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バレエ動画

「マッチってなあに?」


 ジゼルが首を傾げる。


「聞いたことがありませんね」


 ダヴィデが困惑したように言う。


「火を付けるための道具ですが……ひょっとして、この世界にはないのですか?」


 私も困った。


「マッチの歌が歌えないよ……」


 私とダヴィデとジゼルの3人は、書斎で今週末から始まる救貧院での音楽教室の授業計画を立てていた。


 初回は私も同行することになっており、協奏曲の譜起こしが完成して今はパート譜を作ってもらっているところなので、間に合えば劇場に渡してくる予定だ。


 救貧院の音楽教室は、当面はみんなで歌ったりリズムを取ったりしようということになったのだが、選曲がなかなか難しかった。


 救貧院の子どもたちは親がいない子がほとんどだ。おとうさん、おかあさんがNGワード。それに年齢もバラバラだ。


 支部で救貧院の子どもたちに会った時は『ぶんぶんぶん』や『かっこう』、『カエルの合唱』を歌ったが、小1時間でも子どもたちは歌えるようになっていた。


 そこでもう少し難しい歌も用意しておこうということになり、私が思い付いたのが『マッチの歌』だ。『マッチの歌』は日本では『あわてんぼうの歌』。用事を聞かずにお遣いに行っちゃうあの歌だ。


「元の世界のドイツで歌われていた歌がいいかなと思ったんですけど」

「日本の歌でもいいんじゃないの? テオとかカスパルさんに詩を書いてもらったらいいじゃない」


 お茶を持ってきてくれたまゆりさんが、思いもよらなかった提案をしてくれた。カスパルはともかくとしてテオの詩……。言葉遣いは大丈夫なんだろうか? 


「カスパルさんにいろいろ教えてもらって、頑張っているみたいよ?」


 まゆりさんの言葉に興味を引かれ、試しにいくつか頼んでみることにした。とりあえずは『あわてんぼうの歌』の翻訳だ。


「1回目は用事を聞き忘れてることに気が付いて戻ってくるんです。2回目はお財布を忘れたことに気が付いて戻ってきます。3回目は無事にお買い物が出来たんだけど、買ったものを忘れて帰っちゃうんです」

「ホントにあわてんぼうばい! おかしかー!」


 テオがけらけら笑った。ダヴィデやジゼルもくすくすと笑っている。


「あわてんぼうと言えば、サンタクロースの歌もあるんですけど」

「サンタクロースってなあに?」

「元の世界のある宗教でね、神の子が生まれた日をお祝いする日が12月にあるのですよ。その時に良い子にプレゼントを配るのがサンタクロースです」


 たぶんそんな感じ。神の子っていう表現で合っているのかは自信がないが。


「ヘルムの子、ニクラスみたいな感じ?」

「ニクラスですか?」

「弱者を人知れず守ってくれたって言われている聖人だよー」


 ジゼルが教えてくれる。


「こん国では、12月6日にニクラス祭があるばい」

「お菓子がもらえるんだよー。前の晩に靴下に入れてくれるの!」

「聖ニコロのことかな? ヴァノーネでもその日は祭りがありますよ」


 ノイマールグントとヴァノーネで名前は違うようだが、同じような祭りがあるようだ。


 3人の話では日本のクリスマスイブみたいなのが12月6日にあって、王都では聖人ニクラスのパレードが行われるらしい。そして、ニクラスの従者として隣にクランプスも登場するのだとか。ついにクランプスの正体が!?


 それにしてもクリスマスか……。元の世界ではその時期は演奏会が多くて慌ただしかったのを思い出す。この国のようにのんびりとした年末になるのも悪くないなと思った。


 でもユリウスはその頃はスラウゼンだろうな。ケヴィンとパパさんと、それからマリアと。のんびり過ごせたらいいな。


「音楽に合わせるなら歌ってもらわんと! アマネしゃん、歌うてくれん?」

「ああ、いいですね。俺も聞きたいです」

「え、私? 歌ならジゼルがいいでしょう」

「その歌は知らないもーん。それにラウロが自慢してたから、私も聞きたーい」


 なんですと? ラウロが自慢? 想像つかないんだけど。だが期待のこもった6つの目に見つめられて断れるはずもなかった。


「仕方がないですね」


 私は『マッチの歌』の方を歌った。メロディーがわかればよいのだろうから。『あわてんぼうの歌』は歌詞を所々覚えていないのだ。


「アマネさんの声はマリアさんと似ていますね。綺麗な声です」

「そうですか? 歌い方は私が教えたので似ているかもしれませんけど……」

「私、アマネさんの声好きー」

「僕も好いとーと!」


 いやあ、照れちゃうなあ。留学する前に声楽も多少は勉強したけれど、私の歌い方は声楽というよりも子どもの合唱みたいだとよく言われていたからちょっと嬉しい。


「俺はアマネさんが時々口ずさんでいらっしゃる歌も好きです」

「あー……すみません、つい歌っちゃうんですよね」

「ああ、わかります。耳に残りますよね」


 ダヴィデが言っているのは、エルヴェ湖で歌った『側にいることは』のことだ。つい口ずさむことが多かったことから、エルヴェ湖でも真っ先に思い浮かんだのだった。


「アマネさん、もっと歌ってー」

「俺とジゼルも救貧院の音楽教室のために覚えないといけませんからね」

「そうですね。生徒さんが帰られたら練習しましょう」


 即位式の入退場の曲を考えなければならないが、それは生徒がいる時間帯に進めるとして、生徒が帰った後は、しばらくは救貧院の音楽教室の方を進めることになりそうだった。






 ◆






「ジゼル、ちょっとこれを見てもらえますか?」


 ラウロが御者を務める馬車に乗って王都からフルーテガルトへ帰る途中、私はジゼルにタブレットを渡した。


「元の世界のバレエ発表会なのですよ」


 そう言って再生ボタンをタップする。バレエを学んでいた友人から以前送られてきた動画だ。


「わ、衣装がかわいいー!」

「ジゼルに踊ってもらいたいなと思ってるんですけど。もちろんアレンジしてもらっても大丈夫ですよ」


 フランスのレオ・ドリーブが作曲したバレエ『コッペリア』だ。村娘のスワニルダの恋人が、コッぺリウス博士が作った人形のコッペリアに恋をするという物語をコミカルに描いたものだ。1幕のスワニルダのワルツは日本の何かのCMでも使われていたと記憶している。


「わー、本当に人形みたい!」

「おもしろい振り付けですよね。これを朗読劇にしたら楽しいと思いませんか?」


 朗読劇ではなくてちゃんとバレエにしたいのは山々だけど、ダンサーがジゼルしかいないのだから仕方がない。相手役がいなくても踊れそうな『コッペリア』なら所々で踊ってもらうのにぴったりだと思うのだ。


「フルーテガルトまで見ていて構いませんから」


 バレエは全幕で1時間半以上ある。フルーテガルトまではたっぷり時間があるのでゆっくり見てもらえる。ダヴィデも興味があるらしく、2人並んで画面を見ていた。


「アマネさん、今の音って何の楽器ですか?」

「ピッコロですね。トラヴェルソよりも短い楽器です。フルーテガルトの工房にザシャが作ってくれたのがありますから、後でお見せしますね」

「お願いします。低音も豊かですねえ。厚みがあります。すごいなあ」


 どうやらダヴィデはバレエよりも音楽に聞き入っているようだ。


 私はネタ帳を広げて救貧院の音楽教室の反省点を書き込んでいく。


 救貧院の生活環境は酷いものだと私は感じた。だがダヴィデやジゼルは特にそうは思っていない様子だったので、最悪の状態というわけではないのかもしれない。


 子どもたちは支部に来た時と同じように、私たちを見てとても警戒していた。何か悪いことが起こるんじゃないかと、目をキトキトと動かして身を固くしていた。年齢は5歳くらいから13歳くらいまでで、男の子もいたが女の子の方が圧倒的に多かった。


 最も困ったのが咳をしている子どもが多かったことだ。何かの病気なのかもしれない。可哀そうだとは思ったが、歌を歌うのは難しそうだったので職員に言って退席してもらった。


 月に1度とはいえダヴィデとジゼルが行くのだから、もし移る病気だったとしたら困るというのもある。もしかすると施設内では病人が隔離されていないのかもしれないが、これは要望として王宮に意見を出さなければならない。


 困ると言えばもう一つ。エルヴィン王子が見学に来たのだ。


 服装は侍従のような恰好をしていたが、2度会っているし言葉も交わしていた私はさすがにわかる。職員たちも大慌てだったので突然の来訪だったのかもしれない。


 挨拶をした方が良いのかなと考えたが、目が合った時に小さく首を振られたので不要と判断した。そのまま授業を続けたのだが、気が付けばいなくなっていた。


 あれは一体なんだったのか。いきなりのことに冷や汗をかいたこちらとしては侍従長を問い質したい気持ちでいっぱいだ。まあ、道化師が一緒じゃなかっただけでもマシなのだが。


 音楽教室が行われていた間、施設の外でもおかしな人物がラウロによって目撃されていた。入口から死角になっている位置で中の様子を伺うようにしていた男が複数個所にいたようだ。王子を狙った者ならば王宮に任せるのが一番なので、これも報告しなければならない。


 救貧院の音楽教室が終わった翌日は、協奏曲の楽譜を配布するため劇場にも顔を出した。ジゼルは王都で友人に会うと言うので、私とダヴィデ、そしてラウロの3人で歩いて行ったのだが、前回はそういえばラウロに助けてもらったなと思い出したら、ラウロも同じことを考えていたのか腕をがっちりと掴まれてしまった。小さな子どもではないというのに、失礼な。


 フルーテガルトに戻ったら即位式の入退場の音楽を進めなければならない。実を言うと行き詰っていたりする。雪が降る前には宮廷に送りたいのだが、焦るばかりでちっとも進まないのだ。やはりバッハにしようかと検討中だ。


 気晴らしがてらロマンス作品集をまとめてみたり、エルヴェ湖に行って自然に負けてみたりする日々だ。


 エルヴェ湖周辺の景色も秋から冬へと変わり始めた。色付いていた木々も葉を落とし、棘があるんじゃないかと思うようなヒリヒリした冷たい風が吹くこともある。


 暖炉に火を入れてしまいたいが、まゆりさんからまだ許可が出ない。まゆりさんによれば、元の世界と違って気密性の高い建物ではないので、廊下も寒いし部屋の中も暖炉の周りくらいしか暖かくならないのだとか。この国の人たちはそんな寒さの中でも平気そうなので、自らの体を慣らすしかないのだと言われれば我慢するしかない。


 馬車の中ではもこもこと動きづらいほどにたくさん着込んでいて、その上毛布まで持参してくるまっているのでそれほどの寒さは感じないが、今からこんなに着込んで冬になったらどうしようと考えているうちに瞼が重くなってくる。


 フルーテガルトまではあと1刻はかかるだろう。タブレットも貸してしまったし、と私は眠気に逆らわずに目を閉じた。






 ◆






 暖かい手が頬を滑る。髪を撫で、耳をくすぐり、頬に戻ってくる。


 暖かさに頬を摺り寄せればくすりと忍び笑う声。


「…………あ、れ? ……馬車?」

「目が覚めましたか?」

「アロイス……? わ、ごめんなさいっ」


 馬車は未だ走っている。私はどうやらアロイスの膝を枕にして寝ていたようで、慌てて身を起こした。


 でもどうしてアロイスがいるのだろう、と不思議に思って周りを見回せば、だいぶ暗くなっており、ダヴィデとジゼルはいなくなっていた。


「ジゼルは宿屋で、ダヴィデは城で降りましたよ。つい先ほど城を出て、今はヴェッセル商会へ向かっています」

「起こしてくれれば良かったのに……」

「よくお休みでしたので。ジゼルがこれを借りたがっていましたが、一応、置いていかせました」


 アロイスがタブレットを手渡してきた。ジゼルに貸し出すつもりでいたのだが、アロイスに諭された。


「壊れても直せませんから。ジゼルに貸すならその都度返してもらってはいかがですか?」

「そうですね。迂闊でした」


 これがユリウスだったら「馬鹿者!」と怒られていたのだろう。


 馬車は門を抜けるためにか、一度停止した。東門だろうか。


「アロイス、ここで降りても大丈夫ですよ? 歩いて帰らなければならないでしょう?」

「問題ありませんよ。それとも私と2人ではお嫌ですか?」

「そんなことはありませんけど……」


 そういう言い方はずるいなあと思う。アロイスはよくこんな言い方をするが、どう返していいのかいつも戸惑ってしまう。


「貴女にお渡ししたいものがあるのです」


 そう言ってアロイスは紙包みを手渡してきた。


「これは……?」

「開けてみてください」


 ガサガサと包みを開けていくと、ふどう色のふわふわなストールが出てきた。


「ふふ、ふわふわ。暖かそうなストールですね」


 陽が落ちて寒くなったせいか、ふわふわが心地よくて顔が自然と緩む。


「これ、どうしたんですか?」

「随分過ぎてしまいましたが、誕生日の贈り物です」

「私にですか? …………すみません、気を使わせてしまって」


 なんだか申し訳なくなってしまう。そんな風に気を使わせるのは本意ではないのに。


「できれば喜んでいただきたかったのですが」


 アロイスを見れば少し困ったように微笑んでいる。贈り物をもらうのはなんだか恐縮してしまうけれど、私がアロイスだったらやっぱり喜んでほしいだろうなと考え直す。


「嬉しいです。ありがとうございます」


 なんだか気恥ずかしくて伺うように言えば、アロイスはストールを手に取り、私に巻き付けてきた。ふわふわのぶどう色で頬が半分包まれる。


「ふふっ、あったかい。それに、おいしそうな色ですね」

「男装されてますから、色はとても悩みました」

「とっても気に入りました。本当にありがとうございます」


 暖かそうなのに加え、男性が持っていても洒落た感じがする色合いだ。なかなか自分では選ばない色なので殊更に嬉しい。


 ほくほくしながらアロイスを見上げれば、アロイスは茶化すように片目を閉じて言った。


「感謝のハグは受け付けますよ」


 うっ、まさかの催促? どうすればいいんだろう。ハグを断るのって不味い? でも二コルは親しい人としかしないって言ってたし……でも親しいってどのくらいの親密度なんだろう?


「フ……、すみません。貴女を見ていると困らせたくなってしまう」

「ひどいです……」


 揶揄われたのかとホッとした時、ふわっとアロイスの腕に包まれた。目を見開いているうちに耳を食まれる感触。


「冗談です」


 耳元でクスリと笑って、アロイスは私を解放した。


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