カントルは敵か味方か
ユリウスはカルステンさんが帰った数日後にはテンブルグに行ってしまった。フルーテガルトからテンブルグまでは片道7日もかかるので、11月の後半まで帰って来られないらしい。
しかし、寂しがってばかりではいられなかった。
「ブルーノさん、どうしてフルーテガルトには外から来る人が少ないんでしょう?」
ブルーノさんはフルーテガルトの顔役で、ユリウスがテンブルグに発つ前に紹介してもらった。
私とブルーノさんは地図を覗き込んでいる。
アマリア音楽事務所が行う『道の駅』について、まずは街の顔役にお伺いを立てておいた方がよいだろうと判断して訪問したわけだが、『道の駅』については賛同を得たものの逆に相談を持ち掛けられ、こうして知恵を絞っているところだ。
その相談を突き詰めれば、そもそも何故フルーテガルトは訪問者が少ないのかという点に行き付くのだ。
「うむ。不思議に思われるでしょうが、商人は時間を惜しむものですからな。あと半日ならば、さっさと王都に行ってしまうのですな」
フルーテガルトの街の北西は、南北、そして東西に延びる交易路の交差点になっている。普通ならばもっと賑わいそうなものだ。
「それにフルーテガルトの宿は高いという評判が立っておりますからな」
街の東側には低い山脈があり、その向こうには街があるのだが山を越えるのに半日もかからないそうだ。私は行ったことがないのだが、その街はパパさんの実家があるらしい。
そして街の南側にも同じように半日弱の行程で街があるようだ。
この2つの街はフルーテガルトと同程度の規模の街なのだが、安い宿屋が充実しているそうだ。フルーテガルトにも安い宿屋がないわけではないのだが、ヴィーラント陛下が宴を多く催した影響から、上流階級向けの宿屋が増えてしまった。
その結果、商人たちは一つ手前の街で宿泊し、フルーテガルトを通り過ぎてしまうようになったというわけだ。
「上流階級向けの宿屋も、ヴィーラント陛下が亡くなってからはかなり宿代を下げておるのだがなあ。まだまだ知られていないのですな」
「そうなんですね。では人が集まるような催しがあればよいかもしれませんね」
アマリア音楽事務所は演奏会やレッスンなどで人を集めようと考えていたわけだが、それでは富裕層しか集まらないので、街全体が潤うというわけにはいかないようだ。
「アマネ殿は何かよいアイディアはございませんかな?」
「うーん…………ちょっと思いつかないですが、事務所の皆とも相談してみますので、宿題にしていただいてもよろしいでしょうか?」
パパッと思いつけば渡り人の威厳も保てようというものだが、あいにく私は音楽以外の人生経験が少ない。ネタ帳に書き込みながら、もっといろいろな経験を積まなければと奮起する。
「ところでアマネ殿、エゴンの合唱団の話はお聞きになりましたかな?」
「エゴン?聞いたことがありませんが……この街に合唱団があるのですか?」
「ええ。エゴンは古くからあるこの街の教会なのだがな、そこのカントルをしているハーラルト殿は大変気難しいお方でな、一度挨拶された方がよろしいでしょうなあ」
カントルというのは教会における音楽の指導者だ。元の世界ではバッハやテレマンもカントルを務めていた。この国ではカントルは教師でもあるらしく、教会で行われる初等教育の指導も行っているらしい。
「わかりました。明日にでも行ってみます」
「そうですな。早い方がよろしいですな」
『道の駅』については大体の説明を終え、街が潤うならばとブルーノも賛同してくれたので、今後はまゆりさんやテオに任せてもよさそうだと判断して暇を告げる。
それにしても、どうしてカントルのことを誰も言わなかったのだろう。
教会は独特の組織なのでヴェッセル商会と商売上の取引はないのかもしれないが、初等教育の指導者ならばユリウスもザシャも知っているはずだ。
気難しい人物だというので事前に情報があればよいのだがと考え、私設塾に向かってみる。レイモンはフルーテガルト出身ではないが、教育繋がりで何か話を知っているかもしれないと考えたのだ。
「あー……、ハーラルトのじいさんな。まあ、知ってるが?」
「どういう方なんでしょうか?」
「怖えっつーか、やりにくいっつーか……」
レイモンが怖がるなんてどんだけだと私は慄く。
「怒鳴られたりするんでしょうか……?」
「いや……そうだな。ユリウスが年食ったらあんなじゃねえか?」
ということは、とりあえず眉間の皺はデフォルトなのだろう。んでもって反応が薄いのかもしれない。
「だな。それにヴィルヘルムのじーさんとは犬猿の仲だ」
ユリウスが老獪と称するあのおじいちゃん先生と?
でも師であるヴィルヘルム先生と仲が悪いなら、弟子のユリウスも仲がいいわけではないということだろう。それで私に何も言わなかったのかと納得する。
「まあな。ハーラルトのじいさんは教会に少年合唱団を作ったんだが、師ヴィルヘルムの弟子だった者は入らなかったんだ」
「それはどちらかが文句を言ったとか、そういう感じの理由ですか?」
「いんや。巻き込まれたくなかったからだな」
あー、なるほど。あっちを立てればこっちが立たず的な?どうやら板挟みになりたくなかったということらしい。
「お前も他人事じゃねえけどな」
「えっ、なんでですか?」
「ヴィルヘルムのじーさんの提案で演奏会をやるんだろうが」
そんなんで敵認定?だって一応、王族の依頼だから断れないというのに?
「まあ、挨拶に行くなら覚悟しといた方がいいかもな」
俺は知らねえけど、とレイモンは追い払うように手を振ったのだった。
◆
年を取ると目尻が垂れて優しい顔立ちになるものだと私は思っていた。
ハーラルト様は確かにお年を召しておられ、目尻は下がっているのだがお顔がとても怖い。
いや、失礼なことを言っているのはわかっている。わかってはいるのだが、彫りが深いというよりは落ち窪んでいる三白眼は非常に鋭く、下がった目尻とは対照的に眉尻が吊り上がっている。更に酷薄そうな薄い唇はへの字をキープしていらっしゃるのだ。
「は……はじめ、まし、て……」
腹に力を入れていても声が震えてしまうが、どうか許してほしい。眉間の皺がデフォルトだと思った私は甘かったと言うのか……ギロリと睨みつけるのがデフォルトだなんて聞いてない。
「ミヤハラ殿と申されましたかな?」
「は、はいぃぃ……」
そして無駄にいい声。いや、合唱の指導をされているのだから当然かもしれないが、ハリウッド映画に出てきそうな悪役顔で腹に響くバリトンだ。威圧感が半端ない。
「城で音楽のレッスンをされていると聞きましたが、それはヴィルヘルム殿の差し金ですかな?」
静かなお声なのに対抗意識がビシビシ伝わって来ておっかない。けど誤解は解かねばと私は勇気を振り絞る。
「い、いえ、そういうことではないのですが……」
尻すぼみになってしまったけれど、どうにか否定してみる。
「ですが、演奏会はヴィルヘルム殿の差し金と伺っておりますが?」
「それは……ええと……そうなんですが、違うと言いますか……」
ああもう。面接練習とかしておけばよかったと後悔する。想定される質問内容とか、レイモンに聞いて対策しておくべきだった。
「まあ私には関係のないことですな。好きにされるとよろしい」
「……えっと……あの……」
何と答えたものかわからず、冷や汗がダラダラ流れてくる。ハーラルト様の目は醒めきっていて、じーっと見られるとなんだか身が竦んでしまうのだ。
「ハ、ハーラルト様……あの、ハーラルト様は少年合唱団をお作りになったと、聞いたのですが……」
「それが何か問題でも?」
どうにか話を繋げようと食い付きそうな話を投げかけてみるも、そっけなく返される。
「いいいいえっ!問題なんてとんでもないっ!あの……よろしければ、聞いてみたいなーなんて思ったり……」
「その必要はございませんな。私も忙しい身ですので、これで失礼します」
撃沈だ。初対面の挨拶から5分も話を持たせられないなんて……完全なる敗北だ。
私はすごすごと引き下がるしかなかった。
エゴン教会からの帰り道、偶然というには良すぎるタイミングで師ヴィルヘルムとばったり会った。
「このような所で会うとは、アマネ殿はいかがされたのかのう?」
白々しいにも程がある。私が今いる場所は墓地の前だ。この先はエゴン協会しかないのだ。
「……ヴィルヘルム先生こそ、こんな所でどうされたのです?」
「私は散歩じゃ。年を取ると足腰が弱りますからのう、時々歩かねばのう」
師ヴィルヘルムの家から現在地まで徒歩で30分はかかる。老人の足だともっとかかるだろう。往復1時間以上も散歩とは、元気なご老人である。
「ひょっとしてアマネ殿はハーラルトに会っていたのではござらんか?」
「ええ、まあ。城でレッスンも始まりましたし、一度はご挨拶しておいた方が良いかと思いまして」
わかっていて聞いてくるなんて、ほんといい性格してるなあと思いつつも私は答える。
「ハーラルトは性格が悪いですからのう。挨拶なんぞせんでもよろしい」
うわあ。そういう反応しにくいことを言うのは止めてほしいものだ。どうリアクションを返したら良いものか、私は困惑するしかない。
それにしても、なんでそんなに仲が悪いのか。
「私はあの者の音楽が好かんのじゃ!なーんか冷たい感じがするのじゃ!」
「ええと、ハーラルト様の音楽を聞いたことがないのでわかりませんけど、方向性の違いみたいなものでしょうか……?」
ブラームスとブルックナーみたいな感じだろうかと思って聞いてみる。
「それにハーラルトの顔も性格も好かん!」
全否定とは困惑するが、おじいちゃん先生の血圧が心配な私はどうにか宥めで家まで送り届けた。
帰宅後、デニスに聞いた話には呆れるしかなかった。
「師ヴィルヘルムの奥様は、ハーラルト様が初恋の相手だったそうですよ」
師ヴィルヘルムは心が狭すぎるよね。