電力変換装置
ガタゴトと揺れる馬車の中、道中で食いねえと渡されたエルマー手作りの焼菓子を手に外を見る。
昨日よりも今日、今日よりも明日とどんどん青くなる空、若葉色から新緑へ色を移そうとするかのような山々。
この世界に来てからひと月半の今日、私は王都へ向かっている。
王都では四泊する予定で、ユリウスと護衛のラース、そしてデニスが同行していた。
ヴェッセル商会の馬車は幌馬車で、前後にカーテンがついているが、今は巻かれて開け放たれている。左右に向かい合う形で座席があり、私の隣にデニスが、向かい側にユリウスが座っていた。
だんだん小さくなっていくフルーテガルトの街並みに、自然と身を縮めてしまう。
「心配しなくても大丈夫ですよ。渡り人殿はどなたとでも対等だと知られていますから。アマネさんはそのままで問題ありませんよ」
隣に座るデニスが笑みを見せながら言う。王宮で報告なんて冷や汗しか出ないが、デニスの言葉に安堵の息をつく。
「だとしても、少しでも印象を良くした方がいい」
「う……、だよね」
抑揚のないユリウスの言葉に首を竦めた。
「いつものように気安い調子で話すなど言語道断だ。俺が紹介するまで黙っているように」
「うぅーっ、特権階級、怖いよ……」
「そういうお前も特権階級だが?」
始めて耳にする話に目を瞬く。
「え、特権階級って……私が?」
「渡り人は特権階級に含まれるのですよ」
ユリウスに無言で指示されたデニスが説明してくれた。
「具体的には渡り人は非課税ですし、服装も自由ですね。後は王族や領主への謁見の申し込みが可能です」
「服装? 階級ごとに決まってるってこと?」
「そうですね。今のフルーテガルトに貴族はほとんど訪れませんから、アマネさんは見たことがないかもしれませんね。それに形はそれほど変わらないので見てもわかりにくいと思いますが、庶民は金糸銀糸などの華美な装飾が付いたものは着用できません」
あまり意識して見ていなかったが、言われてみればフルーテガルトで華やかな服装の者を見たことがなかった。
「衣料品などの流行はヤンクールが最先端だ。ヤンクールは国として服飾産業に力を入れている」
「へえ。レイモンさんはそんなこと言ってなかったけど」
「あれは基本的に研究しか興味がないのだ。元々、ヤンクールでも金糸銀糸やレースなどの装飾は、ヤンクールの向こう側にあるバーニッシュという国から輸入していた。それを自国の産業を守るために輸入を制限したのだ」
レイモンとパパさんの話ではヤンクールは王の力が強いということだった。王の力が強いと、そういった施策を行うことができるのかと納得する。
「ヤンクールの貴族はとても華やかな衣装を身に着けているが、それで市民を守っているとも言える。ノイマールグントの貴族たちはヤンクールの真似をしたがり、彼の国から輸入することにしか関心がない。これが何を意味するかわかるか?」
「ノイマールグントが富まないってこと?」
「そうだ」
ノイマールグントは王よりも大領主の力が強い。王がこうしたいと言っても大領主が言うことを聞くとは限らない。ゆえになかなか国が富まず、ユリウスや他のまともな商人たちは憤りを感じているらしい。
「特権階級は特別であるがゆえに民のために働かねばならん」
「まあ、そうだよね」
「産業を興し民に仕事を与える。あるいは食糧難の折りにはその財を使って食料を確保して民に施さねばならん。と俺は考えるが、実際はそんな特権階級は少ない」
自分が特権階級であるという実感はわかないが、責任が伴うものであることは理解できる。
特権階級であるならば何かしなければならない。ユリウスは私を見つけて助けてくれた。デニスもラースもハンナも、起き上がれない私のために心を配ってくれた。ザシャもエルマーも色々なことを教えてくれる。もらってばかりだと思う。
フルーテガルトの街が、ヴィーラント陛下が亡くなられて困っているというなら、私は出来ることをしなければならないのだろう。
「うん、私、がんばるよ!」
「なんだ急に」
「いやあ、エルマーからお菓子もらったし、ザシャも楽器の改善がんばってくれてるし! 私も頑張らなきゃなーって」
元の世界の音楽を伝える目的はライフワークで頑張るとして、自分が出来ることを見つけなければならない。そしてこれから向かう王都にそのヒントがあるかもしれない。そう思ったらがぜんやる気が出てきた。
「エルマーはともかくザシャはそれが仕事だ」
ユリウスの表情はいつも通りに動かない。
「そういえば、アーレルスマイアー侯爵ってどんな人? 宰相って言ってたよね?」
「あの方は貴族にしてはまともな方だ。宰相なだけあって一筋縄では行かないが、発想が柔軟な方だ。まあ、会えばわかる。……お前は余計なことをしゃべらぬように気を付けろ」
それは男装がバレないようにということだろうか。言われずとも気を付けるというのに。
「侯爵は鋭いぞ。細心の注意をして挑め」
「でもアーレルスマイアー侯爵っていい人なんでしょ?」
「よいお方ではあるが貴族だ。それに一筋縄では行かないと言っただろう」
そう言われるとだんだん会うのが恐ろしくなってくる。せっかくやる気を出したというのに、風船みたいにシューンと萎んでいく。
「ふん、今頃になって怖気づいたか」
「もうっ、ユリウスが脅かすからだよ!」
詰ったところでユリウスの表情は変わり映えしない。ちょっとくらい崩れてもいいのではないかと八つ当たりにユリウスをいじることにする。
「ねえ、ザシャとユリウスって友だちなんだよね?」
「だから何だ」
「学校も一緒に行ったんだよね? その頃の失敗談とかないの?」
「そんなものはない」
敵は手ごわい。私は次の手を考える。
「エルマーあたりはいいネタを知ってそうだけどな……」
「アレは俺もよくわからん」
「わからんって……まあ不思議な感じがする子だけど。ユリウスとエルマーってどういう関係?」
「アレの兄がザシャと友人だ」
ザシャと友人ということはユリウスとも友人ということだろう。ユリウスは時々捻くれた物言いをする。
「そうなの? 会ったことないな。職人さん?」
「今は街の門番をしている」
「そういえば門の方まで行ったことなかったな」
「お前を拾った時に通ったが、お前は意識がなかったからな。アレにはうまく誤魔化してもらった」
私が倒れていたエルヴェ湖畔はフルーテガルトの東門とエルヴェシュタイン城の間だ。私たちが通った日の午後にヴィーラント陛下の件があったため、エルマーの兄は周りに吹聴しないように言ってくれたようだ。
「そうだったんだ。知らなかった。うん、今度お礼に行ってくるよ」
「門番たちは交代制だ、詳細を知らぬ者もいるから余計なことは言わぬように」
「はーい。エルマーのお兄さんってエルマーに似てるの?」
「そうでもない。エルマーの方が落ち着いている」
珍しくユリウスも話に乗ってくれるようだ。エルマーの兄は短気で口が悪いのだという。
「へえ、じゃあ塾のレイモンさんと似てる感じ?」
「あれは意外と気が長い男だ。面倒見もいい」
「ああ、そんな感じ。ザシャも面倒見いいよね」
「ザシャは見切りをつけるのが意外と早いぞ」
「そうなの?」
「面倒は見るが、無理だと思ったらすぐに手を引く」
長年の友人なだけあってよくわかってるなと思う。私の話に乗ってくれたのも、友人たちの話題だったからだろう。ユリウスは口は悪いけど、きっと友人たちを信頼していて大好きなんだろう。
友だちか。私もみんなにあいたいな……。
元の世界を思い出し、つい視線が下を向いてしまう。
「もう少し先まで行ったら休憩する。それまで大人しくしていろ」
ユリウスが風除けのストールを頭から被せてくる。
いかにも嫌そうな口ぶりだったが、たぶん気を使ってくれているのだろうなと少しだけ嬉しく思った。
◆
王都まではあと半分ほどというところで休憩に入った。
「フラフラ歩き回るのは勘弁してくれよ?」
馬車から降り立つとラースに苦言を呈される。
「お前さんは落ち着いているように見えるが警戒心が無さすぎるんだよ」
口うるさいお父さんみたいだ。でも警戒と言われても、こんなにのんびりした世界だというのに、いったい何に警戒が必要だというのかピンと来ない。
「ラースは少し落ち着いた方がよいと思いますよ」
デニスがにこやかに言う。デニスはヴェッセル商会で一番の古株なので、ラースも頭が上がらないのだ。
「ったく、デニスさんを味方につけやがって。けどコイツのぼんやりのほほんは多少キツク言わねえと治んねぇよ」
「ぼんやりのほほん……」
ひどい言い様だ。私が密かに傷ついていると、一切合切を無視したユリウスが籠を渡してきた。
「お前の荷物だ。持っておけ」
「あ、ハイ……」
受け取って説明を待つが、ユリウスは黙したままだ。説明するのが面倒だと言わんばかりである。
「デニスさーん、通訳お願いしまーす」
思うにユリウスは言葉が足りなすぎるのだ。
隣で肩を震わせるラースには無視を決め込み、渡された荷物をデニスに見せる。手のひらサイズの黒くて薄い四角い物体。こちらの世界に来た時、無意識のうちにつかんでいた巾着リュックに入っていた機器類だ。
スマートフォン、タブレット、モバイルバッテリー、そして兄から借りた小型の外付けHDDだ。こちらの世界で使うことはないだろうと蓋つきの籠に入れてあったものをいつのまにか持ち出されていたようだ。
「そういえば王都は変換装置がありますね」
「変換装置?」
「はい。魔力を電力エネルギーというものに変換できる装置だそうですよ」
「……はい? 電力!? っていうか、魔力!?」
意外過ぎる。そしてツッコミどころ満載なデニスの話に驚くしかない。
「アマネさんは見たことがなかったですね。魔力持ちはそれほど多くはありませんし、使う機会も限られますからね」
「まあ、その珍しい魔力持ちがここにいるんだけどな!」
とラースがユリウスを示す。一ヶ月以上も同じ屋根の下で暮らしたというのに、初めて明かされる事実に開いた口が塞がらない。
「魔力!? なにそれ、ファンタジー? 目からビームとか出るの?? 見たいっ! 見せて! お願いしますっ!!」
「ビームというのが何かは知らんが、袖を引っ張るんじゃない」
今にも飛び掛からんとする私の頭を押さえつけ、心底嫌そうにユリウスが言う。
「魔術はそう簡単に見せるものではない。魔力使いは戦などの特殊な折に徴兵されるのだ。もしくは教会に所属しなければならない」
「ですから通常は他人には知られないようにするんですよ。ね? ラース?」
「……モウシワケゴザイマセン…」
デニスのお面染みた笑顔に顔を青くするラースだ。アマネさんも内緒ですよ? とデニスに微笑まれ、私はコクコクと頷いた。
デニスによれば、数年前、ある渡り人が魔力を電力エネルギーに変換する装置を作ったのだと言う。その渡り人は私が持つものと似た機器類を持っていた。どうにかしてそれを使えるようにしたいと執念で研究を続け、出来上がった変換装置が王都にあるらしい。
「そこまで作ったのなら、何に使うものなのか教えてくださればよかったのですけどね、そのお方は変換装置が出来上がると、作ったもののをいくつか残して姿を消してしまったそうなのです」
「産業革命を待て」と言い残して。
充電さえできれば後は知らんって、自由すぎる……
でも気持ちはよくわかる。現代人としてはスマートフォンやタブレットなど、情報端末が無いと不安なのだ。この世界に持ってきていたのであれば、どうにかして使いたいと思うのは当然だ。
その渡り人が去った後、王都の研究者たちはこぞって変換装置を研究したようだ。そしてどうにかこうにかいくつかの物を生み出した。充電式の照明器具が代表例だとデニスが教えてくれる。
フルーテガルトの広場にもアーク灯が設置されているらしいのだが、夜に出かけることがなかった私は気付かなかった。
気持ちはわかるけど、先人の渡り人さんたち、頑張りすぎだよ……
私にはプレッシャーだが、そんな話を聞けばこの国は確実に渡り人の恩恵を受けているのだと実感する。
件の変換装置は申請すれば一般の民でも使用可能だという。魔力持ちをあぶり出す目的もあるが、安くはない金銭で教会に所属する魔力持ちに魔力を提供してもらうことも可能であるようだ。
充電ができるなら、スマホやタブレットが使える! 私のスマホやタブレットには膨大な量の音楽ファイルが詰まっているのだ。さすがに全てでは無いが、レポート用に楽典の必要個所をスキャンしたものもあったはずだ。
「早く行こう! 王都! 今すぐに!!」
「さっきまで不安そうな顔してやがったくせに。ゲンキンなヤツだなあ」
「ユリウス! 瞬間移動とかできないの? こうパッと王都に着いちゃうみたいな」
「そんな魔術はない」
あきれ顔のラースやユリウスをよそに、王都行きが楽しみになる私だった。
◆
アマネが鼻歌を歌っている。気持ち良いほどに伸びる澄んだ歌声だ。ずっと聴いていたいと思うが、短い歌だったのかすぐに終わってしまった。
「ヴァノーネの言葉だな」
アマネの母国語とは違い、歌詞は聞き取ることができた。愛する人の側にいる喜びと、側にいられない悲しみ。そんな詩だ。
「え? 何が?」
陽気に誘われて無意識に歌ってしまったのだろう。アマネは広げていた綴りから視線を上げ、目を瞬いた。
その暢気な様子に口元が綻びかけたが、慌てて眉間に力を籠める。
「今、歌っていただろう。ヴァノーネの言葉だったぞ」
「ああ、私、歌ってたんだ? 時々あるんだよね。いつの間にか歌っちゃってることが」
照れを誤魔化すように締まりのない顔で、アマネは笑う。
「たぶん、『側にいることは』かなあ? 元の世界のイタリアっていう国の言葉なんだよ」
「出だしの歌詞がそうだったな」
「うん。オペラの中で使われている歌だから、特にタイトルがなくて、歌詞の最初をタイトルにしてたりするんだ」
アマネの話を聞きながら、そういえばアマネが言葉に苦労しなかったことを思い出す。
渡り人はドイツという国とニホンという国の出身者が多いらしいが、特にニホンという国の者は言葉に苦労すると聞いていた。
「ドイツの大学に行ってたし、音楽用語もドイツ語が多いから、たくさん勉強したんだよ」
得意そうに言うアマネだが、渡り人の世界では女も大学に行けるのだなと感心する。
アマネが書き進めている楽典も、文法的にも単語の綴りも間違いは少ない。目上の者や初対面の者に対する言葉や態度、普段の所作からも、それなりに高い水準の教育を受けていることは察せられた。時々見せるお道化たようなおかしな表情は、馬鹿っぽく見えるが。
「他にも何か歌え」
「ええー、そんな聞く体制を取られると照れちゃうんだけど……」
口を尖らせながらも、アマネは何がいいかなと考え始めた。大きな黒目が考えるようにきょろりと上を向く。
ふとした時に見せる表情や仕草に心がざわめくのは、最近自覚したことだ。
思わず手が伸びて髪に触れる。
「どうしたの? なんか付いてる?」
「…………寝ぐせが付いていた」
苦しい言い訳を捻り出し、そっと視線を外に向ける。
ほどなくしてアマネが歌い出す。伸びのあるその歌声は、子守歌には向かないかもしれないなと思った。