タブレット作戦
ユリウスたちの帰還後、すぐに医者が呼ばれ怪我の手当てが行われた。
怪我をしていたのはユリウスだけではなく、ヴィムとラース、そして私が会ったことが無かったユリウスたちの弟、レオンもだった。
幸いなことにほとんどが軽傷で、縫うような怪我もなかったが、傷が多かったため手当に時間がかかった。
ユリウスの左腕は縫わなければならなかった。しかしこちらもまた幸いなことに、出血は酷かったが神経を傷つけてはおらず、後遺症も残らないだろうということだった。
私がユリウスの部屋へ入室を許されたのは夜になってからだ。
「なんで起きてるの!」
私が部屋に入ると、ユリウスはソファに座ってお茶を飲んでいた。
「病気ではないのだから問題ない」
「問題ないわけないでしょ! もうっ、クランプスが来るよ!」
怪我で何週間も寝込んだことがある私を騙せるとでも?
「ほら、横にならないと!」
「問題ないと言っている。それよりも報告が先だ」
なんでお説教モード? 私、今回はなかなか頑張ったと思うのに。
ポンポンと右隣を示されて仕方なくソファに座ると、ユリウスの右手が私の顔に向かって伸びてくる。
「この傷はなんだ」
あ、忘れてた……
「ええと、その……」
どうしよう。ゲロルトに捕まった話をすれば、ラースが怒られてしまうかもしれない。私は視線をそっと横にずらす。
「ゲロルトに捕まったとラースに聞いた」
あああああ、もうバレてた。
「他に傷は? 痛むところは?」
「大丈夫。すぐに助けてもらったし。ゲロルトもぐったりしてたから」
「ぐったり? どういうことだ?」
魔力を使った後って、みんなぐったりするものではないのだろうか?ルイーゼも確か半日は寝込むと言っていた。
「そういえばユリウスは顔色が悪くなる程度だったよね? 傷を洗ったり、氷を出したり、結構気軽に使ってるし」
「ふむ……他人と比較したことがないからわからんな」
魔力持ちは万が一の時に徴兵されてしまう。だからユリウスは自分が魔力持ちであることを周りには言っていない。当然、人と比較することもない。
「他には? 何か言っていなかったか?」
「あいつら、酷いんだよ。人のことを散々ガリガリだのなんだのって」
「……別に間違ってないと思うが?」
「ユリウスも酷い!」
これでも最近は食べるようにしているというのに。
「まあそう怒るな。それで? お前を連れ去ったのはイザークだと聞いたが?」
「そう! そうなの! あのね、イザークはイージドールで、ヴィーラント陛下の侍従だったんだって」
ユリウスは何かを考え込むように右手を額に当てて目をつぶった。いつものように指先で何かを叩かないのは、傷が痛むからだろうか?
「それを知る者は?」
「私とケヴィンと……あと王宮に報告したから……ごめんなさい」
やはり不味かったのだろう。ジロリと睨まれてしまった。
「なぜ謝る。王宮に知られたところで問題ないだろう?」
「え、でもバウムガルト伯爵が……」
「ゲロルトが簡単に捕まるはずがない。今頃はヤンクールに向かっているのではないか?」
確かに侍従長も国外に逃亡する可能性に言及していた。
「ケヴィンも言っていただろう? ヤンクールの商家と手を結んだと」
「あ、そういえば……」
ケヴィンが仕入れから帰ってきた時に聞いた話だ。小領主たちもおそらくゲロルトの逃亡を助けるだろう。
「じゃあ、しばらくは襲撃を考えなくても大丈夫?」
「気を付けるに越したことはないが」
「あのね、お願いがあるんだ」
ユリウスの眉間の皺が深くなる。
「わかっている。外へ出たいのだろう?」
「どうしてわかっちゃうかな。そんなにわかりやすかった?」
自分が狙われているのだから、外に出たいなんて我儘は言えなかった。そんな素振りを見せることすら、守ってくれている人たちに申し訳ないと思っていたのに。
「いや。王都へ来てから劇場とここの往復だったからな。ラースも気にしていた。外に出してやりたいと」
「そうなの?」
「動かないから飯を食えないのだと」
それはどうだろう? 元々、食事が面倒だと感じてしまう質なので、外に出れば食べるようになるかと言われると疑問だ。
「明日から、マリアを劇場に連れて行こうと思うんだ。でも王都の貸馬車って二人しか乗れないでしょ?」
「襲撃の心配がないのだから、お前とマリアで乗ればいいではないか」
「うっ、そっか……やっぱりダメかー……」
下がってしまった視線のまま呟けば、ユリウスが咳払いをした。
「首の角度を変えずに俺の方に体を向けろ。そうだ。両手を胸の前で組め。違う、腕ではなく手だ」
突然何を言い出すのかと思ったが、とりあえず言われた通りにしてみる。
「そのまま目線だけ上げて。俺の目を見て『お願いします』」
「?? おねがい、します?」
いったい何をさせたいのか。言われるままにやってみたというのに、ユリウスはちょっと不満そうだ。
「コンマスの時と違う」
「コンマス? カルステンさんのこと?」
「…………もういい」
ええっ、なんか機嫌を損ねてしまった? 外には結局出られないってこと? ううっ、1ヶ月近く我慢したのに……
「ユリウス、お願い……外を歩きたいよ……」
ここにきて引き下がれるかと、しつこく粘ってみる。
「…………仕方ないな」
よっしゃー! 言質は取った!
胸中でガッツポーズをする私は、ユリウスの顔が少し赤いことに気付く。
「熱が上がってきたんじゃない? やっぱり寝てた方がいいよ」
「……まだだ」
「はい?」
「まだおかえりのハグをしてもらってない」
そうだっけ? あ、腕を怪我していたから躊躇ってしまったのだった。
「怪我人なのだから、頭突きも殴るのも無しだ」
失礼な。頭突きをしたのも殴ったのもユリウスが悪かったのだし、たった一度きりではないか。
でも傷に触ったら痛いだろうなと思い、そろそろと手を伸ばす。ちょっと体制が不安定だなと思ったら、ユリウスが右腕で腰を支えてくれた。
恐る恐る、きゅう、とくっつけば、久しぶりの感触に何かが込み上げる感じがして、鼻の奥がツンとする。
「無事で、良かった」
耳元でユリウスが呟いた。
◆
新しい朝が来た。希望の朝に決まってる!
外に出てもいいと許可をもらったのだから、マリアと一緒に朝の散歩に行くのだ!
ささっと簡単に身なりを整えて寝室を出る。手前の部屋には誰もいない。護衛のみんなも傷だらけだったし、ゲロルトの襲撃も心配しなくていいのだから、きっと部屋で休んでいるのだろう。
足音を忍ばせてマリアを誘いに行く途中、ミアに会って驚かれる。
「マリアさんはエルマーと散歩に出かけましたけど……アマネさん、お一人で大丈夫なのですか?」
「え…………」
アルフォードは部屋で寝ている。護衛たちもいない。もしかして私、一人で動けるようになってる?
「ほんとだ。大丈夫みたい」
すごい! なんていうか、久しぶりの解放感?
浮かれて一人でウロウロしてみる。流石に一人で外に行くのは怒られるだろう。大丈夫。私だってちゃんとわかってる。
「マルセルさーん、おはようございまーす。私、一人でも大丈夫になったんですよ!」
「おはようございます。それはよろしゅうございました。ですが、お一人で外に出てはなりませんよ」
「はーい」
マルセルと話していると、ユリウスが居間から顔を出した。
「あれ? もう起きて大丈夫なの?」
「問題ない、それよりも何を騒いでいる」
「そうだ! 聞いて! 私、一人でいても大丈夫になったよ」
「は?」
訝し気な顔をするユリウスに、私は自分の嬉しさをわかってほしくて言い募る。
「きっとさ、道化師が術を解いてくれたんだよ!」
「道化師だと? 会ったのか?」
「あれ? 言ってなかったっけ? でもラースが言ってそうだけど……」
そう考えて気付く。道化師に会ったのは火事の直前だ。ラースは私が固まっていたと言ってた。もしかして、道化師に会ったことを知ってるのってアルフォードだけ?
「お前、まだ言っていないことがありそうだな。ちょっと来い」
「え、私、朝の散歩に……」
「報告が先だ。洗いざらい吐いてもらうぞ」
なんで? 私、悪いことしてないのに犯罪者扱い? なんでお説教モードなの?
ユリウスの部屋に連行され、ソファに座らされる。
「うう……、希望の朝が……マリアとラジオ体操したかったのに……」
ラジオ体操の音楽はタブレットに入れてある。もちろん今だって持参している。
「ラジオ体操? なんだそれは」
「夏休みの風物詩だよ。このタブレットに体操する時の音楽を入れてあるの」
「その板に?」
お、ちょっと興味を引けたっぽい? そういえば、ユリウスの前でタブレットの音源を聞いたことがなかった。これは説教回避のチャンスでは?
「ちょっと待ってて」
音楽再生ソフトを立ち上げて、曲を選ぶ。
「体操の曲じゃないんだけどね。これ、ここをタップ……人差し指でポンって叩いてみて。軽くだよ?」
「……こうか?」
手渡したタブレットをユリウスがタップした途端、音楽が流れ出す。
私が選んだのはヘンデルの『樹木の影で』別名『オンブラ・マイ・フ』だ。
その昔、日本でもウイスキーのCMで使われ、声楽の曲としては珍しく大ヒットした曲である。もちろん私は生まれてもいない時代なので、ずいぶん前にWikipediaで仕入れた知識だ。
どこから流れてくるのか、とユリウスは視線を左右に彷徨わせている。
「ここから音が出てるんだ。前に録音の話したでしょ? 録音された音源がこのタブレットに入っていて、何度も再生できるんだよ」
「そうか……すごいな」
ユリウスには珍しい素直な称賛だった。柔らかい歌声が室内を満たしていく。心なしか眉間の皺も薄まっているように感じる。
曲が終わり、思わず、というようにため息が零れる。
「他にはないのか?」
「あるよ! えーとね……」
作戦成功だ。どうやら説教は回避できそうだ。
そう私が思った時、銀色の影が鍵穴からふわりと入ってきた。
「おねえさん! 一人で大丈夫になったって、さっきミアに聞いたよ! よかったあー。きっと道化師が……」
「ああああアルフォード!」
まずい。非常にまずい。怖くて横が見れない。
「小賢しい手を使うようになったものだな」
うう、冷気が……左半身が寒いです……。
「これは没収だ」
「え、そんな! ひどいよ! 私の商売道具!!」
「これが無い方がお前もちゃんと食事を取るだろう」
ちがうよ! タブレットのせいじゃないんだよ!? 世界を渡ってまでタブレット中毒を疑われるなんて!
「ちょうどいい。バカネコもそこに座れ。二匹まとめて説教だ」
「えー、僕なんにも悪いことしてないのにー! おにいさん、おーぼーだよ!」
アルフォードの抗議は綺麗に無視された。