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見習い従業員

「お前、女であることは公表しないのか?」


 縁談の釣り書から視線を外したユリウスが、私を見据えて言った。


「うん。公表した後を考えると面倒」


 釣り書の山を見れば、公表後も察せられようというものだ。


「まあ妥当なところだ。女だと公表すれば、下手をしたらエルヴィン王子から縁談が来るからな」

「エルヴィン王子って王様になるんでしょ? 貴族と結婚するんじゃないの?」

「馬鹿者。貴族は王の家臣だぞ。貴賤結婚になるではないか。王族の女が貴族に嫁ぐことは稀にあるが、男の場合は継承権を捨てなければまず無理だ」


 王や王位継承権者は家臣とは結婚できないらしい。建前上は貴族は王族の家臣だ。


「王の婚姻相手は他国の王族だが、お前は王族と対等な渡り人だ。王族の結婚相手になり得る」

「いやなり得るって言っても、私、しがない音楽家だよ? 何のメリットもないじゃん」

「メリットは無くともデメリットもないということだ。それに前に言っただろう? エルヴィン王子に子がないまま他界すればヤンクールが横槍をいれてくると」


 エルヴィン王子はまだ15歳だ。王妃も決まっていない。ヴィルヘルミーネ王女が嫁ぐ先はヤンクールの王弟で、もしヴィルヘルミーネ王女に男の子が生まれて、エルヴィン王子に子がいないまま亡くなるなんてことがあれば、ヤンクールが王位継承に口を挟むのは必須だ。


 更に、エルヴィン王子のお相手となり得る他国の王族に、つり合いが取れそうな年齢の女性が不足しているのだという。


「でもガルブレン様の奥様は王族だったんだよね?」

「先々代の王はご兄弟が多かった上にガルブレン様の奥様が病弱だったから許されたようだな。それでも反対する者は多かったと聞いたが、ガルブレン様が半ば強引に娶ったらしい。大恋愛だったそうだぞ」


 笑うと優しい顔立ちになるものの、武人然としたガルブレン様が大恋愛とは驚くけれど微笑ましい。


「お前は男装を通すだろうとは思ったが、念のため意思確認をしただけだ。そう決めたのなら女だとバレぬように充分気を付けろ。それとラースのことは聞いたか?」

「聞いたよ! いやあ、目出度いね」


 ラースは近々結婚するのだ。私にとってラースはこの世界の兄のようなもので、恋人のヘレナとも仲良しだ。ヘレナはとても可愛くてしっかり者なのだ。


「祝いは考えたのか?」

「あ! そうだった……忘れてた……」


 ラースの結婚祝いには、私とマリアで歌を贈るつもりでいたのだが、楽譜を起こすのを忘れていた。


「ええと、即位式の入退場の音楽を考えるのと……、縁談の返事と……、ラースの結婚祝いと…………」


 私は今の段階でやらなければならないことを、慌ててネタ帳に書き込んでいく。


「悪いが頼みたいことはまだある」


 ネタ帳に必死に書き込む私に向かって、ユリウスの非情な一言が投げかけられた。


 しかし、ユリウスからの頼み事なんて珍しいこともあるものだ。これは聞かねばなるまいと顔を上げる。


「2人ほど、お前に面倒を見てほしい人物がいる」

「音楽関係の人? 演奏家なら大歓迎だけど……」

「いや、どちらも音楽関係ではない」


 どういうことだろうと首を傾げる。


「1人はお前も良く知る人物だ。アロイスの紹介で会ったのだろう?」

「アロイスの……もしかして、カスパルさん?」

「そうだ。俺が個人的に援助することにした。ヴェッセル商会が表に立って援助するわけにはいかぬから、お前の方で住まいなどを考えてほしい」


 カスパルは戯曲作家だ。権力に逆らう戯曲を書いたことで幽閉されて逃亡した。同郷のアロイスを頼って王都に来たのだ。王宮や貴族との付き合いが多いヴェッセル商会が、表立って援助するのはさすがにまずいのだろう。


「いいけど、でもどうしてユリウスが?」

「あの男が書いた物を読んだが、賛同する部分が多かったからな。実際に会って話もしたが、なるほどと思うところが大いにあった」


 私がカスパルと話をしたのは1度きりだったが、彼との会話は私にとっても有意義な時間だった。自分の迷いやわだかまりに気付かせてもらえた。もしかすると、ユリウスも似たような体験をしたのかもしれない。


「アロイスもこちらに来るのだから、丁度いいだろう。当面の間はまとめてレイモンに面倒を見させるつもりだが、お前も気を配ってもらえるか?」

「もちろんだよ。正直、心強いよ。面倒を見るっていうよりも、こっちがむしろ面倒を見てもらいたいもの」


 私の言葉を聞いたユリウスは口元を緩めた。頼みなんて言っているけれど、結局私のためになることではないか。


「もう1人についてだが、ある男爵の非嫡出子の男児だ」


 非嫡出子。エルヴィン王子の叔父であるクレーメンス様は非嫡出子であることが秘されていたのを思い出す。


 ユリウスによれば、非嫡出子は嫡出子がいない場合でも家を継ぐことができないそうだ。非嫡出子に家を継がせるぐらいならば、どんなに疎遠でも縁戚から養子を取って継がせるものだという。


「男爵の庇護のもと、母親と王都で暮らしていたのだが、その母親が亡くなったそうだ。奥方の反対があって引き取るわけにもいかず困っているということで、ヴェッセル商会に話が来た」


 その男爵というのは、ヴェッセル商会の古くからの得意先であるらしく、断れなかったようだ。


「そう……いくつなの?」

「13歳だ。優秀らしくてな。男爵としてはアカデミーに入れたかったらしいが、本人が辞している」

「どうしてアカデミーに入りたくないんだろう?」

「詳しいことは聞いていないが、母親の境遇に思うところがあったのではないか? 男爵の庇護下にいるよりも、働きたいと言っているそうだ」


 アカデミーに入学すれば、修士を取るまで最低でも6年はかかる。


「13歳だったら見習いになるんだよね? ヴェッセル商会の見習いにはしないの?」

「俺もそのつもりだったのだがな、渡り人であるお前の下でどうしても働きたいそうだ」

「えっ、私? なんで?」

「王女の慈善演奏会でお前の演奏を聞いたらしいぞ」


 8月の末に大聖堂で行われたヴィルヘルミーネ王女の慈善演奏会は、演奏会場には王族や貴族、貴族と懇意にしている商人などしか入れなかったが、仕切りを隔てた会場の入り口側は一般市民も入ることができた。


「会って話を聞いたが……それはもう熱弁を奮われた」


 私としては恐縮するばかりなのだが、ユリウスはなんだか困惑しているような雰囲気だ。


「じゃあ、その子には事務所を手伝ってもらえばいいのかな?」

「そうしてくれ。住処は……当面はレイモンに任せる」


 私設塾の住人が一気に4人も増えるとは。レイモンの血圧が心配だ。「当面は」と前置いていることを考えれば、カスパルと同じようにアロイスたちと一緒の方が良いだろう。早めに彼らの住居について考えなくては。


「本当は護衛を入れた方がいいのだがな。信頼できる者となると難しいのだ。当面はラースを付けるが……」

「フルーテガルトでも護衛っているの?」

「お前の計画では街の外から人が入ってくるのだろう? ユニオンの者が紛れないとも限らんだろう」


 ゲロルトがいなくなったとはいえ、ユニオンが無くなったわけではない。以前のように狙われることはないだろうが、妨害がある可能性は皆無ではない。


「ラースも結婚するからね。アロイスやクリストフの知り合いとか、良さそうな人がいないか探してみるよ」

「報告は忘れるな。俺はお前の事務所の顧問だからな」


 計画を考えた当初、私はヴェッセル商会の一事業としてユリウスに話を持ち掛けたのだが、特権階級である私が自業主となった方が税金がかからないため、私自身が音楽事務所を立ち上げることになったのだ。


 ただし、私もまゆりさんもこの世界には疎いし、アロイスもクリストフも演奏家で、事業のことや手続き関係に疎いことを考慮し、ユリウスが顧問を申し出てくれたのだった。


 ネタ帳に護衛の件を書き入れる。なんだかんだ言っても、護衛については私も必要だと思っていた。王都でシルヴィア嬢に聞いたマリアに対する貴族の反応が心配だったからだ。それに演奏会をするなら舞台設営などでも男手が必要だ。アロイスやクリストフだけでは足りないだろう。


 書き終えたネタ帳を閉じると、ユリウスは私が持ってきた籠からタブレットを取り出していじりだした。


「もう1つあればいいのだがな」


 そう言って音楽ソフトを立ち上げ、曲を再生する。どうやら『悪魔の板』はユリウスをも虜にしたらしい。


 あ、これ、クロイツェル。


 ベートーヴェンの曲の中でも私が1番好きな曲だ。


『クロイツェル』はベートーヴェンが遺書を書いた翌年の作品で、ヴァイオリニストのクロイツェルに捧げられたため彼の名で呼ばれるようになったヴァイオリンソナタだ。


 クロイツェルに捧げられた経緯には、ベートーヴェンの性格を表す、私が思わず苦笑いしてしまったエピソードがある。詳細は割愛するが、作った当初はクロイツェルではない人物に捧げる予定だったらしい。そして、クロイツェル自身がこの曲を演奏したことはなかった。


『クロイツェル』はヴァイオリンソナタとされているが、ベートーヴェン自身はピアノソナタとして書いたようで、ヴァイオリンとピアノが競い合うように進行する曲だ。


 3楽章合わせて30分前後の曲なのだが、ユリウスは全部聞くつもりなのか、私が座る2人用のソファに移動して左隣に腰を落ち着けた。左手は肘掛けに、右腕はソファの背に回され、すっかりくつろぎモードだ。


 久しぶりの近い距離に私の心音は鳴りやまず、打ち合わせの内容を書き込んだネタ帳を再び開いて睨むしかない状態だ。以前は隣に座ったって気にすることはなかったはずなのに。これもユリウスが馬車で無体を働いたせいだと思ったらイラッとした。


 くつくつと隣で笑う声が聞こえて睨みつけると、さらにユリウスの笑みが深まる。


「お前、この曲が好きだろう?」

「そうだけど、なんでわかるの?」

「なんとなくだ」


 好きだったら何だというのか。人のことを勝手にわかってるような言い方が腹立たしくて、さらに目に力を込めて睨むと、ユリウスが笑いながら手を伸ばしてきた。


 むにり、と頬が摘ままれる。


「この曲、演奏してみたい」


 ユリウスと『クロイツェル』を?


 ああ、それは楽しそうだ。


「ユリウスがヴァイオリン?」

「いや、俺はピアノがいい」


 頬を摘まんでいた手がいつの間にか頭の後ろに回されて、引き寄せられていく。


 どうしよう、困ったな、と思った時、書斎の扉がノックされた。


 ふにっと唇に何かが触れ、隣で立ち上がる気配がする。


 目を瞬いているうちに、いくつかのやり取りが為され、見知らぬ少年が入室してきた。


「アマネ、先ほど話した見習いのテオだ」


 何事もなかったかのように、ユリウスが少年を紹介する。


 見習いの少年は確か13歳だと聞いたが、目の前にいる少年は随分小さい。8月の終わりに14歳になったばかりのエルマーと比べると、たぶん頭一つ分ほど小さいのではないだろうか。


「はじめましてばい。僕はテオっち言います!」


 はい?


「あ、あの……」

「アマネしゃんやね! 頑張るけん、よろしくばい!!」


 ええと、王都で暮らしてたんじゃなかったっけ? 戸惑ってユリウスを見上げれば、眉間の皺がくっきり。


「テオ、言葉が乱れているぞ」

「はっ! そーやった! えっとー、どうぞ、よろしく、お願いします!」

「こ、こちらこそ……?」

「ふわあぁぁ、それは向こうん世界の道具と?」


 タブレットを指差して言うテオだが、ごめん、何を言っているのかよく聞き取れないよ。


「テオ、少し落ち着け。アマネが驚いている。アマネ、テオは母親が他国の出身でな、教育は受けているから普通に話せはするが、元の言葉がなかなか抜けないのだ」

「そ、そっか……うん、ええと……」

「事務所に案内したらどうだ?」


 ユリウスがタブレットの音楽ソフトを閉じながら、混乱しまくる私に助言してくれる。


「そ、そだね。30分くらい歩くけど、テオは平気ですか?」

「まかせんしゃい!」


 言葉が通じないということではないようなので、私は気を取り直してユリウスの助言通りに事務所に案内することにした。


 馬車を出すというユリウスを断ってテオと二人で通りを歩き、エルヴェシュタイン城にある事務所を目指す。


 商店街を抜けると街のちょうど真ん中に位置する広場に出る。左手側に大きな通りを歩いていくと東門に出る。


「あのぉ、8月の慈善演奏会の時、2番目に演奏したのは何ちゅう曲と?」

「ショパンの幻想即興曲ですね。あの曲は……」


 小さいと思ったテオだが、並んで歩くと私よと同じくらいだろうか。表情がころころとよく変わり、反応が素直で好感が持てる。


「人が少なか、ですね」


 しばらく歩いていると、ぽつりとテオが言う。


「……この街は、半年くらい前まではとても賑やかだったそうですよ」


 私はフルーテガルトの説明をする。賑やかだった頃のことは私も知らないのだが、次の春にはこの街が再び賑わうように、演奏会を頑張らなければならない。


 門兵たちに挨拶をして東門を出ると、右手にエルヴェ湖があり、左に伸びる坂道を10分弱ほど上っていくと城門に辿り着く。毎日坂を上るのはきついが、運動不足の私にはちょうどいい。


「だから、テオも協力してくださいね」

「はい! 僕も頑張るけん!」


 張り切って坂を上っていく私だが、城に着く頃にはテオに背を押されていた。


 本格的に体力不足を心配した方が良さそうだ。


ベートーヴェンは元々別の人物に献呈するつもりでクロイツェルを書きました。その人物が当時ベートーヴェンが気に入っていた女性を貶したため、怒ったベートーヴェンは会ったこともないクロイツェルに献呈したそうです。

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