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レッスン

 レッスンがついに開校となった。


 レッスンは1コマあたり40分ほどで、午前中に3コマ、午後に4コマだ。レッスン室も講師も2人なので、1日に14人の生徒を受け入れられるのだが、予約はほぼいっぱいだった。


 ヴァイオリンよりもピアノを希望する人が圧倒的に多い。アロイスが困るかなと思ったが、アロイスはオルガンの腕前が相当なものだったらしく、ピアノを教えるのも苦ではないようだ。


 私は最初の段階では講師をしないことになっているが、初めて来る生徒に関しては最初に顔を出すことにした。


「ようこそおいで下さいました。歓迎いたします」

「貴方が噂の渡り人殿ですか。思ったより小さ……いえ、失礼。お若いのですね」

「これでも26歳なのです。来年は発表会を予定しておりますので、たくさんレッスンを受けていってくださいませ」


 まあこんな感じのやり取りだ。ご令嬢はそうでもないが、同行する家族の特に父親たちは、一言目には私を見て小さいだの子どもだのと言う。もちろんいちいち怒ったりはせずに営業スマイルでやり過ごしている。


「アマネちゃん、25って聞いてたけど、いつ誕生日だったの?」

「9月の半ばですよ」

「んもうっ、言ってくれればいいのに」

「すみません。葬儀でバタバタしてて、自分でも忘れてたんです」


 もう祝ってもらうような年でもないし、忘れていたのも本当だ。


「貸馬車屋んおじしゃんが感謝しとったばい」

「私も! 宿屋のおばさんにお礼を言われたよー」


 テオとジゼルが嬉しそうに言う。アマリア音楽事務所は全員がフルーテガルト以外の出身だが、ラースの結婚式で街の皆と顔を合わせることができて、こうして声を掛けてくれる人も増えたようだ。


 1日14名とはいえ、家族やお供の方々が同行することを考えれば、40~50人は来訪者がいることになる。王都から半日かかるおかげで1泊はしてくれるようなので、フルーテガルトの街も少しは賑わいを取り戻すだろう。


「おい、デニスさんが差し入れを持ってきていた」

「えっ、デニスさん、帰っちゃった?」

「ああ」


 門で待機してくれていたラウロが紙袋を携えて入ってきた。デニスはどうやら初日で忙しいだろうからと気を使って帰ってしまったようだ。


「わーい、ハンナさんのクッキー!」

「あら、おいしそうね。いけない! お茶をお出ししないと! ジゼル、手伝って。アマネちゃんはどうする?」

「自分でやりますよ」

「ラウロしゃん、そろそろ交代ばい」


 バタバタとみんなが動き出す中、私はラウロとお茶をいただくことにする。のんびりしているように見えるが、今は救貧院の音楽教室の内容を考えている最中だ。レッスンを見学しているダヴィデが戻ってきたら、打ち合わせを行う予定なのだ。


 譜起こしや作曲をする時は音を使うので、レッスンの邪魔にならないように2階で作業しなければならないのだが、そうでない時は1階の事務室を使っている。1人で部屋にいるとなんか寒々しいのだ。


「ラウロは街に慣れましたか?」

「それなりに」

「ラースの結婚式の時はヴィムに絡まれてたでしょう? 仲良くなったんだなって安心したんですよ」

「仲が良いわけではない」

「ふふ、女の子たちにも声をかけられてたでしょう?」

「…………」


 話しかけづらい雰囲気を持つラウロだが、見目は悪くないのだ。街の女の子たちも気になっていたらしく、ラースの結婚式では何かと世話を焼かれていたのを私は知っている。


「ラウロ、ベルノルトさんやクリストフを見習っては駄目ですが、気になった娘さんがいたなら言ってくださいね? 私が仲を取り持ちますよ?」


 別に揶揄っているわけではないのだが、好きな女の子が出来たらラウロもきっとフルーテガルトを大好きになってくれると思うのだ。


「少しは元気になったようだな」

「……ごめんなさい。気を遣わせていましたか?」

「いや、別にいい」


 アルフォードがいなくなって落ち込んでいたのが、ラウロにはバレてしまっていたようだ。私の方が年上なのにダメだなあと反省する。他のみんなには気付かれていないと良いのだけど。


 ふいにレッスンのピアノの音が聞こえてきた。1人は初めてピアノに触るのか、おっかなびっくりという感じで、もう1人はチェンバロかオルガンをやっていたのか得意げな音だ。


「結構聞こえるわね。やっぱりカーペットをもう1枚敷いた方がいいかしら?」

「ピアノの所だけ2枚にしてもいいと思うよー? 小さいのが倉庫にあったから見てこようか?」

「お茶をいただいてからにしましょう」


 まゆりさんとジゼルが小声で話しながら戻ってきた。


「アマネちゃん、やっぱり上で仕事した方が良さそうよ。結構しつこくアマネちゃんのことを聞いてきたもの。帰りに話したいんじゃないかしら?」

「まあ、最初ですし少しぐらいは問題ありませんけど。次の方にもご挨拶したいんですよ」

「長居されても困るわ。寒いのはわかるけど貴女は2階にいてちょうだい。次の方にはレッスン後にご挨拶したらいいもの」


 重ねて言われてしまっては仕方がないが、2階は本当に寒いのだ。1階の事務室は厨房の隣なので比較的暖かい。早く暖炉に火を入れたいのだが、寒さに体を慣らさないとダメだとまゆりさんにやんわりと言われてしまったのだ。


「じゃあ、ダヴィデが来たら2階に寄越してください」

「俺も行く」


 お茶を飲み終え資料を持ってそそくさと2階に移動すると、ラウロが一緒に付いてきてくれた。


「ラウロは寒くないのですか?」

「全く問題ないが?」


 ううっ、元の世界の暖房器具が心底欲しいよ。誰か渡り人で作ってくれる人はいないものだろうか?


「寒いなら南側の部屋を使えばいい」

「あの部屋はレッスン室の上になりますし、足音や音漏れが気になりますから」


 それにレッスン室と同じ作りなので1人で使うには広すぎるという理由もあった。


 話しながら机に資料を広げていく。ラウロは入り口の近くに椅子を持って行って座った。本を読んでも構わないと言ってあったので、どうやらカスパルから戯曲を借りてきたようだ。


 私は救貧院の音楽教室の方に取り掛かる。初回は私も行くつもりだが、基本的にはダヴィデとジゼルで出来る内容を考えなければならない。


 とりあえずは日本の小学校を参考に考えてみる。


 救貧院にはピアノやチェンバロなどの楽器はないから、最初は歌やリズム取りなどをやるとして、いずれは鍵盤ハーモニカみたいなものが欲しい。


 鍵盤ハーモニカは構造としてはハーモニカと似ていて、中にはリードがたくさん付いている。鍵盤を押すことで吹き込まれた空気の通り道を変えてリードが振動する。これも金管楽器と同じヴァルブシステムを使っている。ハーモニカが出来たのも確か19世紀の終わりぐらいで、歴史はかなり浅い。鍵盤ハーモニカはマルコの金管が出来なければ難しそうだ。


 小学校の時に学校で使った楽器ってどんなものがあったっけ? リコーダー、カスタネット、木琴、鉄琴、思いつくままにネタ帳に書いてみる。


 救貧院では稀に暴動が起こること聞いているので寄贈することは難しいかもしれない。これは最初に行った時に確認しなければならない。


 扉を開閉する音が聞こえて顔を上げると、ラウロが扉の前に立っていた。程なくして下の事務所で何か話す声がして階段を上る音が聞こえてくる。この足音はダヴィデだろう。


「ラウロも耳が良いですね」

「……普通だ」


 そんなことはない。扉の開閉音の前に立っていたのだから、もしかすると私よりも耳が良い。護衛として心強い限りだ。


 ノックの音がしてダヴィデが入室すると、私は待ちきれなくなって椅子も勧めずに聞いてしまった。


「ダヴィデ、お疲れ様です。レッスンはどうでしたか?」

「順調ですよ。アロイスさんもクリストフさんもすごいですね」


 ダヴィデが興奮したように言う。


「両方を見てきたのですか? どうぞ座ってください」

「ええ。失礼します。2人とも曲集を全部弾いてましたから、2、3曲弾いてもらっただけですぐに生徒の練度を把握できていました。俺もピアノを頑張らないといけないですね」


 クリストフは慈善演奏会の時から弾いていたが、オルガンを嗜んでいたとはいえアロイスは相当練習したのだろう。北館に住んでいるので、もしかすると私たちが帰った後も練習していたのかもしれない。


「そうですね。結構遅くまで練習されてましたよ。協奏曲の方も一通りは演奏してました」

「うっ、それは私も負けていられないですね」


 ピアノ協奏曲はまだ楽譜が出来たばかりでほとんど練習していない。昼間はピアノがレッスンで使われてしまうから、夜は少し残って練習しないといけない。


 ストーブを購入して出費が嵩んだので楽譜を出して補填しておきたいし、ラースの結婚式で演奏した曲を集めて、『愛の挨拶』と合わせてロマンス作品集も出したい。やりたいことがいっぱいだ。


「まずは救貧院を考えてしまいましょうか」


 ちょっと焦ってしまうが、レッスンは2人に任せられそうなのだから、私は自分が出来ることから片付けていくしかない。


 広げた資料をダヴィデと一緒に見ながら、焦る気持ちを抑え込んだ。






 ◆






「カルステンさん! フルーテガルトへようこそ」


 ユリウスがカルステンさんと共に王都から帰ってきた日、私は相変わらず事務所で楽譜を起こしていた。


 ヴェッセル商会で出迎えたい気持ちはあったけれど、今年のレッスンは11月だけだ。連日来る生徒もいるが、新しい生徒も毎日いるので挨拶をしなければならない。私だっていつまでものんびりのほほんではいられないのだ。


「素晴らしい事務所ですね」

「ありがとうございます。どうぞお掛けください」


 まゆりさんが選んでくれた応接室のソファを勧め、葬儀以来のカルステンさんをニコニコしながら見る。やっぱり素敵だなあ、カルステンさんは。


「ユリウス殿とはこちらへ向かう道中で話をさせていただきました。商会にテンブルグの方がいらしていたので私だけこちらに参ったのです」


 カルステンさんはラースが御者をする馬車で城に来たのだが、お一人だったのはそういうことだったのかと納得する。


「それでベルノルトさんのことなのですが」

「手紙に書いてあった件ですな。ベルノルト殿は追放されたとはいえ音楽的には素晴らしい才能をお持ちの方です。今はどちらに?」

「生徒と顔を合わせるのはまだよろしくないかと思いまして、北館で待ってもらっているのです」


 到着早々カルステンさんに北館までご足労頂くのは申し訳ないと思うものの、生徒やその家族にベルノルトの存在が漏れるのは困るのだ。


「ではそちらに伺いましょう。ですがその前に、ミヤハラ殿、私からひとつ忠告がございます」

「忠告ですか? なんでしょうか?」

「ユリウス殿にも話しましたが、エルヴェ湖へ音楽を捧げた方が良いでしょう」


 どういうことなのかよくわからずに首を傾げる。


「私も聞きかじった話なので正確なところは知らないのです。ですが、エルヴェ湖への音楽の奉納は貴女に良い結果をもたらすでしょう。なるべく多い回数、奉納を行われることをお薦めします」


 カルステンさん真剣な表情でそう言った。


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