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マリアの想い

 慈善演奏会の夜、疲れ切った様子のユリウスが私の部屋に来た。


「お前たちが帰った後、大変だったのだ…………」

「う、ごめん……早く帰った方がいいかなって思ったんだけど」

「その判断は正しかったのだがな」


 私の向かいに座るユリウスは、珍しいことに項垂れて頭を抱えている。ああ、髪がぐちゃぐちゃだ。


「ヴィルヘルミーネ王女がアロイスのヴァイオリンをもっと聞きたかったと……」

「アロイスさんの? ああ、王女まで虜にしちゃったんだ?」


 ヴィルヘルミーネ王女の目がハートになっている様子が目に浮かぶ。微笑ましいが、相手は婚約を控えた王女だ。これってどうなんだ? もしかして不味かったりするんだろうか?


「エルヴィン王子はピアノがもっと聞きたいと言い出すし……」

「やっぱり早く帰って正解だったね」


 もう1曲演奏しろと言われてたら、『幻想即興曲』と同じようにリクエストが多い『革命』を弾いてたかもしれない。慈善演奏会で、しかも王族の前でそれは流石に不味いだろう。


「道化師はさっさといなくなったんだが、師ヴィルヘルムが面白がってしまってな。双方に協奏曲をやらせてみてはどうかと言い出したのだ」

「はい? 協奏曲? ピアノとヴァイオリンそれぞれの?」

「そういうことだ」


 それは私も頭を抱えるしかない。せめてソナタとか伴奏とソリストの二人で完結するものであれば良かったのだが、ユリウスの様子からして、決定ということなのだろう。


「…………いつやるの?」

「春だ。褒め称えろ」

「うん、うん? う……ん、はあ……1ヶ月後とかじゃないだけマシか……」


 だいたい半年ちょっと。楽譜を起こしてオーケストラを集めて練習して……正直に言うと微妙だが、ユリウスの様子からするとかなり頑張ってくれたのだろう。責めることはできない。


 しかしオーケストラのメンバーを揃えるのは難しいのではないだろうか? ナディヤはいなくなるし、今のメンバーは葬儀後は解散する予定だ。


「それと……」

「まだあるの!?」

「マリアの歌を聞きたいと、クレーメンス様が」


 マリアまで巻き込むのか。この国、大丈夫なの? と思わなくもないが、マリアが活躍すれば救貧院の子どもたちを引き取る者が増えるかもしれない。


「でも無理はさせられないよ。まだ体も出来てないんだし」


 葬儀が終わったら、中声用の曲を少しずつやって、ゆっくり育てようと思っていたのだ。


「マリアに関しては短いものを2、3曲でいいだろう。問題はピアノだな」


 そう。なんと言っても問題はピアノ協奏曲の方だろう。なにしろ私が弾くのだ。指揮者がいない。


「いっそのこと師ヴィルヘルムに指揮を頼んじゃうとか?」

「これ以上引っ掻き回されたくない」

「確かに……」


 二人で同時にため息を吐いてしまった。


「演奏会、終わったんじゃないのー?」


 銀色の猫が寝室から出てくる。アルフォードは大聖堂ではずっとマルコと一緒に寝てたらしい。私の心配を返せと言いたい。


「ユリウスー、マルコの金管楽器ってどのくらい期待していいのかな?」

「まだだろう。中でどうしても隙間ができると言っていた」

「そっか…………」


 金管のバルブができないということは、チューバが作れないということだ。協奏曲を選ぶにしても、編成を考えるとチャイコフスキー辺りはギリギリ難しいかもしれない。時代的にはブラームスよりも前かな?


「曲はぼちぼち考えるよ。あ、でもそろそろタブレットの充電がないかも」

「ああ、悪魔の板か。変換器なら数日後に届くぞ」

「届くって? まさか買ったの!?」

「いちいち充電しに行く時間がもったいないだろう」


 だとしても、そんなに簡単に買える物ではないだろう。なにしろ量産できない。


「でもさ、マリアの歌が褒められたのは嬉しいね」

「マリアのうた! 僕も大好きー!」

「お前は寝てたのだろうが。美しい声だと皆言っていたというのに、惜しいことをしたな」

「だってマルコが放してくれなかったんだよ? ほんとだよ?」


 アルフォードが言い訳がましくユリウスの周りをウロウロする。


「でも正直、あそこまで歌えると思わなかった。マリアは本番に強いね」


 正直に言ってしまうと、モーツァルトの『すみれ』は、ストーリー性があって情景を思い浮かべやすいことから選んだのだが、マリアにはまだ早いかもと思っていたのだ。


 だが期待以上にマリアは実力を発揮してくれた。多少、音を省略したところやぎこちないところもあったが、まだ歌い始めて1ヶ月半ということを考えたら十分すぎるほどだ。


「レオンの伴奏との相性も良かったんだろうね」

「エルマーが妬いてたぞ」

「でもレオンも明後日にはヤンクールに行っちゃうし、エルマーも学校が始まるし、マリアが寂しがっちゃうね」

「僕がいるよ! 僕、マリアとなかよし!」

「俺もいるが? 俺では不足だとでも?」


 ユリウスは意外なことにマリアの面倒をよくみる。忙しい中でも顔を合わせると必ず声をかけるし、時間があれば一緒に本を読んで、言葉を教えたりもする。


「そろそろケヴィンも戻ってくるから、俺の不足分はケヴィンに任せる」

「僕もいるのにー!」


 ユリウスがアルフォードを捕まえて放り投げると、壁を蹴って着地したアルフォードは怒って寝室に行ってしまった。


「そんな拗ねなくても」


 ちょっと微笑ましい。ニマニマしていると、コツンと額を突かれた。


「……お前の演奏は、鳥肌が立った。毎日聞いてたはずなのにな。ピアノの音はすごいな。あの広い大聖堂に響き渡ると全く違って聞こえる」

「ええと、もしかして褒めてる?」

「そう聞こえなかったか? これでも盛大に褒めているつもりだが?」


 聞こえたけど、私だって照れるのだから仕方ないではないか。


「最後の曲は……美しかった。美しくて…………胸が詰まった」

「うん……ありがと」


 ユリウスが私を見ている。なんだろう? ユリウスの目を見ていると距離感がよくわからなくなる。近づきたいような離れたいような、へんな感じ。


「フ……、夜はダメだな。明日、また話そう」


 ユリウスが自嘲するように笑って立ち上がる。飛んできた銀色を、億劫そうに首を傾げて避け、部屋を出て行った。


「もーーっ! もーーっ!! もーーーーっ!!!」


 アルフォードがスカッシュみたいに部屋の中で飛び跳ねてる。


「アルフォード! お部屋が壊れちゃう!!」

「もーーーー!! 知らないよっ!!」


 銀の影が鍵穴から出ていってしまった。


「あーあ……これ、私が片付けるんだよね…………」


 楽譜が散らばり、カップが割れ、綿が飛び出たクッションが転がる中、私は盛大にため息を吐いた。






 ◆






「うーん、どうしよ…………」


 翌朝、私はネタ帳を抱えてうんうん唸っていた。


 左のページにはヴァイオリン協奏曲が2つ、右のページにはピアノ協奏曲がずらりと並ぶ。


 ユリウスから協奏曲の演奏会のことを聞いた後、いろんな不安が押し寄せて来て眠れなくなってしまった私は、とりあえず思いつくままに協奏曲のリストを作って夜を明かした。


 オーケストラをどうするのか。宮廷楽師を借りられるのかは確認しなければわからない。劇場の演奏家たちもそうだ。彼らにだって仕事があるのだから、いつまでも頼れないだろう。


 そして指揮者の問題もある。ピアノ協奏曲を私が演奏するのだとすれば、誰が指揮をするのか。カルステンさんを頼りたいところだが、宮廷楽師を借りられるかどうかがカギになるし、正直な話をすればカルステンさんが第一ヴァイオリンから抜けるのは痛い。弾き振り?無理だ。やったことない。ピアノの演奏ですらギリギリな気がするのに。


 アンネリーゼ嬢のところにいるという噂の家庭教師はどうなんだろう? アロイスのように変装させれば大丈夫だったりしないのだろうか? しかし評判が悪くて王宮を追放された人物……。どんなことをすれば王宮を追放されるのか、想像がつかない。


 楽譜についても不安がある。今まで起こした楽譜は、ピアノ曲がメインで、基本的には自分が演奏したことがあって記憶も鮮明に残っているものが主だった。だが協奏曲となると、そもそも演奏したことがあるものがほとんどない。稼ぐために演奏していたとはいえ、基本的に私はピアニストではないのだ。指揮はないわけではないが、全部きっちり覚えているかと言われれば不安しかない。


 留学時代、総譜を見てピアノ用に編曲するという勉強をしたことがある。譜読みが好きだった私だが、この編曲の勉強は苦手だった。総譜を読んでいるとどの音も重要に思えてしまって削ることが難しかったのだ。


 そんな私が耳コピと記憶を頼りに協奏曲の楽譜を起こす。出来るだろうか……? 不安だ。不安で仕方がない。


 ユリウスに相談してみようかなと少しだけ思ったが、昨日の控えの間でのことを思い出してため息を吐く。最近の私はユリウスを頼りすぎだ。非常に良くない傾向だ。ユリウスだってこんなことを相談されても困るだろう。


 自分で考えなければならないことと、ユリウスに聞くべきことはきちんと分けておかなければダメだ。


 演奏会は王族から出て話だ。断れるはずがないし、春までという猶予をユリウスはもぎ取ってきてくれた。曲に関しては、私が自分でどうにかしなければならない問題だ。


「はあー…………」


 左のページを見る。アロイスが演奏するヴァイオリン協奏曲はパッと思いつくし、譜を読み込んだことがあるからどうにか楽譜も起こせるだろう。


「アマネさん…………」

「え? マリア? おはよう。早いね」


 まだ陽が上ったばかりだ。いつもならまだ寝ている時間なのに随分と早い。


「おはよう。お願いが、ある」


 マリアから私にお願いなんて珍しい。ちゃんと聞いてあげなくてはと体ごとマリアと向き合う。


「これを、歌いたい。レオンと、エルマー、いなくなる、から」


 マリアが差し出したのは、私がマリアの練習用に起こした中声用の楽譜『側にいることは』だ。イタリア歌曲なので当然イタリア語だが、ケヴィンが戻ってきたらドイツ語に直してもらおうと思って、簡単な訳だけつけてあった。


「マリア…………」


 思わずマリアをぎゅうっと抱き締める。


『側にいることは』は愛する人の側にいる喜びと、側にいられない悲しみを歌っている。たった4行の素朴な詩だ。マリアの思いが恋なのかどうかはわからないけれど、レオンもエルマーも2人ともいなくなってしまうのだ。寂しくないはずがない。


「お散歩に行こうか。外で教えてあげる」


 エルマーとレオンはまだきっと寝ている。練習しているのを聞かれたくないだろう。


 葬儀まであと半月。今日も練習がある。レオンをどうにか誤魔化して、練習についてこれないように出来ないものだろうかと、ない知恵を絞りながら、マリアと二人で外に出た。


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