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悪魔に魂を売ったヴァイオリニスト

 結局、週が明けてからも私は劇場に行くことになった。


 理由はいくつかあるが、一番大きな理由はハープの演奏者たちに護衛をつけるためだ。ギルベルト様にお願いしたところ快く了承してくださり、アーレルスマイアー侯爵家の護衛を借りられることになった。


 だが、流石に話だけでお願いするわけにもいかない。演奏者たちよりも早めに劇場に集合し、打ち合わせを行うことになったのだ。


 ついでと言ってはなんだが、カルステンさんにも事情を話し、劇場の行き帰りに各自注意してもらうように各パートへの連絡事項として通達してもらうことになった。一人一人に護衛がつけられない以上、自己防衛を促すことは大事だ。


 もうひとつの理由はエルマーの合格祝いのためだ。アカデミーの合格発表が先週末にあり、エルマーは見事に合格を勝ち取った。


 その日はルイーゼに教えてもらったシュペッツレも含め、たくさんのごちそうを用意してお祝いをしたが、兄であるヴィムが帰って来てから、改めて盛大なお祝いをしようということになったのだ。


 エルマーは恐縮していたが、ヴィムだってユリウスだって祝いたいに決まってる。


 合格祝いとして何をあげたらいいのか考えた私だが、葬儀が終わるまでは収入ゼロだ。少しならば用立ててもらうことは可能ではあったが、自分で稼いでいないのに何かを買ってお祝いするのは、なんか違うだろうと思ったのだ。


 そこでヴァイオリンの演奏をプレゼントすることにした。以前、エルマーとの雑談でパガニーニの話をしたことがある。その高い演奏技術のせいで『悪魔に魂を売った』と言われていたことを知ったエルマーは、どんな演奏なのか聞きたがった。


 タイミングが良いことに、葬儀の曲には使わないものの、ザシャにお願いしてあった改良版ヴァイオリンと弓が支部に届いたこともあり、私はパガニーニの曲を演奏してプレゼントにすることに決めた。


 だがパガニーニの曲は難曲だ。さすがに練習しないと難しい。しかし支部で練習しようにもエルマーがいる。練習している音が筒抜けなのではプレゼントの嬉しさも半減するというものだ。


 そこで私は演奏者が来る前の劇場で練習することにした。


 劇場に到着すると護衛の皆さんがすでに待機していた。カルステンさんはまだのようだ。私はケヴィンに護衛のみなさんへの説明を任せ、ヴァイオリンを取り出した。


 パガニーニの『24の奇想曲』の中から最終曲の第24番を練習する。

 この曲はものすごーく難しくて、ものすごーく練習しただけあって、楽譜が無くても覚えているのだ。


 主題は16小節で、11種類の変奏曲として展開されていく。この曲に影響を受けた作曲家は非常に多く、リスト、ラフマニノフ、ブラームスなどがピアノ用に編曲している。


 この曲には『左手ピツィカート』というパガニーニが生み出した奏法が使われる。『左手ピツィカート』は左手で押さえながら同時に弦を弾くという奏法だ。


 最初に説明を聞いた時には、考えた人は頭がおかしいんじゃないかと思った。押えると弾くって真逆の動作なのになんで同時にやろうとしたのか。はっきり言って意味不明だ。


 当たり前だが左手には五本の指があるので、一本の指で弦を押えて、別の指で弦を弾くことになるのだが、実際に演奏すると汗が吹き出てくるし、手のひらが吊りそうになる。


 誰だこんな奏法考えたの……パガニーニか……


 打ち合わせ中の護衛さん達やケヴィンもびっくりしてこっちを見ているが、そりゃそうだ。ただでさえ暑い季節だ。私は汗だくだし、必死すぎて変顔になってるかもしれない。でもエルマーに喜んでもらうために私は頑張るよ!


 必死になって練習するが、『左手ピツィカート』のところはどう頑張っても必死さが滲んでしまう。もっとスマートに演奏したいのに。


 どのくらい時間が経ったのか、気が付くと演奏者たちが遠巻きにこちらを見ていることに気付いた。あーあ、変顔を見られてしまった。


「…………おそろしい曲ですな」


 憧れのカルステンさんにまで見られていたとは、穴を掘って地中深くに埋没したい。


「おっしゃる通りですね。『悪魔に魂を売った』と妬みを言われるほど高い技術を持った人物が作った曲なのです」

「ぜひその演奏方法を教えていただきたいところですが、そろそろ練習の時間です。ミヤハラ殿はどうされますか? 今日はこちらには来られないとおっしゃっていましたが?」

「あ、すみません。この曲の練習もあったのですが、カルステンさんにお願いもあるのです」


 ケヴィンが近づいてきて、話をするために別室を準備したと伝えてくる。私もヴァイオリンを片付けてラースと共に後を追おうとすると、オーボエのクリストフが私を凝視していることに気が付いた。


 見覚えのあるその表情。まるで二コルに虫けらを見るような目で見られたギルベルト様のようだ。クリストフまで何かの扉を開いたらしい。ナディヤに気を付けるように言わなくては。うっかり罵って喜ばれた日にはドン引きだ。


「おい、行くぞ」


 近付いて来ようとするクリストフに嫌な雰囲気を感じたのか、ラースが私の腕を掴む。


 その瞬間、クリストフがぐんにゃりと歪んだ。


「え、なに……?」


 あっという間に闇が広がり、ラースの姿も塗りつぶされて見えなくなる。


「ラースっ!」

「おねえさんっ、無事?」

「アルフォード!」


 いつの間にかアルフォードが私の足元にいて、威嚇するように毛を逆立てていた。


「アルフォードっ、ラースが……」

「フフフ、彼は大丈夫だよ」


 聞き覚えがある、聞きたくない声。


「道化師!」


 クリストフがいたはずの場所で、道化師が嗤っている。こくりと喉がなる。いつの間にかその手にあるのは私のヴァイオリンが入ったケースだ。


「なんで、ここに」

「僕が道化師だからだよ。前にも言っただろう? どこにいてもおかしくないし、どこにいてもおかしいって」


 はぐらかすような言い方は覚えている。シルヴィア様の宿で会った時だ。あの時は普通の服装だった道化師だが、今日は宮廷楽師の服を着ている。


「……クリストフさんは?」

「オーボエ吹きの男かい? さあ? どこだろうね?」

「クリストフさんと入れ替わってた?」


 鎌をかけて聞いてみるが、道化師は答えずに嗤いながら近づいてくる。


「ねえ。さっきの演奏をもう一度聞かせておくれよ」


 道化師がヴァイオリンケースを手渡してきた。私はサッと取り返して抱きかかえる。これはザシャが改良してくれた大切なヴァイオリンだ。一秒だって道化師に持っていてほしくないのだが、どうしたって手が震えてしまう。


「演奏? そんなことのために、この状況を作ったの?」

「おやおや、聞いてないのかい? 僕が『ジーグルーンの歌』を聞きたがってるって」


 道化師がアルフォードに視線を流す。


 気を失っていた間のことはユリウスから聞いている。『ジーグルーンの歌』を聞きたいと道化師が言ったことも聞いた。だが演奏と歌がどう関係するのかわからない。


「おねえさん、惑わされないで! や、やいっ! おねえさんの術はどうやったら解けるんだよ!」


 そうだ! 術のこと、聞かないと。しっかりしろ私!


「フフフ、後で僕が解いてあげるよ?」

「ちょっと! 後でっていつ? 今、解いてよ!」

「今はやめといた方がいい、ね。君は随分とぼんやりしてるから」


 道化師にまで『ぼんやり』と言われてしまうなんて心外だ。私は目に力を入れて道化師を睨みつける。


「術はいつ解いてくれるつもり?」

「ゲロルトが君を狙わなくなったら解いてあげるよ」

「わかった。じゃあゲロルトの目的はなに?」


 いずれ解いてくれるなら、今はそれでいい。道化師相手に問答を長引かせるつもりはないが、せっかくだから今のうちに聞きたいことを聞いてしまわなければ。


「ゲロルトはいつだって君の騎士を困らせることしか考えてないのさ」

「じゃあ演奏者たちを狙うのも、ユリウスを困らせるため?」

「それは僕が君を欲しいと言ったからだ、ね」


 道化師は笑みを深めた。


 うええ、気持ち悪い! 迷惑極まりない! だけど背に腹は代えられない。


「どうすればいいの? 『ジーグルーンの歌』を聞かせればいいってこと?」

「フフフ、魅力的なお誘いだけど、まだその時期じゃあない。それにゲロルトは勝手に動いてしまうから、僕も困っているのさ」


 時期っていつのこと? それよりも道化師が困ってるって? そんな風には全然見えない。


「ゲロルトが勝手に? なにそれ迷惑! 止めてよ! 貴方なら止められるでしょう?」

「止められるけど、それじゃあ面白くないだろう? でもヒントはあげようか」


 ヒント? もしかして、そのためにこの状況を作ったのだろうか?


「ゲロルトの仲間は二人いるよ。僕が使った男を除いて、ね」

「二人……誰?」

「もうわかったようなものだろう? 三人のうちの二人。ほうら、簡単だろう?」


 三人のうち……ひょっとして残りのホクロを持つ人? クリストフを除外すれば、イザークとライナーとフェリクスの3人だ。この中から2人だとすれば……


「ああ、ゲロルトが始めてしまったようだ。残念だけど、ヒントはこれでおしまい」

「ちょっと! あっ……待って!」


 道化師がぐにゃぐにゃと歪んでいく。聞きたいことはまだあるのに。


「フフフ、早く逃げた方がいいんじゃないかい?」


 その言葉と同時に、辺りに明るさが戻ってきた。


「アマネっ! おいっ、しっかりしろ!!」

「ラース……? わ、なに? 焦げ臭いっ」

「アマネ!? よかった……っ逃げるぞ!」

「ラース、逃げるって……」

「ぼさっとすんな! 火事だ!!」

「あっ、待って! アルフォードが……」


 状況がよくわからないが、とにかく逃げなければと思い、手を伸ばしてアルフォードを抱き上げようとした時、目の前を誰かの足が横切った。


「アルフォードっ!!」


 銀色の猫がゴム鞠みたいに転がっていく。


「やだっ、アルフォードっ! ラースっ、アルフォードが!!」

「ちっ、アマネ、入り口に向かえ! ケヴィンの旦那が誘導してるはずだ!」

「っ、ラース! アルフォードをお願い!」


 ヴァイオリンを手渡されて背中を押される。煙でよく見えないが、たぶん入り口の方向だ。他の演奏者たちも同じ方向に向かっている。人波に揉まれて流される。


 前の方が少し明るくなっている。きっとそこにケヴィンがいる。


「こっちです」


 誰かが腕を引っ張ってくれた。そのまま引き摺られるように外に出た。


「火が迫っています。まだ走って」


 腕がぐいぐい引っ張られる。待って。運動不足が恨めしい。足が縺れて転びそうになるが、誰かの腕が引き上げてくれる。


 ヴァイオリンを取り上げられて誰かの肩に担がれた時、焦った表情のケヴィンが遠くに見えた。


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