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ヴェッセル商会王都支部

 昼過ぎにはヴェッセル商会の王都支部に到着した。


 私とデニスは支部で降りたが、ユリウスとラースは貸馬車に乗り換えて出掛けてしまった。王都内は幌馬車ではなく箱型の貸馬車で移動するらしい。


 説明された日程では、楽しみにしていた変換装置は最終日までお預けらしい。残念ではあったが、別の楽しみがユリウスから告げられたので、私は支部でおとなしく楽典を作る作業をしている。


 なんと今日の夜はオペラに連れて行ってもらえるのだ。


 この世界の音楽をちゃんと聴くのは初めてだ。貸してもらった楽譜は対位法を駆使した曲が多かったので、元の世界の音楽史的にはバロックに当たるのではないかと思う。それならばピアノがないことも頷ける。


 だとしたら、今晩見に行くオペラは、元の世界ではあまり上演されることがないバロック・オペラなのではないだろうか。


「あああ、ダメだ……楽しみすぎて集中できない……」

「ならば建物内をご覧になってはいかがですか?」


 穏やかに声をかけてきたのはマルセルだ。マルセルはヴェッセル商会の支部を預かる男だ。50歳前後であるようだが背筋がしゃきりと伸びている。貴族の家庭教師をしていたが、腕を痛めて職を失い、その貴族の館に出入りしていたユリウスに声をかけられ今に至るという。


 ユリウスはまだ帰ってくる様子がないし、楽典も進まないので、私はマルセルの提案に乗ることにした。


「ではミアに案内させましょう」


 マルセルはそう言うと、ミアという30代前半くらいの女性を呼んでくれた。ミアは館内を説明しながら案内してくれる。


「では二階の居住スペースから順にご案内しますね」


 王都支部は一階に店舗があり、二階が居住スペースとなっている。居住スペースの部屋数は多く、二間続きの部屋が多かった。


 私が使わせてもらっている部屋も二間続きだ。寝室は奥に大きな窓があり川が見える。入口から見て右手側にはウォークインクローゼットのような小部屋があった。隣の部屋も左右対称になっているので、クローゼットが防音の役割を果たすのだろう。そちらはユリウスが使っている。


 居住スペースには広い居間もある。横に長い暖炉があり、上に煙突が伸びている。今は初夏に近い時期なので、火は入っていない。


「一階はエントランスホールから見ていきましょうか」


 ミアと連れ立ってエントランスホールに降りる。入口や建物内の扉はアーチ形で観音開きのものが多い。


「大きな楽器を運びますから、扉も大きいのですよ」


 ピアノは無いが、一回り小さいチェンバロなどはそれなりに幅がある。ザシャに頼んだピアノは通せるだろうかと心の中で目算してみる。ギリギリなんとかなりそうだ。


 ホールの左は商談スペースとなっており、家具は豪奢なものだった。落ち着いた色調のゴブラン織りを座面や背面にぜいたくに使ったソファの縁は、細かい装飾で縁取られゆるいカーブを描いている。対のテーブルや壁に飾られた額縁もどれもこれもがつやりと磨かれて、細かい装飾には埃一つない。


「豪華だなあ。でもお掃除が大変そうですね」

「ふふふ、毎日しておりますがそうでもございませんよ」


 ミアは楽しそうにそう言ってエントランスを横切り反対の部屋へと誘導する。

案内された部屋は楽器の展示スペースになっており、チェンバロを始めとするたくさんの楽器が並んでいた。商談スペースに比べると棚は幾分シンプルだ。


「この楽器はお客様にお試しいただくためのものです」

「へえ、全部フルーテガルトで作られてるんですよね?」

「そうですね。アマネ様は工房をご覧になったことがございますか?」


 会話をしながら一度エントランスに戻り、今度は奥へ進む。

エントランスを出ると通路を挟んで雑多な倉庫兼工房があった。倉庫を突き抜けて進めば建物の裏側に出て川に行きつく。


「支部にもこのように工房がございますが、ここでは主に修理やメンテナンスをしております。フルーテガルトからの荷は裏の川から運び込まれるのですよ」


 フルーテガルトの店の裏にも川がある。そこから船で運ぶのだろう。


「倉庫の左手に大きな機械がございますでしょう? あれは水を浄化する機械なのです」

「これってもしかして?」

「はい。渡り人様の恩恵ですね」


 にっこり笑ってミアが説明してくれた。


「こちらはキッチンです。窯や炉がありますでしょう? この上がちょうど居間の暖炉に繋がっています」

「ああ、だから煙突がひとつなんですね」


 煙突といえばメリーポピンズだ。煙突掃除夫たちのタップダンスは一見の価値があるし、あの有名な『チムチムチェリー』は掃除夫が煙突の上から見た美しい景色を紡いでいる。舞台はロンドンではあるが、屋根を飛び回る煙突掃除夫たちを想像してちょっと楽しくなった。


「暖炉と繋がっているなら、居間にいたらいい匂いがしてきそうですね」

「ふふふ、お腹がすいてしまいますね。キッチンの奥にシャワールームがございます。こちらも……」

「あー…渡り人様ですね」


 便利ではあるが私としてはプレッシャーを感じるばかりだ。役に立たない渡り人で申し訳ない。


 シャワーは手押しポンプのようなレバーがついており、動かすとぼたぼたと水が出た。シャワーというよりも打たせ湯に近い。


 そうこうするうちにキッチンからミアを呼ぶ声が聞こえた。


「申し訳ございません。少し手が足りないようで……」

「あ、大丈夫ですよ。適当に回ったら戻りますから」


 そう言って私はキッチンを出る。まだ倉庫の右手側を見ていない。


 キョロキョロと辺りを見回しながら進んでいくと、奥の階段からラースが降りてきた。


「あれ? ラース、帰って来てたんだ?」

「おう。ユリウスの旦那は居間にいるぜ」

「ふうん。戻った方がいい?」

「マルセルさんが言ってたから、すぐに戻らねえってわかってるんじゃねえか? 出かけるまでまだ時間もあるしな」


 ならば見ていないところを見てしまおうと歩を進めると、ラースも後ろから着いて来た。


「えーと、ここ、資料室かな?」

「そうだな。商会の物も多いが、旦那方の学生時代の資料も置いてあったはずだ」


 部屋に入り込んで資料をざっと見ていく。楽譜があれば見たいと思ったのだ。


 農業関係の研究資料が多いのはユリウスの学生時代のものだろう。次いで多いのは神話や詩集など文芸に関する資料だった。


「ラース、文学系の研究をしている人っているの?」

「ああ、二番目のケヴィンの旦那だな。お前さんはまだ会ったことがなかったか? ケヴィンの旦那は他領との取引が主な仕事だから、フルーテガルトにはあまりいねえしなあ」

「ふーん」


 資料を漁る手は止めずにラースの説明を聞く。


 私は何気なく手にした冊子を開き、バンッと勢いよくそれを閉じた。


「何やって……ああ、それ、ケヴィンの旦那の…………」

「こ、これって、噂に聞く厨二!? ケヴィンって人、何歳なの?」

「22だったかな? さすがにそれは学生時代に使ってたもんだが」


 怖いもの見たさでもう一度恐る恐る冊子を開く。


『無垢なる黒薔薇』『冥府の神』『悪魔の布』などなど、厨二語が散らばった暗黒詩だ。


「わー、わー、なんかハズカシイのに読まずにいられないのはなんで?」

「アマネ、男ってのはな、誰にでもそういう時期があるもんなんだ。しかしまあケヴィンの旦那もなんだってこんな物を残しておくんだか……」

「それにしたって、これって大丈夫なの? 『冥府の神』とか『悪魔』とか、異端にならないの? 魔女狩りとか平気なの?」

「アカデミーの学生は特権があるからなあ。研究って言やあ大抵のことは見逃されるんだ」


 またしても特権か。学生に特権を与えたら暴走しそうな気がするが、産業や文化の発展に役立たせるために特権を与えているということだろうか。


「ま、ユリウスの旦那の時は、まだ特権なんざ微々たるものだったからなあ。魔女発見人が支部に来た時は大変だったぜ」

「は? 魔女? ユリウスが疑われたの?」

「あ、やべ……」


 そういえばパパさんが魔女狩りのことを話していたことがあった。確かユニオンが絡んできた時の話だ。


「ラースが教えてくれないなら自分で調べるけど?」

「調べるっつっても、どうやってだよ……」

「んー、ユリウスの学生時代の知り合いって……アーレルスマイアー侯爵のご子息とか?」


 鎌をかけてみれば、ラースはわかりやすく狼狽した。


「ま、待て! 落ち着けって! ったく、しょうがねーな…………」


 ラースによれば、どうやら魔女として捕まった誰かの口からユリウスの名が出たらしい。そういえば元の世界でも魔女狩りは芋づる式に何千人も捕まることが多かったと聞いたことがある。


「連行されちまったんだが、マルセルさんがアーレルスマイアー侯爵に連絡して事なきを得たんだ」


 捕まってすぐに侯爵家から圧力がかかったせいか、ひどい拷問などは受けずに済んだらしい。過去のこととはいえほっとした。


「ユニオンが嫌がらせしてきた時のことを、前にパパさんが言ってたんだけど……」

「ああ、私設塾だろ? 魔女狩りで捕まった奴がやってる塾なんだから異教を教えてるに違いねーって吹聴されたんだ。けどフルーテガルトじゃあ、んなことを信じる奴なんざいねえからな。なんだってヴェッセル商会ばっかりがってみんな怒ってたしな」


 ラースはどこか誇らしげに言う。きっとレイモンもザシャもエルマーも、みんなユリウスの味方をしてくれたのだろう。ヴェッセル商会の職人たちもだ。不愛想ながらもユリウスが信頼を寄せているのだから、そうに決まっている。


「でも魔女狩りって、なんで起こるんだろう」

「さあなあ……ユリウスの旦那は道徳教育が必要だとか言ってたが……」

「そうなの? 権力に対する不満みたいなのとは違うんだ?」

「大抵の場合はきっかけになるのは庶民の噂話で、権力者やその妻が捕まったケースがないわけじゃねえが、最初に捕まるのは貧しい独り身の女って相場が決まってる」

「庶民から始まるんだ……捕まるのが庶民なら、権力に対する暴動とは違うよね」


 最初に捕まるのが弱者であるということは、憂さ晴らしみたいなものなのだろうか。だがそれで憂さが晴れるものなのだろうか。


「そもそも魔女って何? 魔力持ちのこと? 具体的にはどんな悪いことをしてるの?」

「疫病とか災害を起こすって言われてるな。ユリウスの旦那が言うには、魔力とは別物らしいがなあ」


 道中にユリウスから聞いた話では、魔力は火や水、風、土などを操ることができるらしい。疫病はともかく災害なら起こせるのだろうか。


「魔女って魔力持ちなのかなあ? なんか違和感があるけど」

「違うと思うぜ。そもそも魔力持ちってのは男だけだ」

「え、そうなの? でも最初に捕まるのって女の人なんだよね?」


 そもそも、魔力が原因ならば魔力持ちを捕まえるだけで事足りる。何千人も捕まえる必要はないはずだ。


「ねえ、魔力持ちが男の人だけって、みんなが知ってる話なの?」

「どうだろうなあ。けど教会は知ってるだろ。魔力持ちを集めてるんだしな」

「あ、変換装置があるじゃない!」


 何故気が付かなかったのか。魔力持ちを見つけるために変換装置を使っているのだ。拷問なんて面倒なことをしなくても、変換装置を使えばいい話なのだから、ユリウスが言うように魔力持ちと魔女は別物なのだろう。


「魔力持ちと魔女は別物だとして、じゃあ魔女ってどうやって疫病とか災害を起こすの?」

「なんでも呪いみてーなのを使うって話だぜ」

「呪いって……それこそ厨二くさいなあ。本当にそんなことあるのかなあ」


 非現実的だと思うのは、私がこの世界の人間ではないからだろうか。それとも魔力があるなら呪いもあるんだろうか?


 どことなく重い空気の中で考え込んでいると、遠くで自分を探すミアの声が聞こえた。


「アマネ、今の話、言うなよ?」

「わかってる」


 散らばった資料を急いで二人で片付ける。


 夜はオペラだ。せっかくユリウスが手配してくれたのだから暗い顔はしたくない。気分を切り替えなければ、と大きく息を吐きだした。


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