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アンネリーゼ嬢とリーンハルト様

 大聖堂に着くと、アルフォードを抱えたユリウスが待ち構えていた。


「あれ? アルフォード? 馬車に乗ってたんじゃ……」

「レオンが先に行けって。おにいさんに衣裳のことを言わないのは、フェアじゃないって」


 衣装のこと? 何かあったっけ?


「ユリウス、なんか怒ってる?」

「怒ってなどいない。演奏者の控えの間に行くぞ」


 アロイスから引き離されるように腕をぐいぐい引かれる。


「待って。ピアノ、見たい」

「…………こっちだ」

「レオン、マリアとアロイスさんも先に控えの間に行ってて!」


 レオンとアロイスさんは苦笑しながらマリアの手を引いて歩いて行った。ユリウスはちょっと機嫌が戻ったのか、先ほどよりは眉間の皺が薄まっている。


「ヴィム、ザシャ、お疲れ様! マルコは?」

「おう。マルコはそっちで寝てる」


 チェンバロの横にあるピアノの側にはヴィムとザシャが立っていた。他の業者が近づかないようにするためだろう。ピアノは元の世界で見慣れた黒いエナメルではなく木製だ。一見、一回り大きいチェンバロにも見える。


「フタを開けちゃダメ?」

「お前が触ると注目されるからダメだ」


 ザシャがとても警戒している。設計図のことを考えれば無理もないので眺めるだけにしておく。


 ついにピアノがお披露目になる。この国の音楽がどう変わっていくのか楽しみで仕方がない。ニマニマしながらピアノの周りをうろついていると、誰かと話していたユリウスが、難しい顔をして近づいてきた。


「アマネ、ギルベルト様から連絡があった。今日はエルヴィン王子とクレーメンス様もお越しになるそうだ」

「ええぇ、王族の皆さまが勢ぞろい? 聞いてないよ……」

「問題はそこではない。おそらく道化師も来る」


 ユリウスの言葉を聞いてゲンナリしてしまう。道化師は王族がその言動をおもしろがるためのペットみたいなものだと侍従君も言ってたから、来る可能性は高いだろう。


 最近、月一回は道化師に会ってる気がする。ゲロルトと一緒に捕まってしまえばいいのにと思うが、今のところ道化師が何らかの罪を犯したという証拠はない。


「なるべく俺が付いているようにするが……ピアノのことを聞きたいと言われれば俺が話さねばならん」


 さすがにザシャに貴族の相手は手に余るだろう。シルヴィア嬢との会話でも、ものすごく疲れた様子だった。


「また術とかかけられちゃったら嫌だな……」

「ラースは控えの間には入れない。ルイーゼ嬢を側に置け。シルヴィア嬢とナディヤ嬢は王女のお側にいなければならないから難しいだろう」


 ナディヤは葬儀後はヴィルヘルミーネ王女の侍女になるのだ。王女主催の演奏会で私の側に張り付くわけにはいかないだろう。演奏順も一番最初で、その後は演奏会をご覧になるヴィルヘルミーネ王女の側にいることになるようだ。


「ルイーゼ嬢の演奏前後は…………アロイスを側に置け」


 ものすごく不本意そうにユリウスは言った。レオンもいるが、道化師の狙いが『ジーグルーンの歌』ならばマリアから離すわけにはいかない。


「それにしても、ユリウス、アロイスさんは敬称なしでいいの?」

「本人の要望なのだから問題ない」


 確かにそうだけど。


 ユリウスが瞬時に笑顔の仮面を装着する。


「アンネリーゼ様とリーンハルト様ではございませんか」

「やあ、ユリウス。私の姫君が楽しみにしておられたので、先にこちらに寄ったんだ」


 振り返ると背の高い男性にエスコートされたアンネリーゼ嬢が、私を見て微笑んでいた。


「アンネリーゼ様、ご無沙汰しております。少し大きくなられましたか?」

「渡り人様、お久しゅうございます。リーンハルト様が滋養に良いからと様々な食べ物を贈ってくださるのです」


 頬を上気させてお話しされるアンネリーゼ嬢は、前に見た時より背が少し伸びて、お顔もふっくらして見える。何よりもリーンハルト様を見て微笑む姿は幸せそうで、私もなんだか安心した。


 ユリウスがリーンハルト様に紹介してくれて、フライ・ハイムの握手を交わす。リーンハルト様は切れ長の目が一見冷たそうなお顔立ちだが、笑うと優し気なお顔になるところがガルブレン様にそっくりだ。


「私の姫君は貴方のような方が好みなのですね」

「リーンハルト様……あの、私は…………」

「冗談です。父から聞いておりますよ」


 ユリウスからピアノの説明を受けるアンネリーゼ様には聞こえないように、リーンハルト様が私に話しかける。リーンハルト様の表情から冗談であることは伺えたが、心臓に悪いので蒸し返すのは止めていただきたい。


「私の姫君の家庭教師も来たがったのですが、少し問題がありまして、今日は遠慮してもらいました」


 アンネリーゼ嬢の家庭教師は、確か王宮から追放された音楽家だ。アンネリーゼ嬢の話では、とても話し好きな方だとか。


「あなたの楽典を呼んで、とても興味を持たれたようです。一度、屋敷にお越しください」

「私もぜひお話を伺いたいです」


 私が作った楽典は、葬儀の曲に参加する演奏者に渡しただけでなく、販売もされている。市民向けのものではないものの、貴族の家庭教師やアカデミーの関係者の間でそれなりに話題になっているとユリウスから聞いていたが、読者の生の声はまだ聞けていない。いずれ重版するとユリウスが言っていたので、説明が不足しているところやわかりにくいところを確認したかった。


「ところでバウムガルト伯爵はお元気でいらっしゃいますか?」

「あまり良くないのです。姫君が気にされるので話題には出さないでいただけると助かります」


 バウムガルト伯爵が良くないとはどういうことだろう? 体調でも悪いのだろうか。


「眠れないのが一番問題だと思われます。食事もほとんど取られていない」

「そうですか……」


 それは無理もないことだと思う。後悔の念がバウムガルト伯爵を苦しめているのだろう。


 バウムガルト伯爵に関しては同情の余地はないのかもしれない。だがアンネリーゼ嬢に心配をかけるのはよろしくない。リーンハルト様がバウムガルト伯爵家に食糧を差し入れているのは、そういったことを考えてのことかもしれない。


「もう少しすると来場者たちが入ってくるでしょう。演奏を楽しみにしております」


 リーンハルト様はそう言ってアンネリーゼ嬢と共に去っていった。別室にいる王族の方々に挨拶をしに行くようだ。


 私とユリウスは、レオンたちが待っているだろうと急いで控えの間に向かう。


 控えの間では美しい衣装に身を包んだルイーゼやナディヤが、それぞれの伴奏者と共に待っていた。ルイーゼは淡い水色のふんわりとしたドレスで、ナディヤは濃いブルーのシンプルなドレスだ。それぞれ二人のイメージにぴったりで、そのセンスの良さに感心してしまう。


 余談だが、ルイーゼの伴奏は結局ベルトランのままだ。クリストフとナディヤが予想以上に息の合った演奏を聞かせてくれたからだ。普段パートも一緒なので、信頼があるのだろう。ルイーゼとベルトランも、オーボエコンビを見習ってほしいが、ベルトランが落ち着かないと難しいかもしれない。


「私の演奏順ってわかりますか?」

「ぼんやりにもほどがあるぞ。事前に確認しておけと言っただろう」

「ごめんなさいぃ……」


 ユリウスに怒られていると、ルイーゼが教えてくれた。


「後半の最初にアロイスさんの演奏ですよ。渡り人様のピアノ演奏は最後です」


 演奏会の前半は、貴族たちがメインであるらしい。ナディヤ以外のプロの演奏家は後半にまとめられているようだ。


 ナディヤが前半の一番最初に演奏するので、それがピアノのお披露目となる。前半と後半の間にある休憩時に質問攻めになるか、後半が終わってからになるか、私には予想がつかない。


 ユリウスを見れば、難しい顔でアロイスと何か話していた。


「渡り人様、王族の方々がそろそろお見えになるそうです」


 緊張気味のナディヤが教えてくれる。演奏順よりも王族と顔を合わせる方が私にとっては一大事だ。


 こういった場合の対応については、ぼんやりな私でも流石に事前に確認してある。ユリウスが言うには、建前上、渡り人は王族とも対等ではあるが、貴族と同等くらいの感覚でいろということだった。これはシルヴィア嬢のマナー教室でも言われたことがあった。


 普段のユリウスや二コルのギルベルト様に対する距離感を考えると、私が元々持っていたイメージよりも貴族とそれよりも下の階級の垣根は低い。他の貴族に対しても、ユリウスは必要以上にへりくだったりしないのでそういうものかと考えていたが、ザシャの様子を見るとまた違う印象だ。身分とか階級とかがわからない私からすれば混乱する一方だが、商人と職人はまた別なのか、それとも違う理由があるのか。


 そんなよそ事を考えているうちに、王族とお付きの方々が入室してきて、私も教えられたとおりに礼を取る。


 顔を上げると見知った顔がちらほらいる。侍従長と道化師、シルヴィア嬢とギルベルト様は予測済みだが、遅れて入室してきた人物を見て、私は目を見開いた。


 師ヴィルヘルム?


 いつ王都に? ていうかなんで王族と? 私の頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされていく。ユリウスに問いたいが、ヴィルヘルミーネ王女が出演者たちに労いの言葉をかけているためできない。師ヴィルヘルムは私と目が合うと、いたずらが成功した子どもみたいに笑った。


 私が驚いているうちに、主催者であるヴィルヘルミーネ王女のお言葉が終わってしまい、王族とお付きの方々が退室していく。


 道化師を見れば、ものすごく胡散臭い顔でニコニコと笑っていた。気味が悪いが、手を振られなかっただけマシかもしれない。一瞬、目が合うと、道化師は目を細めて笑みを深めた。背筋を冷たいものでなぞられたようにぞくりと身を固くする。


 煌びやかな団体が去っていくと、ふうと息が吐きだされた。いつの間にか息を止めていたようだ。


 ユリウスを見上げると、まだそこに道化師がいるかのように前を睨んでいる。声を掛けるのが躊躇われたが、師ヴィルヘルムのことを聞いておきたい。


「ユリウス、ヴィルヘルム先生がどうしてここにいるの?」

「…………言ってなかったか? 師ヴィルヘルムは、昔はクレーメンス様の家庭教師をされていたのだ」


 聞いてません。ていうかそんなにすごい人だったとは。そういえばシルヴィア嬢の演奏会では侍従長とも挨拶していたことを思い出す。脳内ではおじいちゃん呼ばわりしてしまっていたけど、失礼はなかっただろうか。


「ああいうお方だから気にする必要はない。しかし王都に来ていたとは、行幸かもしれん」

「どういうこと?」

「道化師は師ヴィルヘルムの老獪さを知らぬからな」


 師ヴィルヘルムって老獪なんだろうか? 私のイメージではお茶目なおじいちゃんなのだが。そう言うとユリウスがため息を吐いた。


「知らぬ方が幸せだ」


 おじいちゃん先生は一体何をしたのだろう? 気になって仕方がない私は道化師のこともすっかり忘れてしまったのだった。



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