事業計画
うす水色に晴れ上がった高い空。ひと月前よりもずっと涼やかになった風が緑の葉っぱをわさわさと揺らす。
遠くに聞こえるのは鐘の音のような人の歌声のようなあの音。
「アマネさーん、掘れないー」
「マリアちゃーん、パパが手伝ってあげるよー」
「マリア、頑張れ! わ、ああ……欠けちゃった……」
葬儀が終わって半月たち、10月に入ったばかりの今日、フルーテガルトではビートの収穫期を迎えた。土と葉が混ざった独特の匂いに包まれて、私たちは汗と泥にまみれている。
畑いっぱいに葉っぱを揺らすビートは、私が初めてこの私設塾を訪れたすぐ後にレイモンによって栽培が行われていた。
ジャガイモの時は塾の子どもたちに手伝わせていたようだが、ビートはリレハウムの家畜の餌なうえにまだ研究段階。手伝いのお礼に渡せるものがないため、身内で収穫することになった。
ユリウスの命により、ラースやヴィムを含むヴェッセル商会の護衛たちとパパさん、そして私とマリアも今日はビート掘りに駆り出されている。
「どうして僕がこんなことを……」
「うるせえ。黙って掘れっての」
レイモンに怒鳴りつけられているのは王都から来たクリストフだ。生まれも育ちも王都だというクリストフは、農作業が初めてらしく、レイモンが付きっきりで指導している。そういう私も収穫作業は初めてだ。
「レイモンさん、こっち終わったわよ」
「こちらも全部切り落としました」
ビートの収穫に於いて、意外な活躍を見せたのはまゆりさんとアロイスだ。レイモンによって手際の良さを認められた2人は、ビート掘りではなく鉈で葉っぱを切り落とす作業を担当している。
アロイスの手際の良さは謎だが、まゆりさんはお母さんの実家で農作業を手伝ったことがあるらしく、砂糖づくりも体験したことがあるそうだ。
「アマネ、どんだけ進んだ?」
「まだ半分ですー」
「遅えな。ラース! 手伝ってやれ」
レイモンの声にラースと手が空いた護衛たちがヘルプに来てくれて、ざくざくとビートが収穫されていく。
「まゆりーん、ユリウスさんがぁ、お湯の温度見てほしいってぇ」
「はーい!今、行くわー」
教室の窓から顔を出した律さんの声に応えて、まゆりさんが建物の中に入っていく。律さんは塾に併設された厨房で、収穫されたビートを切り刻んでくれているのだ。
その隣でお湯を沸かしているらしいユリウスは、朝から行われた収穫でレイモンに役立たずの烙印を押されていた。
別に力がないとか不器用とか、そういうことではない。ただ、収穫する一つ一つを丁寧に検分するので、そんな調子では日が暮れるとレイモンが切れたのだ。
「気になるんなら、行っていいぞ」
「別に。そんなんじゃないし」
小声で揶揄うラースを睨み付け、掘りかけのビートと格闘する。
王都の帰り道、馬車で失言をかました私に、半ギレのユリウスによる仕置きがなされたのは記憶に新しい。
呆れ顔のラースやヴィムが何か言っていたけれど、私とユリウスの関係に特に変化はない。
ユリウスが何を思ってあの犯行に及んだのか、またどうして犯行声明がないままなのか、私としては問い質したいような聞くのが怖いような、そんなもだもだした状態が続いていた。
「アマネさん、手伝いますよ」
「わわっ、アロイスはなんでそんな簡単に掘れちゃうんですか?」
「さて、どうしてでしょうね」
私が格闘中のビートをひょひょいと掘ってしまうアロイスを見ると、とても農作業中とは思えないような謎めいた笑みを返された。
私とアロイス、クリストフは新たな関係を築いていた。私がアロイスを呼び捨てにするのも、私に対するアロイスの敬称が変わったのも、それによるところが大きい。
フルーテガルトに戻った私が真っ先に取り掛かったのが家探しだ。マリアという家族が増えたこともあったし、ユリウスにお願いした居候は葬儀後までだったからだ。
しかし、事はそう簡単には運ばなかった。
「大旦那様を説得できるのでしたらお手伝いいたします」
このデニスによる一言がすべてを物語っている。フルーテガルトに戻った私とマリアを迎えたパパさんは、多くのみなさんの予想通りであると言うに留めておこう。
「あの状態の父上と2人にするなど、お前は人の皮を被った悪魔か?」
そして、ユリウスのこの言葉が止めだった。
結局、私の収入から毎月決まった額を、寄宿料として商会に収めるという形で矛を収めた。不満顔の者が若干名いたが、何もせずに世話になるわけにはいかない。
マリアとの2人暮らしを諦めた私が次に行ったのは、まゆりさんを雇う話を煮詰めるべく計画を立てることだ。エルヴェシュタイン城を『フルーテガルトの繁栄に繋げてみせよ』という王族の命もある。葬儀が終わったからと言ってのんびりはしていられないのだ。
いくつかの案を考えた私はユリウスに相談を持ち掛けた。何せここは異世界だ。税金一つをとっても、元の世界であれば相談機関があるわけだが、この世界ではどこに相談したらよいのかすらわからない。
「悪くないとは思うが、基本的な部分でお前の案には欠点がある」
「ユリウス先生! その欠点とは何でしょうか?」
「お前は冬を甘く見すぎている。12月の半ばから2月の終わりまでは基本的には移動できないと思え。晴れた日の昼間ならば川が使えないこともないが、天候次第だな」
私の案を聞いたユリウスによれば、冬の間は馬車での行き来は無理であるらしい。東京で生まれ育ち、交通機関が発達したあの世界の住人だった私には思いもつかない話だったが、考えてみればドイツの冬は雪が積もっていた。そして、当たり前だが街道を除雪車が走ったりはしないのだ。
計画の修正を迫られた私は、急いでアロイスに手紙を送った。協奏曲の演奏会についても予定が狂ってしまったからだ。冬に移動できないとなると練習は3月以降になってしまう。演奏家のスケジュールも押えなければならないのだが、まだ曲も決まっておらず、当然編成も決まっていないのだ。
楽譜もない状態で選曲をと言われ、当然ながらアロイスは困ったらしく、こうしてフルーテガルトを訪ねてきた。王都に居辛かったクリストフはそれに便乗したようだ。
ちなみに律さんは我慢が出来なくなったヴィムが迎えに行った。ついでと言ってはなんだが、フライ・ハイムの仕事を片付けたまゆりさんも連れてきてもらった。
「よい街ですね。ここを離れたくないというアマネさんの気持ちが理解できます」
「アロイスたちが気に入ってくれて良かったです」
「気に入らなければ、ここに住むことになる話に乗るはずがありません」
アロイスとクリストフがフルーテガルト入りしたことを知ったユリウスは、何故か2人を呼んで話し合いの席を設けた。私は同席させてもらえなかったのだが、どうやらこれからユリウスはものすごく忙しくなるようで、2人に私を手伝うように言ったらしい。
アロイスはユニオンから受けた融資の返済をユリウスに立替てもらっている。なのでユリウスの命に従うのもわからなくはないが、クリストフが何故従ったのか私は知らない。本人に聞いても苦い顔で濁されるので、もしかすると訴訟関係でユリウスが動いていたのかもしれない。
そんなこんなでフルーテガルトへの移住が決まった2人だが、ヴェッセル商会の従業員というわけではないので、まゆりさんも含めて、私の計画を遂行するために設立した事務所で働いてもらうことになった。
――― アマリア音楽事務所
私が作った事務所の名前だ。ネーミングセンス皆無の私が頭を捻って思いついた名前だが、私としては気に入っている。アマネとマリアをくっつけただけなんだけどね。
この音楽事務所で行う事業はいくつかある。
一番大きい規模になると思われるのは演奏会だ。せっかくエルヴェシュタイン城をもらったのだから、活用しない手はない。エルヴェシュタイン城の最上階には大きなホールがあるのだ。
そして、楽譜や音楽研究書籍の執筆。楽譜起こしは主に私が行うのだが、音楽専門の研究書も必要だろうということで、クリストフが提案してきたのだ。これらは主に移動できない冬に行う予定だ。
それから、通学型のレッスンも事業の一つだ。冬に移動ができない点を失念していた私なので、通年行うつもりで計画をたてていたのだが、春から秋にかけて行うということで計画を修正した。
通学型である理由は簡単だ。フルーテガルトを繁栄させるという目的のためだ。
一つ目の事業である演奏会でもフルーテガルトは賑わうだろう。しかし、起業したと言っても予算はギリギリだ。常に演奏家を大勢抱えることは難しいし、かと言って私とアロイスとクリストフの3名だけではすぐに飽きられてしまう。大きな演奏会はせいぜい年に2、3回程度に留めるのが無難だろうと考えた。
演奏会の時期だけフルーテガルトが賑わうのは、私としては物足りなかった。今の何もない状態よりはマシだろうけれど、出来れば満遍なく人が訪れるようにしたかったのだ。
ちなみに収穫が終わる秋の終わりから春にかけて、貴族たちは王都に向かう者が多い。それを考えれば本当は冬は王都に行って通いの家庭教師をしたり、サロン演奏会に出た方良い。だが、そうすると楽譜執筆の時間が減ってしまうし、アロイスもクリストフも王都に居づらい理由があるため、まずは通学型だけでやってみようということになった。
アロイスもクリストフも王都で家庭教師をするつもりで動いていたはずなのだが、収入の当てがあるなら王都から出たいと考えていたそうだ。クリストフの訴訟問題に加え、アロイスもうっかりライナー時代の知人に会うと一方的に気まずい思いをすることが多かったようだ。
他にも事業として考えていることがあるのだが、それは利益を見込めるようなものではなかったし、最初からあれもこれもと欲張るのは良くないだろうということで、とりあえずはこの3つの事業でアマリア音楽事務所がスタートすることになった。
こうしてエルヴェシュタイン城に事務所を設け、どうにか業務が始められるようになったアマリア音楽事務所だが、私には一つ不満があった。
「一緒に働くのに私だけ『様』付けなんて、なんか嫌です」
「貴女が雇い主なのですから、本来ならば『ご主人様』とお呼びしなければなりませんが?」
それは本気で勘弁して頂きたい。
「通常は年上でも従業員に敬称はつけませんよ。それにユリウス殿のことは年上なのに敬称を付けていないではございませんか」
だってユリウスはユリウスだし。あ、レオンがケヴィンを呼び捨てにするのってこんな感じなのか。納得だ。
「妥協案として、貴女が私の要望通りに敬称と敬語を止めてくださるなら、私も敬称を改めるというのはどうでしょうか」
アロイスに言い包められている感があったが、どうにかして『ご主人様』呼びをやめさせたかった私は、「仕事で敬語は仕様なので」と説明した上で、この妥協案に頷いてしまったのだった。