ヴィーラント陛下の葬儀
女子会から数日経った頃、アルフォードが帰還した。
ヤンクールからノイマールグントの王都までは馬車で片道10日ほどかかるのだが、ヤンクールで2日ほど休んでからの帰還だった。
アルフォードはかなり疲れたらしく、帰ってくるなり布団に直行して丸1日眠っていた。
「あのねー、ヤンクールにね、イザークがいたんだよー」
「ほんと? よく見つけたね?」
「もっとほめてー!」
アルフォードはヤンクールに到着した後、姿を消してヤンクールの王都を漂いながら、道化師の術の気配をを探ったという。そうして一軒の商家を見つけた。道化師の術のせいで中には入れなかったようだが、イザークが出入りしているのは見たそうだ。
「あーんなに術でぐるぐるなんだもん。絶対あそこにゲロルトがいるよ!」
「そう……お手柄だったね。アルフォード」
背を撫でてあげると、アルフォードは尻尾をピンとたてて喜んだ。
「女はいなかったか?」
一緒に聞いていたユリウスがアルフォードに問いかける。
「バウムガルトのところに来た女の人だよねー? 見てないよー?」
アルフォードの言葉を聞いたユリウスは、いつものように指で机を叩きながら何かを考え込んでいるようだった。
女の人ってたぶんカミラさんのことだろう。彼女がゲロルトたちと揉めた後、どうなったのかは不明だ。フルーテガルトの火事は彼女によるものだという推測はされたが、証拠となるものは何もない。
「ねー、おねえさん。僕、ご褒美におねえさんの夢が食べたいよー」
「うーん、どうにかしてあげたいんだけど、私の夢は食べられないんでしょう?」
「おにいさんには期待しないことにしたもん! 別の人にしてもらったらいいんだよ!」
別の人? してもらうって何をしてもらえばいいんだろう?
「煩いぞ。バカネコ。お前はどうせヤンクールの道中で摘まみ食いしてきたのだろう?」
「そりゃあするよ! おなかがすくもの!」
1人と1匹のケンカはいつものことだとして、私はアルフォードに相談したいことがあった。
「アルフォード、今の私って何かの術にかかってたりしない?」
「おねえさんが術に? うーん、おねえさんのは読みにくいんだよね」
「何か気になるのか?」
「うん…………ちょっとね」
話は数日前に遡る。
ヴァイオリン協奏曲を演奏してもらうということもあり、私はザシャに改良してもらったヴァイオリンをアロイスに貸した。
試しに何か演奏してみてと頼んだところ、アロイスはこちらの世界の曲を演奏してくれたのだが、これがヤバかった。何がヤバいって、私の語彙がヤバい。もうヤバいしか出てこないほどだ。
悪い音ではないことは断言できる。だが今まで聞いていたアロイスの音とはまるで違う。深くて、熱くて、聞いていて息苦しくなるほどの音だった。
ユリウスが私の演奏で鳥肌が立ったと言っていたが、私の比ではないと思う。内臓にも鳥肌が立ってるようなざわざわとした感じ。心臓とか脳みそとかお腹の奥とかをさわさわと揺さぶられるような、そんな音だ。
演奏が終わってから、石みたいに動くことができなくなった私に、アロイスは困惑していたと思う。何かを問われたような気がするが、何を答えたのかも覚えていない。心臓がバクバクして頭がぐるぐるして大変だったのだ。
それからだと思う。演奏中は問題ないのだが、それ以外でアロイスを見かけると、あの音を思い出してしまってうまく話せないのだ。まるで、何かの術にかかってしまったように。
「ここ数日、様子がおかしいと思っていたが…………演奏中は問題ないと言ったな? そのヴァイオリンは使っていないのか?」
「うん。全体のバランスが悪くなっちゃうから、葬儀の曲では使わないようにって最初に言ってあるよ」
「そのヴァイオリンって、最後に使ったのはいつー?」
あのヴァイオリンを最後に使ったのは、エルマーの合格祝いの時だ。それ以外にヴァイオリンを使ったのは、慈善演奏会の楽譜を作った時だが、音が大きいためユリウスから借りたヴァイオリンを使っていた。
「一瞬、道化師にケースごと取られたと言ったな。だがエルマーの合格祝いは問題がなかったのか……検証するには危険が伴うな……」
「一度ザシャに見てもらった方がいいかな?」
「ヴァイオリンなら僕もわかるかもしれないから、見てみるねー」
この話し合いをもし他の者が聞いていたら、別の意見が出たのかもしれないが、ここには私を含めて1匹と2人しかいない。
とりあえずは葬儀前に行われる楽器の簡易メンテナンスで、ザシャに見てもらうことになった。
「楽器のメンテナンスまでしてもらえるなんて、ありがたいですね。ヴェッセル商会が間に入ってくれているので助かりますよ」
クリストフが目を細めて言った。今回使用する楽器のうち、改良した楽器については貸与で、葬儀終了後は返してもらうことになっているのだが、一部の者は購入を希望しており、クリストフもまた購入することになっていた。
「クリストフさんは葬儀後も宮廷楽師としてお仕事されるのですか?」
「いえ、宮廷楽師は辞めるつもりですよ」
「でもクリストフさんの楽器は王宮持ちなのでは?」
「そうなのですが、王宮やら貴族やらはしばらくの間は御免です。元々使っていた楽器は自分のものでしたし、幸い貴族以外からもピアノの家庭教師の依頼が来てますから、しばらくはそれで食い繋ごうかと思っています」
私が練習に参加していなかった時に指揮をしてくれたのはクリストフだ。初めて合奏をした時に、思った以上に出来が良かったことを覚えている。
出来れば次の演奏会のピアノ協奏曲で指揮をしてもらえないだろうかと考えていたのだが、さらにその後となると何の約束も出来ない。そのため声を掛け辛かったのだが、思い切って聞いてみる。
「例の演奏会ですね。アロイスから少しだけ聞いておりますが、私には指揮者としての実績も実力もありません。でも嬉しいですね。渡り人殿に誘っていただけて」
うーん、これは断られたってことなんだろうか? こういう曖昧な言い回しをするから、女性問題で拗れて訴訟になったりするのではなだろうか。
「回りくどい言い方をするな。アマネ様、クリストフは指揮でなければ参加したいと言っているのですよ」
アロイスが通訳してくれる。ヤバい……音を思い出して心臓がバクバクしてしまう。
「ふふふ、渡り人殿は可愛らしいですね。僕は貴女の指揮で演奏したいのですよ。自分が指揮者になりたいとは思わないのです」
「そう、ですか……」
もったいないなと少し思う。オーボエよりも指揮の方が向いていると思うのだが、本人の希望なら仕方がない。
「改めて声を掛けさせていただくかもしれません」
「ええ。お待ちしております」
演奏家もいずれ集めなければならないのだが、その辺りの詳細はまだ決めていない。王宮とも話し合わなければならない。後日詳細を決めたら連絡することにした。
◆
楽器のメンテナンスが終わり、いよいよ葬儀前日。大聖堂で最終ゲネプロが行われた。
その日は殊更にあの音がよく聞こえた。遠くにある鐘の音のような、人の歌声にも似ている音。
暑かった日々が少しずつ少しずつ収まって、空も、虫の声も、木々の色も、夏から秋に変わったなと感じる。
演奏は初期の頃より随分と成熟した。細かい部分で気になるところが全くないとはいえないが、自信をもって良い演奏だと言える。
演奏者たちと顔を合わせて約2か月半。もうそんなになるのかという思いと、まだそんなだったっけという思いが半分づつ。
明日で終わってしまうことが少し残念だ。
救貧院の子どもたちと出会って、マリアが支部に来て、劇場の火事があって。ゲロルトに囚われて、アロイスに助けられた。カルステンさんも尽力してくれた。ルイーゼ、ナディヤ、プリーモ、ダヴィデ、みんないっぱい頑張ってくれた仲間だ。
楽器のメンテナンスをしてくれたザシャとマルコ。マリアの面倒を見てくれたヨハンとエルマー。練習に付き合ってくれたケヴィンもヴィムもラースも。そして数えきれないほどいっぱい助けてくれたユリウスも。
みんなにたくさんありがとうを言いたい。
「いよいよ明日が本番です」
私は金管、打楽器、弦、木管、マリアを含む合唱隊、と順番にしっかりと視線を合わせる。みんな良い顔つきだ。
「良い演奏をヴィーラント陛下に」
やるべきことはただひとつ。
ヴィーラント陛下にによい演奏を届けるのだ。
◆
大聖堂に並べられた椅子の最後尾。
ユリウスはその演奏を聞いていた。
じっと音楽をきいていると、
うすい水いろのなかにとぷりと浸かって
ずっと上の方にまっしろなもやがかかるように思われた。
その人はもやの中にいた。
―― ヴィーラント陛下……
こどものころに見たままのヴィーラント陛下が
かるくかるく、段をかけのぼっていく。
まるで散歩に行くように。
ときどき立ちどまり、あたりをきょろきょろ見回しながら。
どこまでも軽やかにのぼっていく。
「おそろいだ」
こどものころにきいた陛下のこえ。
ぽとり、とぴかぴかなまあるいものがてのひらに。
かろやかにのぼっていく背中がどんどん小さくなる。
とおくで陛下が振り返る。
陛下はなぜかアマネになった。
アマネがぎぎっとにらみつけている。
ふいに笑いだしたくなったとき、
たくさんのこえが津波のように押しよせてくる。
―― そうか、陛下は戻られるのか
ユリウスは唐突に思った。
からーん、からーん
鐘の音が聞こえる。
遠くで、近くで。
音楽が消えても、ユリウスはうすい水いろのなかにつかったままだった。