王宮からの依頼
ビートの収穫が終わると、アロイスとクリストフは現在の住居を引き払うということで、一旦王都に戻ることになった。
クリストフに関しては宮廷楽師を辞めたばかりで、まだ住む部屋も決まっていない状態だったようで、アロイスの部屋を拠点にしてあちこちの女性の家を渡り歩いていたらしい。ほんと懲りないな!
「きちんと清算させますので、ご安心ください」
「本当にお願いしますね。フルーテガルトに女性が乗り込んでくるなんてことがあっては困りますから」
頼もしいアロイスの言葉だが、私としてはそれでも心配で何度も念を押してしまう。
「ひどいな。僕は可愛らしいマイスターに夢中だというのに」
「そういうわかりきった嘘はいりませんから! クリストフはダメ大人すぎますよ。レイモンさんに言い付けますよ!」
私をマイスターと呼ぶクリストフは、それは困ると顔を青くする。ビートの収穫で怒鳴られたのが堪えているようだ。
ちなみにクリストフには私が女性であることはバレていた。アロイスが言ったのかなと思ったら、自分で気が付いたという。
「僕が女の子に気が付かないなんて有り得ないよ」
だそうだ。王宮や貴族はこりごりだと言ったクリストフだが、女には懲りていないらしい。
しかし、アロイスとクリストフの2人に関しては、本当にノイマールグントの生まれなんだろうかと疑問に思ってしまう。スキンシップの多さや言葉の端々に見える甘ったるさを考えれば、ヤンクールっぽい。まあ口の悪いレイモンがあれでヤンクール出身なのだから、ヤンクールの男性が女性を見れば甘く口説くという律さんの弁が、必ずしも当てはまるわけではないのかもしれないが。
律さんも王都に戻って仕事を片付けた後に、本格的にフルーテガルトへ移住するということで、律さんを送っていくヴィムと共に3人は王都へ戻っていった。
「まゆりさん、家を探すって言ってましたけど、ヴェッセル商会じゃだめなんですか?」
「りっちゃんと一緒に住もうと思ってるのよ」
残ったまゆりさんは、とりあえずは私やマリアと共にヴェッセル商会で寝起きしている。
「律さんはヴィムと結婚するんじゃないんです?」
「まだ決めたわけじゃないみたいよ? 仕事も順調みたいだもの」
まゆりさんの言う通り、実はシルヴィア嬢の衣装を通じて、律さんの針子としての評判はうなぎのぼりなのだ。ちなみに評判の元が破廉恥な衣装ではないことは、シルヴィア嬢の名誉のために記しておかねばなるまい。
律さんの針子仕事はフルーテガルトへ移住した後も、王都からの依頼が受けられるようヴェッセル商会の王都支部が窓口になることが決まっている。
「でも結婚しても針子のお仕事は続けられそうな気がしますけど……」
「だってりっちゃんよ? そんなに簡単に納まるわけないじゃない」
まあ確かに。恋のハンターだもんね。
「アロイスさんとクリストフさんはどうするのかしら?」
「当面はレイモンさんのところでお世話になるみたいです」
ユリウスの勧めがあったのは確かだが、アロイス曰く、クリストフの人格矯正プログラムだそうだ。面倒を押し付けるレイモンには申し訳ないとは思うが、フルーテガルトの女性に無体を働かれては困るので私としても大賛成だ。
「まゆりさんは良かったんですか? フィンのこと」
「具体的なことを言われたわけじゃないもの。それにどうしても慎重になっちゃうじゃない? この世界では頼れる人がいないもの。そういう関係になって拗れたりするよりは、今のままがいいのよ」
詳しいことは私も知らないのだが、どうやらフィンはまゆりさんのことを好ましく思っていたらしい。はっきり口説くというほどではないものの、さりげなくそういう雰囲気を匂わせていたようだ。
この世界に渡って心細かったまゆりさんは、何かと心を配ってくれたフィンには感謝しているのだという。でもそれは恋とは違う感情で、フィンの気持ちに応えることはまゆりさんにとっては難しいことだったようだ。
「ずるいって思われちゃうかしら?」
「そんなことは……心細い気持ちは私もわかりますから」
何かあった時にフィンに頼れる状態をキープしたいというまゆりさんの気持ちはよくわかる。私だってフルーテガルトにこだわることに、そういった感情が全く含まれていないのかと言われると疑問だ。
助けてもらった恩を返したいという気持ちはもちろんあるが、それが全てだと言い切れば自分の中の神様に鼻で笑われてしまう気がする。
「アマネさん、旦那様が呼んでますよ。まゆりさんは空き家をいくつか見繕ってありますがご覧になりますか?」
「はーい、今行きます。アマネちゃん、また後でね」
声をかけられたまゆりさんがデニスと共に去っていく。私の家探しは断わったのにと恨めしく思うが、パパさんのことがあるから仕方がないかと思い直す。
ユリウスの書斎に向かう前に、バッテリーを取りに自室に寄る。そろそろ充電が無くなりそうなのだ。ユリウスが変換装置を購入したので、わざわざ王都に行かなくても充電ができるようになったから便利だ。
くうくう寝ているアルフォードを横目に、バッテリーやタブレットが入った籠ごと持って書斎に向かう。
書斎に入るとユリウスがソファに腰かけているのが見えた。最近のユリウスは机に向かっていることが多かったのだが、今日はソファで話をするらしい。
「何かあったのか?」
座ってすぐにユリウスに言われ、内心ギクリとする。
「何もないけど?」
ザシャもマルコもエルマーも居なくなり、王都から来た3人も帰ってしまって少しだけ寂しく感じていたりするのだが、子どもみたいで恥ずかしいので内心を押し隠して笑顔を向ける。誤魔化されてくれたのかは不明だが、ユリウスはため息を吐いて話し始めた。
「王宮からお前に依頼が来た。エルヴィン王子の即位が発表されたのはお前も聞いているな? 春に行われる即位式の入退場の音楽を指揮を含めてお前に頼みたいそうだ」
手渡された封書を確認すると、ファンファーレに入退場時の曲と即位式で使用する予定の楽曲がリストアップされている。その中で私がやらなければならないのは、王子の入退場時の音楽だけであるようだ。演奏は宮廷楽師が行うことになっていた。
「どんな感じかよくわからないな……」
「だろうな。5年前の即位式で使用した楽譜ならば、すぐに用意できるがどうする?」
「それは欲しいな。五線譜にも直しておきたいし」
元の世界の音楽を伝えるのが私の役割だが、五線譜を広めるためにこの世界の楽譜も修正したいと考えていた。当面は協奏曲の譜起こしで時間を取られるが、アロイスやクリストフもいるのだから、手分けすれば出来るだろう。
「協奏曲はどうなっている?」
「選曲が終わったところ。譜起こしはこれからだけど編成は出せるから、そろそろ演奏家に声をかけなきゃいけないなっていう段階」
「そうか。俺は一度王都に行かねばならんのだが、お前も同行するか? 即位式については宮廷楽師と打ち合わせをしておいた方がよいだろう?」
アロイスとクリストフは数日後にはヴィムと一緒に戻ってくる。全員でミーティングを行う時間的猶予もあるので、その際に指示を出せば私の不在時に暇になることはないだろう。
「アロイスの音はその後はどうだ? 異常はないか?」
「うん。大丈夫みたい。やっぱり道化師の術だったのかもね」
私の返答にユリウスの眉間の皺が深まる。
ヴィーラント陛下の葬儀前、アロイスが奏でる改良版ヴァイオリンの音色は、私の身に異常を引き起こした。内臓にも鳥肌が立ってるようなざわざわとした感じ。心臓とか脳みそとかお腹の奥とかをさわさわと揺さぶられるような、そんな感じになったのだ。
しばらくはアロイスと顔を合わせるだけでその音を思い出し、うまく話せずにいた私だが、フルーテガルトに戻って半月近く会わなかったせいなのか、今はそれほど問題はない。ごく稀に音を思い出して動揺することがないわけではなかったが、道化師の術だとすれば時間と共に消える術なのかもしれない。
難しい顔でひじ掛けをトントンと叩くユリウスだったが、私からすれば今となってはユリウスと顔を合わせる方がよほど気まずかったりする。どうしたって王都からの帰途に馬車で行われた犯行を思い出してしまうのだ。
バクバクと鳴る心音が聞こえないことを祈りながら、私は何事もなかったような顔で籠からバッテリーを取り出す。
「充電したいんだけど、変換装置を使ってもいい?」
廊下側の棚の上には大きな四角い石がある。お椀みたいな大きい窪みと小さい窪みがあり、真ん中に半球でこぶし大のつるんとした大理石のようなものが嵌め込まれている。
大きい窪みは空っぽで、小さい窪みの中には夜を固めたみたいな濃紺の丸い粒がひとつ入っていた。直径1センチくらいだろうか。ドロップみたいな大きさだ。
たぶんそれかなと思って見ていると、ユリウスが立ち上がって小さい窪みから濃紺の粒を取り出した。大きな四角い石の隣にある5センチほどの立方体のようなものを手に戻ってくる。
「俺がいなくても使えるようにしておくから、充電がしたければいつでも使っていいぞ。だが、この部屋からは持ち出さないように」
そう言ってユリウスは説明し始めた。濃紺の粒はどうやらユリウスの魔力の結晶みたいなものであるらしい。この結晶を作り出すために、大きな四角い石の装置を使うようだ。
「上のプラグに電源プラグを差し込み、この装置の側面に結晶を嵌めこむだけだ」
10センチほどの立方体は側面に窪みがあり、上には電源プラグの差し込み口のような穴があいている。もちろんプラスチックなどではなく石だ。
「あ! 充電ランプが点灯したね」
「簡単だろう? だが結晶を嵌めこむ場所を間違えると電力にならないから気を付けろ」
立方体の側面はそれぞれ何かのマークが描かれている。よく見ると、火、水、風、土をシンボライズしたもののようだ。
「へえ、こんな仕組みなんだ? 作った人、すごいね」
「お前と同じ渡り人のはずだがな」
「う、役立たずでごめんなさい……」
「いや、役には立ってる」
そうなんだろうか? ちょっと実感がなくて困ってしまう。
「ピアノの売れ行きは好調だ。木管楽器もだな」
「でも技術を独占しているわけじゃないから、他の工房が真似できちゃうでしょう?」
おそらくはカミラによって盗まれた、ザシャの設計図が雑誌に掲載されてしまったことも、もちろん原因の一つではある。だがユリウスから独占製造や独占販売の話が出た時、反対したのは私だった。
理由は簡単だ。音楽の伝道師である私にとって、音楽が広まることこそが目的だからだ。元の世界を考えれば、ピアノはそのうち民にも広まっていくだろう。一社だけが取り扱うには需要が大きすぎると思うのだ。
「それについては俺も納得したのだから問題ない。どこの工房が開発をしようとも、うちの職人が負けるわけがないからな。それにスラウゼンのスプルースは独占しているのだから、利益は十分見込める。だから、そんな顔をするな」
そう言いながらユリウスは私の頬をふにふにと摘まむ。
せっかく落ち着いていた心音が再び大きな音になる。顔が赤くなっていないか心配だ。出来ることなら常時ファンデーションを塗りたくっておきたいが、男装している身では化粧をすることもできない。自分から言い出したことなのに男装が恨めしくなってしまう。
「ところでだ。お前に縁談が来ているぞ」
頬から手を離したユリウスが、机から大量の紙束を取って私に手渡してきた。
「こんなにあるの?」
「断りの文面は考えた。お前は清書するように」
「これ……全部、返事を書かなきゃいけないんだ……めんどくさい……」
縁談の釣書はすべて女性のものだ。受けるわけにはいかない。
「仕方がないだろう。貴族や大商人は恩恵を産む渡り人と繋がりが欲しいのだ」
「私、文字書けないってことにできないかな……?」
「ぐだぐだ言わずに早めに返事を書くように」
「うん……あれ? 他にもあるじゃん」
ユリウスの机にはご令嬢の釣書がまだたくさん積まれている。手渡された紙束よりもだいぶ多い。
「そちらはヴェッセル商会への縁談だ」
「…………それって、ユリウスにってこと?」
「俺だけではない。ケヴィンとレオンにもだ」
ユリウスによれば渡り人を保護したヴェッセル商会にもたくさんの縁談の申し込みが来ているそうだ。中には私とヴェッセル商会の3兄弟全員に送ってきた強者もいるという。
この紙束の中にユリウスの将来のお嫁さんが混ざっているかもしれないのか、と考えたら、一層縁談の返事を書くことが面倒になった。