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婚礼合唱

 レッスンが開校する2日前、ラースの結婚式が行われた。


 結婚式と言っても教会で式を挙げるわけではなく、お披露目を兼ねてちょっとしたパーティーをするのだ。


 そのパーティーはヴェッセル商会の居間で行われた。


 思っていたよりも多くの人が集まり、2人の人柄ゆえだと私が鼻を高くしていたら「お母さんみたい」と笑われてしまった。


 料理は大皿のジャガイモ料理が多い。ソーセージとジャガイモを炒めたブラット・カトフェル、潰したジャガイモと小麦を混ぜて団子にしたクヌーデル、茹でて粒マスタードで和えたザラート。


 私を含めたアマリア音楽事務所の女性陣も手伝いをしたのだが、これにはラースにも驚かれてしまった。


「お前さん、料理できたのか?」

「そりゃあ元の世界では一人で暮らしてたもの。得意でも上手でもないし、好きでもないけど、普通にできるよ?」


 音楽はお金がかかるからね。節約は大事だ。


「ユリウスもケヴィンもいっぱい食べないと! ほら、マリアも」

「お前こそ食べろ」

「えー、作ってるうちにお腹いっぱいになっちゃったんだもの」


 ヴェッセル商会からはなんとシャンパンが差し入れられた。シャンパンは最近になって作られた飲み物らしく、みんなで少しずつ飲んでは舌が喉がと大騒ぎだ。


「次はヴィムの番かな?」

「まあなァ……けどスラウゼンに行くからよォ……」


 冷かすように言うとヴィムがちょっと拗ねた。律さんは12月までにはフルーテガルトに来る予定だが、ヴィムは12月半ばにはユリウスと共にスラウゼンに向かうのだ。


「チャンスは鳥のようなものです。飛び去らぬうちに捕えたほうがいい」


 何やらベルノルトと話しているカスパルの声が聞こえて来て、ヴィムが微妙な顔で振り返る。さすがカスパル。言い得て妙だと感心する。相手は律さんだしなあ。そもそも捕まえられるのかな?


「アマネさーん、そろそろ歌おうってー」

「あ!そうだね。忘れてた!」


 ジゼルの言葉に慌てて前に出る。


 アマリア音楽事務所の女性陣は、2人の結婚祝いとして合唱を贈った。ワーグナーのオペラ『ローエングリン』の婚礼合唱だ。


『ローエングリン』は騎士ローエングリンと公女エルザとの恋物語だ。私たちが歌った婚礼の合唱は第3幕の結婚式の場面で演奏される。


 メンデルスゾーンの結婚行進曲と並んで有名な曲で、オルガンだけで演奏されることが多いが、本来は合唱曲である。


 婚礼合唱は好評で、自分が結婚する時にも歌ってほしいとヘレナの友人たちに頼まれたほどだ。何よりもラースとヘレナが涙目で喜んでくれたので、私としても大満足だ。


「うぅっ、ラース、ヘレナ、じあわぜになっでね」

「な、なんでお前さんが泣いてんだ!?」

「だっで、嬉じいんだもん」

「ありがと。アマネも早く結婚しなさいよ」


 まあ私もこんな感じなのだから人のことは言えない。ちょっとしたことでうるうるしてしまうのは、やっぱりもう年ということなのだろうか。


 男性陣からも何か曲を贈りたいとアロイスに言われ、例のロマンス作品集のために譜起こししてあったものの中からエイミー・ビーチの『ロマンス 作品23』を渡した。ノイマールグントのプロポーズに演奏を流行らせよう作戦は着々と進行中だ。


 エイミー・ビーチは19世紀後半から20世紀にかけて活躍したアメリカの女性作曲家だ。彼女は音を聞くと色彩を感じる「色聴」と呼ばれる共感覚を持っていた。こういった感覚の持ち主は稀におり、ドビュッシーやリムスキー・コルサコフなどもそうだったと言われている。


 ソリストはもちろんアロイスで伴奏はクリストフだ。女の子たちの目がハートになったのは言うまでもない。それに気を良くしたクリストフが早速女の子にちょっかいを出そうとしてアロイスに耳を引っ張られていたので、伴奏は別の人に頼めばよかったと少し後悔した。


 彼ら2人の練習を見て刺激されたベルノルトも何か演奏したいというので、彼にはショパンの『華麗なる大円舞曲』の楽譜を渡してあった。


 この曲はショパンのワルツの中でも有名で、難易度はさほど高くないが、始まり方がファンファーレみたいで華やかな曲だ。


 ベルノルトはこの演奏でどうにか女性陣の面目躍如を果たしたと言えたのだが、あろうことか花嫁であるヘレナにちょっかいを出そうとしてレイモンに怒られていた。


 ダメすぎる大人2人は仕事よりも私設塾でレイモンに鍛え直してもらえと言いたい。


 たくさん騒いでたくさん笑った私は、水が飲みたくなって厨房へ向かう。厨房には誰もおらず、居間の喧騒が遠くに聞こえるばかりだった。


 棚からグラスを取り出し、立ったまま水を飲んでいるとアロイスが入ってきた。


「アマネさん、お疲れ様です」

「アロイスもお疲れ様です。いい演奏でしたね。水、飲みますか?」

「ふふふ、ではいただきましょう」


 そう言ってアロイスは私が手にするグラスをすっと奪い、コクコクと飲みだした。どうやら酔っているらしい。


「シャンパン、飲みすぎました?」

「いいえ。私はワインしか飲んでいませんよ」


 アロイスからグラスを取り返し、洗い物用の桶に入れる。洗い物がずいぶん溜まっていて一瞬どうしようかなと考える。洗い出したら居間に戻れなくなりそうな量だ。


「髪が伸びましたね」


 ふいに手が伸びて来て髪が一房すくわれた。


「切りたいんですけどね、冬が寒いと聞いているので迷っているところです」


 この国に降り立った時は耳が隠れるくらいの長さだった髪が、今はもうすぐ肩に付きそうなほどになっていた。


 鬱陶しいので切ってしまいたいのだが、この国の冬の寒さについてはまゆりさんからも散々脅されている。本当に冬が来るのが憂鬱だ。


「似合っていらっしゃるのに、もったいない」


 手にした髪を指先でいじりながらアロイスが言う。遊ばれた髪が耳に当たってこそばゆい。アロイスの手を避けるように、私は体の向きを変えた。


「相変わらず、触れられるのは苦手ですか?」

「アロイスは先祖にヤンクールの方がいるのではありませんか? ノイマールグントの男性はあまりこういう風にはしないでしょう?」

「そうでしょうか?」

「そうですよ」


 ヤンクールでなければクリストフの影響なのだろうか? ユリウスだって最初の頃は結構距離があったように思う。最近はなんかアレだけれど……。ダメだ。思い出すと顔が赤くなってしまうのでどうにか頭の中から消去する。


 居間から歓声が聞こえてくる。ラースが冷やかされているのか、はやし立てるような手拍子も聞こえた。


「ふふっ、ラースもヘレナも幸せそうで良かった」


 居間の様子を想像して思わず笑みが零れる。


「アマネさんは…………いえ、なんでもありません」

「言いたいことはわかってますよ? アロイスこそどうなんですか?」


 以前、私が取り乱した時のことを思い出したのか、アロイスが口籠る。だが言いたいことはなんとなく想像がつく。聞かれても困るので逆に聞いてみる。


「そうですね。私も、もう一度と思ってしまいますね」


 そういえばアロイスは奥さんと死別したと資料で読んだのを思い出した。不味いことを聞いてしまったかもしれない。


「こんな穏やかな街で愛する人と共に暮らせたらと。こんな風に思えるようになるとは、数か月前には思いもしませんでしたが……」


 何かを思い出すように空を見つめていたエルヴェ湖の澄んだ青が、ふいに私に向けられる。


「貴女のせいです。貴女のせいで私は容姿を変え、生活の場も変え、音楽まで変わりました」

「…………わたしの、せい、ですか?」


 どう受け取っていいのかわからず、困惑してしまう。


「冗談です。そんな顔をしないでください。意地悪を言いたくなってしまいます」

「もうっ、アロイスは飲みすぎではありませんか?」

「フ……そうかもしれません」


 アロイスがエルヴェ湖の澄んだ青を細めて苦笑した時、どすどすと重い足音が聞こえ、ベルノルトが入ってきた。ベルノルトは本気でダイエットした方がいいと思う。


 ベルノルトは随分と機嫌が良く、パパさんや親方衆と話をして盛り上がっていたようだが、どんな話をしていたのか気になるところだ。


「おお、二人ともここにおったのか。吾輩も水がほしくて参ったのだが。それはさておき新郎はラースと言ったかな? あの男はフルーテガルトに来てから初めて会ったが武骨ながらも気のいい男であるな。あの嫁殿も……」

「はい、ベルノルトさん、お水ですよー」


 相変わらずのベルノルトだ。どれだけ話し続けるのかちょっと聞いてみたい気もしたが、アロイスを見れば小さくため息をついていたのでやめておく。


「ベルノルトさん、一緒に戻りましょう。アロイスはどうしますか?」

「……先に戻ってください。少し休んでから行きますから」


 具合が悪いのかなと少し気になったが、もしそうだとしたらベルノルトの話を聞き続けるのは苦痛だろう。そう考えてベルノルトを居間に促す。


「そういえば渡り人殿は以前『人類の救済者』を名乗るある男の話をしたが覚えておるかね? そうかそうか覚えておるか。それである時、男の元へ一人の若者が訪ねて『惚れ薬』を依頼したところ安物のワインを『惚れ薬』と偽って売りつけたのであるが、その若者はそれを信じてさっそく飲むわけだが酔った勢いで気が大きくなって惚れた相手にそっけない態度を……」


 ベルノルトの合いの手を務めるのはなかなか難しい。どこで相槌を打てばいいんだろうと思っているうちに話が進んでしまう。だが話自体は長いがおもしろいのだ。それに音楽談義なら私だって一家言ある。


 ベルノルトに負けていられないとばかりに私もしゃべり続け、楽しい時間を過ごしたのだった。






 ◆






 ラースの結婚式の翌日、ユリウスはまた王都へ向かうことになっていた。


 今回は結婚したばかりのラースではなくヴィムを護衛に連れて行くようだ。ヴィムは律さんに久しぶりに会えるので、かなり浮かれている。


「ちゃんと護衛もしないとダメだよ」

「お前に言われなくても、わかってるっての」


 本当だろうか?ちょっと心配になる。


 詳しい話は聞いていないが、たぶんユニオン穏健派との和解について、ギルドで話し合いが為されるのだろう。不安がないと言えばウソになるが、顔に出ないように気を付ける。


 アルフォードもいなくなってめちゃくちゃ寂しい私だが、明日にはレッスンも始まるので落ち込んでばかりではいられないのだ。


 出発の前に私はユリウスに頼みごとをした。


「アルフォードから預かったんだけど、これが入るペンダントみたいなのがあったら買ってきてほしいんだ」


 アルフォードからもらった石は肌身離さず持っていなければならない。無くさないようにと言われているので、私は小さな皮袋に入れて首から下げているのだが、お風呂の時は濡れてしまうのでロケットのようなものが欲しかったのだ。


「ギルドで装飾品を扱う商会と会う予定だから、聞いてみよう」

「ほんと? 約束だよ?」


 不安が顔に出ないように気を付けていた私だが、ユリウスには伝わってしまったのかもしれない。珍しく仏頂面のユリウスがハグをしてきた。


「レッスンの予約にユニオンの関係者はいなかったが気を抜くな。ラウロかラースを側から離すな」

「うん。わかってる」


 ここ数日、何度も念を押されていることだ。新婚のラースにずっとそばにいてもらうのはヘレナに申し訳ないけれど、ラウロもいるから心配ない。ラウロの前歴はすでに調査が為され、問題がないことも聞いている。


「3日後の夜には戻る」

「カルステンさんも一緒に来るんだよね?」

「ああ。だから、大人しく待っているように」


 そう言ってユリウスは王都に向かった。


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