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踏まれたいすみれと穴の開いたポケット

 結局、上級者向けの曲はショパンから選ぶことにした。


 ピアノを広めようと思えばショパンは避けて通れない。リストの曲も考えてはみたが、リストは編曲が多い。原曲なくして編曲を出すのは気が引ける。


 更に華やかな曲がいいというユリウスの要望もあったため、ショパンを先に楽譜にすることにした。


 他の曲もユリウスのアドバイスを参考に選んだ。演奏会向けのものが好まれるだろうということで、長めの曲を一つとアンコール用の短い曲も含め、5曲を選出した。


 楽譜を起こしたり、合奏練習に参加したりと忙しい毎日だが、慈善演奏会を三日後に控えた今日は合奏練習も休みだったため、朝からマリアとレオンの練習を見ていた。


「スミレ、踏まれちゃう」

「そうだね。踏まれちゃうけど頑張って咲いてる健気なスミレなんだよ」


 マリアが慈善演奏会で歌うのは、モーツァルトの『すみれ』だ。歌詞はゲーテだ。


「ちがう。ギルベルト様が、言ってた。踏まれて、嬉しいって」


 ギルベルト様め! うちのマリアに何を教えてくださってるのか!


「まあ、そうとも取れる詩だよな」

「レオンまでそういうこと言わない!」

「でもさあ、少女に踏まれて本望みたいな終わり方じゃん」


 確かにオチはそうなんだけど。


「本当は少女に摘まれたいっていう、スミレの健気な気持ちを歌ってあげてね」


 そこは変態の言うことよりも、健気な気持ちと捉えてほしい。


「ところでさ、アンタは何を演奏すんの?」

「レオンはとうとう『おねえちゃん』って言ってくれなかったよね。まあいいけど。私は『英雄のポロネーズ』っていう曲」

「ふうん。練習は?」

「マリアの練習が終わったらするよ。中間部、苦手だし」


『英雄のポロネーズ』の中間部は左手によるオクターブの連続パッセージがあって、練習しないと適当に弾いてしまいそうなのだ。そんなのショパンに申し訳ない。


 ショパンは18曲ものポロネーズを作曲している。『英雄のポロネーズ』のほか、『軍隊のポロネーズ』、『幻想のポロネーズ』、『華麗なる大ポロネーズ』などが代表例だ。


 ポロネーズは「ポーランド風」という意味がある。ショパンにポロネーズが多いのは彼の祖国がポーランドだからだろう。つまりショパンのポロネーズは祖国への愛が詰まっているのだ。それが伝わるように演奏したい。


 曲集にはその辺りのことも記したいと考えたのだが、ポーランドがなぜロシア軍に蹂躙されたのか私は知らない。元の世界の歴史をこの世界で調べることは不可能だ。


 ユリウスにも相談したが、どうにもならないのだからボカシて書けと言われてしまった。まあそうなるよね。こんなので音楽の伝道師を名乗っていいのか、先行きが不安だ。


 マリアとレオンの練習が終わり、自分の練習を始めると、雑念が消えた。そうして夕方までたっぷり練習した私は、意外な人物に泣かれた。


「ミヤハラ…………無視した…………」

「マルコ!? え、いつからいたの? ていうか、いつこっちに?」

「エルマーおにいちゃん、マルコ、かわいそう」

「エルマーも!?」


 練習に没頭しすぎて気付いていなかったが、マルコとエルマーは昼過ぎには来ていたらしい。いつの間にかマルコとマリアも仲良くなっていて驚いた。


「そういえばマルコも王都に来るって言ってたね?」

「遅れた…………ピアノの……フレーム……作った」

「ああ、悪かったな。ピアノのフレームを作ってもらったから、マルコの予定が狂っちまったんだ」


 ザシャも加わって夕食を囲む。こうしているとフルーテガルトにいるみたいだ。


「パパさんやデニスさんは元気? レイモンさんも」

「ユーくんパパ…………怒られてる…………」

「ははは、レイモンの旦那になァ。三人ともアマネの旦那のことを心配してたぜ?」


 劇場の火事について知ったパパさんは、王都に行くと言ってきかず、みんなを困らせたらしい。デニスやレイモンも含めた店のみんなにも、帰ったら謝らないといけない。


「ユーくん……忙しい……?」

「うん、今日は確かテンブルグの人と会うって。最近多いんだよね」

「ああ、たぶん木材の仕入れのことだろ」


 ザシャの話では、まだお披露目にもなっていないのに、改善した木管楽器の注文が殺到しているらしい。


「じゃあ慈善演奏会でお披露目したら、すごいことになるかもね」

「ピアノもな。だから早めに動いてるんだろ」


 木管楽器に使う木材はテンブルグから仕入れていると聞いた。フルーテガルトへは川で運び込むが、テンブルグからスラウゼンはフルーテガルトを経由しなければならないため、今後はピアノの製作をスラウゼンに移すことになるらしい。


「え……じゃあザシャはスラウゼンに行っちゃうの?」

「初めはな。春になったら戻るけどな」

「僕も…………行くよ……」


 マルコはルテナ鉄の製造方法を学ぶためにスラウゼンに行くという。ザシャは春になったら戻ってくるというが、マルコはしばらく向こうに腰を落ち着けるそうだ。


「そっか。なんか寂しいね」

「まだ……先…………それに…………金管……完成…………させたい」


 マルコは明日はアカデミーに行って、金管楽器の試作品を見てもらうようだ。私も見せてもらったが、マルコが試作したのはロータリートランペットだった。ピストン式と違って横に寝かせて演奏する


「マルコ、すごい! 私さ、最初にピストン式の絵を描いちゃったでしょ? でもよく考えたらロータリー式だったらホルンにも使えるなって思ったんだ」


 この世界のホルンはナチュラルホルンと呼ばれるもので、息の吹き込み方だけで音程を変えるため、出せる音が限られている。ベルの中に入れる右手によって音程を変える奏法があることは知っているが、この世界では知られておらず、私も詳しくないため、どうしたものかと思っていたのだ。


「エルマーはどうするの? アカデミーにはここから通うの?」

「いや、さすがにそいつァ申し訳ねェからなァ。クルト兄にやっかいになるんで」


 エルマーの一番上のお兄さんは、王都の人気菓子店で修業中だ。ヴィムが門兵を辞めて王都に行くと言い出した時にそう聞いた。


「エルマーおにいちゃん、いなくなる?」

「おいらも寂しいけどなァ、マリアはフルーテガルトに行くんだろう?」

「そうなの?」


 その辺りについてはまだ決めたわけではないのだが、私としてはフルーテガルトでマリアと一緒に暮らしたいと思っている。ユリウスに『お願い』した居候も葬儀までだ。葬儀が終わってすぐに放り出されることはないだろうが、そろそろ考えなければならない。


「お前、店を出んのかよ? ユリウスには言ったのか?」

「まだだけど、いつまでも居候するわけにいかないもの」

「ユーくんパパ…………泣く……」


 そうなんだよね。どうやってパパさんを説得するのかが一番の悩みどころだったりする。


「兄さんもケヴィンも反対すると思うけど?」

「まだ先だよ。今は慈善演奏会と葬儀で頭がいっぱいだから。レオン、まだ具体的なことは全然決めてないんだから、余計なこと言っちゃダメだよ? ザシャもマルコも、エルマーもね」


 ユリウスやケヴィンはなんだかんだ言っても認めてくれるような気がする。だがパパさんに伝わるのは絶対に不味い。デニスやレイモンを味方に引き入れて説得してもらうのがいいのではないかと画策中だ。


 いずれにしても、フルーテガルトに帰らなければ家探しもできない。まずは二つの演奏を成功させるのが優先事項だった。






 ◆






「わっ、マリアかわいいーーーっ」


 慈善演奏会当日、律さんが作ってくれたワンピースを着たマリアを見て、ミアと二人で歓声を上げた。


 こちらの子どもの服装がよくわからない私だが、律さん曰く、「渡り人が隣にいるならぁ何だっていいのよぉ」とのこと。


 ただ、ミアによればあまり露出が多いのは良くないということだったので、肘が隠れる袖丈で、スカート丈はふくらはぎまでと要望を出したところ、マリアの白い肌に似合う淡いピンクのシフォンを使ったかわいらしいワンピースを準備してくれた。


 私も今回は新しい衣装だ。これも律さんが頑張ってくれた。


「んもう、アマネちゃんにもドレスを準備したかったのにぃ」

「いやいや、すごく素敵な衣装をありがとうございます」

「んふふー、これ、実はぁ、ポケットが底なしなのぉ」


 はい? 底なしポケットに何の意味が?


「ほらぁ、こうやって手を入れるとぉ」

「わわ、律さんっ、くすぐったいですよ!」


 私の背後に立った律さんが、ベストの脇ポケットから手を入れてくる。うわー、シャツの脇まで切れ目があるなんて用意周到な! お腹がもぞもぞしたと思ったら胸まで手が伸びてくる。


「ベアトップで潰れちゃってるけどぉ、仕方ないよねぇ」


 そう言いながらもみもみする律さん。止めて! 恥ずかしすぎる! レオンが真っ赤になってるじゃないですか! 顎に手を当てて真顔で見ているアロイスさんも! 目を逸らしてください!!


「もう、律さん、勘弁してくださいよ……」


 ようやくご無体を止めてもらった私は、二度と手を入れられないようにジャケットを着込む。アルフォードが律さんに抱っこされて内緒話をしていたが、今はそれどころではない。それにしてもユリウスたちがいなくて良かった……


 ユリウスとヴィムを始めとする男性陣は、ピアノの搬入のために先に大聖堂へ向かっている。ラースは馬車の準備中だ。


「レオン、マリアをよろしくね。アルフォードもマリアについててあげて」

「まかせてー! 僕、マリアのナイト、がんばるよー」

「アンタは人のことより自分のことを心配した方がいいんじゃねえ? おい猫、お前は兄さんの味方じゃないのかよ?」

「僕はおねえさんの夢が食べられればいいんだもん」


 自分の心配? 何のことだろう? いくら私が危なっかしいからと言って、馬車で大聖堂に向かうだけだというのに。


 会場へはレオンとマリア、私とアロイスがそれぞれペアになって二人乗りの馬車で向かう。本当はマリアのエスコートを私がしたかったのだが、危なっかしすぎると却下されたのだ。


 仕方なくラースと二人で徒歩で行こうと思ったら、ユリウスに怒られた。


「馬鹿者。ぼんやりなお前が盛装で外を歩くなど、身ぐるみ剥がされるぞ」

「じゃあ、ユリウスも一緒に行こうよ。腕の怪我もまだちゃんと治ってないんだし」

「商会の者が誰も立ち会わないわけにはいかん」


 だったら私も早く行くと言い張ったのだが、邪魔だの一言で片づけられてしまった。まあ自慢じゃないが力仕事など私には無理なのだが。


 ミアからその話を聞いたアロイスが立候補してくれたため、この組み合わせになったのだった。


「アマネ様、大聖堂に着くまでで構いませんから、私にエスコートさせてください」

「いえ、昇りの段差が怖いので。一人で大丈夫ですよ」


 手を差し出すアロイスだが、馬車に乗り込む時はエスコートされると逆に怖いのだ。降りる時にこそ手助けが欲しいのだが、今の私は男性なので、大聖堂で降りる時は気合で頑張るしかない。


 少しだけ悲しそうなアロイスだったが、馬車に乗り込むと笑顔を見せた。


「貴女の演奏が楽しみです」

「ピアノのお披露目ですからね…………なんか、緊張してきました」


 胸に手を当てて深呼吸する。


「よろしければ私がさすって差し上げますが?」

「アロイスさん、なんかキャラ変わってません?」


 そういうのは律さんとギルベルト様で間に合ってます。


「先ほどの針子の渡り人殿を師匠と呼ばせていただこうかと」

「本当に勘弁してください……」


 困り果てる私を見て、アロイスはくつくつと笑った。緊張はどこかに飛んで行った。


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