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 劇場の火事による被害は、楽屋に置いてあった衣装が燃えた程度だった。


 楽屋から出てきたイザークを訝しんだルイーゼが、火事の第一発見者だ。すぐにナディヤを呼んで消火活動に当たり、ケヴィンにも知らせて避難誘導を行ったのだという。


 楽器や演奏者たちも、ナディヤもルイーゼも火傷や怪我はなく、私は胸を撫で下ろした。


 クリストフは私の練習を見たことは覚えているらしい。一瞬、気が遠くなって、次に気が付いた時には劇場内にいて煙の中を人波に押されるようにして外に出たそうだ。やはり一時的に道化師が体を乗っ取ったということかもしれない。


 私とアルフォードが道化師と対峙していた時、周囲から見た私たちは微動だにせずに突っ立ったままだったらしい。そんなマヌケな状態になっていたとはと私は愕然としたが、それほど長い時間ではなかったようだ。


 ラースが私の異変に気付き、肩を揺さぶったり頬を軽く叩いたりしているうちに火事が発生した。


 ケヴィンとカルステンさんは打ち合わせを行うべく別室に移動していた途中、ルイーゼに会って火事を知らされ、そのまま避難誘導に当たったそうだ。


 アルフォードは我に返った瞬間に蹴飛ばされてしまったらしいが、これは何者かが狙ったわけではないことが判明している。演奏者の一人が逃げる途中に急に動き出したアルフォードにぶつかったということだった。


 その日は当然練習は中止となった。劇場の支配人を呼んで事情を説明した後、外に出した楽器をヴェッセル商会に運ぶべく、私たちは支部に戻った。


 火事の責任や保証については、翌日に王宮に報告した後に話し合いが持たれることになっている。


 居間に腰を落ち着けた私たちは、今後のことを話し合わなければならなかった。ナディヤとルイーゼの他に、カルステンさん、プリーモ、ダヴィデも一緒だ。


「第二ヴァイオリンの補充については、私に心当たりがありますので、お任せいただけますか?」

「…………そうですね。ライナーさんは戻ってこれないのですよね」


 無理だとダヴィデにも言われていたが、諦めきれない私はつい確認してしまう。


「心配なさらずとも大丈夫です。ライナーは無事です」


 その言葉に顔を上げると、カルステンさんが少しだけ目を笑ませた。ダヴィデに聞いた通り、ライナーは別の者に助け出され、カルステンさんの伝手を辿って身を潜ませることになったという。


 カルステンさんはすごい。さすが私の惚れ込んだ男だ!


「ゲロルトたちはあなたが逃げたことに気付き、急遽宿を引き払ったそうです」

「そうですか……行先は……」

「追わせてはいますが、難しいでしょうね。ゲロルトはおそらくユニオンの伝手を頼ると予想はしておりますが、こちらもそれほど人手があるわけではありません」


 申し訳なさそうに言うカルステンさんだが、私にしてみれば不思議な程によくしてくださっていると思う。


「カルステンさんは、どうしてこんなに良くして下さるんですか? 助けていただいたこともそうですし……」

「乗りかかった船ということもありますが、まあ個人的な因縁みたいなものです。お気になさらずに」


 そう言われてしまうと聞きにくい。因縁というのはユニオンかゲロルトに対してなのだろうか?


「ハープはどうしましょうか? 演奏者にはあいにく心当たりがありませんが、楽器はイザークが残していったものがありますね」

「補充はしないつもりです」


 ハープの演奏者はおそらく探せば見つかるのだろう。だが、背後を洗わなければならないし、その間は練習に参加させるわけにもいかない。葬儀までは約一ヶ月半しかない。ギリギリ間に合うかどうかというところだろう。


「ところでカルステンさんは、どうして私が女だということをご存じだったのですか?」

「見ればわかります。私からすれば、何故他の者が気付かぬのか不思議なほどです」

「え、そうなんですか?」


 やはり滲み出る女らしさ的な?


「私は全く気付きませんでした。ダヴィデはどうですか?」

「俺もわからなかったですが、抱き上げてみて納得しました」


 プリーモとダヴィデが言う。ダヴィデが腕で抱き上げる形を再現するのは無視するとして、この違いって何なんだろう?


「実はイザークとゲロルトも知っていたようなのです。ライナーさんもですね」

「アマネちゃん、それ本当?」

「うん。私を味見するって言ってて。あ、でも大丈夫だったんだよ。ガリガリは趣味じゃないって」


 味見については言わない方がよかったかもしれない。ケヴィンが怒っているような気がする。


 しかし改めて考えると、痩せてて本当に良かったと思う。いや、体力とか考えるとダメなのはわかっているが、怪我の功名というやつだ。


「ドロフェイではないでしょうか」


 カルステンさんの発言には驚かされてばかりだ。確かに道化師は初めて会った時から私をお姫様呼ばわりしていた。


「カルステンさんは道化師を知ってるんですか?」

「同じ王宮におりますし、同類のようなものですから」


 同類って……こんなに素敵なカルステンさんとあの薄気味悪い道化師が同類だなんて有り得ない!


 しかし知り合いならば道化師のことが何かわかるかもしれない。


「カルステンさんは『ジーグルーンの歌』というのをご存知ですか?」

「ムズィーク・ムンダルナですな。知っております」

「道化師がその歌を聞きたがっているようなのです」

「そうでしょうね。それはあれの役割ですから」


 役割ってどういう意味なんだろう? 道化師は誰かの命で動いていることなんだろうか?


「あの……」

「『ジーグルーンの歌』とは何ですか?」


 さらにカルステンさんに聞こうとすると、ダヴィデが聞いてくる。ヴァノーネには伝わっていない物語なのかもしれないと思い、私はデニスに聞いた物語を聞かせた。


「わたくしは祖母からその話を聞いたことがありますが、続きがあるのですよ」


 私が語り終えると、ナディヤが言う。


「続きが? 聞きたいです」


 道化師を探るヒントになるかもと思い、私がせがむとナディヤが続きを教えてくれた。


 ある時、ウェルトバウムを害する者が現れた。死者の国の泉に住む竜だ。その竜はムズィーク・ムンダルナが大嫌いで、それを奏でるウェルトバウムを枯らしてしまえと根を毎日齧り続けた。


 ムズィーク・ムンダルナを好んだ神々がそれを知り、竜を懲らしめるために水の神を遣わした。水の神は竜が住む泉の水をすべて飲み干し、竜を死に至らしめた。


 ところがこの泉には毒があった。毒を飲んだ水の神は息絶え、その妻であった生き物の国の娘は悲しんだ。


 気の毒に思った神々は水の神とその妻が来世で結ばれることを約束した。ただしその妻は一度死に、ジーグルーンとして生まれ変わらなければならない。


 ジーグルーンは生き物の世界に何人かいる。生まれ変わった水の神はその中から自分の妻を見つけなければならない。


 水の神はジーグルーンの娘たちに会いに行き、それぞれの歌を聞いた。その歌声から自分の妻を見つけ、再び二人は結ばれ神々の国で永遠に睦まじく暮らした。


「へえ、そんな続きがあったんだ。カルステンさんはご存知でしたか?」

「いえ、そのような話になっているとは驚きました」


 まあ水の神とジーグルーンが結ばれるという内容から考えると、男の子よりは女の子に聞かせる物語なのかもしれない。


 しかし道化師の言動の謎を解くヒントにはなりそうもない。というか水の神なんているわけないし。


「ところでミヤハラ殿。あなたはもしかしてムズィーク・ムンダルナが聞こえるのでは?」

「ムズィーク・ムンダルナかどうかはわからないのですが、不思議な音が聞こえることはあります」


 ムズィーク・ムンダルナは水を与えられたウェルトバウムが枝を震わせて奏でる美しい音だとデニスに聞いた。私が時々聞くあの音は、木のざわめきとか枝が揺れる音とは違って、どちらかと言えば鐘の音に似ている。


 そうカルステンさんに説明すると、カルステンさんはアルフォードを見て言った。


「ジーグルーンの夢はとても甘美だと聞いたことがあります。アルフォード君が懐くわけですな」


 アルフォードは疲れたのか私の膝の上でくうくう寝ている。


「あの、カルステンさんはクランプスをご存知ですか? 楽団内にいるとアルフォードが言っていたのですが」

「さて、どうでしょう。それよりも、あなたも今日はお疲れになったでしょう。我々はそろそろお暇致します」

「そうですね。明日は朝から王宮と話し合いがありますものね」


 カルステンさんとナディヤがそう言い、他の皆を連れて帰っていった。


「ケヴィン、イザークとライナーさんのこと、みんなに言わないとダメだよね」

「そうだね。アマネちゃんを連れ去るところを見られてしまった以上は説明が必要だよ」

「けどよ、自衛を促すいいきっかけになるんじゃねえか?」


 ラースの言う通りではあるが、今後も演奏者たちは狙われたりするのだろうか。


「それよりもアマネちゃん、ゲロルトのところで何があったのか、きちんと聞かせてもらうよ」

「うぅっ、あんまり思い出したくないなあ……」


 乗り気ではなかったが、自分が口を滑らせたことが原因だ。仕方なく私は一部始終を話す。


「そう…………女が一人いなくなったっていうのも気になるね。たぶんカミラのことだろうけど、どうして仲間割れになったんだろう?」


 私には見当もつかない。しかし言われてみればカミラのことが気になってしまう。


「ケヴィン、カミラさんが劇場に来たのってなんのため?」

「…………兄さんに合わせろって」

「ユリウスに? でもユリウスがスラウゼンに行った後だったよね」

「カミラは知らなかったみたい。すごく驚いていて、怒ってもいたよ」


 カミラは何に対して怒ったのだろう。


「劇場から戻って、内輪揉めがあって、それでその日のうちにいなくなったってダヴィデは言ったんだよね?」

「うん。確かにそう言ってた」

「兄さんがスラウゼンに行ったことをゲロルトは知ってたんじゃないかな? それをカミラに黙っていたから揉めた……」


 ケヴィンの言葉に私は立ち上がった。寝ていたアルフォードが驚いて抗議の声を上げたが私は構っていられない。


「それってユリウスが危ないってことじゃない! アルフォード、ユリウスに呼ばれてない?ユリウスのところに行けない?」

「呼ばれてないよ。僕、おにいさんのところには、呼ばれないと行けないよ?」


 ダヴィデは宿屋にいた三人以外は数日前に出て行ったとも言っていた。何をしに? もしかしてユリウスを襲撃するためじゃ……


「アマネちゃん、落ち着いて。ゲロルトは兄さんを狙ってるの?」


 ケヴィンはゲロルトが従兄だと知らない。


「ケヴィン、あのね、ゲロルトは…………ああもうっ! どうすれば……」


 ケヴィンに言えば負担になるとユリウスは言っていた。私が話してしまっていいことなのか、判断がつかない。


「アマネ、落ち着け。詳しく話さなくていい。俺の質問はひとつだけだ。ゲロルトはユリウスの旦那を狙ってるんだな?」

「そう! ラース、ユリウスを助けてっ」

「ケヴィンの旦那。馬、借りるぜ。アマネは俺が戻るまで絶対に外に出るなよ」


 ラースの言葉にコクコクと頷く。こうしている間にもユリウスが危ないかもしれないと思うと居ても立ってもいられない。だけど、私が行っても足手纏いだ。


「だけどスラウゼンまでは遠すぎるよ」

「あと二日もすりゃあ帰ってくる予定だっただろ。何もなけりゃ帰路の半分以上は進んでるはずだ。それに旦那たちは馬車だ。街道を通るはずだ。馬なら一日も走らせりゃ行き会うだろうよ」

「馬は乗り換えて。費用はこっちで持つから。それと明日中だ。明日中に会えなかったら戻ってくる。それ以上は行き違う可能性が高い」


 ラースとケヴィンが準備のために動き出す。私はアルフォードを抱えて見ていることしかできなかった。


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