褒章と課題
水を飲もうと台所へ向かう途中、居間を覗くとユリウスがいた。
ユリウスの前には大皿があり、白い果物らしきものが乗っている。
「アマネ、起きていたのか」
「おかえりなさい。それ、ぶどう?」
「ああ、エルプリングという品種だ」
なんだろう? ユリウスがちょっと見たことないくらい機嫌がいい。眉間の皺もないし、口元がちょっと緩んでいる。
私は白いぶどうが珍しくて、じっくり見ようとユリウスの隣に座る。近くで見るとうっすらと黄緑色なのだとわかる。角度によっては生成りにも見えておもしろい。
「食べるか?」
「いいの?」
「ほら。食ってみろ」
ユリウスは一粒手に取って私のくちびるにぶどうを押しつける。これは「あーん」というやつなのではないだろうか。
ラズベリーの時を思い出す。あの時のユリウスも笑っていた。
微かにアルコールの匂いがして、酔っているのかと納得する。葬儀の後は確かギルベルト様と一緒だったはずだ。
酔っ払い相手に何を言っても仕方がないかと思って口を開けると、ふるりと果実が入ってきた。
「ん……、おいしい」
「古くからある品種だが、最近はあまり作る者がいないのだ」
そう言ってユリウスはぶどうを口に含む。横着をして房を持ち上げて直接食べている。
皮ごと食べるのかと思ったら、器用に口の中で皮を剥いて皮だけ紙に吐き出した。口の中から出したものだというのに、汚い感じがしないのは、綺麗に剥けているからだろう。
「ほら、お前も食べろ」
「んんっ、ちょっと! 皮ごとは無理だって」
「ふ、いいからこのまま食ってみろ」
くつくつ笑うユリウスを睨みつつ、パクリと一粒口に入れてみる。思った通り上手く皮が剥けず、皮ごと口の中で転がす羽目になった。
「ふ……ははは……間の抜けた顔だ」
「もう! 酔っ払いめ……んん、はふ、あ。できた!」
ようやく皮がむけて得意げにユリウスを見れば、今度はものすごく悲しそうな顔をしていた、
「アマネ、手がベタベタする……」
「ふふ、しょうがないなあ。ほら、洗いに行こ」
手がかかる弟みたいで私も楽しくなってくる。たまには私だってお姉さんぶりたいのだ。
足元はふらついていないが、どうにも危なっかしくて、ユリウスの手を引いて階段を降りる。
「ほら、もう1段あるから気をつけ、わわっ」
「気をつけるのはお前だろう」
「う、ごめんなさい……」
腰を引き寄せられたので怪我はないが恰好がつかない。それにパジャマもベタベタになってしまった。
「はあ……、洗濯物、増やしちゃった……」
「着ないで寝ればいいではないか」
「レディにそんなはしたないことを勧めるのはどの口かな?」
「む、レディがどこにいるのだ?」
まったく失礼極まりない。
一人で憤慨していると、大人しくなったユリウスがじっと見ていることに気が付いた。
「髪、伸びたな。女装でもいけるのではないか?」
「女装って……元々女なんだってば」
「ふむ、ならばドレスでも着てみろ。いいところに連れて行ってやろう」
「いいところって?」
「そうだな。エルヴェシュタイン城はどうだ?」
「それって…………」
◆
葬儀が終わった後、私はエルヴィン王子とクレーメンス様のお二人と対面した。
「素晴らしい演奏であった。渡り人殿の世界の音楽は素晴らしいものだな」
「恐縮です」
「慈善演奏会のピアノ演奏も素晴らしかった」
柱も天井も細かい彫刻がなされた広い部屋の中、エルヴィン王子の声が響く。
「何か褒美を取らせたいが、希望はあるか」
パッと頭に浮かんだのは、フルーテガルトのみんなの顔だ。
「恐れながら、ひとつだけ」
「何なりと申せ」
「私を保護してくれたフルーテガルトの繁栄を望みます」
私が知る限り、ヴィーラント陛下が亡くなって、一番割を食っているのはフルーテガルトの住民たちだ。
「いかがでしょうか、叔父上」
「ふむ、ヴィーラントが亡くなった地に其方が降り立ったのも何かの縁であろう。王子よ、ヴィーラントが愛したあの城を褒章にしてはどうか」
「よい案でございます」
えーと、城だけもらっても仕方が無いんですが。ていうか、アーレルスマイアー侯爵が持て余しているって言ってたよね?
「次の協奏曲の演奏会も、そこでやることにしてはいかがでしょうか」
エルヴィン王子、ナイスフォロー! せめてそれぐらいはやってもらわないと割に合わない。
「うむ。突発的なことではあるが、それをもってフルーテガルトの繁栄に繋げてみせよ」
うーん、褒美じゃなかったの? なんかこっちが仕事を増やされたような気がするけれど、何もないよりはマシなのか……?
「渡り人殿、アレは、ヴィーラントはどうなると考える?」
観察するように見つめるクレーメンス様を困惑して見つめる。
謎かけかな……? どうなったじゃなくてどうなるって……どういうこと?
考えてみても何が正しい答えなのかわからない。私は正直に言うしかなかった。
「私はヴィーラント陛下にお会いしたことがございませんので、お会いできたらいいなと思います」
そう思って曲を作った。その願いをヴィーラント陛下に届けたくて、ケヴィンに詩を作ってもらって、マリアの声を選んだのだ。
クレーメンス様は目を細めて頷いた。
「渡り人殿、ヴィーラントはあの城を好んでおった。渡り人殿に活用してもらえればアレも喜ぶであろう」
「其方の想いはあの曲を通じて兄上にもきっと届いたと、私は信じておる」
遠くを見るような目で言うエルヴィン王子の言葉を最後に会談は終了した。
◆
「それって、私がもらったんだよ! …………ユリウス、聞いてる?」
手を綺麗に洗って、うとうとし始めたユリウスの腕を引っ張って部屋に押し込む。
「ほら、寝台はこっちですよーうわあっ」
引っ張っていた力が逆に押され、ぽふん、と2人で寝台に転がってしまう。痛くはないけど、重いし抜け出せない。
「もう、重いよ!」
「アマネ」
「どうしたの?」
「アマネ……フルーテガルトに戻ったら……」
「うん……………………………………ユリウス?」
顔を覗き込むと、ユリウスの目は閉じられてしまっていた。ユリウスの寝顔を見るのは2度目だが、前回と違って眉間の皺が無い。存外、幼い寝顔で微笑ましい。
「ふふ、おやすみ」
ユリウスが重しになって抜け出せない私は、観念してそのまま寝るしかなかったと言ったら、言い訳になるだろうか。
◆
薄水色の空に大きな刷毛で線を引いたような雲。遠くに見えるでこぼこの山のふもとには楽器の街フルーテガルトがある。
「お城をもらうって、考えたらすごくない? ね、マリア」
「お城は、お掃除、大変って、ミアが、言ってた」
「ふふっ、だよね。一緒にお掃除、がんばろうね」
「おねえさん、僕もつれてってー」
「もちろん! アルフォードも一緒に行こうね」
どうにかマリアの説得に成功して、ようやくフルーテガルトへ帰還することになった。
アカデミーの授業で忙しいエルマーも、今朝は支部で見送ってくれた。ケヴィンもまた仕入れに出ると言うことで支部で別れた。ザシャとマルコはスラウゼンへ向かう予定だ。
「ユリウスも! 一緒に行こうね!」
「うるさい。頭が痛い……」
「飲みすぎるからだよ! 自業自得ですぅー」
「ったく、アマネははしゃぎすぎだ。ヴィムはまだ慣れてねえんだから、静かに座ってろ」
馬車の中はマリアとアルフォードの他にユリウスとラースがいる。ヴィムは今回二度目の御者だ。
「そうだ! マリア、フルーテガルトにはパパさんがいるんだよー」
「パパさん、おとうさん?」
「そう! ユリウスとケヴィンとレオンのお父さんなんだけど、パパさんってばユリウスのことユーく、んっ」
口をふさがれてしまった。ユリウスの唇による犯行だ。
「マリアにはまだ早いな。お、そろそろ峠か。ヴィム! 休憩にするぞ!」
ラースがマリアの目を隠して馬車を停めるように指示を出す。
「んーっ、んーっ!」
ぎゅうぎゅうと拘束されながらの凶行を横目に、ラースとマリアが馬車を降りていく。あ、アルフォードも? うらぎりものーっ!
「はあ……いい加減くっつけよお前ら。ま、ゆっくり休んでくらァ」
ヴィムの捨て台詞と共に馬車のカーテンが閉められたのだった。
----- Ende von Kapitel 1 -----
第一章完結です。