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おしゃべりな音楽家

「アマネの知り合いを悪く言いたくないんだけどね」


 そう前置きして、ラースの恋人であるヘレナは吐き捨てるように言った。


「あの人、サイテー」


 私たちが王都にいる間、フルーテガルトには大変迷惑な客が訪れていた。帰って早々それを聞かされた私は、久しぶりに会ったケヴィンとの挨拶もそこそこに走り回る羽目になった。なぜなら『知り合い』が捕まらないからだ。


「ごめんね、ヘレナ。よく言って聞かせるから」

「お願いよ? あの人、若い女には満遍なく触ってたから。きつーくお灸を据えてね?」


 ヘレナが言う『知り合い』と、私は一度しか会ったことが無い。何故フルーテガルトに来たのかも未だ不明だ。


 若い女を求めてあっちへふらふら、こっちへふらふら。その上しゃべり出したら止まらないあの人と言えば。


「やっと見つけましたよ! ベルノルトさん!」

「おお、これはこれは渡り人殿ではないか。久しぶりであるなあ。バウムガルト子爵の屋敷で会って以来であるからして、ひと月以上たっておるわけだが、渡り人殿はお変わりないようであるな。そうであったそうであった、吾輩は渡り人殿を訪ねてこのフルーテガルトを訪れたのだったが、渡り人殿が不在であったためにしばらく逗留しておったのだ。ところで渡り人殿はなにをそんなに怒っておられるのか。そんなに怒っておっては良い音楽も生まれぬというもの。渡り人殿ともあろうお方がそのようなことでは」

「ベルノルトさんっ! お話しは後で聞きますから、ちょっと黙って!」


 ベルノルトはバウムガルト子爵の屋敷でアンネリーゼ嬢の家庭教師をしていた男だ。元はヴィーラント陛下がその音楽の才能を気に入って王宮に置いたようだが、周りの者たちからの評判がすこぶる悪く、王宮を追放するに至ったと聞いている。


 ベルノルトはエルヴェシュタイン城へ行こうとしていたのか、東門のすぐ近くで捕まえることができた。用件が何なのかわからないので事務所よりはヴェッセル商会がいいだろうと判断し、居間でベルノルトと話をすることにした。


 居間に入るとケヴィンと見知らぬ少女がいた。マリアよりも少し年上だろうか。華やかな顔立ちではあるが細くて頭がすごく小さい。


 ケヴィンはベルノルトを見てゲンナリしている。今回の件の一番の被害者であるケヴィンはフルーテガルトに戻る途中、偶然ベルノルトに会った。バウムガルト子爵の屋敷でベルノルトと会った時はケヴィンも同行していたため、一応顔見知りである。


 そんなベルノルトが私に用があるということで、放置することもできずにフルーテガルトまで一緒に来たという。


「ケヴィン、なんかごめん」

「アマネちゃんのせいじゃないけど、後はお願いしていいかな?」

「えーっ、いなくなっちゃうのー? もうちょっとお話ししようよー」


 少女はケヴィンを引き留めようと腕を引いて言った。


「おお、ジゼル、どこに行ったのかと思ったらこんなところにおったのか。吾輩はお前を探しておったのだぞ。そうであったそうであった。渡り人殿、この娘は吾輩が後見しておるジゼルという者なのだが、ヤンクールの出身でとても踊りが上手くて元は旅芸人であったのだがヴィーラント陛下の御前で美麗な舞を披露したこともあるのだ。吾輩も一緒に見ておったのだが」

「もう、ベルちゃんしゃべりすぎー」


 ほんとにね!


 ベルノルトがしゃべり続けている間に、ケヴィンはジゼルと呼ばれた少女を振り切って無事に居間を抜け出せたようだ。


 ベルノルトの話を要約すると、ジゼルはヤンクールの出身で旅芸人だったらしい。陛下の御前で芸を披露した時にベルノルトに気に入られ、後見の話に乗ったのだという。


「それでベルノルトさん、なぜフルーテガルトに?」

「そうであったそうであった、吾輩は渡り人殿に頼みごとがあったのだ。渡り人殿、聞いてくだされ。前にバウムガルト伯爵の屋敷で話したであろう? 隣国の知己が五線譜に興味を持っておると。吾輩もその者に教えるのはやぶさかではないのだが、隣国に行くには通行税がかかるし1日2日でたどり着けるものではない。それに教えるとなるとさらに何日もかかる。だが吾輩が思うに五線譜が広まればたちまち主流となるであろう。つまり渡り人殿が作った『楽典』なるものは」


 要約するとベルノルトの要件は、五線譜を広めてやるから投資しろ、ということだった。






 ◆






「……というわけなんですけど、どうしたらいいでしょうね」

「雇えなくはないわよ? 増えたのってテオとラウロとダヴィデの3人でしょう? あと2人くらいまでなら大丈夫よ」


 ベルノルトの話を聞いた私は、事務所でまゆりさんとアロイスに相談していた。


 ベルノルトは他国の知己に五線譜を教えるというが、冬の間はフルーテガルトに逗留するつもりであるらしい。フルーテガルトには上流階級向けの宿屋が多くあるが、それほど高くない宿屋も存在し、そちらに宿泊するのだという。


「ベルノルト殿は金と女にはだらしがないですが、音楽の面で言えば一緒に仕事をするに値する才能の持ち主ですよ。ヴィーラント陛下が気に入られただけのことはあります。作曲も当然できますね」


 宮廷楽師としてアロイスはベルノルトと何度も顔を合わせたことがあるという。ベルノルトは宮廷楽師ではなく、ヴィーラント陛下が招いた音楽家という扱いではあったが、同じ王宮で音楽に携わっていたのだから当然と言えた。


 当のベルノルトは現在クリストフがピアノを教えている。教えると言ってもベルノルトはオルガンもチェンバロも弾けるので、いつの間にかベルノルトの独壇場となりリサイタルと化しているようだが。


 練習室からは楽し気なピアノの音が先ほどから聞こえてくる。ショパンの『蝶々』や『黒鍵』など、どれも夏に出版したピアノ中上級向けの曲だ。


 外から聞こえてくるのはマリアとジゼルの楽し気な笑い声。ベルノルトのピアノに合わせてジゼルが舞い、マリアが教えてくれとせがんでいるようだ。


「指揮も任せられるでしょうか?」

「問題ないでしょう。ただ王宮を追放された者ですから表舞台に立たせるのはやはりまずいでしょうね」


 私が悩む理由は指揮者にあった。本来ならばベルノルトのように大して親しくもない男を雇うなど考慮の余地はないのだが、ピアノ協奏曲の指揮者がまだ決まっていないのだ。


 最悪の場合に頼もうと思っていた師ヴィルヘルムには、頼んでみたもののはぐらかされるばかりで色よい返事はもらえていなかった。


「カルステン殿に頼むことができれば、私のように声や姿を変えることも可能だと思いますが」

「カルステンさんですか?」


 ゲロルトの仲間だったライナーを助け、アロイスとして演奏に復帰させたのはカルステンさんだった。カルステンさんに頼めば、アロイスと同じようにベルノルトの見た目を変えることも出来るのだとすれば、雇い入れはともかくとして指揮は頼みたい。


「ジゼルも雇えるなら雇いたいのですけど」

「そうねえ。アマネちゃんの計画に彼女が加わったらすごくいいわよね」


 まゆりさんが同意してくれる。


 次の春から秋にかけては、演奏会を3回計画している。協奏曲の演奏会と通学型レッスンの受講者による発表会。それに加えて私が考えたのは朗読劇と音楽を組み合わせた演奏会だ。


 私が王都に行っている間、見習いのテオの知られざる才能が発覚した。見出したのはカスパルだ。テオは書物が好きで、たくさんの本を読んではこっそり戯曲にアレンジして楽しんでいたようだ。テオの覚書のようなそれを見たカスパルは言った。


「非常に上手にまとめています。うまく育てれば戯曲作家になれますよ」


 カスパルはテオを戯曲作家に育てたいという意向も示しており、それは追々やっていこうということになっていた。


 テオにそういう才能があるならば、私としては朗読劇をやってみたいと考えたのは自然なことだ。完成している楽譜でまだ陽の目を見ていないものがあるのだ。


 バレエ音楽だ。


 第一回女子会で話題に出たバレエだが、その後の私は王都にカンヅメで、ピアノの曲集を作りながらバレエ音楽にも手を付けていた。2つほど完成させていたのだが、音楽はあってもダンサーがいないため本棚の肥やしになってしまっていたのだ。


 そのバレエ音楽を使って、テオが作った台本による朗読とジゼルのダンスを組み合わせれば、とても楽しい演奏会になるだろう。


「だけどジゼルは朗読劇の時だけでしょう? 年中通じて仕事があるわけじゃないですから雇い入れるのは難しいですよね?」

「そうねえ……。フィンからの頼まれごともあるし道の駅もあるから、人手が増えるのは私としては助かるわ。彼女、ベルノルトさんと一緒にいたいというわけでもないみたいだし」

「彼女に音楽的素養があるなら、ダヴィデと一緒に救貧院の音楽教室を任せてもよいのではありませんか?」


 仕事が増えたのだから人手も増やして問題ないというのが、まゆりさんとアロイスの意見であるようだ。


「そうですね。馬車と馬は今回は諦めて人手を増やすことにしましょう」


 ユリウスが言っていたように馬車と馬は必要だが、辻馬車も貸し馬車もあるのだ。ラウロは御者もできるが、当面は護衛として頑張ってもらうことにする。


「タペストリーの選別が終わったばい」

「アマネさん、声を掛けていただいて助かりました。よろしくお願いしますね」

「テオ、ご苦労様。ダヴィデ、久しぶりですね。こちらこそよろしくお願いします」


 事務所に入ってきたのは城の倉庫を漁っていたテオとダヴィデだ。寒くなってきたのと防音のために、タペストリーなどを選んでもらっていたようだ。


「ラウロ! ヴィムの特訓が終わったんですね」

「ああ」


 テオとダヴィデの後から入室してきたラウロは、フルーテガルトに到着早々、武器の使い方をヴィムに仕込まれていた。


「ヴェッセル商会の馬車で来てくれたんですね」

「乗せるのは女だけだ」

「ベルノルトさんは乗せてあげないんですか?」

「…………命じるならば乗せるが?」

「ふふ、歩いてもらいましょう。ダイエットに丁度いいですから」


 ベルノルトとジゼルは宿屋に泊っていたが、ジゼルの音楽的素養を見るために今日はヴェッセル商会に招こうと考える。


 ラウロ以外の男性陣は私が王都にいる間に城の北館に居を移していた。ダヴィデも来たため、さすがにレイモンのところは居づらくなったのだろう。ラウロは護衛なのでヴェッセル商会のラースたちが寝泊まりしていた部屋を使ってもらうことになっている。


「じゃあ役割分担などの詳細は明日にしましょうか」


 こうしてあっという間に9人になったアマリア音楽事務所は、翌日から大忙しとなるのだった。


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