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ゲロルトとイージドール

「ふうん。ガリガリじゃないか」


 部屋の主はだるそうに身を起こす。


 興味などこれっぽっちもないというような目は、開けるのも億劫であるのか細められている。


 これがゲロルト? なんか、思ってたのと違う。


 ユリウスよりも2つ年上であるはずのその男は、10代半ばにしか見えない。ユリウスと同じ色の髪はサラサラのマッシュボブに整えられ、一見少女にも見える。今にも閉じられてしまいそうな瞼は長い睫毛で縁取られ、その奥にある目は赤味の強い琥珀色。


「おかげで君でも担げたわけだ? イージドール。ああ、今はイザークだっけ?」

「ゲロルト、その名前は止めてよ」


 私を担いだ人物はイザークだった。彼の最大の特徴である白い髪と右頬のホクロは見る影もなく、全くの別人に見える。詰め物でもしていたのか、小太りであったはずの姿形も細身になっており、つり気味だった目も今は特徴のない普通の目になっていた。


「こんなのをヴェッセル商会のユリウスともあろう者が側に置くなんて、笑っちゃうよね」

「ユリウス……? ユリウス……。そう、ユリウスだよ!」


 ゲロルトは自分の言葉に興奮するかのように声を張り上げていく。


「あいつはどこ? 早く僕の前に連れて来てよっ!」


 なにこの人、こわい…………気持ち悪い……


 声を張り上げていたゲロルトは糸が切れたみたいに突然項垂れて沈黙した。


 部屋はカーテンがぴっちりと閉じられていて薄暗く、もわりとした空気はぬるくて重い。


「で、どうすんの? ドロフェイに渡す前に味見する?」

「趣味じゃない。君の好きにすればいい」

「僕もパス。骨と皮じゃあね」


 心底だるそうに語られる内容に身を固くする。痩せこけてて良かった。


 でもこいつら、私が女だって知ってる……?


「恐れながら、よろしければ私に味見させていただけませんか?」


 部屋の隅からもう1人の男が進み出て言った。


「君さあ、役立たずのくせによくそんなことが言えるよね? 君が煮え切らないからゲロルトが力を使う羽目になったんだろ。もう一人入れようって」


 もう一人? ギードの代わりに誰かを入れようとしていたのだろうか?


「物好きだね。君、こんなのがいいの?」

「さっきの演奏、そんなに良かった? クリストフもだけど、ライナーもすごい顔してたよね」


 癖のある亜麻色の長い髪を後ろで一つに括ったその男性は、第二ヴァイオリンのライナーだった。


 高い技術を持っていたのに、ゲロルトの仲間だったとはもったいない。それに、王宮で具合を悪くしていた時に手助けしてくれたのに……。あれは全部演技だったのだろうか? ギルベルト様の資料には借金があると書かれていたので、ゲロルトに金を借りているのかもしれないけれど。


「顔の傷が良いのですよ。抉ってぐちゃぐちゃに開きたくなります」


 恐ろしいことを言ってライナーが近づいてくる。どうにかして逃げ出したいが、今の私は肘から手首までと、膝から足首までをそれぞれぐるぐる巻きにされ、ご丁寧に猿轡を噛まされて床に転がされている。


 一応、私だって抵抗はしたのだ。黙ってぐるぐる巻きにされてやる謂れはない。手足をバタつかせてみたものの、ナイフの柄で殴られただけだった。ライナーの言う傷は、その時にできた左目下の傷のことだろう。


 威嚇するように睨みつけるが、ライナーは笑みを浮かべて近づいてくる。ゆっくりと、スローモーションみたいに靴音が響く。


「ふうん。ここ、使う?」

「移動しますのでお気遣いなく。ゲロルト殿はお疲れでしょう?」


 ゲロルトは無言のままだらしなく寝そべった。指を動かすことすら面倒だとでもいうように、全身が弛緩しているように見えた。


「ゲロルト、熱いのかい?」

「うん……ドロフェイはどこ? 呼んできてくれないか?」

「仕方ないな。これから王宮に行ってみるよ」


 二人の会話を余所に、私はライナーに抱き上げられてしまう。


「本当に……軽すぎます」


 器用に片目を閉じて苦笑したライナーは、二人に構わず部屋を出た。目をキョロキョロ動かして辺りを伺うと、同じような部屋がたくさんある。


 ライナーがどこかの部屋の扉の前で止まると、私は思わず身を固くした。これから何をされるのか、想像するのも怖くて、ライナーの目の動きをいちいち気にしてしまう。


 連れてこられた部屋は、カーテンが閉められておらず、陽が燦燦と降り注いで暑いほどだった。


 私をソファに下ろしたライナーは部屋の鍵をかけた。私はその動きを目で負うばかりだ。ライナーが窓を開けると蒸すような熱気が外に押し出され、ぬるい風が吹き込んでくる。


 窓から差し込む光で逆光になったライナーの手が、左目下の傷に伸びてくると、思わずぐるぐる巻きの腕で庇ってしまった。


「腕を……痛めてしまいますね」


 ライナーは苦く笑うと上着のポケットからナイフを取り出し、慎重な手つきで縄を切っていく。伏せられた睫毛から覗くエルヴェ湖みたいな澄んだ青色に、少しだけ安堵する。


「声を出さないでください。イザークが出掛けたらダヴィデが来ますから、そのままお逃げください」


 声を出そうにも猿轡をされたままだ。解放された手で外そうとするが、手が痺れてうまくほどけない。仕方なく問うような視線を向けるとライナーは困ったように言った。


「カルステン殿に話してあります」


 ライナーが足の縄も切ってくれていると、外からごそごそと音が聞こえた。窓を見れば癖のある黒い髪が見える。


「来ましたね。暴れないでくださいね」


 そう言ってライナーは再び私を抱き上げ、窓の外にいるダヴィデに渡す。


 聞きたいことがいっぱいあるのに、猿轡は外せていない。唸り声を上げることはできるだろうけれど、それではダヴィデまで捕まってしまう。


「お願いします」


 ライナーはそれだけ言うと背を向けてしまった。後ろに結われた癖のある亜麻色が揺れる。


 私がライナーの亜麻色を見たのはこれが最後となった。






 ◆






「えーと、ミヤハラ様、そろそろ機嫌を直してくれませんかね? 俺、ミヤハラ様の素敵な笑顔を見たいなー」

「別に……怒って、ないです」

「ライナーさんは大丈夫ですって。カルステン様が上手くやってくれますから」


 ダヴィデの言葉を額面通りに受け取れるほど、私は子どもではない。あの状況で私が逃げたことが判れば、ライナーが手助けをしたことは明白だ。


「そうでもないですよ。窓だって簡単に開いたでしょう? ライナーさんは別の者が助けますから大丈夫ですよ」

「だけど、すぐに誰かが来たら……」

「問題ありません。イザークは外出しましたし、ゲロルトは術を使った後はしばらく動けないらしいですから」


 確かにイザークは道化師を探しに行くと言っていたし、ゲロルトもものすごくだるそうだった。しかしなぜそれをダヴィデが知っているのだろう。


「あの宿屋はカルステン様のお知り合いだそうです。ゲロルトが潜伏していることも宿屋が知らせてくれたそうですよ」

「そう……でも、他にゲロルトの仲間がいたら」

「それも心配いりません。どういうわけだか、あの三人以外は数日前に出かけたきり戻っていないそうです。女性もいたようですが、先週から戻っていないと」


 女……カミラという女性のことだろうか。先週の最後の練習に劇場に来ていたはずだ。


「その女性ですね。洒落た感じの女性ですよね? 俺も劇場の近くで見かけましたよ。その日に何やら揉めていたそうですよ。その後から姿を見なくなったと宿屋の者は言っておりました」


 内輪揉めとは穏やかではない。気にはなるが、今はライナーのことが優先だ。


「ライナーさんが無事だとして、演奏には?」

「すみません。それは無理でしょうね。火事の混乱でイザークが貴方を担いでいたところを見た者は大勢います。ライナーさんもイザークと共に馬車に乗ったのを見られてますから……」


 ため息しか出ない。イザークはともかく、ライナーが根っからの悪人だとはどうしても思えなかった。最初はすごく怖かったけれど、手荒なことは何一つされなかった。


 ギルベルト様の資料では借金があると書いてあった。それさえどうにかすれば……ああダメだ。イザークと馬車に乗り込むところをみんなに見られている……


 私が考え込んでいると、ぽふん、と空に銀色が現れた。


「おねえさん!」

「アルフォード! 大丈夫だった? 痛いところはない?」

「うん。よかったあー。おねえさんに何かあったらどうしようって……すごく心配してたんだよ」


 抱き上げるとアルフォードはすりすりと胸元に頬を寄せてくる。今日は静電気は大丈夫なようだ。


「おねえさん、傷、殴られたの?」

「平気だよ。それよりアルフォード、ダヴィデの前だけど、いいの?」

「大丈夫。火事の後、クランプスが言ったんだ。ダヴィデがおねえさんを助けてくれるって。ダヴィデは僕のこともおねえさんのことも知ってるんだって」


 ダヴィデを見上げれば、困ったように笑っている。


「俺とプリーモさんはカルステン様から聞いてたんです」

「カルステンさんが? カルステンさんって何者なんですか?」

「さあ……俺も詳しく知らないです」


 カルステンさんはなぜ私が女だと知っているのか。あふれ出る女らしさ的な? そんなばかな。


 それにアルフォードが言うクランプスも気になる。誰がクランプスなのか。


「アルフォード、クランプスって」

「僕、知ーらない。教えちゃダメなんだもん」

「もう…………そうだ、クリストフさんは? 火事の後、見かけた?」

「見たけど、何が起こってるのかわかってない感じだった。あれは違うと思う」


 アルフォードが言う違うとは、道化師ではないということだろう。


 そういえばイザークは王宮にドロフェイを迎えに行くと言っていた。あの時だけクリストフの体をドロフェイが乗っ取ったとか……いずれにしても、イザークはドロフェイがクリストフと同一人物だという認識はないということだ。


「アマネっ! 無事かっ?」


 ラースとプリーモが駆けてくる。


「すまんっ、俺が付いてなきゃいけなかった……」


 ラースが私の顔の傷を見て痛そうな顔をする。そんなに痛くないんだけどな。


「違うよ。私がアルフォードを助けてって言ったんだもの。アルフォードもラースも、無事でよかったよ」

「アマネ……」


 ラースは私のわがままを聞いてくれただけだ。誰が悪いという話をするなら私だし、今はそれよりもやらなければならないことがある。


「ラース、劇場に戻ろう。他の演奏者たちが心配だもの」

「そう言うと思ってはいたが……大丈夫か?」

「心配ないよ。行こう」


 追手の気配はないが、万が一あったとしても、この人数ならそう簡単に手は出せまい。演奏者が心配なのはもちろんだが、楽器も心配だ。


「ミヤハラ様、ヴァイオリンは回収してありますからご安心ください」

「プリーモさん、もしかして貴方が?」

「探しておきました。中は確認していませんが、ケヴィンさんに預けてありますよ」


 良かった。ザシャがせっかく作ってくれたヴァイオリンだ。燃えてしまっていないか心配だったのだ。


「一人で歩けるのに……」


 周りに注意を配りながら劇場へ向かう。私はといえばラースに背負われている。うう、いい大人なのに…………


 大声で文句を言いたいところだが、どう考えても運動不足の私は足手纏いだ。


「ラース、支部でできる運動とかないかな?」

「お前はその前に飯を食え。ったく、軽いにも程があるぜ」

「本当にそうですよ。俺も折ってしまうのではないかと心配で仕方がありませんでした。せっかく出るところは出ていらっしゃるようなのに……」


 ダヴィデにまで言われてしまう。最近は少し食べられるようになったというのに、もっと食べないといけないのかと肩を落とす。


「プリーモさん、ルイーゼたちは大丈夫でしたか?」

「はい。ナディヤ嬢もルイーゼも消火の方に回っていましたが大活躍でしたよ」

「消火に? あの、火傷とかは……」


 そういうのは普通は力がある男性が活躍するものではないのだろうか?


「問題なさそうでした。ナディヤ嬢はその辺りの男性よりも力があるようで、水が入った樽を担いでましたし、ルイーゼは火に耐性がありますから」


 でもルイーゼも火は熱いって言ってたけど。本当に大丈夫なのか後で確認しなければ。


 それにしてもプリーモもルイーゼの魔力のことは知っているようだ。ユリウスは周りに知られると良くないと言っていたが、その辺りは大丈夫なのだろうか?


「大っぴらというわけにはいきませんが、ルイーゼはテンブルグの領主様に忠誠を誓っておりますから」


 私の心配に気付いたのか、プリーモが言う。そういえばルイーゼは領地のために魔力を使うことを誓ったと言っていたのを思い出す。


 そうこうするうちに劇場に着く。


 火は鎮火されたようで、中の楽器を皆が協力して外に出していた。倒れ伏したり座り込んでいたりする者もなく、ほっとする。


「アマネちゃん、無事でよかった」

「ミヤハラ殿、お怪我は……ああ、ひどいですね。痛みますか?」


 ラースの背から降りると、気が付いたケヴィンとカルステンさんが駆け寄ってきた。


「大丈夫です。ダヴィデが助けてくれました。あの、カルステンさん、ライナーさんが……」

「その話は後にしましょう。楽器の確認をしているところですが、ミヤハラ殿はどうされますか?」

「私も確認します」


 そうだ。まずは被害状況を確認しなければならない。


「待って。アマネちゃんは怪我の手当てが先だよ」


 ケヴィンに止められて顔を覗き込まれる。


「ひどいな……誰がこんなことを?」

「イザークだけど、あんまり痛くないんだよ。自分で見てないからわかんないんだけど、そんなにひどい傷?」

「これは腫れるだろうね。冷やさないと」


 濡らした布を頬に当てられると、さすがに傷がひりりと痛んだ。


 ユリウスたちが帰ってくる前に出来れば治ってほしいなと思うが、予定では二日後には戻ってくるはずだ。せめて腫れだけでも引きますようにと願いながら、外に出された楽器を一つ一つ見ていく。少し煤けているものがあったが水を被っている物はない。


 逃げるのに夢中ではあったが、あの時、煙は出ていたが火は見ていない。室温が上がったという感覚もなかった。鳴らしてみなければ確実とは言えないが、この程度ならば乾いた布で吹けば問題ないだろう。


 楽器を運び出す演奏者たちを見れば、歩き方がおかしかったり体調が悪い者もいないようだ。


 ナディヤとルイーゼが男性陣に囲まれて照れているのが見える。プリーモが消火で活躍したと言っていたから、そのことだろう。


 気が付いた二人に手を振って、私も自分の無事を伝えるべくその輪に加わった。



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