新しい護衛
エルヴェシュタイン城の入り口は、前庭の広い階段を上った2階にある。
しかし、1階にも通用口のような出入口が城の裏側にある。その出入口のそばに螺旋階段があり、地下へと続いていた。
「螺旋階段があるのは知ってたけど、2階から上しか見てませんでした」
「そういえば1階ってちゃんと見てなかったわよね。厨房は南1号館にもあるし」
ランタンを片手に地下への階段を降りていく。倉庫に繋がっているせいもあるのか、地下への階段はらせん状ではなく幅も広い。ランタンを持ってはいるが火は灯されていない。城自体が高台にあり、向かい合う2辺が崖になっていることもあり、地下とはいえ窓があって中は真っ暗というほどでもないのだ。
「きゃあ、すてき!」
まゆりさんが隣で歓声を上げる。普段は落ち着いていてあまりはしゃぐことがないので珍しい。
倉庫の中にはヴェッセル商会王都支部の応接室にあるような、品の良い家具がいくつかと、飾り気のないシンプルな家具がたくさん積まれていた。
「王族が使っていた家具はさすがに残っていないようだね」
クリストフが倉庫全体を見渡しながら言った。おそらく王族が使っていたような高級品は王宮に持ち帰ったのだろう。だがそれでも結構な数の上品な家具が残っている。
「これなら買わんでよかですね」
「そうですね。まゆりさん、応接やレッスン室の家具を選んでもらっていいですか?」
「まかせて!」
来客用の物はセンスが良さそうなまゆりさんに任せ、私は書斎で使う椅子を探す。長時間座って作業するので、書斎の椅子は重要なのだ。
作業用らしきシンプルな机がまとめて置いてある一角に足を進める。
「アマネさん、重いので私が降ろしますから、その中から選んでください」
アロイスが机に積まれた椅子を一つずつおろしながら言う。
「そんなにか弱くないですよ! これでも結構力はあるんです! ぐぐぐっ」
なんだか悔しかったので、椅子の足を掴んで持ち上げようとしたら、本当に重かった。なんでこんなに重いの!?
「アマネちゃん、こっちの家具って重いのよ。気を付けて!」
まゆりさんにまで言われてしまう。椅子を下ろしていたアロイスが密やかに笑っているのが目に入り、いじけた私は書棚の方に移動する。
「時計がある。ランプも」
壁掛けタイプのものではない。『オオカミと七匹の子ヤギ』に出てくるような柱時計だ。ランプはオイルランプで、ヴェッセル商会で使われているものと同じような形だった。
こうして見ると、こまごまとしたものがたくさんある。私は使えそうなものを一つ一つネタ帳にメモしていく。事務所などで使ってもよいか、王宮の打ち合わせの時に確認しておきたいのだ。
「それは貴女の国の文字ですか?」
椅子を下ろし終わったのか、気が付くとアロイスがネタ帳を覗き込んでいた。
「そうですよ」
「これもですか? こちらとこちらは趣が違うようですが」
アロイスが指さしているのはカタカナで書かれた「ランプ」と漢字で書かれた「柱時計」だ。
「こっちがカタカナで、こっちが漢字。私やまゆりさんは使い慣れていますけど、他の国の人たちにはクレイジーって言われてましたね。私たちの国の言葉は」
日本語は海外の人々にとっては最凶難易度であるらしい。最も難しいのが漢字で、音読みと訓読みというように一つの文字で複数の読み方があるのがクレイジーであるらしい。
「とても興味深いですね。渡り人の世界をもっと知りたくなります。先ほどの『道の駅』というのもおもしろかった。貴女といると退屈になる暇がない」
「ふふ、私が住んでいた国では『道の駅』はメジャーな地域活性化の拠点なんですけどね」
「マイスター、大体選び終わったよ」
クリストフの声に振り返ると、まゆりさんが満足げに微笑んでソファの背の飾りを撫でているのが見えた。
「わ、椅子を選ばなきゃ! ソファを運んでもらっても? とりあえずは階段の上までで良いですから」
「もちろんです。貴女よりは力がありませんが、我々でも十分運べますから」
片目を閉じたアロイスがくすくすと笑いながら言う。
「アロイスは意地悪です!」
「くっ……ははは……」
膨れた私を見てアロイスは堪えきれないという風に笑った。
◆
「ごめんね、ラース。もうすぐ結婚式なのに王都まで付き合わせちゃって」
「気にすんな。俺は特にすることもねえんだ」
私とラースはひと月ぶりの王都の通りを歩いていた。
王都に到着してから、私は即位式の打ち合わせを王宮で行った後、レッスンの宣伝をするべく精力的に動き回っていた。
王宮での侍従長との打ち合わせの際に聞いたところ、エルヴェシュタイン城に残っていた家具や備品は自由に使って構わないということだった。
打ち合わせが終わると宮廷楽師のみんなやヴィルヘルミーネ王女の侍女となったナディヤとも再会を果たすことができた。カルステンさんには残念ながら会えなかったが、宮廷楽師たちは即位式でまた一緒に演奏できることを喜んでくれた。
昨日はシルヴィア嬢や二コルにも会い、バウムガルト邸にも訪問してレッスンの宣伝を行ってきた。シルヴィア嬢にもアンネリーゼ嬢にも散々のろけ話を聞かされたが、友人知人にもレッスンのことを宣伝してくださるとお約束頂いた。
ちなみにアンネリーゼ嬢の家庭教師でバウムガルトの屋敷に匿われていたベルノルトは、数日前にふらっと出て行ってしまったそうだ。まあ本人も出ていきたいようなことを言っていたので、仕方がないのかもしれないし、リーンハルト様はきっと喜んでいらっしゃるだろう。
二コルはまあいつも通りだ。隣にいらっしゃったギルベルト様が自主規制な表情をされるのもいつも通りだったし、そんなギルベルト様を二コルが虫けらを見るような目で見るのもいつも通りだ。
昨日の夜はエルマーが支部に顔を出したのだが、ひと月でこんなに?というくらい背が伸びていて驚いた。相変わらずの男ぶりだったが、少し痩せたというか精悍になったというか、私としてはその成長ぶりにちょっぴり寂しい思いもした。
そして、今日は劇場へ向かっているのだ。ユリウスは商人ギルドで話し合いがあるということで別行動だ。
10月も半ばを過ぎ、気温も低くなったせいか、すれ違う人々の服装もひと月前とは様変わりしている。この国は元の世界よりも寒いのか、私の感覚では晩秋に近い。昼間でも日陰は寒いし、朝は布団から離れるのが難しいほどだ。
露店で賑わう広場を抜けると劇場が見えてくる。
「渡り人様、ご無沙汰しております」
「ギード! 久しぶりですね」
劇場の入り口ではハープ奏者見習いのギードが迎えてくれた。
「練習は頑張っていますか?」
「実は新しいハープ奏者も入ることになりまして、ますます頑張らなければならないなと奮起しているところです」
近況を話しながら場内へと足を進める。オペラの開催は月初めであるため、開催期間ではない今日は閑散としていたが、支配人と話をするだけなので問題はない。ギードは相変わらず練習の虫であるらしく、昼間も暇を見つけては劇場で練習に励んでいるようだ。
「ひと月振りですな、渡り人様。その後お変わりありませんか?」
「ええ。グレーゴール様もお元気そうですね。オペラも盛況だと聞いております」
「ご紹介頂いた針子殿の衣装が好評なのですよ」
ギードが支配人のグレーゴールに声をかけてくれて、応接室へと案内された。グレーゴールは常に笑みを絶やさないロマンスグレーの紳士だが、油断のならない目をした人物だ。敵に回すと怖そうだと少しだけ緊張しながら事情を説明する。
「来春、フルーテガルトで行う演奏会を、劇場の演奏者の方々にお手伝いいただけないかと相談に参りました」
「王族依頼の協奏曲の演奏会ですな。聞いておりますよ。お貸しするのは問題ないのですが、可能であれば当劇場でも演奏して頂けませんか? 同じ演目でなくても構いませんし、時期も調整いたしますので」
どうやら演奏者の貸し出しは客演が交換条件であるようだ。音楽を伝える機会が増えるのは私としても喜ばしいことなので、二つ返事で了承した。
演奏者に対する謝礼や待遇などは、この場で迂闊なことを言わないようにユリウスから厳命されているため、後日書面で詰めることにして劇場を後にする。
「あー、緊張した……なんか威圧感あるよね、支配人」
「普段は貴族を相手にしてるんだ。あれぐらいでないとやっていけねえんだろうよ。お前さんだって同じ立場になるんだ。のんびりのほほんは卒業しねえとな」
最近は忙しくてのんびりする暇などなかったというのに、ラースには相変わらず私がのほほんとして見えるらしい。
「ユリウスの旦那も忙しくなるからなあ。レオンの旦那が早く大人になってくれりゃあ、負担が減るんだろうがな」
「スラウゼンの工房も開設したからね」
「テンブルグも一度来てほしいって言ってるみてえだな。それにギルドにユニオンの穏健派を取り込みたいっつーのもあるみてえだな」
ユニオンの穏健派については、確かユリウスは難しいだろうと言っていたのだが、何か動きがあったのだろうか。
「ったく、お前のためだろうよ。ゲロルトがヤンクールにいる今のうちに勢力を削いでおきてえんだと思うぜ?」
「ユニオンの力が無くなった方がヴェッセル商会も助かるってことでしょう? 私のためだけじゃないって」
「はあ……わかんねえか……旦那が何も言わねえのは、ユニオンのことが解決してねえからだと俺は思うがな」
そうなのだろうか?ラースが言う「何も言わない」とは、前回の馬車でのことなんだろうか。ラースにしてははっきりしない言い方で戸惑ってしまう。
そんな私の視界の端に気になるものが写った。
「あ、あれ! ラース! あれ、あの時のっ」
「は? どれだ?」
「あ……見えなくなっちゃった……たぶん、カミラさんだったと思うんだけど……」
「なにっ」
ラースが鋭い目で私が指さした方を見る。カミラだとしたらフルーテガルトの火事のことやザシャの設計図のことを聞かなければならない。
「私、劇場に戻るから、ラースはカミラさんを追いかけて」
「だが……」
「すぐ目の前だから、大丈夫!」
劇場から30メートルも離れていない。目と鼻の先だ。
「っ、支配人と一緒にいろ! 俺が戻るまで外に出るなよ!」
そう言うとラースは人混みを分け入っていった。
ラースの背を見送った私は劇場へと踵を返す。支配人は外まで見送りに出てきてくれたから、まだ近くにいるだろう。
そう考えて一歩足を踏み出した時、数人の子どもたちが横から駆けてきてぶつかってしまった。よろけた私は人混みに押されて流される。
「ち、ちょっと! すみません! 通してくださいっ! わわっ、ごめんなさいっ」
「おい、大丈夫か?」
誰かの足を踏んでしまって謝ると、その人物は流される私を後ろから両腕を支えて誘導してくれた。そのまま人混みから連れ出されて息を吐く。
「助かりました……ありがとうございます」
「別に。どこに行くつもりだった?」
「劇場です」
10代後半から20代前半に見えるその男は、肌寒い季節だというのにシャツの袖を捲り上げており、鋼のように固そうな筋肉質の腕が袖から覗いている。
「あの、すみ……ありがとうございます」
腕を引かれて劇場の入り口にようやくたどり着く。
「いや。怪我は?」
尋ねてくる男を見ると、外で仕事をしているのか随分と日焼けして少し浅黒い。この辺りではあまり見かけないが、ヴァノーネの南側にはそういった肌の人もいると聞いたことがあるので、そちらの出身かもしれない。
「大丈夫です」
「連れがいただろう? 戻ってくるまで俺はここにいるが、アンタはどうする?」
「えっと……一緒にいていただけますか?」
すぐには意味を判じかねるが、たぶん一緒にいてくれるということだろう。流されている間に支配人は部屋に戻ってしまっただろうし、私はこの青年が気になってもいた。
「私はアマネと言います。お名前を伺っても?」
「ラウロだ」
名前の響きもヴァノーネっぽい。しかし、ヴァノーネと言えばダヴィデのように挨拶代わりに女性を口説くタイプが多いと聞いたが、この青年はそういうタイプではないようだ。
「この辺りでお仕事をされているんですか?」
「いや、職探しで王都に来た」
ラウロは一人分の間を空け、腕組みをして立っている。背が随分と高い。見上げた感じでは、おそらくユリウスよりも高いだろう。
表情は硬いというかほとんど無表情で、話す時もあまり口を動かさない。鋭い目つきというわけではないが、ゆっくりと目だけで辺りを伺う様子は、ルイーゼに似ているような気がした。
「戻ってきたな」
「あ、待って。あの……お礼がしたいのですが……」
「不要だ」
「あ、あのっ」
立ち去ろうとするラウロの腕を思わず掴んでしまう。
「ええと、その……不躾で申し訳ないのですが」
「アマネっ! ……なんだ、そいつは?」
「ラース、あのね、ラウロは助けてくれたんだよ」
見知らぬ人物に目を鋭くするラースに、私は事情を説明する。ラウロは立ち去ってしまうかと思ったが、私が掴んでいる腕を振り払うわけでもなく、静かに立っていた。
「そいつは悪かったな。だがアマネ、そいつをどうするつもりだ?」
「聞いてみたいことがあって」
口では謝罪しているラースだが、未だ警戒を解いていない様子で目付きは鋭いままだ。私はラウロに向き直って尋ねた。
「ラウロは馬車を扱った経験はありますか」
「多少は」
「護衛の仕事に興味はありませんか」
「なくはない」
「お仕事を探しているって言ってましたよね? 王都でなければ駄目でしょうか?」
「いや」
ラースが私の袖を引っ張り、ラウロから引き離し小声で言う。
「アマネ、そいつは早計だ」
「ユリウスにも確認するけど、護衛も御者も必要だし、ラウロはたぶん悪い人じゃないと思うんだ」
無口で不愛想ではあるが、人混みの中から連れ出してくれた時も乱暴な感じはしなかったし、待っている時も近すぎず遠すぎない場所にいてくれた。武器の扱いなどは確認しなければ判らないが、体躯を見れば体を動かすことは得意そうだし、若いから体力もあるだろう。
出来ればフルーテガルトの人を雇用したかったが、私よりも街のことを知っているユリウスが見つけられないのだから、外の人を雇うしかない。
「護衛ならヴェッセル商会から借りればいいだろ」
「いつまでもそういうわけにはいかないよ。ヴェッセル商会だって人手が足りてるわけじゃないもの」
協奏曲の演奏会の頃には客が増えることが予想され、引き抜いた護衛たちは宿屋に戻るという話が出ていると聞いた。
「…………背後を調べてからだ」
「わかってる」
私が頷くとラースもどうにか矛を収めてくれ、以前の勤め先や連絡先などを聞いて、後日連絡することにした。
「早めに連絡しますから、出来れば仕事は決めずにいてくれるとありがたいです」
ラウロはニコリともせずに頷いて、去っていった。
「ラース、カミラさんは?」
「見つけられなかった。本当にあの女だったのか?」
「たぶん。服装も前に見た時と同じ感じだったし、それに……」
私が見たカミラらしき女性は、アイリッシュハープを持っていたのだった。