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ヴィーラント陛下の侍従

「アマネちゃん、少しは眠った方がいいよ」


 東の空が白み始める頃、ケヴィンが声をかけてきた。


 蝋燭の明かりが所々に影を作るテーブルの上には、ミアが淹れてくれたお茶が3つ。私とケヴィンとマルセルの分だ。


 冷たくなったお茶をコクリと一口飲む。


「うん。これを書き終わったらそうする」


 昨日の夕方、ラースは支部を発った。


 ラースには外に出るなと言われて頷いた私だが、そうも言っていられない。劇場の火事の説明に、今日は朝から王宮に行かなければならないのだ。


 王宮への報告に私が同席したところで何ができるわけでもない。保証の話にしてもこちらの金銭価値も詳しくないのだ。それでも知らないからと人任せにしていい問題ではなかったし、私自身がじっとしていられなかったということもある。


 夜通し作った被害状況や今後の練習における警備の依頼をまとめた資料を、トントンと揃える。


 ゲロルトたちも放置はできない。劇場の火事の原因は十中八九ゲロルトによるものだが、魔法陣が燃えてしまった以上、状況証拠しかない。イザークが魔法陣を置いたのだろうと、ルイーゼの証言で予測できたが、ゲロルトが劇場のどこに潜んでいたのかわからないのだ。


 だが私を拉致したイザークは確実に罪に問えるので、連れ去られた状況などは箇条書きにしてある。


 ただしこれについては、王宮に提出するかどうかはまだ決めていない。ライナーのことがあるからだ。


 だが私が言わずとも、いずれ知れることになるだろう。ライナーがイザークと一緒に馬車に乗り込んだことはみんなに目撃されている。


 彼がどの程度この件に関わっていて、どういう罪に問われるのか、法律の知識も何もない私には判断のつかないことばかりだ。


 私は何も知らない。何もできない。自分の力不足を実感するばかりだ。ユリウスのことも心配なのにラースに任せることしかできない。


 ふいにアルフォードが私の握り締めた拳に鼻先を擦りつけた。無意識のうちに力が入っていたことに気付く。


「おねえさん、ごめんね。僕がおにいさんのところに行けたらよかったのに……」


 力不足に苛立ちや焦燥を感じているのは私だけではない。アルフォードもそうだし、ケヴィンだってきっとそうだ。


 私は大きく息を吐きだす。


「少し、横になろうか」


 眠れる気はしないが、私が起きていたらケヴィンだってマルセルだって休めない。アルフォードだってこんな私の姿を見ていれば自責の念に駆られてしまう。


 無理やり笑顔を作って、私は自室に戻った。






 ◆






「イージドール…………おそらくそれはヴィーラント陛下の侍従だった者でしょう」


 王宮で侍従長に報告をすると、驚くべきことが判明した。


「陛下の侍従って、行方不明だと聞いておりましたが……」

「そうですな。殺されたものという見方が強かったのですが……。生きていて尚、姿を現さないとなれば、イージドールが陛下の死に関わっている可能性が非常に高い。アマネ殿、お手柄ですな」


 そんな風に言われても嬉しくはない。むしろ不味いことになった。イージドールが捕まればバウムガルト伯爵の罪も問われることになる。


 ヴェッセル商会としては、陛下の事件に関して実際に何を見たわけでもないので、知らぬ存ぜぬを通すことはできるが、バウムガルト伯爵が捕まればアンネリーゼ嬢が悲しむだろう。


 ガルブレン様はアンネリーゼ嬢を見捨てないだろうが、せめてリーンハルト様との縁を結ぶまでは時間の猶予が欲しい。


 バウムガルト伯爵はアンネリーゼ嬢に領主を継がせた後に自害すると言っていた。甘い考えかもしれないが、私としてはアンネリーゼ嬢が詳細を知らずに済むならばその方がいいと考えていた。


「しかし、貴方様にイージドールの名を聞かれたとあっては、ゲロルトたちもしばらくは身を潜ませるでしょう。国外に逃亡することも考えられますな」


 解決したとまでは言えないが、ひとまずはゲロルトの脅威は去ったと考えていいのだろうか。


「ですが警備は必要です。あのようなことがございましたので、演奏者たちも動揺しております。もうすぐ合唱練習も始まります」

「ふむ……どうしたものでしょうな」

「練習会場の外側に人を配置して頂くだけで構いません。会場の出入りについては関係者と協力して警戒します。行き帰りに一人にならぬよう自己防衛も徹底させます」


 これは譲れない。私にできることなど少ないが、演奏者たちの身の安全は確保したい。


 劇場の火事で思ったのだ。大人数で集まって練習をしている時に何かあればパニックになりやすい。カルステンさんやナディヤたちがいたからこそあの程度で済んだが、合唱隊が加わっていたらもっとひどいことになっただろう。


「お願いします」

「…………わかりました。練習が行われる際は人を配備しますので、スケジュールを教えていただけますかな?」

「っ、ありがとうございます。練習のスケジュールはこちらです」


 昨晩頑張った甲斐があった。警備が必要な場所を示した資料も、練習のスケジュールも作ってある。実を言えば避難訓練のレジュメも作った。


「避難訓練ですか。おもしろい考えですな」

「覚えている限りのものなので、かなり粗削りなものです。専門家や他の渡り人の意見も聞きたいところです」

「各担当部署には暴動や災害の対応マニュアルがあるにはあるのですが、市民に訓練をさせるという発想がありませんでした。参考にさせていただいてもよろしいですかな?」

「もちろんです」


 レジュメ通りに実施してもらう必要はない。私の知識などたかが知れているが、渡り人の特権として、こうして意見を言うことはできるのだ。できない、わからないを嘆くばかりでは前に進めない。


「アマネちゃん、いつの間にあんな資料作ってたんだい?」


 保証や劇場の補修などの打ち合わせも済ませ、支部へ帰る馬車の中、ケヴィンが問いかけてきた。


「もしかして寝てないでしょう?」

「じっとしてると不安になるばっかりだもの。ケヴィンだってそうでしょう? ギルベルト様に連絡してたなんて気づかなかったよ」


 私が横になると言って資料を作っている間、ケヴィンはギルベルト様に連絡を取り、王宮への行き帰りのための護衛と馬車を手配してくれていた。


「帰ったら少し休んでくれないと」

「ごめん。帰ったらマリアのレッスンをしたいんだ。そろそろ合奏と合流したいし、エルマーに任せてばっかりだったから……」


 楽器をヴェッセル商会に運び入れたこともあって、カルステンさんと相談した結果、今日は演奏者たちは休みということにした。せっかく時間が空いたのだから、マリアの独唱を進めたいのだ。


「まったく……兄さんが帰ってきたら叱ってもらわないと」

「うん」


 ユリウスのことは心配だ。じっとしていると心配すぎて気が狂いそうになる。


『ユリウス……? ユリウス……。そう、ユリウスだよ!』


 ゲロルトの上擦った声が頭の中でループする。


 ムジカ・ムンダルナ ―― 無性にあの人の歌声にも似ている遠くの鐘みたいな音が聞きたくなった。






 ◆






「うん、いい声。じゃあ今度は口を閉じて、口の中だけ広げる感じで。『んー』」

『んーー』

「鼻から声を出す感じを意識して。鼻の頭がビリビリする感じ。わかるかな? 『んー』」

『んーー』


 王宮から戻ると、私はケヴィンに行った通りマリアのレッスンを始めた。エルマーの頑張りとチェンバロを弾くようになったおかげで、マリアは音程もよくなった。


 音は空気の振動で伝わるが、自分の声は骨を伝わって聞こえる骨伝導だ。音程の狂いは耳から聞こえる音と骨伝導で聞こえる音のズレを、無意識下で調節できるようになれば解決する。つまり楽器を奏でる機会が増えれば音程は自然と良くなるのだ。


 マリアの歌声は高音の伸びがいい。音程が良くなったことで伸びの良さが際立つようになった。


 そろそろ限界かな? と思うところから更に伸びる。ぐんぐん上に伸びる声を聞いていると、心が上向くというか軽くなるというか。これはマリアの強みになるだろう。


 ただし難点もある。まだ声が小さいのだ。最初の頃よりはだいぶ大きい声で歌えるようにはなったが、合奏と合わせることを考えればもっと声量がほしいが、歌い始めたばかりで無理はさせられない。最終的には独唱部分の伴奏楽器を減らすことも検討しようと頭の隅にメモする。


「やっぱり玄人さんが教えると違ェなァ。いい声だぜ、まったく」

「エルマーのおかげだよ。チェンバロを練習した効果が出てる」

「ははは、そう煽てなさんな」


 休憩を挟むと、側で聞いていたエルマーが声をかけてきた。昨日のことは話していないが、カルステンさん達が支部に来たこともあり、何かを察しているのだろう。その上で、何も聞かずに明るく振舞ってくれるのがありがたい。


「ずっと任せっきりでごめんね」

「そいつァ言いっこなしだ。言っただろ? おいらも妹ができて嬉しいんだ」

「アマネさん、聞いて。私、チェンバロが、上手に、なった」


 エルマーはマリアに話し方も教えてくれていた。文字の読み書きは救貧院で習ったようだが、マリアは「てをには」を使うような会話が得意ではなかった。単語の羅列のような話し方だったのだ。おそらく救貧院では会話らしい会話をしていなかったのだろう。


「ふふ、マリア、上手になったねえ。チェンバロもお話も」

「ミアも、リリーも、教えてくれた」

「リリーってミアの子だよね。お友だちになったの?」


 いつの間にかマリアに友だちができていた。毎日顔を合わせていたが、ゆっくり話す時間はあまりなかったなと反省する。


「マリア、明日は劇場に行って歌おうね。マリアのきれいな声をみんなに聞かせてあげないとね」

「うん。頑張る、ます」

「ふふふ、じゃあ頑張って歌を覚えようね」


 ケヴィンには反対されるだろうが、明日は劇場に行くつもりだ。ラースが戻ってくるまで支部に籠っているわけにはいかない。合唱隊が加わるまであと1週間ほどしかないのだ。


 みんなにライナーのことやイザークのことも説明しなければならないし、楽器も運び入れなければならない。


 ギルベルト様に護衛を貸してもらえるように、ケヴィンに頼み込まなければいけないなと私が考えた時、階下が騒がしくなった。


「荷が届いたのかな?」


 いつも荷運びをする従業員たちの話し声が聞こえる。初めは小さかったそれが次第に大きく、慌てたようなものに変わり、「旦那様」の単語が聞こえた瞬間、私は階下へ走った。


 飛ぶように階段を駆け下りて、工房へ飛び込む。


 荷運びの者たちの間にラースがいる。ヴィムもいる。


 そしてケヴィンよりも濃い色の、見覚えがありすぎる栗色を見つけた瞬間、飛びつきたい衝動を必死で堪えた。


 震える足を意識して動かして歩み寄る。


「ユリウス」

「アマネ? …………戻ったぞ」

「うん」


 安心したはずなのに、バクバクと心臓が鳴りやまない。血が逆流したみたいに頭がぐらぐらする。


 どうしていいのかわからなくて立ち竦んでいると、ぽふん、と頭に軽い衝撃。


 見上げればいつも通りの不機嫌顔。眉間の皺もいつもと変わらない。


 頭にのせられた右手が背中に移動して引き寄せられる。


「ユリウス……腕が……」

「後で説明する。……おかえりは言ってくれないのか?」

「っ、おかえりなさい」


 抱き着きたいのに、抱き着いていいのかわからない。


 ユリウスの左腕は、赤く染まった包帯が巻かれていた。


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