謝肉祭
劇場の前でラウロと別れた後、私とラースは、フライ・ハイムに向かった。
フライ・ハイムは会員しか入店できないが、どうやらフィンの方から私に話があるらしく、ユリウスと連れ立って行く時間が取れなかったことから、今回は店を閉めて他の客がいない状態にするらしい。まあフライ・ハイムはいつでもガラガラなのだが。
「アマネ、久しぶりだね。まゆりは元気かい?」
「うん。頑張ってくれてるよ」
そう言うとフィンは肩を落とした。
「やっぱり、望みはないのかな……」
「いやあ、私は詳しく聞いてないんだけど、まゆりさんもフィンのことは頼りにしてるって言ってたよ?」
とりあえずフォローしておく。実際そう言っていたのだから、間違いではないはずだ。
「慰めてくれなくてもいいよ。僕はいつもそうなんだ。世界を渡っても僕はいい人止まりの運命なのさ」
私に言われてもコメントしづらい。ここはさっさと本題に入るべきだろう。
「ところで何か話があったんでしょう?」
話が聞こえない位置に座っているラースを気にしながらフィンに尋ねる。
「そうなんだ。実は君のおかげで会員が増えてね、ヤンクールやヴァノーネにもフライ・ハイムの支部を作ることになったんだ」
「それはよかったけど……私のおかげ? 心当たりが全くないんだけど?」
「ヴィーラント陛下の葬儀だよ。国外からも賓客が来てただろう? それで渡り人の評判が国外でも広まってね」
そんなことになっていようとは全然知らなかった。渡り人はノイマールグントにしか現れないため、他の国ではその恩恵を実感していなかった。ノイマールグントに訪れれば自ずと知れそうなものだが、そもそもこの国は貧しく他国からはほとんど注目されていないらしかった。
それがヴィーラント陛下の葬儀で私の音楽を聞いた各国の重鎮が、渡り人に興味を持ち、いろいろ調べた結果、フライ・ハイムで渡り人の情報が得られることがわかり、会員増加に繋がったようだ。
「でも大丈夫なの? 会員って会員の推薦がないとだめだったよね?」
「審査もね。だから、国外にも支部が必要なんだよ。幸い手助けしてくれる貴族や商人の会員もいたから、支部を作るところまではうまくいきそうなんだ。ただ僕一人だと会員管理が大変でね」
まゆりさんが欠けてフィンはなかなか忙しい思いをしているらしい。それでフライ・ハイムの仕事をフルーテガルトのまゆりさんにも手伝ってもらいたいということだった。
「うーん……申し訳ないけど、うちも忙しいんだよ」
「そこをなんとかお願いできないかな。手が空いている時で構わないし、こことのやり取りは書面で構わないからさ」
フィンの様子を伺い見る。確かに困ってはいるのだろうが、もしかするとまゆりさんとの繋がりを維持したいという気持ちもあるのではないだろうか。
「私じゃ決められないよ。まゆりさんに聞いてみて、大丈夫だったら連絡させるってことでいいかな?」
私はフライ・ハイムの会員ではあるが、実際にどんな仕事があるのかわからない。いずれにしてもまゆりさんに確認しないことにはどうにもできない。
「それで構わないよ」
そう言ってフィンは1枚の紙を渡してきた。手紙かなと思ったが、やってほしいことと、それに対する謝礼が描かれている書類だった。
「お願いする以上は当然謝礼も支払うよ。うちの支店みたいなものだからね。それとこっちも」
渡されたものは、今度こそ手紙だった。
「フィン……あのね、まゆりさんが困っちゃうんじゃないかな?」
「わかってるさ。だけどきちんと気持ちを聞かないと踏ん切りがつかないんだよ。もし断られても僕たちの関係は今まで通りだ。その証に仕事を頼みたいっていうのもあるんだけど、ダメかな?」
そうまで言うのなら私が口を挟むべきではないだろう。
「今回だけだよ? それと返事は保証できないからね?」
そう言って私は手紙を受け取り、フライ・ハイムを後にした。
◆
支部に戻った私は、資料室においてあるピアノの前に陣取っていた。王都だからといって休んでいる暇はない。やることが山のようにあるのだ。
ユリウスは今日は遅くなるようだが、支部ならば大丈夫だろうとラースには休んでもらっている。
ピアノ協奏曲の譜起こしを切りの良いところまで進めて、王宮での打ち合わせを思い返す。
打ち合わせでは即位式の音楽についてが話し合われたが、他にも依頼があった。
ヴィルヘルミーネ王女の婚約を祝う曲の提供と演奏会への出演も頼まれたのだ。婚約は来年の9月ということでまだ先だが、早めに言ってもらえる分には予定が立てやすいので助かった。
それらの話し合いが終わった後、侍従長はとても困った様子でエルヴィン王子のことを口にした。
「アマネ様が女性であることをドロフェイがエルヴィン殿下に明かしたようなのです」
何かお咎めがあるのだろうかとビクビクした私だったが、そういうことではなかった。
「今はまだドロフェイの戯言で済んでおりますが、エルヴィン殿下は他国から王妃を迎えることに忌避感があるようです。具体的な話をされたわけではありませんが、アマネ様のことを聞かれましたよ」
それはユリウスが言っていた縁談の話であるらしかった。しかし、そんな話をされても私にピンと来るはずなどなかった。顔を合わせたのは慈善演奏会と葬儀の2回だけだ。それにエルヴィン王子は15歳。元の世界なら中3だ。私からすれば結婚なんてあり得ない。
万が一、具体的な話が来たとして、どうにか理由を付けて断るつもりだが、どうしたものか。事前にそれとなく回避できる方法はないものだろうか。
私がため息を吐いた時、空気が変わったような気がした。
「こんばんは。ため息なんてついて、どうしたんだい?」
「……どうやって……聞いても無駄か。何の用?」
どうせいつものようにはぐらかされるに決まっている。部屋の隅に置かれた一人用のソファに、いつの間にか宮廷道化師が優雅に足を組んで座っていた。
「暇つぶしだよ。ゲロルトはヤンクールだから。僕は退屈してるのさ」
「迷惑なので帰ってもらえないかな?」
つれないなと言って道化師が足を組み替える。いつものへんてこな服装ではなく、おかしな化粧もしていない。フルーテガルトの火事の日にシルヴィア嬢の宿屋で見た時と同じような出で立ちだ。
「これは渡り人の世界のものかい?」
「返して。勝手に触らないで」
いつ取られたのかタブレットが道化師の手に納まっている。
「今日は猫は一緒じゃないのかい?」
「アルフォードは……」
アルフォードは最近調子が悪いのだ。寝ている時間が随分増えて、今回はフルーテガルトに置いてきた。だがそれを言っていいのかわからず口籠る。
「フフフ、そろそろ眠らないといけないから、ね」
「眠るって……アルフォードが?」
「あのアルプは冬は眠らなければならないのさ」
初めて聞く話に私は目を丸くする。アルプって冬眠するんだ?
「フフフ、君の顔はおもしろい」
「余計なお世話! あ、待って! そんな風にしたら壊れちゃうから!」
タブレットの側面にある電源ボタンを、爪でカリカリ引っ掻き始めた道化師に私は慌てる。タブレットを取り返そうと道化師に走り寄るが、手が届く前に道化師がタブレットを持った手を振ったと思ったら、手品みたいに手が空っぽになった。
「ああもう! 何が目的なの?」
「言っただろう? 僕は暇なのさ。君がピアノを演奏してくれたら返す気になるかもしれないよ」
演奏というキーワードで慈善演奏会の時の道化師を思い出した。あの時は道化師のせいで予定外に2曲も弾く羽目になったのだ。
「次の協奏曲の演奏会は邪魔しないって約束するなら、弾いてもいいけど?」
「交換条件かい? フフフ、僕の方が条件が多いなんてひどいな。ならこうしようか。君が引いた曲の数だけ、僕が君の言うことを聞く。ただし僕が気に入る演奏でなければ駄目だし、ゲロルトの手を引かせるというような無理なお願いは聞けないよ」
うーん、これは私が不利なのではないだろうか? 道化師が気に入らなかったと言ってしまえば言うことを聞いてもらえないのだ。だが、よくよく考えてみれば、回数の上限が無いのだから、たくさん弾けばいいのか。それにせっかくの機会だし、ゲロルトの情報も得たい。
「だったら質問にも答えて」
「答えられる範囲なら、構わないよ」
「わかった。それでいいよ。曲は何でもいいよね?」
道化師の言葉を聞いてピアノの椅子に座り直す。演奏するのはシューマンの『謝肉祭』だ。
『謝肉祭』はシューマンの傑作として知られる曲で、全20曲の小品で構成されている。全て演奏して25分前後だ。それに『謝肉祭』にはシューマンの遊び心というか、謎解きのような仕掛けがある。
『謝肉祭』の副題は『4つの音符による面白い情景』で、曲中に散りばめられた音名が『ASCH』という地名になる。この地名は当時シューマンが恋していた女性の生まれ故郷であるという。
第2曲が『ピエロ』、第3曲が『道化役者』であることも、今の情景にぴったりなように思えた。
ちなみに音名だが、「ドレミファソラシ」はイタリア、フランス、スペインの表記だ。日本だと「ハニホヘトイロ」。英語は「CDEFGAB」。おもしろいことにドイツは「CDEFGAH」で「シ」が「H」となるのだが、これはフラットを「b」として使っていたからだ。
「フフフ、19だ、ね」
演奏が終わると道化師が言った。1箇所だけ間違えてしまったのを聞き逃してはくれなかったようだ。でも19もあるなら余裕だ。
道化師が手を軽く握って一度振ると、その手に小さな瓶が現れた。コルクの蓋を開けると黒い小さな石のようなものが宙に円を描くように、等間隔に散らばる。
「さて、これを返せばいいのかな?」
そう言って道化師は手品のカードを取り出すようにタブレットを出して見せる。差し出されたそれを私が受け取ると、黒い小石がひとつ、蓋が開けられたままの瓶に戻り黒い液体に変わった。
どうやら黒い小石は言うことを聞く回数または質問の受付回数であるようだ。
「それから、次の演奏会の邪魔をしない、だったかな」
「待って! 内容を変える。金輪際演奏会の邪魔をしないで」
「フフフ、邪魔をしたつもりはないけれど、君の言うことを受け入れよう」
黒い石がひとつ瓶に戻る。
「クリストフの時みたいに、誰かの体を乗っ取るのは止めて」
「あれは僕の遊び心なのに。まあいいさ、君の関係者に限るなら受け入れよう」
体を乗っ取るなんてチート技、そうそう使われては困る。
「私の身内を危険な目に合わせないで。フルーテガルトの人々も」
「フフフ、それも受け入れるよ。でも君、勘違いしているんじゃないかい? 僕は誰かを危険な目に合わせたことなんてないのに」
そうだったっけ? 記憶を掘り起こしているうちに黒い石が2つ瓶に戻って液体になった。
「なんで2つ!?」
「2つだっただろう? 君の身内と、フルーテガルトの人々。ほうら2つだ」
道化師が指折り数えてみせる。ムカッとしたが、液体になった石を取り出せるはずもない。これは下手なことを言わないように気を引き締めなければならない。頭を切り替えて、質問をしてみる。
「あなたは何者?」
「ノイマールグントの宮廷道化師さ」
「ふざけないで! あなたの目的は何なの?」
「フフフ、世界の平和だよ」
石が瓶に2つ吸い込まれる。むむむ、と眉間に力が入ってしまうけれど、はぐらかされるような質問では駄目だ。冷静にならないと。ふいにカルステンさんが言っていたことを思い出す。
「あなたの役割はなに?」
「ジーグルーンを探すのが僕の役割さ」
割とまともな答えが返ってきたが、意味はわからない。
「私がジーグルーンなの?」
「僕はそう思っているよ」
「まだ歌う時期じゃないって言ってたよね。いつ歌うの?」
「今の段階では僕にもわからないよ」
石が減っていく。わからないという答えでも減ってしまうようだ。もっと具体的なことを聞いた方が良いのかもしれない。何かあっただろうか。
「……フルーテガルトの火事はカミラさんがやったの?」
「当たり」
「設計図を盗んだのもカミラさん?」
「それも当たりだ、ね」
予想していたことではあったが、答えを聞いてなんだか悲しくなった。彼女とユリウスの関係がどんなものだったのかわからないけれど、何が彼女をそこまでさせるのか。
「カミラさんの目的って何?」
「人の心なんて僕にはわからないけれど、あの女は君のナイトが欲しいんじゃないかい?」
「…………ゲロルトとカミラさんの関係は?」
「あの女が捕まった時に拷問を担当したのがゲロルトだって聞いたよ」
石が残り少なくなってきた。あと5つしかない。カミラのことばかり聞いてはいられない。
「ゲロルトは劇場の火事の時はどこにいたの?」
「劇場の裏手だったかな」
「その場にいなくても魔法陣は発動できるの?」
「魔法陣が見えていれば」
どの程度見えていればいいのか、これは後でルイーゼにも確認しなければならない。
「ゲロルトはヤンクールから戻ってくるつもり?」
「そうだろう、ね」
「いつ頃?」
「未来のことは僕にもわからないよ」
石が残り1つになってしまった。何を聞く? それとも何か言うことを聞かせる?
ふいに左腕に包帯を巻いたユリウスを思い出した。ユリウスを連れてこいと喚くゲロルトの声が頭の中で響く。
「…………ゲロルトからユリウスを守って」
受け入れてもらえるかはわからない。頼む筋合いなどないのは承知の上だが、ユリウスが傷つくのはどうしても嫌だ。
「それを僕が受け入れると思うのかい?」
道化師の目は私を睥睨するように冷たい。ピアノの前に座ったままの私に道化師がゆっくりと近づいてくる。
「君がこれを飲み干すことが出来たら受け入れよう」
最後の石が目の前に差し出された瓶に吸い込まれた。黒い液体は小さな瓶を満たしている。
「わかった」
私は瓶をひったくるようにして道化師から受け取り、ごくごくとそれを飲み干した。
「んんんっ、んぅっ! 苦っ!! うーっ、苦いーーーーっ!!」
涙が滲んでくるが構っていられない。死ぬほど苦い。まさか毒? 何も考えずに飲んじゃったけど、これ、やばいお薬? また何かの術にかかってたりする?
「フフフ……、フフ……アハハハハ!」
苦さに口を覆って足をバタつかせる私の前で道化師がさもおかしそうに笑っている。
「ちょっと! すごい苦いんだけど? これ、何なの?」
「ハハハ……フフ…………ッ、君、僕を笑い殺すつもりかい? ククッ……」
こちらの質問は無視して道化師は笑い続けている。今までに見た嘲るような笑い方ではなく、本気で大笑いしている。こうして見ると道化師は思っていたよりも人っぽい。
「いい退屈しのぎができたよ」
質問に答えないまま、道化師はそう言い残して姿を消してしまった。




