんか袋の方が安全な気がしていましたけれど……」
まゆりさんによれば、単なる袋詰めとレトルトは別物であるらしい。
「レトルトっていうのは袋詰めした後に加熱しないとダメなのよ。確か120度で4分以上だったかしら」
「へえ。製品になる前に袋詰めした上で加熱するんですね」
120度というのは、食中毒の原因となる最近の中でも一番熱に強いとされているボツリヌス菌を殺すためだそうだ。
「そうよ。だから、袋も熱に強いもので空気を通さないものじゃないとダメね。レトルトの袋はラミネート袋って言ってね、いろんな素材の袋を張り合わせてあるのよ。空気を通さないとか、熱に強いとか、冷凍させても大丈夫とか。だから高かったりするのよ」
袋の素材の違いなんて考えたことがなかったが、用途によって変えなければならないらしい。
「じゃあジャムってどうなんです?」
「ジャムは砂糖をたくさん入れるでしょう?水分が減るから細菌が増えたり成長したりしにくいのよ。細菌が増殖するには水分が必要なの」
なるほど。そういう理由であんなにたくさんの砂糖を入れるのかと納得した。
「そもそも食品で無菌ってあり得ないのよ。完全に殺菌するのも真っ黒こげにしないと無理よ」
まりゆさんが人差し指を立てて言う。
冷蔵庫や冷凍庫に入れても細菌は死なず、増えるのを防ぐだけであるようだ。しかも元の世界でも判明している細菌はその存在全体の1割にも満たないと言われているらしい。
「会計も『道の駅』も任せてくれていいわよ。報告はするから、アマネちゃんは即位式と協奏曲をがんばるのよ?」
「う……、はぁーい…………」
即位式の入退場の曲は雪が降る前に王宮に提出しなければならない。協奏曲はそれが終わらないことには練習ができないのだ。
私がため息をついた時、アロイスが事務室に入ってきた。
「今年最後の生徒のレッスンが終わりましたよ」
アロイスは私を見ると少しだけ目を細めた。正確には私がぐるぐる巻きにしているぶどう色のストールを見て。
アロイスの冗談をどう捉えてよいかわからなかった私だが、ふわふわのほかほかには勝てなかった。寒さに負けた私は、本人の申告通りハグも冗談だったのだと考えることにした。耳が食べられちゃったのはきっと事故だ。勢いあまってぶつかったとかそんな感じだ。
そんな不慮の事故から3週間近く経っている。アロイスを警戒してという訳ではないが、私は常に誰かといるようにしている。夜に事務所に残って仕事をしている間も、申し訳なかったがラウロを側に置いた。
ナディヤのように女性の護衛がいればよいのだが、ナディヤ自身も自分の家は特殊だと言っていたのだから、そう簡単に見つかるはずがない。それにやっぱり若い娘さんを夜中まで拘束するのは申し訳ないという気持ちもあり、いい人がいればぐらいに考えている。
ラウロは良くできた護衛だ。静かで忍耐強いし、私に何かを強要することがほとんどないので居心地がいい。さすがに食事を3食取らないでいると「いい加減に食え」と睨みつけてくるが。
エルヴェ湖に音楽を捧げる時もラウロに着いてきてもらうのだが、予め危険な場所を調べていたようで、私がそちらへ向かおうとすると引き止めてくれることがあった。事務室にいる時はテオやダヴィデと交代して休んでもらうことがあるのだが、もしかするとその間に見回りをしてくれているのかもしれない。
アルフォードよりもよっぽど頼りになるなと少しだけ思った私だが、アルフォードがいなくなった後の夜はものすごく心細かった。ラウロはラースたちが寝泊まりする時に使う従業員用の部屋に泊まり込んでくれているし、パパさんやケヴィンもいるのだが、部屋の中ではさすがに一人だ。
寂しさをどうにか抑えつけて眠る時は、いつもアルフォードから預かった石が入ったロケットを握っている。そうしているとユリウスの魔力も感じられるような気がした。
そうやって朝を迎える時、とても不思議な現象が起こるようになっていた。
どういうわけだか目が覚めると枕元に透き通った小さな石が落ちているのだ。いったいそれが何なのか、全く見当がつかなかったが、日々溜まっていくそれを、私は思い付きで瓶に入れてみた。
道化師が置いていった、あの黒くて苦い液体が入っていた瓶だ。
瓶に石をコトリと落とすと、不思議なことに透明な液体になることがわかった。戦々恐々ではあったが試しに舐めてみたりもした。あの時黒い液体を飲み干したのだから今さらだと思って。
恐る恐る舐めてみた液体は、私の予想を裏切ってうっすらと甘かった。そして、それを飲んだ日はどういうわけだか元気が出た。
元の世界の栄養ドリンクみたいだ。
そう思った私はそのドリンクもどきを『アマネミンD』と名付けた。別に売り出すつもりはない。というか量産できるものでもないし。日々溜まっていく透明な石だが、毎日1個づつしか増えないし、そもそもここ数週間だけでずっと増えていくとも限らない。
それにやっぱり得体が知れないというのもある。中毒とかになったら怖いので、毎日飲んだりはせずにちょっと溜まったら皿に取ってちびっと舐めるくらいにしている。それでも充分元気になれるのだから問題ないだろう。
12月にはマリアとユリウスの誕生日が来る。マリアのプレゼントはすでに考えてあるが、ユリウスへのプレゼントが思いつかなかった私は、『アマネミンD』をプレゼントに出来ないかと考えていた。
そのユリウスが今日帰ってくる。
胸元で揺れるロケットに、無意識に触れる私をアロイスが見ていたことには気が付かなかった。




